第21話
「はい、先輩」
「あぁ、うん。ありがとう」
「それじゃあ、また」
「またな。仕事頑張って」
翌朝。
駅のホーム、それもベンチで座っていた栗花落から受け取ったお弁当。
水玉模様のちょっとかわいいデザインの風呂敷に包まれたそれを眺めて、俺はまたあの違和感を抱えた。
あと一週間でクリスマス。
週末を開けてしまえば、もう。
—―俺と栗花落の関係は、どうしたらいいのだろうか。
と思ってしまったのだ。
◇◇◇
「あれ、藻岩君がお弁当とは珍しいね」
昼休み時間。
慌ただしい研究の最中でもお昼時間はしっかりと休めるうちの研究室で、ほとんどの研究員が外に出てしまった後。
俺がおもむろに風呂敷に入ったお弁当を取り出すと隣に座る鮎川さんが不思議そうに呟いた。
「ん、あぁ……その色々ありまして、作ってもらったっていうか」
正直、栗花落に関しての話は鮎川さんに対して言っていなかったからどう言おうか迷った。濁すような感じで呟くと「ほぉ」と俺の弁当を見つめてきた。
「な、なんですか……そんなまじまじと」
「いやぁ、別に。ようやく藻岩君にも春が来たのかと感心してしまってね」
「は、春……はっ⁉」
一瞬よく分からなくて復唱していると、その意味を理解するのはすぐだった。
「春って……別に。ていうかどうして女性だと分かったんですか、別に俺は誰かとは」
「そりゃ、お弁当の中身と外のセンスかな? 研究人間だと侮ってもらったら困るけど、これでも私、恋愛はよく分かってつもりだ」
「け、結構って……センス分かるもんなんですか」
「藻岩君なら、水玉は選ばないと思って」
「あぁ」
”男の子っぽいの選んでみました”とか渡すときに言ってたけど、すぐに見抜かれたよ栗花落。次からはもっと無難で地味な色を頼みたい。
って、次もあるのか。
お弁当を作りますとか言ってくれたけど……どうなんだろうな。
そんな風に迷っていると鮎川さんはどこか見透かしたような目で見つめてきた。
「彼女、なのかい?」
栗花落は彼女、ではない。
俺は首を横に振って否定する。
「……いや、彼女とかではないんです」
「そうなのか。てっきり。でも実際のところはどうなのかな?」
「どうって言うと」
「どうはどうだよ、藻岩君。君はどう思ってるの……彼女のこと」
質問はあからさまなくらい単純だった。
ただ、俺はそんなことを聞いてくる鮎川さんに少し、いやかなり驚いていた。
鮎川さんには話したことすらないっていうのに、まるで知っていたかのように真剣な表情をしていたのだ。
動揺しつつ、答える。
「……俺は」
答えようとして、喉がつっかえた。
その質問に俺は動揺していたのだ。
一度考えた問いだ。
俺と栗花落の関係はあまり深く考えないように、そう考えていた。
いや、なんでだ。
どうして俺は栗花落と今仲良くしているんだ。
思い返してみれば栗花落と別れてからの八年間、音沙汰がなかった。栗花落に限らず、俺は八年間もプライベートな女性関係など持たなかった。
それが崩れたのは――忘れもしない一か月ほど前のあの日。
久遠の言葉に騙されてみようと家政婦を呼ぶことにして、そしたらその家政婦がまさかの栗花落で。
驚いたなんて簡単な言葉で表せないほどに、何とも言えない再会だった。
なんて言ったって、栗花落が昔の面影を感じないほどに綺麗になっていたからだ。垢ぬけて、それはもう見違えるくらい。
そんな彼女相手に、どうするか迷ったあげく。
俺はもう一度、何かを掴みたいと願って手を掴んだ。
確実に、最初の一歩は俺だった。
高校生の頃とは違って、俺から声を掛けた。
だったら、なぜ進まない。
なぜ、先延ばしする必要がある。
クリスマスを前に、なんで何も言わないんだろうか。
何より、飲み込んでいた理由は、考えてこなかった理由は。
—―――――俺が栗花落と付き合ってしまったら、また悲しませてしまうのではないか。
悩むふりをしていた。
答えは単純で、でもそれでいて深刻なものだった。
あの日栗花落の手を掴んだはずなのに、思い残していたことがあったのに。
未練はたらたらで、後悔しかなくて、それがトラウマのようにフラッシュバックしてくる八年間。
実はと言うと何度か女性に話しかけたことがあった。
でも、うまくはいかなかった。
いつもよぎる。
俺では幸せにしてあげられないんじゃないかというのが。
見えてくる、涙を流し俺から離れていく栗花落の背中が。
そう、俺はそれを見るのが嫌で――仕事を始めようとした栗花落の手を掴んだんだ。
何かあるんじゃないかって期待したわけじゃない。
俺からまたしても逃げていこうとする、離れていこうとする彼女を見るのが嫌で掴んだのだ。
俺は自分勝手で彼女をそばに残した。
