第25話


◇◇◇


 今にも泣きだしそうな、悲観的そうな彼女を見つけて掛けた言葉は――いつも通りの俺だった。


 駅、それも夜。

 雪降りしきる空のもとで栗花落が立ちすくんでいたら、俺は絶対にこうやって声を掛ける。


 声の掛け方は今まで通り、声色は全く変えずにそのままで。

 正直な話、今にでも抱きしめてあっためてやりたいと感じたんだけど。


 でもそれは、済ませること済ませてからでなければ意味がない。

 やり直すんだ、そう決めた。

 今度は俺の方から手を差し出してやるんだと決めた。


 だというのに、何もかもすっ飛ばして彼女を抱きしめてしまったら今までと何も変わらない。


 その日、その瞬間だけは救われるけど。

 次の日から、そして未来は何も救うことはできない。


 だからこそ、寒さと他の何かで震えている彼女にコートをかけてあげて。

 自らを叱責するその手を掴んだ。


 そうして、車に乗せて。


 時刻にして十八時とかそのくらい。


 隣に座らせると最初は何も話さず黙りこけたままだった。


 俺もそれに付き合い続けることにしたのだが、十分ほど経ってようやく口を開いた彼女は当然の疑問を漏らした。


「—―あ、の」

「ん、どうかしたか?」


 俺は何を聞くのか分かっていたけど、あからさまに聞き返す。

 すると、彼女の方はと言うと俺の方は一切見ずに、ムスッとした表情で呟いていた。


「……ど、どこに……行くんですか?」


 そりゃ、女性を無理やり車に乗せたんだから行く場所と言えば……なんて大人の階段を登っていない俺が言えるわけもなく。


 もとより言うつもりもないんだけど。


 とまぁ、結局のところ俺は答えは言わずにはぐらかして見せた。

 そしたら、食い下がるのがいつもの栗花落なんだけど。彼女は何も発することもなく。

 ただ、ソワソワしたように両手の指をピタピタと合わせていた。


 —―懐かしい動作だよ。


 懐かしい。本当に懐かしい。

 出会った頃は地味なくせに何食わぬ顔で突っかかってきて、それなのに目も合わせなかった彼女が徐々に話して目を合わせるようになった時に見せてくれた合図。


 恥ずかしいとか、落ち着かないとか、心の中で何かが起きている証拠の動作。


 それを横目でたまに見ながらも車を走らせること数十分。

 真っ暗になったコンビニのパーキングに車を止めて、適当にココアでも買って彼女に渡し、告げる。


「ついたぞ」

「えっ」


 一度「待ってて」と言われたからここではないだろうと思っていたんだろうけど、詰めが甘い。


 ここはコンビニだ。

 それも、俺と栗花落が初めて出会った――なんでもない市立高校、その前にあるコンビニだった。


 なんてことは気づかず、彼女は「なんでここ?」みたいな顔のままコンビニを見つめている。


「あぁ、栗花落。こっち」

「っは、はい」


 今はまったく自分から話そうとしない。

 まるで自分を飼ってくれと言う野良猫みたいな感じで俺の後ろをついてくる。


 そうして、数分ほど高校へ向かって歩き。

 俺たちが入ったのは高校—―ではなく、その目の前に隣接する公園。


 普通の公園だった。


「ここだな」

「えっ」


 暗く、薄暗い街灯が照らすだけの公園内に入り、俺たちは内部に作られた道を歩き始める。


 勿論、栗花落はまだ"なんでここなの"、という顔をしていたけど。

 まぁ、きっと思い出してくれるだろうと思いながら彼女を連れて歩いていく。


 高校隣にある、かなり広めな公園。

 昔は旧日本軍の射撃場だったとかって色々と話は聞くけど、そんなことはどうでもよくて。

 広めの公園が高校近くにあれば、それはもう高校生たちのたまり場になるわけで。

 当時もそして今も、友達と遊ぶ高校生で溢れ、カップル同士でも賑わうそんな場所。


 もちろんそれは、俺たちも例外ではない。


「……はっ」


 歩いていくと徐々にどんな場所だか思い出したのか、彼女は声をあげた。

 

