姫巫女補佐と冥府の官吏

 神宮寺綾芽じんぐうじあやめ。当代の彼岸の姫巫女を補佐し、護衛する従者である。

 彼女は三途の川近くに建っている姫巫女の暮らす社で常に寝起きし、二十四時間三百六十五日、大切な主を守っていた。

 だが、この娘には彼岸では少数派である生家があった。すなわち、彼岸で生まれ育った人間である。


「すまない。ずっと屋敷の管理を丸投げしてしまって」

「お嬢様にはお役目があるのですから。お屋敷のことは、この相模さがみに、どーんとお任せくださいませ」


 久々に実家に戻った綾芽は、使用人頭しようにんがしらの相模に詫びていた。

 綾芽の生まれた神宮寺家は、彼岸では由緒正しいお家柄。長い歴史を持つ名家、貴族といって問題ない。

 だが、綾芽は貴族の女当主として婿を貰う務めを後に回し、現在は大好きな仕事に没頭して過ごしている。

 何せ、彼岸では此岸の寿命が通用しない。百年二百年、長命な者ならば千年を超えて普通に生き続けることができる。彼岸における寿命は、多少霊力の強弱が絡むそうだが、ほぼほぼ運次第だそうで。何年生きるかは当人にもわからない。ちなみに、彼岸での死は輪廻転生を意味するため、死した後は此岸のどこかで生まれ変わることになる。


「お嬢様、今度はいつ頃お戻りですか?」


 こうして帰省の予定を聞き、その日に合わせて御馳走を作ろうとしてくれる相模には感謝しかない。感謝しかないのだが。


「んー……気が向いたら」


 仕事好きの綾芽は滅多に帰省しようとしなかった。


「畏まりました。大体一年くらいを見積もって、お帰りをお待ちしております」


 にっこり笑う相模に、綾芽は苦笑を返して屋敷を後にした。



 ***



 神速で街中を駆ける。

 綾芽は生まれつき霊力と身体能力が高いことを買われ、冥府に勤め始めた。最初、綾芽が配属されたのは冥府軍であった。軍部は政治を司る省とは別組織で、冥府に入った時点で戦闘能力があると見込まれた者は大体最初は軍に放り込まれて、戦う術を叩き込まれる。

 冥府軍は、一応軍と名付けられているものの、別に戦争をするための組織ではない。様々な種族が入り交じる彼岸にて、小競り合いはよくある話なのだ。そういう小中規模の戦闘を堰き止め、話し合いの場につかせ、落とし所を見つけて和解させる。言わば、警察組織であった。

