第37話
そして、ご飯も食べ終わって落ち着いた昼過ぎ。
栗花落の熱もすっかりと引き。
せっせと家事をこなし、元気を取り戻した彼女に肩を撫で降ろした俺は、家に帰るべく玄関で靴を履いていた。
靴ひもを結び、立ち上がると少し残念そうな目で栗花落が俺の方を見ていた。
「大丈夫か?」
「っ……べ、別になんでもないです」
そんな表情に対して、分かってるぞと尋ねると目の前の彼女は頬を赤らめながら視線を逸らす。
本当に、分かりやすいんだな栗花落は。
ポーカーフェイスを知らないのか、それとも俺に対してだけなのか。
後者なら少し、いや結構嬉しいかもしれない。
「すみません。こんな看病までしてもらって……純玲のせいで」
「三澄さんを悪く言うなって。それに、看病したのはあくまで俺の一存だし、自己満だ」
「でも、してもらったことは返さないとっ」
何ともらしいというか、律儀な言葉だ。
最近は色々あったから実感なかったが、いつもの彼女が返ってきたようで少しほっとする。
「いいんだって。俺だって看病してもらったし、完璧じゃなかったからさ俺のは」
「完璧とかじゃないですよ、私が嬉しかったんですから。その気持ちだけで……」
「それなら、俺も気持ちとして受け取ってくれ」
「……いじわるですね、そうやって昔から」
「言葉の綾は汲み取るの得意なんだな、昔から」
「っ……わかりました。受け取ります」
「おう」
勝てないことを理解したのか、栗花落はぺこりと頷く。
すると、重力につられて結んでいない淡く艶やかな亜栗色の長髪がすらりと下に垂れた。
そして、香ってくるいい匂いに頭をやられながらいつも通りに、俺の台詞を呟く。
「—―にしても、俺は手伝わなくて本当にいいのか?」
「それは、大丈夫ですっ。さすがに純玲の大掃除を手伝わせるのは嫌ですよ……むしろ私がしたくありませんし」
「そ、そうか」
明らかに嫌そうな顔で言うということは本当にしたくないのだろうな。
そう、実は俺がこの時間で家に帰るのは午後から先客があったからでもあった。
熱が引いたと連絡すると、「それじゃあ今日の夜、恒例の大掃除手伝いしてね♡」となんともパシリなラブコールがかかってきたらしい。
久遠もそうだが、三澄さんも栗花落の扱いがやや酷いということも分かってきた。
今思えば、昨日の栗花落を家に案内してくれたところまでは良かったけど。そのあとなんて全部俺任せだったし。
俺が誠実さのかけらもない人間だったら、というか遅れたらどうするつもりだったのか。
考えたくもない。
まぁ、結局、究極的に。
俺的にはかなり良かったんだけど。
どこか、似ているように感じるよ俺たちは。
「それじゃあ……そうだな、次会うのは年明けになりそうだな」
「んっ……ぇ」
普通に考えれば、予定もない何もないが年末年始は誘うのは憚れるものなのだが。
しかし、俺の言葉に対して、栗花落はあからさまにもがっかりと表情を変える。
今日は三十日、そして明日が大晦日、明後日が元日。
時間はあるけど、もし会うならもう。
「し、仕方ない――」
「っせ、先輩」
繰り出される悲しそうな震え声。
加えて俺の目に映る上目遣い。
もはや、突き放せるわけもなかった。
「—―からさ、明日の夜から、初詣行こうと思ってたんだけど一緒に来るか?」
「っい、行きます‼‼」
結局、大嘘の大寄せ。
さっきまでの悲しそうな表情が一変し、ぱぁっと音を立てるかのように腫れていく。
昔、実家で飼ってたゴールデンレトリバーの散歩行くか行かないかの時と全く一緒で、やや苦笑いが零れた。
「それじゃあ、明日の夜にな」
「はいっ……あ、えとその、先輩」
「ん?」
「着物、着たほうがいいでしょうか?」
「えっ、持ってるのか?」
「は、はい。最近、購入したんですけど、使える相手もいなくて……」
女性の着物姿。
それも、栗花落の初詣着物姿と想像すれば見たくないわけがなかった。
大和撫子で清楚華憐で垢ぬけた彼女に似合わないわけもなく、二度頷いた。
「んっ。ぜ、ぜひ、見たいっ! かもしれない」
「かもしれないって、どっちですか……」
「見たい、というか見せてくれ!」
「っ……じゃ、じゃあ楽しみにしておいてくださいね」
「あ、あぁ」
そして、一つ。
年末最後の大きな約束を漕ぎつけたところで、俺は彼女の家を出たのだった。
「マジか……着物だなんて、初めて見るよ」
最後の最後でのジャブ。
結局、その日は悶々で埋め尽くされる。
なんて言ったって、初めてなんだからそういうのは。
三年生の頃は夏祭りにすら、行けなかったし。付き合ってからの年末年始は制服だったし。
浴衣も、もとい着物だってすべて初。
八年越しですらない――女性の晴れ姿を見れるのに期待以外の何を膨らませればいいのか。
ていうか、まぁ。
栗花落って意外と大胆だよ。
ガーターベルトとティーバックと言い、さ。
◇◇◇◇
「っ~~~~~~~~//////」
言っちゃった言っちゃった言っちゃった。
どうしよう、着物着るとか言っちゃった!
