第38話
◇◇◇◇
「……これはちと、買いすぎたかもな」
栗花落の家からの帰り道、俺は直接帰らず都市部の方まで電車で向かった。
今回のことで色々と思うことがあり、少しでも栗花落の作業を減らせることが出来ればいいかなと食洗機やドラム式洗濯機、極めつけにはいい掃除機を眺め、いくつか新調した。
もちろん、手にして帰ってこれたのは掃除機だけで、他はすべて後での配送となる。すぐに欲しいというわけでもないし、いい買い物になった。
「……今月、ギリギリだな」
しかし、財布の中身を見つめてやや落胆する俺の姿が家の窓ガラスに反射して映る。
いい買い物でもあるし、後悔はないがやはり俺の財布は大打撃だった。
何せ、今月までの家政婦の支払いも残っている。栗花落が今月いっぱいでやめるらしいから、俺も解約の手続きを済ませたけど支払いは来月まで続く。
それに、今月はクリスマスと言うこともあり、奮発して数万円する無線ヘッドホンだって購入してしまったし。
そして、俺の都合なんか関係なしに、クリスマスプレゼントも買っている。
栗花落はきっと、俺が何をあげても喜んでくれるとは思うが俺ももう二十六歳。ひもじい学生の頃とは話が違う。
男のプライド的にも下手なものはあげられない気持ちから割かしなものを買ってしまって、今になって渡すのも怖くなってきたくらいだ。
もちろん、栗花落に「やりすぎです」と言われないかという意味で。
まぁ、結果を言ってしまえば当日は色々あって、タイミングを見失ってしまい、渡せず仕舞いなのだが。
初詣が勝負かなとは思ってる。
そういえば、さらに言ってしまえば。
予約していたレストランのキャンセル料もある。
いやはや、あそこのレストラン、雰囲気がいいだけあって凄まじいのなんの。
栗花落に言ったら、血眼で「私にも払わせてください!!」と言ってくるくらいの料金を持っていかれた。
—―なんていう諸々含めてのギリ赤字か赤字じゃないかの年末。日ごろから貯金していた甲斐があった。
◇◇◇◇
そして、あっという間に夜。
色々と重ねてはいたが、俺が都会の喧騒を浴びに行ったのにはもう一つだけ理由がある。
——栗花落の着物姿だ。
浴衣すら見たことがないっていうのに、年末年始早々こんなイベントが起こるとは想像もしていなかった。
最近は若い子たちも私服で行くようになって、あまり着物を着て初詣なんて見なくはなったがまさか、それが実現するとは考えていなかった。
あまりにも楽しみでもあり、あまりにも不安でもある――そんな心の浮ついた気持ちと心配気味な気分に翻弄されて外の空気を吸っていたのだ。
もちろん、家についてからもあまり落ち着かず。
何を考えたのか、それとも血迷ったのか。
はたまた極度の緊張でおかしくなってしまったのか。
陽が暮れた夕飯時よりもやや早い十八時、俺はスマホを手に取り見知った連絡先に電話を掛けていた。
『いやぁ、まじで可愛いんすよその子! ご飯食べるときなんか絶対にいただきますって忘れずに言うし、元気で活発なのに意外に押しに弱くてもう――ギャップにそそられるっていうかね! 最高っすね、やっぱり彼女って!』
「は、はぁ……それは良かったな」
本当に血迷っていた。
電話をかけてから三コール。飛び出るように声が聞こえてきた久遠は酒が入っていたのかテンションが高く、それはもう掛けたことを後悔するまでに至っていた。
『なんか反応薄くないすか? もっと喜んでくださいよ~~、哉さんなら分かりますよね? 僕に春が来たんすよ春が! だいたい付き合いの中で僕がここまで喜んでるのなんてそうそうないじゃないですか~~』
「いやなぁ、俺から掛けておいてなんだがもう切りたいぞ俺は」
『げ、ひど!』
「当たり前だろ、こんな自慢話聞かされて……こっちの身にもなってくれ」
確かに、久遠の言う通り。
女性関係でここまで楽しそうに、そして長く話すのは今までの久遠からは考えられないことだった。
これまでの久遠の女性関係はずっと前に彼が欠かさず言っていた体の関係の尺度でしかものを測らなかったし。俺に話すときは大抵が愚痴だった。
しかし、今回の久遠はと言えば、口を開けば自慢話。今までの不幸な愚痴話よりも耳が痛い。
とりわけただの自慢ならまだしも耐えられる程度にはメンタルができているのだが、今の久遠はそんなあからさまな自慢をしてはくれない。
いうなれば、まるで高校生のよう。
苦く、それでいて懐かしい過去を思い出す会話の内容に俺はやや懐かしさを忘れることが出来なかった。
