焔の剣舞
お姫さんに本音というか、俺の気持ちをぶちまけてしまってから、少し社に通いづらくなってもうた。といっても、別に綾芽ちゃんに追い返される訳ではないし、お姫さんも表面上は平静を装って迎えてくれとる。
そう。平静を装っているのだ。どんなに表面を取り繕っても、心の中がぐちゃぐちゃなのは態度の不自然さから明らかだった。
だが、今日は縁側に端座した姫巫女が以前のような、自然な笑みを見せて。
「いらっしゃいませ、度会殿」
と、穏やかに迎えてくれた。
度会は目をぱちくりさせて、おうと短く応じる。
「何や、今日は自然体やないか。……落ち着いたんか? そもそも俺のせいやけど」
「はい。先日、友人に相談したら、私がちゃんと答えを出せるまで無理に返事をしなくていいとアドバイスを貰いまして。その方針でいこうと思っています。――よろしいですか?」
「おお。俺はその方針に大賛成やけど……お友達て?」
姫巫女にプライベートの友人がいるとは初耳だ。外部との接触が少ないため、てっきり綾芽が補佐兼友人の枠を務めていると思っていたのだが。
姫巫女はクスリと笑って、度会の問いに答えた。
「度会殿もよくご存知の方ですよ。――飛燕恭子様です」
「げっ、よりにもよって
「やっぱり仲良しなんですね」
「仲良し言うなや! 寒気するわ!」
顔を顰めて言い返すと、姫巫女は楽しそうに笑う。嫌がる反応がお気に召したらしい。
「あの女はな、表向きはイケメンの美女や言うて女の子達から大人気やけど、その実はろくでなしやぞ」
「姐様は私のことをよく可愛がってくださいますよ?」
「それはお姫さんがお姫さんだからや! 俺等にとっちゃあ、あのアマは大食いの大酒飲み、俺等が店屋で飯食ってれば、いつもいきなり現れよって、たらふく好き勝手食って呑んでした挙げ句、伝票押し付けて逃げよるからな!」
「俺等、ということは斎藤様も?」
「せや。俺と薫と恭、三人で軍の入隊同期やねん」
なるほど、と姫巫女は頷いた。これだけ気安い物言いができるのは、共に死線を潜り抜けてきた同期であれば納得がいく。なんというか、三人はただの友人ではなく、腐れ縁のような独特な関係性を築いているようだった。
「彼奴とお姫さんが友達て、俺からすれば意外いうか……」
と、言葉を続けようとしたが、度会は瞬時に表情を引き締め、剣呑な目で門の外を睨んだ。姫巫女も同じように厳しい顔で社の外を見据えている。
「気付いたか」
「無論です」
「お姫さんは……」
「共に参ります」
「せやけど」
「度会殿」
彼岸の姫巫女は守られるだけの存在ではないこと、ご存知でしょう?
