第4話
辺りはすっかり暗くなり、肌寒くなった街中の夜道を歩く二人。
夜でも途絶えない喧騒の中、ひときわ目立つヒールの音。
雰囲気よし、ムードもよし。
そんな夜。
あっという間に時間がたって、俺たち二人は帰路につき、地下鉄目指して歩いていた。
見つけて入る地下への連絡路。
駅構内はかなりの人で溢れていた。
休日の街中以上に混んでいて、駅のホームはすべての乗り口に五人以上並んでいるのが見えてげんなりする。
「多いな」
「多いですね」
不満を垂れながらも、地下鉄で帰る以外の手段はなく、俺たちはそんな列の後ろへ並んだ。
どうして二人して同じ地下鉄の駅に入っているのかと言えば、理由は一つ。
家の方角が一緒だったことだ。
聞くところによれば、彼女の降りる駅は俺の降りる駅の三駅あと。
頑張れば歩いていける距離で少しだけ驚いた。
ざわざわとしてきた構内で、ふと気になって尋ねてみることにした。
「そういえばさ、栗花落ってどうして家政婦をやり始めたんだ?」
「え、家政婦ですか?」
「うん。だって、家政婦の仕事している人って珍しくないか?」
「珍しい……ですかね。分からないですけど」
なんだかんだ掃除をしてもらったものの、あまり聞いていなかったことを尋ねると栗花落は目を逸らして考え始める。
しかし、数秒ほど考えると答えが出たのかゆっくりと口にした。
「私は……そうですね、趣味ですかね?」
「趣味、家政婦が?」
「あ、もちろん強いて言えばですよ。その、暇があったからって言うか、今の仕事じゃ物足りなかったからって言うか」
慌てて否定する栗花落。
どうしてなんだろう、そんな表情をしながら言葉を並べていく。
「まぁそんなもんか。って、他にも仕事してるのか?」
「してますね。普段は会社員ですよ、駅前のオフィスビルに入ってる食品会社で経理してます」
「へー、経理部なんだな」
経理部。
主に会社全体で扱うお金に対して管理する部署のことを指す(グーグル先生参照)。
理系だった俺から見ればあまり馴染みのなさそうな部署だが、もちろん会社員である以上俺もお世話になっている部署様だ。
何より、最近は研究費のいざこざで頼りにしてるし。
うちの研究室長の浪費癖を制してくれるのはいつも彼らだし。
にしても、この前も研究費が足りないだとか色々と言っていたっけか。
あの人、経歴だけは凄いから誰も指図しないけど、経理部の人たちは臆することもなくかつ入れてくるし。
栗花落の律儀なところは、とても似合いそう。
そういう意味では栗花落が経理部というのは少し納得だった。
「にしても、なんか”らしい”って感じするな」
「らしい……それって、馬鹿にしてませんかそれ?」
ただ、俺の言葉は不服だったようで、彼女はジト目を向けてきた。
さすがに違う意味では伝わってほしくなくて、すぐに言い返す。
「いやいや! むしろ逆だよ、尊敬してる」
「ほんとですか?」
「ほんとほんと。ていうか俺が栗花落のことを馬鹿にすることなんて今まであったかよ」
「……思い返せばたくさんありますね。試験勉強の時に数学のできなさに馬鹿にされたり。キャッチボールできなくて馬鹿にされたりとか」
考えても考えても出てこない――なんてことはなく。
むしろ、期待されていたこととは真逆のことがコマンド攻撃のように繰り出される。
聞いているだけで胃が痛くなるような、最低くそやろうな彼氏だ。
「も、もういいです」
降参した。
そんな俺に栗花落は目も向けず。
すっと、冷たい声で呟いた。
「……でも、確かに。らしい仕事をしているのかもしれませんね。私は」
目の色は少し虚ろ。
虚無感漂う空気感を切り裂くように、駅構内のアナウンスが鳴る。
『まもなく電車が来ます。少し離れてお待ちください』
遠くの方からエンジン音とレールを擦る音が聞こえてくる。
隣には栗花落の横顔があり、その眼はどこか遠くを見ているようで。
気が付けば、俺の手が勝手に動いていた。
「……え、あの。先輩?」
俺の唐突な行動に栗花落は目をパチパチと見開いた。
「ごめん、なんか変なこと言っちまって」
