第26話



◇◇◇


*第一章エピローグ*


 すっかり夜も更けた公園のベンチ。


「……ほら、鼻かめよ」

「っばい」


 ぶびびびびーっと、俺の貸したティッシュに向かって鼻をかむ栗花落を横目に映しながら、俺はすっかり冷たくなったココア缶を唇につけた。


「つめたっ」


 それはもう当たり前のように冷たくキンキンに冷えていた。


「……す、すみません」

「違う違うココアの方だよ。まったく栗花落は自信なさげだよなぁほんと」

「うぅ……分かってますよ別に」


 責め立てられた子犬みたいに涙目を浮かべる彼女。

 嗚咽をまき散らしながら、確かに泣き止むには相応の時間を要したけど。

 今の彼女はすっかり元気に愚痴を漏らせるぐらいには回復してくれていた。


 缶をあけると栗花落も続いて、プシュッと音を立てて開けて唇につける。

 飲み込んだのか、俺と同じく「ちめたっ」が零れる。


「……ふぅ」

「冷たいココアも悪くないか」

「私は温かいの好きですけどね」

「なんだ、買ってくるか?」


 俺が立ち上がろうとすると栗花落はグイッと袖を引っ張る。

 まるで目線も合わせず、ぷいっと前を向いたままボソりと悪態をついた。


「別に、そこまで言ってませんよっ」


 寂しがっているのか。なんなのか。

 普段とは違って今の栗花落はそれはもう立派な天邪鬼あまのじゃくだった。

 まるで子供のイヤイヤ期みたいな。

 ちょっとツンデレっぽいのも混じってるけど。


 でもなんだか、再会してからはずっと真面目な面倒見がいい女性になってたし。


 こういう態度も可愛くて悪くはない。

 威勢が少し戻ったのならいいとしよう。


 それに、どこか昔を思い出すしな。


「なら最初から文句は言わないでくれよ。親にそうやって習ったんじゃなかったのか?」


 まぁ、だからと言って俺は少しいたずらをする。


「習いましたけど……でも、なんかムカつきます」

「そうか。ごめんな泣き声聞いちまって」

「うっ……」


 何か言い返すんじゃないかって身構えたけど、栗花落はぼっと頬を赤らめるだけだった。


「……落ち着いたか?」

「はい」

「そうか、ならよかった」


 真っ赤な顔を見せないように俺から少し顔を背いていたが、詰めが甘いというか綺麗な亜栗色の髪の毛の隙間から見える赤い耳でそれはもうバレバレだった。


 思えば、こうやって話すのは再会してから初めてだったかもしれない。

 俺から攻めるのは結構久しぶり、だったか。


 熱出して、それで弁当まで作ってもらって、なんなら家事だってしてもらって。

 こんなか弱い元カノに至れりつくせりだったなんて考えたら本当に悪い男しているよな、ほんと。


「栗花落、色々ありがとう」

「な、なんですか。急に」

「急にじゃなくて、看病してもらったり、家事してもらったり、弁当だってさ」

「あれは……別にいいんですよ。私がしたくてしたことなんですから。だいたい、それを言うなら私だって雨で泊めてもらったり、優しくしてもらったり……(褒めてくれたり)」

