第22話
◇◇◇
先輩にお弁当を渡した後、いつも通り会社に向かい仕事を始める。
何事もなく、忙しい午前が過ぎ。
「クリスマスかぁ」
お昼休みにふとカレンダーを眺めて、そう呟いてしまった。
「何を呟いてんのさ、ことっち」
「……あ、あぁ、なんでもないわ」
あまりのため息にぽろっと出てしまった一言をやはり隣の彼女は見逃さなかった。
どこか嬉しそうに、期待するような眼差しで見つめてきて、それが少しだけ嫌な私はあしらうように手を振った。
「なんでもないわけないじゃん。元カレ君と再会したのにさぁ」
「いや、本当に何にもないんだって。本当に」
「うわ、何でもある人はだいたいそういうんだよね~~」
「そんな犯罪犯した人みたいなこと……事実なのに」
本当に何もない。
先輩との約束は何もない。
ただ、いつも通り過ごすだけだ。
週末家政婦に行って、そのままの足で母のお見舞いに行って、結局何も言えずじまいでなぁなぁになり、クリスマスを過ぎてあっという間に新年だ。
もしも、これが普通に出会ったカップルだったのならもっとこううまく進めていたのかもしれないけど。
私と先輩の少しばかり複雑な関係ではそうもいかなくて、ちょっと胸が痛い。
何より、言うべきことを言うだけっていうのがここまで難しいとも思っていなかったし。
昔よりも落ち着いて、責任感のある大人になったと思っていた私が「あの時はごめんなさい」「先輩は悪くないの」と簡単な言葉さえも言えないことに驚きと幻滅すら感じる。
だと言うのに、お弁当はこれからは私が作りますなんて言っちゃって。
何もできないのならきっぱり仕事だけの関係に戻ればいいのに。
私もワガママで、先輩の優しさがちょっとだけ痛い。
そんな心情をさも見透かしたように、純玲はさっきまでのお茶らけた表情のまま真剣に呟く。
「んまぁ、ことっちはそんなことだろうと思ったよぉ~~」
「え?」
「え、じゃない! クリスマス前なのにワクワクもせず、カレンダー眺めてクリスマスかぁなんって言ってる女は彼氏いないって相場は決まってるからね」
何の相場なのよ、それは。
「だいたい、純玲にもいないでしょ」
そうよ、説教垂れてくる純玲にも誰もいないじゃない。
しかし、思い込んだ私に対し。
彼女はなにかもったいぶったように人差し指を天に指し、左右に振った。
「……え?」
いるの、純玲に……クリスマスを一緒に過ごす人が。
「いるね、うちには!」
驚いた。
もはや驚きすぎて、声が出なかった。
意表を突かれた。
「だから、今年は一緒にいれないかなぁ」
大学四年の頃から去年まで、毎年のように行っていた女同士で恋人のいない夜を舐め合う二人だけの女子会。
それを欠席するのは特段どうでもよくて、それよりも彼女にそんな相手ができたことが驚きだった。
「最近ね、変な男にナンパされてるときにね助けてくれたのよ! 超かわいい好青年でね、何より黒髪のマッシュっぽい感じがもう好みで! それでもう……うちから言っちゃったの! 連絡先交換しませんかって!」
「え、えぇ……」
純玲は普段からテンションが高かったけど、今日はそれ以上にテンションが高くてついていけなかった。
今まで、彼氏いない歴イコール年齢だった純玲が。
初めての男に「すべてをささげたいから吟味する派なのよね!」なんて豪語していた彼女が。
—―自ら、一目惚れのような形で声を掛けたというのが驚きだった。
「……だ、大丈夫なのそれ」
「何ことっち、嫉妬してるの?」
「嫉妬はしてないっ! じゃなくて、そんな簡単にいいのってことよ。純玲って色々厳しいところまで見てなかったかなって思って」
「見たわ、全部」
いや、たった今。
助けてもらった男の人と特徴しか言ってなかったじゃん。
「凄いのよその人。近くの会社で研究員として働いてるらしいの、何せ来月には学会発表を踏まえてて、来年は海外に行くとかなんとか」
「け、んきゅういん」
最近、聞いた言葉があり、少し突っかかった。
「えぇ、それに優しいし、余裕もあるし、でも時々ドジ踏むところなんか最高にキュートだったわね! 彼しかいないって直感で思ったわ」
「そ、そう」
しかし、そんな私の突っかかりなんて気にも留めず決め顔で言う往年からの友達についていけず。あしらうように呟いた。
「まぁ、あんまり調子は外さないようにしないとだよ」
「分かってる。でもさ、それを言うならことっちもじゃない。いいの、藻岩さんと一緒に過ごすんじゃないの?」
そしてまたまた意表を突かれる私。
もう忘れ去っただろうと思ってきた時に、彼女は真面目なトーンで訊ねてきた。
私は私で不意打ちにやられてよろめいていると、察した純玲が口元を隠すように言う。