私、大丈夫かな、体重とか太ってないかな。大丈夫だよねっ。
あ、あぁ、テンションおかしいよ私。こんな時に純玲の大掃除なんてやってられないくらいじゃないのよ‼‼
「っうぅ、うへへへぇ」
笑みがこぼれる。
誰もいない、閑散としてしまった部屋に私の不敵な笑い声が響き渡り、その気持ち悪さを体感しつつも。
歪んでしまった、緩んでしまったこの頬を正すことはできなかった。
理由はいくつもある。
正直、忘年会に行けなくて結構悲しがっていたところに、先輩がやってきてくれたこと。純玲への手伝いはその感謝も込めてだけど。
そんなことどうでもよくなるくらいに、嬉しかった。
でも、自分の姿に驚いて……あんな天邪鬼なことまでしてしまって情けないとまで思える。
『ま、お粥くらいはネットにあるから大丈夫だろ。気にすることはない』
なんて言いながら、頑張って作ってくれて。
ものすごくおいしくなくて……絶対に熱のある体には良くないはずなのに。
でも、食べる手が止まらなくて、体が一気に熱くなっていって。
あの瞬間は熱のせいなのか、それともドキドキしているので熱くなっていたのか、今でもよく分からなかった。
「……っ」
それに何よりも。
私はこの耳で聞いてしまったのだ。
きっと、先輩は寝ていると思っていたのかもしれないけど。そんなわけなかった。
行かないでほしくて恥ずかしい事言っていた私に、それ以上に真面目で恥ずかしくて、何よりもうれしい言葉をかけてくれた。
『……いつも、ありがとうな栗花落。好きだぞ』
額へのキスとそして、好き。
気持ちの吐露が耳に入って、一気に体が熱くなる。
今でもその熱は消えず、こうして玄関に寄り掛かってふらつくほどに私はおかしくなっている。
先輩、ずるいですよあんなこと。
不意打ちだ。
不意打ちにもほどがある。
ぼろぼろのおぼろげな意識の中で、あんなこと言われたら……我慢できるわけがないじゃないですか。
「これで、おあいこですよね……」
お互いに内緒のキス。
それを知っているのは私だけという――状況に胸の熱情は止まることはなかった。
◇◇◇◇
なんて、私にそんな熱情の余韻を感じさせるほど甘い親友ではなく。
ベランダで冬の冷たい風にうたれて感傷に浸っている私に電話をしてきたのは言わずもがな、三澄純玲だった。
「もしもし……」
『ねぇ、そろそろいい?』
「空気読みなさいよっ」
『は、はえ?』
そうして、すみれの家に行き。
掃除の手伝いをしつつも昨夜のことを聞かれ、その大晦日の夜の初詣デートについて根掘り葉掘り言うように言われ、断ることが出来なかったなんて――余韻に浸っている私には知る由もなかった。
あとがき
二人の速度でまったりと、タイミングですね、あとは。
それと次回か次々回、ちょっとくだらない伏線回収回。
多分、そうだと思ってます。
もうすぐ☆400です!
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