第48話
◇◇◇◇
そして、栗花落と二人きりのイクラとカニ尽くしの三が日はあっという間に過ぎ去り、一月四日。
月末の学会発表に向けて、忙しい研究仕事生活に戻っていた。
「あぁ、えっと田中さん。前に提出してもらったこの報告書まだ修正しなくちゃいけないから。確認しておいてくれない? 一応修正箇所に印付けておいたから」
「あ、っはい。分かりました。終わったらもう一回提出しますか?」
「んっと、鮎川さんに渡して大丈夫かな。そこ以外の修正は大丈夫そうだし。あとは鮎川さんも確認してくれると思うから」
「分かりました。ありがとうございます」
「あ、でも先に休憩取ってね?」
「分かってます!」
「ふぅ」
後輩の田中さんに資料を渡し、俺は俺で託された仕事を終わらせる。
ちなみに田中さんは新卒一年目の研究員で、最近
丸メガネが似合い、他の男性研究員や上の人たちにも気に入られるほど。
正直、久遠のいる研究室に配属させないように動いてよかったとは思ってはいたのだが今となってはそんな心配も意味がなかった。
今考えてみても、久遠があそこまで女性にぞっこんになるなんて驚きだ。現実味が沸かないっていうかなんていうか。
「って、俺はあいつの母親かよ」
案外俺は、つい此間までの女に見境がない久遠が恋しかったのかもしれないな。
「よし、休憩すっか」
一段落つき、俺は昼ご飯を食べることにした。
先月から始まった栗花落のお弁当生活。しかし、最近はお互いに忙しくなってきているため、お弁当の頻度は週に三回と限定したものになっていた。
もちろん、進言したのは俺だ。
どうして進言したのかと言うと理由はある。
別に栗花落のお弁当が食べたくないとか、栗花落に手渡されるあの時間が嫌だとかそういう話ではなく。
ただ単純に栗花落の負担が増えるからだ。
週末には家に着て今まで通り掃除までしてくれるし、それでいて昼までと言ったらさすがに重労働だ。
どこぞのブラック企業でもあるまいし、なんとかそういうことにしてもらったわけだ。
まぁ、進言しても最初は「いや、大丈夫です」とまるで聞き耳を持たなかったが。
いくらなんでもやりすぎなくらいにまっすぐだよ、彼女。
ひとまず、発表も終わって一段落ついたら来月辺りに御馳走を振舞ってあげたい。
いっそ、温泉旅行をプレゼントするのもありだ。
混浴で、そのまま露天風呂で告白も……って、変態か。
「……ふぅ、今日は何かな」
不埒な考えを振り払い、目の前の淡白な弁当箱を開けると仲にはぎっしりと米とおかずが詰まっていた。
ごましおご飯、だし巻き卵に、揚げ餃子、ミニトマトに、焦げ目のついたピーマン、そして……。
「コメパンマンナゲット……」
懐かしのナゲット。
コメパンマンの顔の形を象ったジャガイモのナゲットで、幼稚園の頃のお弁当にはよく入れてもらってたんだけど。
意外とこういうの好きなのかな、栗花落も。
「あむっ」
パクリと口に含むと、懐かしい味と優しさの風味が広がり、疲れていた体も少し休まった。
「藻岩君! ちょっとこっちきてくれないか!」
「あ、はいっ。分かりました!」
そして、昼過ぎ。
後半戦が始まった頃。鮎川さんに呼ばれ、俺はデスクを飛び出す。
急いで手を拱く鮎川さんの方へ行くと、彼は少しだけ顔を顰めていた。
「あの、どうしたんですか?」
「会場が北海道じゃなくなった!」
「え、ま、マジですか?」
そして、聞かされた話は急遽、学会の会場が近場の市民ホールではなく、仙台のホテルで行うことになった――という話だった。
◇◇◇◇
一方。
経理部、デスクにて。
「ん~~お昼の仕事終わったぁ。ことっち、ご飯食べに行こ~~」
「あぁうん。お弁当だけど、いい?」
「そういえばそうだったね。うん、大丈夫よ」
