第34話

◇◇◇


「あぁ、俺があと全部やっておくから栗花落は気にせずこのまま寝てなよ~~」

「す、すみません……」


 —―バタン。

 扉を閉める音が聞こえ、そして今一度寝室を見つめる。

 扉と框の隙間はゼロ、全くの隙間も猶予もなし。

 よし、大丈夫、この空間には誰もいない。





「…………ぅぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」




 おいおいおいおいおい、なんだあれは、やばくね、ていうかやばすぎだろ!

 なんなんだ、あの格好は! 

 めっちゃブラが透けてるキャミソールに、思いっきり黒色の大人びたショーツ、いやパンツの端っこまで見えてたし。


 スタイル良すぎなくらいに丸わかるだったし……あ、ていうか、あれか。


 そういえばあのでかい胸って偽物だったっけか。


 いやいやいや、それは全く関係ない。

 なんだよ、あの凄い恰好は……ってまぁ、きっとあの三澄さんのせいだと思うけど。

 俺がインターホン押したら出てきた彼女だし。連絡してきたのも彼女だし。すれ違う時ニマニマしてたし。


 ってそれもこれも、そうじゃない。

 なによりもこの状況的に、まずは栗花落に色々確認しないと。

 このまま寝室にいてもらって何もしないわけにはいかないし、現状把握、現状確認からだろう。

 仕事と一緒だな。


 扉の前に再び近づき、今度はしっかりとノックをする。


 トントントンと三回。


「な、なぁ、栗花落。さっきは……すまん。もう、入って大丈夫か?」

「……」


 ゆっくりと尋ねると何も返答はない。

 やっぱり、怒らせてしまっただろうか。付き合ってもいない男にあんなはだけた姿はそりゃ女性なら見せたくはない。

 俺でも、ちょっと恥ずかしいくらいだし。

 確認しないで扉を開けてしまった俺が悪いよな。


「せ、先輩っ」


 色々と逡巡していると向こう側から返答がきた。

 どこか震える声で言っている。


「い、いいか?」

「はいっ……どうぞ」


 さすがに扉越しに話すのは栗花落の喉的にもよくない。

 ゆっくりとした許可が返ってきたのを確認し、俺は扉をそっと開ける。

 すると、中にはさっきと同じ位置で寝ている栗花落の姿があった。

 恰好はほぼ裸のさっきとは違い、桃色の桜柄のパジャマに身を包んでいる。

 少し安心しつつ、心のどこかでげんなりしている自分がいる気がした。


「っ」


 ゆっくりと近づき、そしてそばに腰を下ろす。


 あぁ、可愛いな、栗花落は。

 普段は綺麗だけど、こういう服着るとギャップがよく分かる。


「—―ん、あぁ、それで熱はどうなんだ、三澄さんからは高熱だって聞いたんだけど?」

「えっと……高熱じゃ、ないです。微熱くらいですね、37.8℃で……」

「えっあ、あぁ、そうなのか」

「すみません、純玲が嘘を」

「いや、まぁ別に」


 どうやら、俺を急がせるための嘘だったようだ。

 俺が聞いていた話じゃ高熱が出て急に倒れてでも外せない用事があるから頼むーって感じだったけど。いや、今よく考えてみれば玄関で鉢合わせたときの三澄さんの顔笑ってたもんな。


 とまぁそんな愚痴はどうでもいいとして、ひとまずだ。


「栗花落が予想以上に元気そうで安心したよ」

「先輩も……ひどいですね、元気そうに見えますか?」

「それこそ三澄さんに意識朦朧かも――って言われたからな。こんな風に話してるだけいいよ」

「……今度、仕返ししなきゃですね」

「まぁまぁ、それとも俺がくるのがそんなに嫌だったか?」


 けほけほと咳ごみながら悪態をつく彼女に、俺は少し意地悪をする。

 すると、彼女は目を見開いてさらに咳ごんだ。


「っけほ、っけほ……そ、そんなことっ……意地悪、するんですね」

「はははっ。冗談だよ、冗談。嬉しかったか?」


 頬が赤い。

 それも、きっと熱だからとかではないだろう。


「……はぃ」


 そして、自信のない小さな返事をして、寝返りを打ってそっぽを向いた。

 そんなわけはないだろうって分かっていたけど、嫌われていないのはやっぱり嬉しい。


 昔みたいに、自分良ければなんて考えはもうしない。栗花落とゆっくりでもいいから進んでいくって考えたことは間違いじゃない。そう確信できた瞬間だった。


「よし」


 腰を持ち上げて、その場に立ちあがる。

 栗花落が大丈夫だということがわかったら、次は何をするか。

 色々とだな。

 この前、俺が熱で倒れてくれた時の分を返さないとだし。部屋を見ればわかるが栗花落はあまり部屋の掃除をしていないみたいだ。なんとなく、仕事で無理してこうなったってことが分かるし。変にシンパシー感じるよ。


