第32話


◇◇◇


 色々と忙しかった年末の仕事も終わり、そして今日。


「えぇ、第一研究室室長の鮎川です。

 まずは今年一年、大変お世話になりました。

 この忘年会では一年間の労を癒し、そして来年からのご活躍とご健闘を祈って、節度よく飲み、節度よく騒ぎ、そして暴れちゃいましょう!

 皆様、グラスのご準備はよろしいでしょうか。

 それでは、乾杯のご唱和をお願いいたします。


 今年一年お疲れ様でした。来年もどうぞよろしくお願いいたします。


 乾杯!」


「「「「「「乾杯!!!!!」」」」」


 そう、十二月二十九日、大みそかまで残り二日の夜。

 俺たち第一研究室と第二研究室のメンバーは忘年会を開いていたのだった。


 いやはや、それにしても鮎川さん。


 節度よくとか言っている割には自ら暴れちゃいましょうとか言っていたし、さっきから言ってることあべこべだし何考えてるんだか。


 もう、酔ってるのか?


 まぁ、それも今日は忘年会だから良しとして。


「おい、きもいからくっつくな」

「うぇ~~いいじゃないすかぁ、哉さぁん! こちとら哉さんに全然会えなかったから寂しかったんですからねぇ~~」


 それよりも、これよりも。


 ちょうど、たまたま、運悪く――なんてわけなく。


 思いっきりに俺たち第一研究室の卓に割り込んできたのはこれまたトラブルメーカーで基本的に、では誠実な会社内での友人、久遠博也くおんひろやだった。


 男なのに、スリスリしてくるなきもいぞ。


 俺はこれでも普通に女の子が好きなんだ、特に栗花落みたいな綺麗でかわいいギャップのある子がな!


「俺は別に寂しくなかったぞ。ていうか言っても一週間くらいだろうが」

「いやいや! この前までは休憩室行ったら必ずいたじゃないですかぁ~~」

「誰がそんなサボってるみたいな言い方」

「え、そうなのかい、藻岩君?」

「鮎川さん、目が怖いっす」

「そうなんすよぉ、いつもなら絶対にいたんですからねぇ~~」

「へぇ、それはいい事を、いや悪いことを聞いたね……さて、どうなのかな?」


 若干頬を赤らめて卓を挟んで反対側の席から俺を笑顔の圧で睨みつけてくる鮎川さん。


 さすがにこの久遠の口車に乗せられてしまうのは酔っていてもやめていただきたい。


 それに何より怖い!

 笑顔の圧が怖いし、今すぐにでも刺されるかと思うくらい怖いからほんと。


「事実無根です、何より俺が最近休まず働いてたの知ってるじゃないですか鮎川さんは」

「あははは、そうだったねぇ~~いやぁ、君はすごいよ。次期室長だ!」

「そう言っていただけるのはありがたいですけど、お酒はほどほどにね」


 栗花落も次期主任だとかなんだとか言っていたがそれはどうやら俺にまで映してしまっているようで。


 まぁ、ただ、素直に嬉しい。

 

 これが飲みの場じゃなければ。本当にな。


 これは俺が入社してからの時からずっとだけど、鮎川さんは素面ならものすごく真面目でいい人なんだけど。


 アルコールを体に摂取するとあることないことを言ってくるマシーンになってしまう。


 何よりも、本人がそれを感じさせないくらいに普通っぽく見えるのが一番ずるい。


 何度かナチュラルにセクハラしそうになってるからね、この人。

 俺がブレーキ握ってるから何とか大丈夫だけど。


 本当に自覚してもらいたい、うちの研究室って女性ばっかりだし。


 なんて頭の中で考えつつもこの飲みの場、それに忘年会の場で話すことでもなく。


 何よりも卓に女性研究員(後輩)たちも座ってるからこそ、話題を変える。


「鮎川さん、言ってやってくださいよ斎藤さんに。こいつの方がひどいんすよ? 俺が休憩した時に必ずと言っていいほどいるんですからね、サボってるのはこっちです」

「えぇ、それはダメだなぁ~~でもね、斎藤くんなら私からよりも藻岩くんからのほうからの方が聞くんじゃないのかい?」

「まぁ、そうだとは思いですけど……」


  彼が言う斎藤くんとか、俺が言う斎藤さんというのは第二研究室の室長の斎藤奏さいとうかなでさんのことを指す。


 言ってしまえば、このくっつきながら酒を飲み続ける久遠の上司に当たる人物だ。


 久遠とは違って落ち着きがあり、そして大人びた雰囲気がある冷静沈着な年上の上司。


 そんなイメージを持ちがちな短くも美しい黒髪に、吸血鬼のように輝く赤い瞳。スタイルは抜群で、リクルートスーツ姿がとても似合う厳格でありながらも、そして部下からの信頼も、敬遠も厚い人。