「へ、へんな……コト?」
浮かんでくるのはつたない言葉の数々。
こればかりは、理系だからと読書してこなかった俺自身を呪いたい。
でも、言わないわけにはいかずに。
そのままの意味のまま口に出した。
「あぁ、とにかくさ。俺が言いたいことはな……栗花落は何事でもまっすぐでさ、すごいってことだよ。ほんとに」
そう言うと目の前に来た電車の扉が開いた。
前の人が歩き出し、俺たちも続いて歩き出す。
その瞬間、手が離れて人ひとり分の間が空き、栗花落が逃げるようにして答えた。
「そ、それはどうも……ありがとうございますっ」
「あ、あぁ」
そうして、電車が動き出す。
時刻は十八時半、あっという間に駅についた。
扉があき、「また来週」と言うと彼女も「はいっ」と短く返し、俺は人の流れに押されるようにその場から降りた。
そしてまた、電車が動き出し。
暗闇に消えていくのを見ていると、
そんな彼女の小さく手を振る姿が目に入って、ふと思い返す。
「手、冷たかったな……」
◇◇
「ただいま」
誰もいないマンションの一室に挨拶が響き渡る。
家に帰ってきた私は、すぐに湯煎を張り湯船につかった。
冷え性の体が足先からじわじわとあったまっていくのを感じて、壁を背に肩の力がすぅっと抜けていくのを感じた。
「……っ」
実に八年ぶりの先輩とのデート。
この歳になって男の人と遊びに行くことをデートと呼ぶのはどこか歯がゆいが生憎と私にはそれ以上の語彙力はない。
ただ、そんな久しぶりのデートの最後にあんなことを言われるだなんて考えてもいなかった。
湯水の中から外へとあげる右手。
なんでもない、正真正銘私の手。
天井と手が重なり、ぼんやりと見つめる。
頭の中で反芻させるのは先輩の強烈な一言だった。
あんなことを言ってくれるのは間違いなく、彼だけだった。
見ているところが、少し離れていて、ロマンチックのかけらもないけど。
やっぱり、必要としている言葉をかけてくれる。
幼稚臭いけど、それがいい。
昔から、私は外見ばかりを見られてきた。
両親の関係はとてもいいものではなく、母は病弱で病院に入院していて、父は家庭のことには知らんぷりで。
結果的に私が大学生になり、一人暮らしを始めたときに離婚という幕引きだった。
そんな時代を生きてきたからか、私をほめてくれる人はいなかった。
小学校では地味と言われ、
中学校でも地味と言われ、
高校でも地味と言われ、
そして、頑張ったせいか大学では美人と言われた。
大学で、綺麗だとか、美人だとか言われるのは最初は嫌ではなかった。
褒められることが少ない私を肯定してくれて、必要としてくれているのだと思えた。
しかし、それは最初の数か月だけだった。
昔から思い返してみれば、言われていることは一貫していた。
外見のことばかりだ。
付き合った二人も、常にかわいいとかきれいとかそう言ってはくれるけど”すき”だとは言ってくれない。
それに気づいた私は、事の重大さを理解した。
昔から外見ばかり言われてきた私に、やってきた努力とふんわりとした雰囲気を察してくれる。
そんなことをほめてくれるのはとても新鮮で、そして必要だった言葉で。
先輩は何食わぬ顔で、声を掛けてくれる。
さっきだって、手を掴まれても微塵の不快感も、下心も感じなかったのだからきっとそう。
—―まっすぐですごいとか。
まるで中身なんかない。
でも、中身を見ている。
ひらがなで言ったような口で、小学生みたい。
下心がないからそうなのかもしれないけどさ。
—―ぽちゃん。
水が滴り落ちる音がする。
「はぁ……馬鹿だよね、私って」
思い抱いた記憶に、ため息を溢す。
そんな人を振るだなんて、随分昔の自分は贅沢なものだ。
高校生の頃だから、仕方がないと純玲は言ってくれるけど……やっぱり馬鹿だ。
にしても……先輩の手、温かかったなぁ。
あとがき
トマトジュースまずい。
そういえば、こんな時期なのにホワイトアルバム2買っちゃいました。
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