第35話


◇◇◇


 そんな中、皿を受け取った俺は栗花落の家の台所で洗い物をしていた。


 今まで、どちらかと言えば俺の方が家事をしてもらうことばかりだったからあまり気づけてはいなかったがこうして自らがやってみると家事と言うのはかなり忙しい。


 仕事はいえ、ちょっとやらせすぎてたし……最近はお弁当までも作ってもらってしまっていよいよだ。


 栗花落に、何か見える形でお返しとかもしてあげらればいいのだが。


「いや、付き合ってもない男からあまり大きいのもあげるのは……引かれるか」


 引かれるのはちょっと嫌だ。

 大学生の頃に当時のゼミの友達からそういう話された覚えがある。

 

 好きになった女の子の誕生日をリサーチしておいて、その日に結構高めのマフラー買ってあげたら思いっきり引かれて、そのまま告白も成功できずに終わったとかって。


 まぁ、栗花落に限ってそんなことはないと思うけどな。


 ただ、正直な話。

 こうして俺が家事するとどれだけ大変か理解できる。


 これからは仕事ではなく、彼女の善意で色々と手伝ってくれると言ったのだ。多少、楽にしてもらいたい。


「……って、俺はそこまでできてる人間じゃないな」


 嘘でもないけど。

 栗花落はきっとその、大変な家事もしたいからするとか言いそうだしな。


 何より、本心的に。

 俺は、今のを増やしたい。


 こうやって体壊すこともあったり、仕事が忙しくなったり、あの頃とは違って俺たちはもう社会人で大人だ。


 お互いが遊ぶために合う時間なんて、そうそう見つからない。


 だからこそ、二人して会える時間は大切にしたい。しっかりそう説明すればきっとわかってくれるだろうからな。


「よしっと、ひとまず洗い物は終わったかな」


 部屋を見渡すとやや散らかった部屋。

 女性の部屋に最初に入ってきて、やった行動が看病と皿洗いとは俺も家政婦のバイトしてもいいくらいだ。


「……って、いかんいかん」


 考えるな、こういうのは考えたら負けだ。


 女性の部屋、それも想い人であり、一度もお邪魔したことがない栗花落の部屋と思うと色々と湧き上がってくるものがある。


 高校時代もそうだったが、俺は栗花落の部屋に上がらせてもらったことがない。


 今となってはなぜ俺が栗花落の家に上がらせてもらえなかったのはなんとなく理解できるけど。


 家庭的事情、そして俺が栗花落の親から好かれていなかったから。


 その理由はいたって単純だ。


 少しだけ栗花落から聞いたけど、栗花落のご両親は男女関係の拗れで崩壊したらしい。


 そんな過去を持っていたら、娘の恋愛の相手がどんな相手か不安だし、自分の轍を踏んでもらいたくはないという気持ちも自然だ。

 

 これからは背負うものが違うな、そう考えると。

 ちょっと怖い。


 とまぁ、だからこそ。

 変なことを考えすぎるのは良くはない。


「……ただの部屋だ、ただの」


 ただの七畳間、ただの1LDKだ。

 札幌の住宅街にある、アパートマンションの1LDKだ。

 三十二型テレビの横に聳え立つルームフレグランスから溢れ出してくる匂いも。

 テーブルの上に置いてある女性用ファッション雑誌も。

 ティッシュ箱が入った可愛らしいポ〇モンの袋も。

 寝室の扉に掛けられた女性用のリクルートスーツも。

 

 そして、何よりも物干し竿にかかったままになっている女性服や……し、下着も。



「家政婦、ハードル高すぎだろ!!」


 なんなんだ、この生き地獄的空間は!

 栗花落は俺の家にいたときこんな感覚でいたというのか、俺の下着や俺の部屋に悶々と我慢する。


 俺、鬼畜すぎだろ、ていうか早く奪っちまえよ栗花落を。


 っていやいやいや、そんな簡単な話じゃないってさっき考えただろう。

 

 色々背負ってるんだこっちは。


 今後、結婚まで行くと道筋を立てるのなら襲うのは良くない。奪っちまうのもよくない。


 クリスマス、すぎちゃったしタイミングなくなったのもあるけど。


 ただまぁ、今はちょっと忙しいからもう少し先にしたいし。

 それもこれも多少あるけど、何よりも順番は大切だ。


 あくまでも、俺は栗花落の親御さん。愛華さんから悲しませるなと言伝をもらっている。


 いきなり、そういうことをして万が一にもできてしまったら、今の俺には責任をとれる――能力はあるにしろ。


 お互いにしたいことが出来る保証はない。


 子供っぽいって言われてもしょうがないけど、そういうのは付き合ってからにしたい。


 何度も言うが、これは言わばリハビリなんだ。

 進行速度を間違えば、踏み外してしまう。


「何より……栗花落、俺にまだ言っていないこともあるしな」


 過去の話だ。 

 栗花落がどうして、男を嫌いになりかけ、俺への気持ちを向けてくれたか。

 少なくとも、ここが晴れるまでは。


 辛抱、もう少しの辛抱だ。

 

「ふぅ、はいはい。そういう物騒な話は今度だ」


 気を取り直し、九畳間のベランダ側に置かれた物干し竿へ移動した俺は洗濯物を取り込み始める。

 女性の服、それを触っていいのか――と言う疑問はやや浮かんだがこの場合は致し方ない。俺だって栗花落にやってもらっていたことだし、このまま何もしないのはかえって薄情だろう。


 下着は、まぁ、仕方ない。

 うん、仕方ない。

 いいよね、仕方ないよね、神様?