サムズアップする純玲を横目に、パソコンをスリープにして席を立つ。
最近はめっきり使わなくなっていたけど、私たちは久々にビルの一階にある食堂へ向かった。
「やっぱり昼と言えばこれよねぇ~~」
「凄いわね、いつもいつも」
私の前にはお弁当、そして席を挟んで純玲の前にはかつ丼定食。
昼からがっつり食べるなぁと感心しつつも、何も気にしないでも体型を整えられている彼女に若干の嫉妬の抱く。
「普通でしょ~~これくらい昔から見てるじゃん」
「そうだけどさぁ……」
実際純玲の言う通り。
この食い意地というのは今に始まったというわけでもなく大学一年生の出会った頃からこんなところだった。
当時は「部活もやめてあんなに食べたら太るだろうな」なんて考えていたのに、今もその体型は全く変わっていないのだから天性のものなのだろう。
羨ましいったら、ありゃしないほんとに。
そんな私の気持ちなどつゆ知らず、彼女は大きく口を開けて嬉しそうに頬張っていく。
その傍ら、ちまちまとお弁当を小突いていると私の手元をじっと見つめてきた。
「どうしたの、何か変なものでもある?」
「うーん、別にそういう感じじゃないんだけどね」
どこかもったいぶったかのように呟くと、真剣に悩んだ顔で呟いた。
「うちって、家事とか全然じゃん?」
「まぁ確かに……いや、思い出したら、ちょっと辛いわ」
「うぅ、ひどい!」
「事実でしょうが!」
「むぅ~~」
口を結んで拗ねているようだけど、大学の時の純玲は今の先輩よりもひどかった。
部屋はまぁゴミ屋敷で、足場はないし、服はそこら中に散らばってるしでてんやわんや。
私が週一で掃除しに行っていたくらいだ。
「まぁでも、今は片づけてるんでしょ?」
「そうだけどね。博也くんの方が家事出来るんだよね」
「へぇ……そうなんだ」
少し驚きというか意外だった。
純玲とはいい相性だけど、本気で散らかした部屋を見たらどう思うのだろうか。
次会ったら忠告してあげないと。
「だからさ、ちょっと引け目っていうか。ご飯もおいしいし、そりゃまあことっちのも美味しいけど、イタリアンとかフランス料理っぽいのも作れるし……その上優しいしで、夜の方だって」
「—―そっちはいいからっ!」
「え、そう?」
会社で下の話はなしに決まってるわ。
隣に逢坂君がいなくてよかった。
「とにかくさぁ、うちもお弁当くらいは作れるようになった方がいいかなって」
「そうね、喜ぶんじゃないかしらね」
「でも、作れないよ。うち」
その眼はいつもの馬鹿にするようなものではなく、本気で悲しんでいた。
だからこそ、私は親友として肩を持ち言ってみせる。
「今度、教えてあげるわよ」
「え、ほんと⁉」
「うん。だけどその前に、仕事が一段落ついてからね」
まずは仕事だ。
先輩も忙しいって言っていたし、支えるためには私たちもきっぱり終わらせないといけない。
「ちぇ~~」
「はいはい。もう終わるから戻るわよ」
「分かりましたよ~~次期主任っ」
そうして、茶化されながらも。
食堂で注目を浴びてるから馬鹿はできず、私は耐えながらエレベーターまで歩いていく。
すると、先輩から一通のラインが飛んできた。
「ん?」
「どったの?」
”月末、学会の会場が変わって一週間くらい仙台に行くことになった”
「—―月末、出張に行くって」
「え、そうなの?」
「うん」
「そっかぁ、それなら打ち上げは延期かなぁ」
「そうなっちゃうね……」
別に何のおかしくもない、ありきたりな出張宣言。
だけど、この時の私は――――少しだけ嫌な予感を感じていた。
あとがき
今週は授業レポートと卒研発表準備系で忙しくなるので不定期投稿気味になると思います。すみません。
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