第31話




◇◇◇


「……ぅ」

「……ぁ」


 愛華さんへの挨拶の後。

 すっかりと真っ暗になり、強かった雪もだいぶ落ち着いてきた頃。

 俺たちは一つの傘に一緒に入りながら、帰路についていた。


 雪も落ち着いてきたとは言ってもまだ降り続けていることには変わりなく、雪が降るということはそれはもう肺が凍ってしまうほど寒くて。

 傘があるものの、間から入り込む空気が肌に刺さる。


 そんな冷たい空気にやられたのか、いつの間にか栗花落の肩が触れていて、吐息さえ聞こえてくるその距離をお互いに意識する。


 それの繰り返しで、何とも言えない時間がどんどんと過ぎていく。


「っ」

「……す、すみません」


 ついにぶつかって、赤らめた頬を隠すように離れようとする彼女を見つめ、少し呟く。


「別に、いいぞ」

「っ――ぅん」


 俺の承諾に一瞬だけ跳ねた栗花落はすっと静かに近づいて、また触れるか触れないかの距離までやってきて。


 そして、また吐息が聞こえて。

 いたたまれなくなった空気を何とかしようと動く。


 正直な話、この後どうするか? という議題が頭に浮かんだ。


 俺たちあてもなく帰っているけど、この後の予定は特に考えてもいなかった。

 あと数日で、年末年始だし、仕事納めも明日明後日で行う。

 何より忘年会もそろそろだし、明日のことを考えたらあまり無理もできないけど。


 ただ、ここで彼女をすぐに放していられるほど俺はできた大人でもないし、好きな女に何もしないヘタレにもなりたくない。


 だからこそ、口を開こうとすると―― 


「あのなっ」

「あのっ」


 お互いに同じこと考えていたようで俺たちの声が重なった。


 漏れる白い吐息と同時に、そして驚いて肩が揺れると栗花落の方がよろめいて再び触れる。

 彼女の顔を見ると、さっきに比べて頬を朱に染めてぼそりと呟いた。


「っさ、先どうぞ」

「えっ、いやいや、栗花落こそいいんだぞ。俺のはその、別に大した話じゃないし」


 そう言って首を揺すって譲ると、彼女はより一層顔を赤くする。

 まぁ、この後のことなら後で聞けばいいしと言うと彼女はそっぽを向いて不機嫌そうな顔をした。


「ど、どうした?」

「……いや、なんかその、言う気がなくなりました」

「え、なんでっ」

「先輩が私を恥ずかしくするからです。さっきからなんなんですか、グイグイぶつかってきて」


 と、この雰囲気を感じさせない不合理な攻め具合で俺を睨みつけてきた。

 いや、ぶつかってきたのはどっちだよ。

 いや別にね、俺はぶつかられても一切不条理はないんだけどね。もっとぶつかってほしいくらいなんだしさ。


 って、何考えているんだ俺は。


「悪かったな……」

「まぁ……(嬉しかったですけど)」

「え?」

「なんでもないですっ」

「は、はぁ……急にどうしたんだよ」


 またもや聞こえないほどの大きさでボソボソと呟くと、ふんっと首を振る。


「それで、どうかしたのか?」

「大したことじゃないですけど……さっき、そのお母さんと何を話してたんですかって聞こうと思ってて」

「えっあぁ」


 もっとすごいことを聞いてくるのかと思ったが、どうやらそこまでのことではなかった。


 まぁ、確かに言われてみれば栗花落は話している間ずっと病室の外で待っていたんだから、知りたくなるのも当然だろう。


 時間にしてはおそらく五分もいかない程度だったけど。ただ、時間は関係ない。


 にしても、その質問は少しだけ痛い。

 言える内容じゃないわけでもない……けど。何より栗花落本人に言うのは少しだけ憚られる。


 なぜなら、俺が言った言葉は。


『だから、今はゆっくりでも進んで、そしていつか彼女と結婚したい』


 だし。


 だって、言ってしまえばプロポーズじゃん? いや言ってしまわなくてももうもろ言ってしまってるし。

 いくら話の流れがあったとはいえ、昔別れてしまった元カノに対してあきらめたくないと宣言したんだ。

 それも、その元カノの母親に。

 本来ならお父さんに言っていたのかもしれないし、それよりも多少は優しい結果になったのかもしれないけど。


 それ抜きで俺、愛華さんに宣言したこと結構えげつない。

 多分、久遠に聞かれたら「あんな恋愛怖がってた哉さんが⁉」と大声で叫びそうな内容を言ったわけだし。


 正直、本人にも他の人にも一生隠し通したいレベルだ。