栗花落は優しいから、それを受け入れてくれただけなんだ。
本当なら、あそこで俺をひっぱたくことだってできた。
だって、そのくらいのことをしたから。
でも結局、そこだけだった俺は今ここに弁当なんか作ってもらって、喜んで座っている。
のうのうと。
「……藻岩君。君に一つ言っておきたいことがある」
「えっ」
まったく、固まって動けない俺に鮎川さんは声を掛けた。
すると、彼はどこか空を見上げるように呟いた。
「私はね、これでも一度結婚していたんだよ」
「けっこん……鮎川さんが?」
「あぁ。一度だけね、もちろん……今はしていないよ。いわゆるバツイチかな?」
「……そ、そうなんですね」
あの研究人間の鮎川さんがまさか、結婚していたとは寝耳に水な事実だった。
だが、どうして今そんなことを言っているのか分からなくて頷くと続けて口を開いた。
「今の私を見れば分かると思うけど、私は昔から研究人間でね」
「それは、まぁ」
「あぁ。でも昔はもっとだったんだよ。元をたどれば小学生のころからで自由研究がてらいろんなことを調べたものさ。それからは勉強三昧で、ようやくは入れた志望の大学と大学院はずっと研究に没頭していた。それはもう博士課程に入ってからもですごくね」
想像は出来る。
いつも研究熱心だし、真剣だからこの人は。
「でも、そんな私にもね、好きになってくれるそんな人ができたんだよ。それで気が合うからと結婚して、子供も生まれて」
だからこそ、鮎川さんに相手がいて、子供がいたのは初耳で意外だった。
「ただね……私は疎かにしていた。自分が研究者であることを理解し、それをうまく使えることを理解して……相手のことは何も考えていなかった」
何も、考えない。
あの頃の自分と一緒なところが鮎川さんにあるとは思えなくて、少し驚いた。
「子供だってできたのに、育児も何もかもほったらかしで……相手方のほうが私を理解していると思っていた。ははっ、笑えるだろ、傲慢をさ」
そうしていたとは想像もつかなかった。
いつも優しくて、厳しくて、俺を今の立場まで強くしてくれた彼がそんなことを。
でも、その目は本気で何かを憂いているものだった。
本当のことだとすぐにくみ取れる。
そして、どこか遠くの空を見上げるような目で呟く。
「だから、一つ。言っておこうと思う。若者よ」
「わ、若って……俺は別に、もうアラサーですよ」
「アラサーでも関係ないよ。私から見ればみんな若者にしか見えないからね」
微笑みながら、そして俺の方に目を向ける。
優しく、それでいて信念のこもった目で訴えるように呟いた。
「伝えなきゃ伝わらないんだよ」
矛盾しているようで矛盾はしていなかった。
「人間の生み出した最大の発明はね、言語なんだよ。人間の英知、そのすべてがここに行きつく。火も一つと言うけど、私は言語だと思う」
「……ん」
「気持ちを伝えるのには最適で、そして最高な発明さ。それを使わずしてどう生きる、藻岩君。きっと君はそのお弁当を作ってくれた人に何かを伝えなきゃいけないんじゃないかな」
何かを、伝える。
俺が、栗花落に。
終わったはずの恋の相手に。
「今やらなくては、失ったときに後悔するんだよ」
八年間。
ずっとそれだけを考えていた。
未練がましく、後悔ばかりして。
それで、出会った奇跡を。
「なんて、もう取り戻せない私が言っても説得力ないかもしれないけどね……今も戒めのように持ってるし、指輪」
そう言うと鮎川さんはおもむろに指輪を取り出した。
悲しんでいるようなそんな目で指輪を見つめて呟く。
「さぁ、時間もないし。ご飯を食べようか」
「あ、はいっ」
そう言われて、俺は弁当箱の蓋を開ける。
すると中には、俺の好物がたっぷりと詰め込まれていた。
甘いだし巻き卵に、唐揚げ、ゴボウの肉巻きに、ミニトマト、そしてごま塩のふりかかった白いお米。
そういえば、高校の頃に弁当眺めて栗花落に言ったっけか好きなもの。
いつまで覚えてるんだ、彼女は。
—―そうか、栗花落も待っていたのか。
俺からの言葉を。
ハッとして、箸でだし巻き卵を掴み口の中に入れる。
「……ん」
味は相変わらず美味しかった。
中はトロトロ、外は焦げ目でカリッとしていて。
—―涙が出そうになるほどおいしくて、そして決心できた。
いい機会じゃないか。
クリスマス。
その機会に告げよう、今までの気持ちを。
やり直せないかと、言おう。
「鮎川さん、ありがとうございます」
あとがき
なんだかんだで書き始めて八万文字ですね。
こんな長い間、読んでもらっている読者様には感謝です!
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