「おぉ、ようやく思い出したか?」

「は、はい……」


 こくりと頷く彼女を見て、そうそうと答える。


「—―俺と栗花落が、初めてデートしに来た場所だ」

「えっ……」


 初めてのデートがこのなんでもない木々が生い茂った公園だった。

 付き合って一か月とか、そこら。

 天気がいいから一緒に歩いて帰るかと誘って、それで立ち寄った場所。


 そして、何より……俺が栗花落の優しさに触れた場所で、栗花落が俺の優しさに触れた場所。


 まぁ、自分でも言うのも何なんだけど。

 当時はお互い間接的にも思いっきり、見せつけたわけだし。


 反対側から飛んできたサッカーボールを足でトラップして、後から謝りに来た小学生たちに混ざって、デートの間なのに一緒に遊んでやった俺に。


 一人で来ていた女の子がなくしたキーホルダーを俺が遊び終わった後もずっとに探してあげていた栗花落。


 映画にしたら。

 いや、映画でなくても。

 なんでもない、ただのワンシーンだったけど。


 でも、俺と栗花落の間ではまだこびりついて消えない思い出だ。


 まぁ、思い出したのはさっきだったんだけど。


 栗花落に何をしてあげようか本気で悩んで。

 でも結局始め直すなら高校がいいなと感じて。

 だからと言っていい年こいた大人が高校の中に入れるわけもなくて。


 それならでふと思い出した場所がこの公園。


 そんなわけで。

 俺が言って見せると、まだちらほらと残る高校生の影を見ながら栗花落が呟いた。


「……先輩」

「どうした、栗花落」


「どうして……先輩は、そんなに優しいんですか?」


 彼女の顔を見ると言葉では言い表せないほど、重く、辛そうな、悲観的な表情をしていた。


「優しいのか、俺は?」


 もちろん、俺は栗花落のことを悲しませまいと思っていた。

 あの日、偶然出会う前から準備していた――わけではないけど。

 俺がもしも、彼女に出会うことが出来たのならきっともう間違えたくないと考えることは何度かあったし。

 未練がましく八年間思っていたのだから、当たり前だろう。


「優しいですよ、本当に優しいですよ!! 超がつくくらい、ひどいくらい優しい人ですよ!!」


 しかし、そんな当たり前はおかしいとばかり彼女は語気を強めた。


「……どうして、私なんかのことを……っどうして」


 どうしても、こうしても。

 理由なんて単純だ。

 

「そりゃ……栗花落が好きからな」


 好きだった。

 それはもう、今も現在進行形だけど。

 敢えて、ここでは本音を溢さない。


「……っぅ……私は、私は……私は……ひどい女なんですよっ」


 しかし、彼女は気づいていないようで、溢していく。


 ただ俺には彼女の言っていること意味はよく分からなかった。

 悪いなんて。

 どこが、だろうか。

 

「……先輩に、ひどいことをしたんです」


 彼女はよくやっていた。

 でも、と彼女は何かに押しつぶされそうな勢いで呟く。


「……ぁ……ぅっ……ごめんなさいっ」


 顔は見えなかった。

 なぜなら、彼女はいつの間にか俺の懐にいたから。

 

 我慢しきれなくなったのか、身をがくりと落として屈むように、そして俺の服の端をこれでもかという強さで握りしめながら。


 積み立てたジェンガが壊れるように、崩れた彼女は嗚咽を漏らした。


 まるで、心の中で、胸の内で何かが暴れ出しているかのように片方の腕を胸に当てて。


 握りしめる強さで服が伸びていたが、俺は彼女の言葉に耳を傾けた。


「ごめんっ……なさい……ごめん、なさいっ……ぁぅ……っご、めん……なさいっ‼‼」


 彼女は謝った。


「……つゆり」


 でも、俺がすることでもある。

 しかし、言う隙間は全くなく。

 彼女は止まらない。


「私が……少しでも、少しでも……っぁ」


 少しでも頑張ればよかったのも俺だ。


「……あんな振り方っ、なかったですよね……ひどいことしたんですよ、私は……先輩の」


 それも俺が悪い。


「……先輩のことなんて、考えていませんでした」


 どこがだ。


「だって、だって、全部……自分のためだったんです。先輩に尽くせる私が可愛かったんです……」


 何がだ。


「……だから、見返りを求めようとしていた。求めていたから、帰ってこなかったから辛かった」


 俺が。


「でも、そんなの私のわがままだったんです……」


 俺のわがままでもある。


「わが、ままで……先輩を蔑ろにしましたっ」


 蔑ろは俺だ。


「あの先輩を見ようとして……見ていませんでしたっ……ぁ」


 それも、俺じゃないか。


「……全部、全部」


「っ」


 気が付けば、俺は心の中で張り合っていた。


「だって、クマもあって、痩せこけていて……ボロボロだったのに。見ようとせずに……気遣おうともせずに……いつもいつも誘って、いつもいつも邪魔をして……それで、それで……先輩を、満身創痍の……先輩を……見ないように、していて……っ」


 指先がぎゅっと閉まる。

 俺も引っ張られてよろけて、彼女の頭が丁度胸元辺りにあたる。


「っ……ごめんなさいっ……私が……っぁぅ……ぁ、ぁ……」


 顔は見えない。

 しかし、何かは分かった。


 涙だ。

 声の端々に、震えが見えて。


 涙があふれ出る。

 決壊する。


「っく……ぅ……ぁひっく……ん……っひく……ぁごめん……な……さぃ……ひっく」


 俺の前で、彼女は。


「ぁ……っぅ……ん……ぁ、ぁ、ぁ、ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 言葉にもならない泣き声が俺の目の前で溢れ出す。