「え、最後なんて言った?」

「何でもないですっ! とにかく、お、お互いさまってことです。先輩の言葉を借りるなら」

「お互い……様か。なんだか耳が痛いな」


 自分から言ったことなのにな。

 そう、心の中で呟きながら、俺はふとため息をつく。

 すると、彼女もタイミングが合い、はぁっと息を吐き出す。


 もちろん、冬だからそれはもう綺麗で。

 どこか色っぽい白いもやが広がって消えていく。


「八年間かぁ」

「そう、ですね」


 俺の一言に栗花落は一度止まり、そして相槌を打つ。

 それに何の意味が込められているのかは分からなかったけど思ったことを呟いた。


「長かったよなぁ」

「すごく、長かったですね」


 言っていることは同じでも、それが同じ意味かは分からずに。

 ただでも、その根底に込められた意味は一緒だと思う。


 長かった。長すぎた。

 その間に大学に合格して、それで大学もあっという間に卒業して、大学院で修士論文しんどすぎて、遊ぶ余裕なんてなく――でもいつの間にか就職して。


「色々、あったわ」

「色々ありましたね」

「ははっ。マジで、いつの間にか二十六だぞ俺は。アラサーだぞ、アラサー。あの頃の俺たちからしてみればもういいおじさんじゃねえかよ」

「あの、そのいい方されると私まで一緒に被害受けるんですけど」


 別にそういう意味で言ったわけではないけど、栗花落は俺のノンデリだった発言にムスッとした表情を浮かべる。


「あ、あぁ、すまん」

「いいですけど、どうせ私だってアラサーですし」

「二十五だよな?」

「現実をつきつけますね、さっきまで泣いていた後輩に」

「元気あるじゃん」

「……(だきしめてもらいましたし)」

「何?」

「うるさいですっ」

「なんて理不尽な!」


 本当になんて言ったか分からなかっただけなのに。

 というか、聞き返されたくないのならわざわざ小さな声で呟くなっていう話だよ。


「……ま、でもさ、今日の俺たちからしてみればあっという間だったよな」

「そ、そうですか?」

「無理があるかもしれないけど、結果論っていうのかな?」

「結果論うるせーってやつですね」

「栗花落もそういう言葉知るようになったのか?」

「当たり前です。いつまでも純粋な後輩保健委員じゃないですから」

「っお、覚えてるのか?」

「当たり前じゃないですか」


 くだらない話から発展して、突飛な時間が経って俺が元気をもらった話。

 保健委員とケガした先輩があった話。

 当然ですと言った顔で俺を見ていた。


「あのときから、十分成長してるんですよ私」


 言われて、なぜだか俺は彼女を舐めるように見まわしていた。


 整ったそれはもう垢ぬけた綺麗な顔からするりと視線を落とし。


 大きくなった胸元から、締まったお腹に、大き目と言うわけでもない小柄な腰から、そしてすらりと伸びる脚。


 もちろん、服の上からだったけど、それはもう想像しやすいくらいだった。


「……どこ見てるんですか、変態」

「あっ~ちょ、ちょっとな」

「……答え方がもう」

「す、すまん。仕方ないじゃん、俺—―」

「?」

「いや、やっぱなし」


 だって、恥ずかしくて言えるかよ。

 栗花落のことが忘れられなくて、セカンド童貞拗らせてるだなんて。

 でもそんなことを知らない栗花落は不満そうに睨んでくる。


「なんで言ってくれないんですか? 逆に気になります」

「……あ、あぁ、いや。聞いても怒るなよ?」

「怒りません、別に。内容によりますが」

「どっちだよ」

「いいから言ってくださいよ」


 あぁ、これは言わなきゃダメな奴だ。

 長年—―八年間空いちゃった仲だけど、栗花落はこういう時は絶対に譲ろうとしないし引き下がろうとしない。


 少しばかり何を言おうか考えて、比喩を使って言うことにした。


「八年間も殻にこもっていた……かな」

「殻……え?」


 無理してみたが、そりゃ、伝わるわけもなく。

 

「わ、分かったよ。悪かったよ。はっきり言うと俺はもう、あの日以来したことがないんだよ! 栗花落のことが忘れられなくて、セカンド童貞拗らせてたんだっ。これでいいか?」