 だからこそ、俺は誤魔化してみることにする。


「そこまで深い話は……してないぞ?」

「なんで今ちょっと迷ったんですか……もしかして、言えないことなんですか?」


 と、早速俺はへまを犯したみたいだ。

 栗花落は気になった様子でじろーっと俺へ視線へ送ってきた。


「あ、あぁ、言えないことっていうかまぁ。まだ言えないっていうのが正しいかな?」

「まだ、言えない? そんな危ない話してたんですか?」

「危ない話っていうかまぁ……どちらかと言えば、質問攻めと言うか?」


 うん、危うい質問をされた。

 そういうことにでもしておこう。

 俺と栗花落の仲が、一気に意味で危うくなる――そんな感じだ。


「まぁ、色々とな。だから栗花落には言えないっていうか、まだ言わないほうがいいって感じで」

「そうですか。先輩がそういうのならいいですけど」

「あ、あぁ」


 俺が勘繰られないように空を見ながら言うと、彼女は淡白に呟き、ぷいっと反対側に顔を向ける。


 理解してくれた――と思ってもいいのだろうか。


「色々、すごかったなぁ、愛華さん」

「愛華さん呼びやめてください」


 試しに少しだけ話題を逸らしてみると、栗花落は少し訝しげにこちらを見つめてくる。


「だって、お母さん呼びしたらなぁ?」


 いよいよ結婚してるみたいだし。

 そんな理由に気が付いたのか喉を鳴らし、無言になった後栗花落も話を逸らすように頭をさげた。


「でもすみませんね。私のお母さん、元気になった途端にあんな感じでしつこくてうるさいし」

「いやいや、別に大丈夫だよ。ちょっと明るすぎてついていけなかったところあるけど」

「……明るい、ですか」

「うん。栗花落からは想像しがたいくらいに明るかった。個人的にはもっとこう、厳格で、冷静で、淡々としてる感じのを」

「いや、それ……どこの親ですか。ていうか、私にどんなイメージ向けてるんですかっ」

「真面目で静かで、そして律儀。今は綺麗だけど」


 それこそ、昔は地味だったし。

 ただ、昔と変わったのはその容姿だけ。

 静かで、真面目なところもあって、律儀に俺を注意したり突っ込んでくれるところはまったく変わっていない。


 それは彼女と再会してからのこの二か月弱でよく理解した。

 なんて本音を言うと、栗花落はギロギロと輝いた瞳を俺へ向けてきた。


「……な、何を最後。今はって何ですかっ」

「あ、いやぁ~~別に、昔もだけど」

「とってつけたような言い方。お世辞ですね、知ってますよ……馬鹿っ」

「すまん」

「はぁ、もういいですよ、別に。知ってますから」


 そして、しびれを切らしたかのように謝った俺に手を振って突き放す。

 少し、いじりすぎたみたいだ。

 でもまぁ、顔が赤いってことは誉め言葉と捉えてくれた証拠みたいだ。

 俺とて、一方的に貶してるわけじゃない。何より、今の栗花落はアイドル顔負けの美女だ。


 モデルと言われれば、そりゃそうだろって言えるくらいには垢ぬけている。

 元から素材は良かったとはいえ、すごい進歩だ。


「って、そういえば俺から言ってなかったな」

「え、あぁ、そういえば。何言おうとしてたんですか?」

「大したことじゃないけど、今日のことだよ。この後、どうする?」

「……忘れてましたね、確かに。そろそろ地下鉄の駅ですし」


 俺が尋ねると栗花落はハッとして、足を止めた。

 気が付けばもう、地下鉄の駅まで数十メートル。そろそろ決めておかねばいけない。

 俺としては明日も仕事で、明後日も仕事で、そして、その次が仕事納めで忘年会。来月の発表準備で色々と忙しいが、念のため彼女の希望を聞いておくことにした。


 数秒ほど、悩んだ表情を浮かべた栗花落は向き直って俺を見つめてきた。


「どうした?」

「……ぁ、っと。その、すみません。年末は色々と忙しいので今日はこれでもいいですか?」


 まぁ、案の定。

 そりゃそうだという回答だった。

 普通のことだと「そうか、仕方ないな」と言うと申し訳なさそうに顔を俯かせた。


 なんかちょっと、可愛かった。


「それじゃあ、先輩。また明日、お弁当のところで」

「あぁ、ぐっすりな」


 そうして、小走りで駅に入っていく栗花落。

 その背中を見届け、小腹の空いた俺は近くの牛丼屋に足を踏み入れた。




あとがき

 地道に育むのって大事ですよね。


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