「って、これじゃあ下着泥棒みたいじゃないか!」


 あくまで俺は家事をしているんだ。

 やましい事なんて一ミリもしていない。

 やましいことも、至ってそんな考えもゼロ。

 だから、これはそうただの家事。


 そして何よりも、栗花落が危なっかしいものを干したままにしておくわけもないし。


 元よりも、そんなもの着るわけがない。


 バニーガールのコスプレとか?

 はたまた、学生服を未だに来ている女の子だったとか?

 

 栗花落に限って、あり得るわけがない。


 何より、失敗した童貞卒業の日だって……痛がるそぶりだってあった。


 一人で致すこともないわけだ、彼女は。


 したがって、以上の条件より。

 俺が動揺することも、臆することも――ない!!



  QED. 証明終了



「はははっ、これだから理系はって言われるんだな」


 大学時代からの癖だ。

 工学部なんて男しかいなかったし、気を許せば早口に……。


 なんて頭の中で気を紛らわせていることが余計に仇になるとは知らず、俺はどんどんと服を回収していく。


 そして、やがて洗濯ばさみで挟まれた懸念エリアへ突入し。

 悶々としつつ、極力目は開かずに手に触れるその感触だけで取り外し、畳んで、しまい込む。


 その繰り返し。

 このまま、順調に終わると思っていた――そのときだった。


 手に触れる、ただの下着ではない感覚。

 ショーツでも、そしてブラジャーでもない。

 ましてはタイツの流れる繊維感でもない。


「っ」


 単なる好奇心だった。

 極力、開けないようにしていた瞼をゆっくりと開いていき。

 やがて光差し、眩しく見えるその空間の中から。


 徐々に見えてくるその下着らしきものの影。

 まるで、あたかも天を仰ぐかのようにしてしまったのが運の尽きだった。


 簡単に言おう。

 俺は栗花落ことりという女性を侮っていた。

 ここに干されているという事実、そしてそれが指し示す真実。

 

 今日は十二月二十九日。

 あの日からは四日が経った。

 普通に考えて、そんなはずはない。

 だが、この部屋の散らかった具合と栗花落の病状から察するにここ最近はあまり家事ができていない。


 その時間の無さから、そしてさっき取り込んだ二十五日の既視感のある洋服からして。


 あの日のものだ。


「っ……ん」


 生唾を飲み込む、俺は目を疑った。


 俺の手にあったそれは。


 所謂。





 透けに透けたフリフリショーツと、加えて。


 透けに透けた――最高に妖艶な、ガーターベルトだったのだから。


「――――――っく⁉」





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【あとがき】

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 続き↓


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 勿論、俺は何も見なかったことにしてそれらをたたみ、そして何事もなく栗花落の部屋のクローゼットの中に仕舞い込んだのは我ながらスーパープレイだったと言いたい。





 悶々とする中、しかし当の本人はそんな素振りは見せずに声を掛けた。


 とりあえず、これは栗花落に付き合うまでは秘密にしておこう。


「せ、んぱいっ」

「っお、ど、どうした?」


 ベッドから、身を起さず視線だけで手招きする彼女。

 少し心配になりつつ近づくと、栗花落は不意に俺の手をぎゅっと握りしめた。


「あの、終わり……ましたか?」

「え、あ、あぁ。まぁな。全部終わらせておいたぞ。栗花落がいつもどのくらい大変なのかを思い知ったよ」

「っお、お世辞はうまいですね」

「いやいや」


 苦笑いを浮かべる。

 最後の最後、疲れが吹っ飛んだことは言わないようにポーカーフェイスをした。

 すると、栗花落はにこりと微笑んで、手を握り締める強さを強めた。

 どうやら、バレていないようだ。


「どうしたんだよ、そんな強く掴んで」

「……あ、あの、この後は」

「この後? まぁ、ぼちぼち帰る、かな?」


 終わったのだから、帰るだけだろうと言うと栗花落の手は再び力が強まった。


「お、おい――」

「……かなぃで……ぁ、ぃ」


 ちょっと痛い。

 そう伝えようとすると彼女はかき消そうように何かを口ごもった。


「っえ」

「……い、かないで……ください」

「っ」


 目元に浮かぶ煌めく雫。

 そして、まじまじと見つめる潤んだ瞳に、力のこもった細くて小さい左手。


 そう、か。

 少し侮っていたようだ。

 栗花落は、別に慎重すぎることを望んでいない。

 弱くはないけど、それほど我慢強いわけでもない。

 あのガーターベルト。


 きっと、それが示すものは……。


「つ、ゆり」

「せん、ぱいっ」


 俺は見ようとしているようで見えないふりをしていた。


 ひととき、目を見開いて仕舞えば見えてくる彼女。


 ただの女の子がそこにはいた。

 熱で息も粗い、体も疲弊して汗ばんでほんのりと熱い。


 手を握り、それを胸元へ引っ張り寄せる。


 きゅっと、引き締まったその唇が俺の目の前へ。


 あぁ……。

 やばい。引き込まれる。


 そして、その日。





 




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