「食欲あるか? 一応、お粥くらいなら作れるけど……レシピ見れば」

「っ……作れるんですか?」

「ま、まぁ、栗花落のと同じようにはいかないけど。ひとまず頑張るから、寝て待ってくれ。あと冷えピタも買ってきたから冷やして持ってくるな」

「……わ、分かりました」

「安静にしてろよ」

「っは、はい」


 背中から頷いた仕草が見えるのを確認し、俺は寝室を出る。

 部屋の掃除やそして、そのままの洗濯物を取り込んで干して――と色々やることがあるようだが、まずは栗花落へのものからだな。


「ま、お粥くらいはネットにあるから大丈夫だろ。気にすることはない」


 そんな見切り発車で作ったお粥はと言うと、ものの十数分で出来上がってしまった。

 正直、あの時は寝てたらもうお粥が出来上がっていたためどのくらいかかったのか分からないけど。ちょっと早い気もする。

 少し不安だなと思いつつも、栗花落の部屋に行き食べさせてみると案の定だった。


「—―薄」

「あ、はははは……すまん。俺も一口いいか?」

「は、ぁ――それは」

「ん……あぁ、うっす」

「んぁ……」


 一口含んで渋い顔をした栗花落と同じようにパクリと口に含むと、それはもう味が薄かった。

 栗花落に作ってもらったお粥と比べると天と地の差の味具合。俺がどれだけ自炊をしなかったのかが見え見えになるほどだ。


「大丈夫か?」

「い、いや、別に……なんでもないです」


 少し歪んだ顔で口をあんぐりと開けている栗花落、やっぱり味が会わなかったようだ。


「さ、すがに……あれか、市販の買ってこようか?」

「んっ、そんなことは‼‼ あの、私が食べますよ、全部っ」

「えっ、でも」

「いいから、貸してください」


 皿ごと取り上げようとすると、栗花落は焦った様子で俺の手にあるお粥を取り返す。

 そして、そのまま味の薄いお粥をこれでもかと口の中にかき込んでいく。


「お、っちょっと……まずいだろ、それ」

「ぅ……ま、まず、ねちょねちょで」

「っわざわざ食べるからだろ。いいよ、俺が全部食べて新しいの買ってくるからさ」

 

 顔を顰めて食べ続ける姿を見るのは俺も少し、胸が痛む。

 病人に無理されたくもないし。


 しかし、俺の言葉に栗花落は耳を貸さなかった。

 ただ首を横に振るだけでどんどんと口に入れていく。

 

「んっんっ……っけほ、けほ……んっ」

「あぁ、もう。具合が余計に」

「せ、せっかく……ぁむ……先輩が作ってくれたんです。食べます、全部っ」

「いやぁ、でもなぁ」

「でもじゃないですっ。もったいないです、食べますっ!」


 ガツガツと口に入れていく姿はまるで病人のそれではなかったが、あまりの勢いに俺は止められなかった。

 何よりも、こうなった栗花落は止められないと長年の付き合いでよく分かっている。


「……っ」


 微熱とはいえ、熱があるのに。

 息もいつもよりも少し粗い。ときどき咳き込む姿だって見せる。

 普段の鋭くてそれでいて凛々しい目つきはどこか朧気で弱々しい。

 明らかに本調子でもないのに、彼女はそれでも作ってくれたものだからと一生懸命に食べてくれる。


「はむっ……んむぅ……はふっはふ……けほ、けほっ……ん」


 今すぐにでも止めたい。

 でも、そんなことが出来るわけもなかった。


 こんなこと、してもらえたら止めれるわけもない。

 上がりかけていた腕を静かに降ろし、俺は彼女が必死に食べる姿をベッドの横に腰かけながら眺めていた。


 胸が少し痛い。


 絶対に元気だっていつもよりもないのに、俺が作ってくれたって言うだけでまずいお粥を全部かき込もうとするんだから。


 律儀にも、ほどがあるよ、まったく。



「っふぁ、ふぁめまひは‼‼」

「一回、全部飲み込めって」

「っん……全部、食べましたっ」


 艶やかな桃色の唇にご飯粒がついているのにもつゆ知れず。

 そんな姿で、まっすぐ俺の目を見ながらまっさらになったお皿を差し出してくる。


 やっぱり、可愛いよ栗花落。

 溢れ出しそうになる気持ちを抑えて、手に受け取る。


「ありがとうな」

「ん……私、こそです」

「おう。それじゃあ、色々片付けておくな」


 そうして、冷えピタを額に張って、寝かせて、背を向き、寝室を出る。

 扉を締め切り、音が聞こえてほっと肩をなで下ろした。






「あぁ、収まってくれよ。俺の馬鹿……」




 下半身が反応する。

 今の弱った栗花落。

 犯したくなるくらい、可愛いよ、くそぉ。


 どうやら、俺は弱った女の子をいじめたくなる変態だったようだ。




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