 なぜ、俺がそこまで把握しているかと言えば偶然でもなく必然で。

 彼女は俺が大学に在学中、ゼミの二個上の先輩で、年齢も二十八歳とかなりの若手。


 もちろん、室長をしているということは経歴も抜群だ。

 リーダーシップもキャプテンシーもすごいからな。


「だってねぇ、彼女。若いのに、すっごく怖いじゃない? 私なんかじゃあとても言いつけられないよ」

「ごもっともで」


 思い出したくもない。

 ゼミ時代の斎藤さん。まさに鬼。将来は鬼嫁になると言われ続けた彼女は今も隣の卓の隅っこで淡々とお猪口を口にしている。


「斎藤姉さんの話やめましょうよ! 聞こえますから、僕あの人苦手なんすからっぁ!」

「女好きな久遠が苦手なのって相当だよな」

「……怖いんすよ、あ、ほら、僕が目を合わせたら睨んできた! あの目で怒られてみたと思ってみてください。寿命が二分縮みますよぉ?」

「それは長いのか短いのか分からんけど、まぁ近寄りがたいのは分かるな」


 女性の中でも群を抜いて美しいのに、あまりにも厳格で当たり負けしない性格とそれでいて結果を残す背中から男性社員で言い寄れる人はこの久遠以外は一人もいない。


 久遠、この凄さっぷりを知っていて初日からガツガツ行ってたしな。

 研修中に案内していた斎藤さんにグイグイ行ってたからな、まぁもちろん知り合いの顔を拝みに来たところをだけど。


 なんて噂話なんてしていると、どうやら話を聞きつけたようで彼女は頬を少し赤らめながらフラフラと歩いて俺と久遠の隣に割り込んできた。


「うわぁ、酔っ払いが来ましたっすよぉ!」

「誰が酔っぱらいよ! このバカが私のこと噂するからねぇ~~」

「バカってひどいっすよ! いっつもいっつも仕事バカなのは斎藤さんじゃないっすかぁ!」

「っはぁ……おいおい、藻岩ぁ。お前こいつの教育ちゃんとしてるのかぁ?」


 おっと、どうやら今度は矛先が俺に向いてきたようだ。


「なんで俺なんすか。というか、久遠の直属の上司は斎藤さんですからね?」

「えぇ~~私、こいつ嫌いなんよぉ! だってなぁ、こいつ私に臆さねえんだもん。うちの男どもは全員イエスマンなのになぁ」

「それはそれでどうかと思いますけど」


 まぁ、実際昔からずっと歯向かう人なんかいない。

 そんな中現れた歯向かう後輩は彼女からしてみてもさぞ珍しかっただろう。

 何より、斎藤さんは久遠の態度を変えるのに手を焼いたらしいし、久遠のやつ仕事サボりがちなくせに結果だけは残すから言えるのは彼女しかいなかった。

 

「ったくよぉ。ていうか、おい藻岩、そういや久遠から聞いたんだがお前彼女ができたんだってな!」


 厳格な割に乗り良く話しかけてくるのは酒のせいだとは思うが――って。


「っぶば……ごほっごほっ」

「なんで動揺してるんだよ?」

「い、いやしてません。ていうか彼女はいませんよっ」


 ぎろりと久遠を睨みつけると、なぜだか久遠はトイレに直行していった。

 逃げやがった。


「なんだよ、久遠が言ってたぞ?」

「彼女じゃないです、というかまぁ、まだ付き合い始めてはありませんよ」

「へぇ、仲いいって聞いたぞ?」

「まぁ、仲は悪くはないですけどね」

「ふぅん。でもなぁ、その年にもなって……なぁ」

「え?」

「いやいや」


 すると、俺が言っているところで斎藤さんがお猪口を口につけつつぼそりと呟いた。


「その女、待ってないのか?」

「待ってる?」

「あぁ、まぁどうせ藻岩のことだと思うから、結婚が何だ~~とか考えているんだろうけどな。女は攻めてもらいたいんだぜ、たまにはな」

「は、はぁ」

「仕事が忙しいっていうのもあるだろうが、年明けいろいろ終わったらしっかりかまってやるのも忘れんなよ?」

「……そう、ですか」


 助言か。

 そういえば、なんだかんだ言うけどこの斎藤さんは面倒見もいい。

 彼女が面倒を見る後輩は大抵成功しているくらいだ。


 にしても、攻めてもらいたい……とは。

 意味が分からないわけではないが、本当にそうなのか少し悩むな。

 

 俺って、先延ばしにしているだけなんだろうか。


「ふぅ」


 でも、焦るのもよくないし。

 程よい距離感を保つのが大事だろう。

 少なくとも一週間に一度はお互いに話したりできる時間つくったり、遊んだりして。


 年明け……。

 あぁ、そっか。

 年末年始。一緒に過ごせるか聞いてみようか。


 そんな時、俺のスマホが通知を知らせに震え出した。


「ん?」


 すると、あて先は栗花落—―ではなく、なぜか三澄さんだった。

 確かにこの前会ったときにラインは交換したが、それにしても連絡が来るのは「よろしくお願いします」ぶりだ。

 タップして開いてみると目を疑った。


『ことっちが倒れました。うち用事あるから家に届けたけど危なそうだし、看病してくれませんか? 藻岩さん』


 マジか、こんなときに。

 俺はすぐさま、返信を打った。


『分かりました、今から行きます』


『住所、送っておきますね』


『おう、ありがとう』


 顔が少し青ざめていくと気が付いたのか斎藤さんが尋ねてきた。


「どうかしたのか?」

「その、その人が倒れたって」

「マジか」

「だから、すみません。行ってきます。お金は経費ですかね?」

「まぁ、そうだと思うぞ」

「それならすみません。よいお年を、斎藤さん、鮎川さん!」


 一礼し、すぐさま靴を履いて居酒屋を抜け出し、電車に乗り栗花落の家へ向かった。


「えぇ、僕は~~~~‼‼‼」


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