「まさか……何もしてないの、約束?」
「し、してないわね」
「……えぇ、ほんとに?」
「嘘つく理由がないわよ。別に、何も」
「お弁当する約束はしたのに?」
「それは……だって、先輩の栄養状況が不安だったからで」
「通い妻みたいな約束しておいて、今更クリスマスは無理なの?」
「通い妻って……」
そんな大げさな、と言おうとしたけど。
その言葉がどこか腑に落ちた。
思えばやっていることと言えば、仕事だけど家の掃除をして、看病をして、ご飯を作ってあげて。
一緒に会社に行って、飲み会もして、相合傘もして、なんなら会った次の日にデートだってした。
言われてみれば、確かに的を射ている言葉だった。
「……でも、やっぱりそれとこれは」
「それとこれって、やっぱり今までのアレを思い出してるの?」
アレ、と言うのは純玲もよく知っている。
私の男性遍歴だ。
先輩がこの八年間、どういう女性遍歴があるかは知らないけど私と言えばひどいものだった。
それが未だ忘れられないものだというのもある。
我ながら、もう忘れてもいい頃合いだろうに忘れられないっていうのも嫌だけど。
でも、それだけではなくてもう少し複雑だった。
「それもだけど……」
「だけど?」
言ってしまった。
からには、純玲も見逃さなかった。
今まで、告げたことはない話……別に言わない理由もなかったけど、ただ何となく話してはいなかった。
純玲なら、と。
少しだけ逡巡して、口を開いた。
◇◇◇
「—―――なの」
それからと数分。
休憩がてら私の話を一通り聞いてくれた純玲はあちゃーっと申し訳そうな顔を浮かべた。
「そっか。なんだか、うちこそ変なアドバイスしちゃってたんだね、ごめん」
「え、いや別に……私が勝手に重く考えてるだけかもしれないし」
「全然そんなことないと思うよ。いやぁ……そこまで重く圧し掛かってるだなんて考えてなかったもん。ほんと、うちとしたことがやらかした」
数分間の独白に、親友の彼女はいつものような茶化した笑みは見せなかった。
「純玲はいいアドバイスくれたと思う。でも、色々短期間に起こってどうすればいいか分からなくなっちゃって。仕事も、元カレも、トラウマも」
「あははは……そう考えると濃厚な一か月だったね」
「うん」
濃厚すぎた。
それが故に、自分の弱いところも、幼い部分も。
何もできないのに、面倒を見てしまうところとか。
そういうところすべて。
全部が全部、身構えていない背中に圧し掛かってきて。
それを考えずに、考えないようにして、一緒に笑ったあの日。
結局、寝る直前にあふれ出そうになって……ぐっすりと眠る先輩の頬にキスまでしてしまった。
それで、戻れなくなったのに。
もう、いっそ気にせず。
「—―でも、ことっち」
悪い方向へ向かう、解決が思い浮かんだときに純玲が肩に触れた。
「私は初めての恋愛だし、あくまでも人づてに聞いてきての話だけどさ」
「……うん」
「言いたいことは伝えなさいね」
それはありきたりで、そして非常なまでに難しい事だった。
「不満があるなら言う。言わなければ伝わらない。女子はさいつまでたっても受け身だから、察してよって思うけど……でもそれはわがまま。相手の心を読むことなんてできない」
「……っ」
「藻岩さんってすごくいい人だけど、鈍そうだしさ。あれなんでしょ、ことっちが告白したのもそういうところあるでしょ」
「まぁ、うん……」
「だからこそ、しっかり言わないと。それにクリスマスなんていい機会じゃない? 仲直りするためにはさ」
仲直り、それはただのではない。
ずっと昔に拗れてしまった私と先輩の――栗花落ことりと藻岩哉の仲を直す意味でのもの。
ほつれた毛糸の結び目を
十七だった私はいつのまにか二十五になった。
もう二度と解ける機会なんてありえなかった。
神様はずるいと思ったけど。
—―これ以上の機会は一生来ない。
「そう、だよね」
「そうね」
「うん。ありがとう……私、頑張る」
「応援してるよ、次期主任」
そんな弄りにいつものように返せないほど、私は決心する。
まずは、約束。
それをするところからだ。
あとがき
面白いなと感じていただけたら、ぜひフォロー、応援、コメント、そしてレビューよろしくお願いします!
相談です。
次話、結構(今まで以上にめっちゃ)長くなると思うんですが、前後編分けたほうがいいでしょうか?
話としてはこの辺が一章クライマックスになるシーンなので……。
読みやすさてきに、お答えしていただけると助かります。
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