姫巫女専従は、その時代を生きる姫巫女の性質に合わせて人数が変動する。外敵への対応が難しいのであれば、相応な規模の護衛部隊を編成する。そして、外敵への対応が可能であれば、専従者は最低限に絞られる。
当代の姫巫女は、先代によく似て敵性勢力排除が大の得意であった。
「綾芽!」
姫巫女が呼ぶと同時に室内から飛び出してきた綾芽は、姫巫女が欲するもの――神刀を手にしていた。それを姫巫女に渡しながら、綾芽は指示を仰ぐ。
「姫様、私は」
「結界内部の防衛に集中して」
「恐れながら、姫様が前線に出られるほどのことではないでしょう。私と度会殿だけで十分」
「綾芽」
ゆらりと、溢れる霊力で姫巫女の髪が揺れる。
「お願い」
「……畏まりました。お気を付けて」
綾芽も当代が戦闘を忌避するどころか、自分の家くらい自分の手で守れずしてどうすると大真面目に説いてくる娘であることをよく理解しているため、すぐに引き下がった。代わりに、羽織の袖口に手を入れて腕を組みながら、二人のやり取りを見ていた度会に頭を下げる。
「度会殿。姫様を」
「わかってるて。任せとき」
「それでは」
綾芽が両手で印を組み、社の結界強度を引き上げた。度会が先に門から飛び出し、姫巫女もそれに続こうとする。
駆け出す前に、屋内に残る綾芽を振り返る。
「行ってくるね」
「姫様」
「戦いはいつもやってるし、今日は度会殿もいるから大丈夫……」
「やりすぎないよう、お気を付けて」
綾芽は主の敗北など、ほぼ案じていなかった。
だが、やりすぎる。この点については懸念している。
姫巫女の力。それを戦闘に用いたらどうなるのか。
綾芽は日常的にそれを目にし、毎度ハラハラしているのだ。
それには姫巫女も身に覚えがあるのか、苦笑して頷いた。
「善処します」
***
社の外に妖気が充満していながら、その姿が全く見られない。
「厄介やな」
「低級の雑鬼ではなさそうですね」
袴に神刀を差した姫巫女が気配を探る度会の傍らに駆け寄った。
「隠形できる程度の妖力があるんや。油断した瞬間に仕掛けてくるで」
「わかっています」
周囲を睨む姫巫女は凛々しく、それはそれで美しいし可愛い。度会は油断ならない状況でも、そんなことを思って微笑む。
それに気付いた姫巫女がムッとしたような、叱るような顰め面をして度会を見上げた。
「度会殿。何考えてるんですか」
「ん〜? お姫さんは何やと思ったん?」
「真面目に……!」
「俺はいつでも大真面目やで」
シレッと大嘘を吐く度会に溜め息が出そうになる。が、突然背後から
左肩から右の脇腹にかけて斜めに餓鬼を一刀両断し、姫巫女の周囲に隠形して潜む餓鬼の群れを瞬時に捕捉する。
「鬼にも色々とおるが、こいつらとは仲良くなれる気がせえへんな」
「餓鬼は他者の生気や霊気を喰らう生き物です。これらによって死に追い込まれる生者も多い。その上、自らの生存のためならば共食いも厭わない習性上、和睦は到底無理かと」
「ごもっとも」
度会は迎撃のために霊力を練りながら、餓鬼が一向に姿を見せないじれったさから思わず舌打ちして低く唸った。
「後攻は嫌いやねん。はよ姿晒せや」
大まかにどの辺りにいるかは把握しているものの、相手が姿を見せない限り手が出せない。隠形というのは単に姿を隠す術ではないのだ。自らの存在を極限まで消滅に近い状態に抑え込んでいるため、恐らく相手が存在するであろう位置に斬撃を放ったところで容易に躱されてしまう。下手に手を出せば、攻撃時の隙を狙われる。
度会自身も隠形は好んで使うため、相手にする時の厄介さをよく理解していた。
苛立つ度会に姫巫女が控えめに声を掛ける。
「度会殿……隠形は私にお任せを」
「お姫さん?」
「炙り出すのは、得意なので」
それに、と姫巫女は申し訳なさそうに度会を見上げる。
「度会殿が先制攻撃しないのは……私が原因ですよね」
度会が無言で視線を逸らす。
冥府軍の元将校が隠形を突破できない訳がない。対処法はあるのだ。ただ、現状では使えない。
つまり、姫巫女を巻き込む可能性のある手法なのだ。