体関係の話はほぼしない、言うなれば「胸がでかくてヤバイ初めてだ!」とかであとはすべてさっき言ったようなギャップが何だとかそういう話ばかり。
今までとはまったく変わっていて、正直久遠のそっくりさんなんじゃないかと思うほどだ。
「ていうか、いつからそんな清楚系になったんだよ。お前は」
『清楚系? 僕、清楚系ギャルも結構いける口ですよ?』
「ちげーよ……あぁもう」
絶対に俺の真意を分かっているくせに、あーだこーだと言葉を交わしてくるのは本当にさすがだ。斎藤さんの下で仕事しているだけあるなと感心する。
「にしても、そんなに気が合うんだな、その彼女さんとは」
これ以上色々と誤魔化されるのも嫌なので、俺は核心をついてみることにした。
すると、くすくすと肩を揺らしているかのような音と一緒に声高らかに呟いてくる。
『へへーん。二十四年間で初めての出会いっすね』
「それは大きく出たな」
『まぁ、出会い方が王子様みたいでしたからね。もしかしたらあっちもそう思ってるかもしれませんよ』
「へぇ、ちなみに名前は?」
『え、狙ってるんですか? 哉さんでも譲りませんよ?』
「馬鹿言うな、そんなわけないだろ」
というか、俺がそんなことするクズじゃない。
世間では寝取られ(NTR)とか創作物も流行っているようだが、あんなの胸が痛くて見てられない。
まして、俺がそう言ったテクニックで久遠の上を行くわけがないからな。
狙っても無駄だなことくらい理解してる。
『さすが、身の程弁えてますね~~』
「馬鹿言うなよ、斎藤さん悲しんでるんじゃないのか?」
『……哉さん、それはずるいっすよ。僕はもう決めたんですからね』
「あぁ、そうかい。ちょっといじめてみたくてな」
まぁ、俺はと言えばてっきり斎藤さんを狙っていたんじゃないかって思っていたのだが。
斎藤さん、なんだかんだ言って外見は男性社員達には人気だからな。
謝ると数秒の沈黙があり、少し不安げに感じているとやがて発せられた言葉はいつも通りなものだった。
『あっ、嫉妬すか?』
「なわけあるか!」
ほんと、心配を返してほしい。
調子が狂うよ、マジでなんで電話かけたんだ俺は。
『ぶははっ! そうですもんね~~今やあの哉さんにも愛しのハニーがいますもんね』
「そうだな、いるな。まぁまだハニーじゃないんだけどなっ」
『え、そうなんですか?』
「この前言っただろ? 色々あってクリスマスはあまりそういう気分になれなかったってさ」
『それは聞きましたけど、でもあの忘年会抜け出したらしいじゃないすか?』
らしいっていうのはあれだろう。
きっと飲みまくってつぶれたから覚えていないが気づいたら俺がいなかったとかだ。
ただ、俺は少し痛くて言葉を濁した。
「まぁな」
『え』
「ん? ど、どうした?」
正直、この後、久遠から言われる言葉は予想できている。
だからこそ、濁したが――やはり久遠はそんなことを見逃してくれるほどやさしいやつではなかった。
「……」
『あの、哉さん?』
「は、はい?」
生唾を飲み込み、喉が鳴る。
昔、鮎川さんに怒られた時のような上ずった声が飛び出る。
『……何にもしてないんですか?』
「いや、だって栗花落は風邪引いてたわけだしな――」
『ヘタレ』
「うぐっ」
自覚があるがゆえに、俺は受け止めることしかできなかった。
『はぁ、やっぱり哉さんは哉さんですね。いくらブランクがあるとはいえ、それはないっすよ。さすがに……』
「ひ、額にはキスしたぞ、寝てるときに」
『今時の中学生でもできますよ?』
「……」
マジか、今の中学生進みすぎじゃないか。
そんな肝座ってるだなんて……。
『んま。今更驚きもしないですよ、愛想つかさなければいいっすねぇ~』
あからさますぎて呆れたのか、それともそのままの意味なのか。
久遠はつまらなそうな声で付け足した。
愛想つく。
一度されたことに、俺は根拠なく呟いた。
「栗花落はそんなこと、しないよ」
『……そういえば、哉さん』
「無視するなよ」
『それで哉さん?』
「な、なんだよ」
『初詣、今年はいけないですわ』
「あぁ、俺もだよ」
『ほぉ、奇遇っすね』
「奇遇だな……」
そうして、あっという間。
俺たちの年末は終わりを告げようと時間が過ぎていき。
しかし、この奇遇が本当に本当に奇遇で奇跡なことだとはまだ俺たちは知らなかった。
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