 それなのに何故、警察ではなく軍としているのか。それは、綾芽には到底わからなかった。


「……あれは」


 商店の並ぶ大通りで、菓子屋から見慣れた顔が出てきた。出来れば見たくない顔だったが、あのツラはどう見ても、これから綾芽の愛する主にちょっかいを掛けに行く気満々だ。


「全く、何故あの者と帰らねばならぬのか……」


 思わず文句が口に出てしまう。

 度会正宗わたらいまさむね。当代の姫巫女と冥府を繋ぐ連絡役。冥府中央省姫巫女専従の男だ。

 綾芽は初対面の時点で度会のことを警戒していた。連絡役就任の挨拶をされた時、度会の瞳に愛しい者を見る時独特の柔らかさを見出したからだ。

 綾芽は当代の姫巫女を心から愛している。実力が認められ、栄誉である姫巫女補佐に任命されてから、ずっと、それこそ毎日姫巫女の側にいた。だからこそわかった。

 度会が自分と同じく、姫巫女を本気で愛しているのだと。

 初対面の相手に、何故あそこまで情を抱けるのかさっぱりだったが、度会はやたらと変わった男だし、理解しようとすること自体が無茶というものだ。


「綾芽ちゃん、こっそり俺の後付いてどないすんの? どうせ行くとこ同じやし、仲良う一緒に行こうやないの」


 消していたはずの気配を一瞥で看破され、綾芽は少し驚きつつも民家の屋根から飛び降りて度会の隣を歩き始めた。


「よくお気付きになりましたね、度会殿」

「……うん。その慇懃無礼剥き出しの冷めた口調、もう少し何とかならん?」

「無理です」

「ほうか」


 この冷戦同然のやり取りも、かなり慣れてきたように思う。綾芽は何だかんだ度会が姫巫女専従になってから、月日が経っているのだなと実感した。

 菓子屋の紙袋を手にした度会と共に、彼岸の外れ、三途の川方面に向かう。


「その袋は何ですか?」

「これか? お姫さん、金平糖が好きやってこの前言うてたさかい、買うて来たんや」

「想定通りの回答ですね」

「なら訊かんでもええやろ……」


 街を出ると一気に道が悪くなる。大きな石や岩が転がっていることも多々あるが、二人は平然と跳躍して進む。

 死した魂魄が通る道はなだらかで歩きやすいのだが、外敵を防ぐ必要のある姫巫女の社へ続く道は敢えて手を加えず、険しい道のままにしてあるのだ。

 二人は順調に進んでいたが、途中、化生が現れて襲われた。けれど、綾芽が気付くよりも先に、度会が軽く腕を振るっただけで倒してしまった。


「度会殿の戦闘能力については、私も見習わなければなりません……」


 腕一本。身体から無造作に霊力を放っただけで化生を滅した。

 このくらいのことが出来なければ、姫巫女をこれからも守り抜くなど到底無理だ。何だかんだ言って、この男の実力が自分よりも遥か上であることは事実として認めている。認めざるを得なかった。


「あー……綾芽ちゃん、俺の戦闘能力はあんま基準にせん方がええよ」


 綾芽が思った以上に気落ちしているため、度会は頬を掻きながら気まずそうにフォローした。


「何故です?」

「何故って……そりゃ俺、冥府入って、お姫さん専従になるまでは、ずーっと冥府軍におったんやで? 確か……ざっと七百年くらい」

「な、七百年!?」


 七百年も冥府軍にいて生き残っているとは。

 冥府軍の戦いは、ほぼ全てが人外の戦いだ。戦死する者もそれなりに多い。


「まさかとは思いますが……冥府軍では将校を?」

「まぁ、指揮権は貰てたなぁ」


 冥府軍の将校。どの程度の部隊を率いていたのか。どんな鍛錬を積んできたのか。色々と訊きたいことは多いが、あまり昔のことを根掘り葉掘り訊くのは失礼だろう。

 度会は懐かしむように目を細めて綾芽の方を振り返る。


「せやから、俺と比較して落ち込んだらアカンで。綾芽ちゃんには、綾芽ちゃんの強さがあるんや。俺に出来んこともぎょうさんあるやろ?」


 お姫さんの心に寄り添うんは、綾芽ちゃんの特権やしなぁ。女の子同士の信頼に、俺の入る隙なんてあらへんよ。

 綾芽は度会の助言が父親を彷彿とさせるもので目を見開いた。七百年も生きていると、見た目は若いままでも、ここまで老成するのだろうか。

 ふと、綾芽は長年の疑問に、この男なら答えてくれるかもしれないと思った。


「あの、冥府軍の元将校ならご存知かもしれないので……一つ質問が」

「何や?」

「冥府の軍部って、何故警察ではなく、軍なのですか? 実際にやっていることは警察と同じですし、改名したら良いのにってずっと思ってたんです」

「あぁ、それな」


 度会は岩の上を跳躍しながら淡々と答えた。


「冥府は極楽の神々をも管理下に置く組織や。神さんってのは、普段はキラキラしとって神々しくて、ありがたやありがたやーって拝んどる存在やけど、あの方々がお怒り遊ばされるとな、正直警察じゃ弱すぎんねん。――神の怒りを俺らがお諫め、お止めするには、戦を仕掛ける他あらへん。よって、冥府は軍を持つんや」


 そう語る度会の目は冷ややかで、長年軍部に勤めていた者の冷徹な思考が透けて見える。綾芽はその目の恐ろしさに一瞬怯えたが、次の瞬間にはその怖さは消えていつもの軽薄さが戻ってきた。


「ま、神さんと戦争なんて、あるかもしれない程度のもの。単なる想定や。ビビる必要はあらへんよ」

「そ、そうですね。それに、私達は姫様をお守りすることが責務です」

「せやせや。俺らはお姫さんのことに集中しとったらええんや」


 そうこう話しているうちに、社の前までやって来た。二人の到着を待っていたのか、門の前に姫巫女が立っている。


「あ、二人一緒だったんですね」

「途中でばったり会うてな。ほい、お土産」


 金平糖の入った袋を渡すと、姫巫女は素直に喜んだ。こういう素直さが好ましい。


「わ、ありがとうございます。度会殿」

「後で一緒に食おうな」

「はい」


 さり気なく一緒に食べる約束まで取り付ければ綾芽に睨まれたが、度会は気にしていない。睨まれるくらいは、もう当たり前になってしまっていた。


「姫様。お出迎えは大変嬉しいのですが、上着も羽織らないで……風邪を召されますよ。さ、中へ戻りましょう」


 巫女装束だけで外に出ていた姫巫女に駆け寄った綾芽が、その細い肩を抱いて社の中へと誘っていく。

 度会はそんな二人の仲睦まじい後ろ姿を見て、苦虫を嚙み潰したような苦悩の表情を浮かべた。


「とても、あの二人には言えんわなぁ……」


 ――彼岸を統べる冥王が長いこと空座になっている、なんて。

 自分の口からはとても言える訳がなかった。

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