もちろん、姫巫女とて度会の戦術に全く対応できない等という泣き言を口にする気はない。自分の出来る限り対応する気概がある。だが、頑張っても度会の攻撃に巻き込まれ、負傷する可能性はゼロではない。
度会は姫巫女を傷付けることを危惧して普段の戦法を取れずにいるのだった。
ならば、度会ではなく自分が隠形を突破しよう。姫巫女が炙り出しを買って出たというところである。
しかし、度会は姫巫女が戦う姿をきちんと見たことがないため、少し心配そうに気遣うような視線を向けてくる。
「お姫さん、いけるか?」
「はい。私はこれでも強いんですよ」
えへんと胸を張る姫巫女を抱き締めたい衝動を抑え込み、度会は提案に応じることにした。姫巫女が戦う姿を見てみたいと純粋に思ったのだ。
「ほんなら、頼むわ」
「はい!」
姫巫女が刀を抜いた。度会が使う刀よりも刀身が少し短いそれは、姫巫女の霊力を帯びてチリチリと細かな燐光のような輝きを絶えず放っている。
意外にも、姫巫女は両手ではなく片手で刀を扱った。右手で刀を振るうと、霊力が波動となって周辺に渡る。美味そうな力の気配に、影に潜む餓鬼のひゃらひゃらと悦ぶ声が聞こえてきた。
姫巫女は空いている左手を開き、掌に霊力を集め始めた。ジンジンと少しずつ、手が熱を帯びていく。
「出でよ。――――朱雀丸」
霊力の光から現れたのは
「は……」
度会がその圧倒的な霊力に存在感に、思わず吐息を漏らした。姫巫女の霊力は封印状態でも冥府軍の先鋭に匹敵すると言われていたが、本当にその通りだった。
姫巫女は神刀と朱雀丸を同時に構えた。
「さぁ、かくれんぼは終わりです」
先に右手を振るい、霊力の衝撃波で周囲を威圧する。度会は回避しようと身構えたが、その霊力に殺気がないことに気付いて動きを止めた。どんな攻撃であっても、必ず殺気が含まれる。だが、姫巫女の発する力からはそれが感じられなかった。衝撃波が度会の身体にぶつかっても、全く異常が出ない。
だが、隠形する餓鬼の群れには効いているらしく絶叫が至る所から上がる。
「まさか」
姫巫女が味方と認識している者には、攻撃にならないというのか。
度会が驚愕する中、姫巫女は次に朱雀丸を舞うように振るった。
「
浄化の焔が悪しき気配を一掃した。隠形していても、その炎に触れてしまえば存在が祓われる。
姫巫女が二刀流の剣舞を披露する限り、攻撃が止まることはない。
そして、姫巫女の攻撃に泡を食って姿を現した餓鬼を数体、度会は斬り伏せたが、殆どは姫巫女の舞によって修祓されてしまっただろう。
餓鬼が祓われ、妖気が消えると、姫巫女の清浄な霊気が周囲を包んだ。
姫巫女が舞を
「――お疲れ様です、度会殿」
神刀を鞘に収めて微笑む姫巫女に、周囲に妖気が残っていないことを確認した度会は微笑み返す。
「お疲れさん。ごっつ強いなぁ、お姫さん」
「ありがとうございます」
擦り傷一つ負わずに立っている姫巫女を見ていると、不意に衝動のようなものが込み上げてきた度会は腕を伸ばし、柔らかく温かい身体を閉じ込める。
「度会殿! 何を」
「堪忍。ちょっとだけやから」
「ちょっとでも駄目です! 離してください!」
「嫌や」
「子供ですか!?」
抵抗する姫巫女であったが、男の腕力に敵うはずはなく、結局諦めて大人しく腕の中に収まる。それに、存外心地が良かった。目を閉じて無意識に、広い背に腕を回してしまう。
それに気づいた度会がふっと笑ったのが、見えなくとも気配で分かる。
揶揄われるかと思ったが、意外にも度会は何も言わなかった。ただ、満足そうな吐息を零して姫巫女の背中を摩る。
「そろそろ帰ろか」
「……そうですね」
お互いのことは何も口にしない。それは時期尚早であると、お互いにわかっているから。行動だけで、今は十分だった。
姫巫女は度会と並んで歩き出しながら思う。
こんなにも矛盾ばかりの自分を大切にしてくれる。
――――何故。
その問いは口にしたくても、口にできなかった。
この心地良い関係を壊すことが、姫巫女は怖くて仕方なかった。矛盾と狡さに満ちた自分に嫌気が差す。
それでも、度会が傍にいる今に縋ってしまうのだった。
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