 まき散らす。


 八年前のあの日から、まるでため込んでいたかのような勢いで彼女は泣き出した。

 すべてを吐き出して、すべてを言い放って。


 俺の胸の中で、顔すら見せない彼女はまき散らした。


「……っぐ……ぅ」


 こうした理由は俺にある。

 彼女は自分が悪いって打ち明けてくれたけど、何も悪くなんかない。


 すべては俺が壊したんだから。

 だからこそ、俺も。


 でも、やりたかったのはそれではない。


 たとえ見当違いでも、何もかも吐き出してくれた栗花落に打ち明ける。


「俺さ、栗花落」

「……っぐす……ぅ、な、んですか」

「お前に……謝りたいことがあるんだよ」

「あや……どっ……どうして、先輩の方がっ」


 悪いことをしたから。

 八年前にずっと悪いことをしたから。


 受験勉強にかこつけて、栗花落を蔑ろにしたんだ。

 プレゼントをくれた彼女に、何も言わなかった。

 お弁当を作ってくれたのに、それがさも当然かのように考えてしまっていた。

 しんどくなっている時にお菓子を作ってくれたのに、ただ受け取っただけだった。


 あげればきりがない小さなことも含めて。

 すべて、受験勉強と言うストレス的なバフがかかっていたとしても。


 だったとしても、許されない馬鹿をしていた。


 八年間、後悔したこと。

 それがあるからに決まっている。


「八年間……引きづったくらい、謝りたいことがあるんだ」


「えっ……」


「受験勉強がなんだよ」


「……」


「何が当然だよ」


「……」


「何が当たり前だよ」


「……っ」


「栗花落も、何が……全部だよ」


「……私が」


「違う。栗花落じゃない。いやっ、もしも……もしも栗花落が自分が悪いって言い続けるんならな……言ってやるよ、俺からも」


 俺が圧倒的に悪い。

 でも、ここでどっちが悪いかなんて言うのは。


 絶対に違う。


 だから、言えるのは。


「—―それは、お前だけのものじゃないんだよ」


 栗花落だけではない。

 俺がした、俺もした。

 お互いがお互いにより添え合えば、良かったんだ。

 お互いが、お互いに伝えることを忘れなければできたことなんだ。


「……ひどいことをした。いや、今更謝っても許してくれないくらいひどいことをした自覚がある」


 悩んで悩んで、挙句受験期にもかかわらず一日中泣いて。

 気づいたと時には何もかも遅くて。


 でも、巡り巡って。

 二十六の冬の初めに。

 その機会がやってきた。


 神様が悪戯をしてきたかのように。


「……だというのに、気づいてなかった。ここまで待ったっていうのに気付いてやれなかった俺が」


 変にすがるように手を掛けた。

 俺がかけるべき手はそうじゃなかったのに、下心を見せた。


「悪かった」


「……っ」


「栗花落のことを考えてやれなかった、俺の未熟がだめだった……本当にごめん」


 さっきまで隠していた顔を見せる栗花落。

 そんな彼女に対して、今度は俺から頭を下げる。


「……本当に、すまなかった」


 そうして、数秒。

 無言が続く。

 辺りに静寂が音連れて、ただじっと……赤く腫れあがったその眼を見つめた。


 結局、これを言わなきゃ意味ないんだから。


「なぁ、栗花落」

「……ぁ……ん……で、すか?」


 まだ本調子でもない栗花落の語尾だけをとらえて、笑みを浮かべて。


 そして、一番言いたかった言葉を言う。


「俺たちって……いや、こうじゃない」

「……?」


 尋ねるんじゃ意味がない。

 俺の口から、言うんだ。


「俺はずっと、考えていた。栗花落のこと」


 だからこそ。

 八年越しの彩られることがなかった青春をもう一度。


「……やり直したい、栗花落とのこと」


 全て一から。

 一からでなくたっていい。

 

「全部取っ払うのは無理でも……でもまた、栗花落と関係に戻りたいんだ、俺」


 今思えば、虫がいいよな。

 それも。

 でも、ずっと伝えたかったことだ。


「だから……また、友達になってくれないか?」


 付き合ってくれだなんて言えるわけなく、それでも始め直したい俺はそう告げた。

 妥協でも何でもない、本心からのことを言う。


「っえ」


 言われた彼女と言えば、口をぽかんと開いたままでこちらを見つめている。


「……い、いいんですか」


 そして、俯き悩むように小さな声で尋ねてきた。


「もちろん。むしろ、こっちからそう言いたいくらいに」


 俺のセリフだというと栗花落は唇をぎゅっと噛み、俺の胸を握り拳で優しく叩く。


「……優し、すぎますよ」


「ははっ……それは俺のセリフだよ」


「い、いやっ、私のです」


 強情さは昔から変わっていない。

 顔も見せずにもう一度叩き、そして服をぎゅっと掴む。


「……っく」


 そして。


「……ひぇ……ん……っぁぅ……っくぁ……っぅぇ……ひっく……ぁ、ぁ……んぁ……ぁぁぁ、ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ」


 俺の胸を涙で濡らし。

 

「よし、よし」


 その小柄ながらに震える肩を優しく抱きしめる。


「ありがとうな、栗花落」

「ぁ……っく……ぁぁぁ」


 そして、その日。

 クリスマスの夜。


 唐突に振り始めた雪の下で。

 俺たちは仲直りし、そしてリスタートをして。

 本当の意味で――再会を果たした瞬間だった。





あとがき

 読んでいただきありがとうございます!

 これからも読んでいただけると嬉しいです!

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 次回第一章エピローグです!

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