「っ――ぶぼっ、ごほっ、かはっ⁉」


 そのままの意味で言って見せると、彼女は飲んでいたココアを噴き出してむせた。


「お、おい、大丈夫かっ」

「大丈夫ですよっ。もう……びっくりした、だけですし」

「おう。これ使え」

「あぅ……ありがとう、ございます」


 てっきり怒られるかと思ったが宣言通りそう言った素振りは見せなかった。

 代わりに、唇から零れ落ちるココアが見えて、俺はすっかり半分なくなったポケットティッシュを渡す。


 二三枚とってふき取ると律儀にも残り数枚のティッシュを返してきて、それを懐に仕舞う。


 そうして、気になった俺は口が勝手に聞いていた。


「栗花落はどうだったんだよ?」

「……私ですか」


 俺は言ったから、じゃあ次はと。

 すると、栗花落はやや残念そうな顔で呟く。


「二人ほど、付き合いましたかね」

「お、おぉ」


 まぁ、そりゃそうだ。

 別れたら数年もたてば次の恋愛に行くのが普通だ。

 なんなら、今の栗花落魅力的すぎるくらいだし当然だ。


 と分かりつつも動揺しながら相槌を打つ。


「でも、うまくいきませんでしたね。ほら、垢抜けたじゃないですか私。自分で言うのもなんですけど」

「いや、垢抜けたからその通りだぞ、綺麗だし」

「うっ……と、とにかくですね。私は勘違いしてたんですよ、今までがモテたことありませんでしたから。それで軽い気持ちで付き合って、結局痛い目見て。正直男の人が嫌いになりましたね」

「……へ、へぇ、それは災難だったな」


 予想以上に重すぎてなんて言っていいか分からない。

 しかし、俺の表情に気づいた栗花落は一言付け足した。


「でも、先輩がいい人だったんだなって知れたのは大きいですかね」

「い、いいひと⁉ 俺がか?」

「はい。理由は伏せますがいい人です」

「……実感がわかないな」


 今まで自分が悪いとしか思ったことないんだし。

 でも栗花落は微笑んで、それを包み込む。


「とりあえず、そう思っててください。そういえば先輩、寒くないですか?」

「ん、あぁ、寒いな」


 思えば、俺上着来てないんだった。


「十分なので、そろそろ帰りましょう」

「そう、だな」

「せっかくですし、お料理ふるまってあげます」

「お母さん、いいのか?」

「ひとまず大丈夫です。許可ももらったので」


 なんの許可だろうかと考えつつ、ベンチを立ち、片手を栗花落に差し出した。


「っ……ありがとうございます」

「おう」


 そう言って栗花落を引っ張ろうとすると、安心しきっていたのか体勢が崩れた。


「んっ⁉」

「お、おい栗花落、あぶなっ⁉」

「—―ひゃっ‼」


 足元の氷に滑って転びそうになる彼女を、なんとかすんでのところでキャッチする。


「っと……あ、っぶねぇ。だ、大丈夫か、栗花落」

「えっあ、はい……んひっ⁉」

「んひ?」


 すると、彼女は途端に声をあげる。

 それもちょっと色っぽい喘ぎ声の様なものを。

 繰り返すと本人は真っ赤な顔でもの言いたげに俺を睨んでいた。


「ど、どうかしたか?」

「あの、先輩……どこ、触ってるんですか?」

「えっ……あ」


 視線をさげて、右手の方へ移す。

 なんということか、俺は右手は彼女の右胸、その横をしっかりと捉えている。

 と、ここで離せばよかったものをなぜか血迷った俺の手はそこで左右に動いてしまった。


「—―んっ、はぁ⁉」


 、そんな擬音が心の中で鳴り。

 気づいた時には俺は投げ飛ばされるように空を舞い。


「っが⁉」


 背中から激痛が走る。


「ば、馬鹿なこと……しないでください‼‼」

「……ぅ、ぁ」


 そうして、俺の元から離れていく彼女。

 どうせ、俺の車に乗っていくのに逃げても意味はないっていうのに。

 ただ、そんなことすら考えず、俺は右手の感触を思い出して……知ってしまった。


 

 でなかく、

 あそこにあったのは胸ではなく。


「ぱ、パット?」


 知ってしまったのだ。

 偽乳パット入りということを。







あとがき

 というわけで第一章完結!

 ここまで読んでくれた読者様、フォロワー様、レビュアー様には感謝を。ありがとうございます。


 ぜひ☆評価、お暇があればぜひぜひの方も書いていただけると嬉しいです! 逆立ちして喜びます!


 次回から後日談、そして二章をお楽しみください!



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