姫巫女と街でばったり

 度会正宗わたらいまさむねは冥府で一切仕事をしないという訳ではない。やらねばならぬ仕事はさっさと片付け、出来るだけ長く姫巫女の暮らす社にいるように努めているだけだ。

 ただ、今日に限っては外せない会議が差し込まれ、ぶーたれた顔で出席していた。そして、それがようやく終わってこれから昼休憩に入る。


「何やねん、生産性のない話で半日も拘束しよって。報告書に書いたこと、わざわざ対面で確認してどうすんねん。隠し事なんかある訳ないやろ。ンな真似したら俺の首が飛ぶわ、物理的に。巫山戯るのも大概にせえっちゅーに」

「それ、お偉方も正宗にだけは言われたくないと思うよ」


 冥府の役所はとても広大で、周囲には街が形成されている。役所の建屋がまるで江戸や戦国時代の城のようだから、周辺を囲う街はさながら城下町の様相をしている。多くの人が行き交うものの、此岸との大きな違いは人間以外の種族も平気で歩いている点だろうか。人間といっても、もちろん生者ではなく此岸での生を終えた魂魄だし、鬼や妖怪、神の使い――神使しんし等、人ならざる者も人と共に働き、彼岸で暮らしを営んでいた。

 そんな賑やかな街中をぶつくさ文句を呟きながら歩いていたら、後方から馴染みの顔が追い掛けて来たのだった。


「何や、かおる。今機嫌悪いんや、後にせえ」

「お昼奢ってあげるって言ってもかい?」

「お前、ほんま一番の親友やわ」


 掌返しあからさますぎない?と苦笑する優男は、下っ端時代から付き合いのある、友人というべき存在。名を斎藤薫という。

 背は高いものの色白で線の細い身体をした斎藤と並ぶと、一般的な成人男性の中では割と細身に見られる度会すら筋肉質に見えてしまう。そのくらい、この腐れ縁は肉がなさすぎる。

 まぁ、その原因は承知しているのだが。


「お前、極楽からこっち来ててええんか?」

「今日から暫く有給でね。修行の厳しさのあまり魂魄ごと消滅する奴は多いから。休める時に休めって」

「はー、神使修行はエラい大変そうやなぁ」


 彼岸といえば、死した魂魄がまず辿り着く場所である。そして、その先に極楽か地獄が待っている。冥府はこの二つの世界も管理下に置いているため、冥府の官吏の一部は獄卒や神使として各世界で働いていた。

 度会も斎藤も彼岸生まれではなく、一度は此岸を生きて死した人間だ。極楽から輪廻転生に入る前に霊力の高さを見出されたため、冥府の官吏に志願した経歴を持つ。

 人間である斎藤が極楽で神使になるには、修行を通じて魂魄に大きな負荷を掛け、神の眷属けんぞくに相応しい存在へと昇華しなければならない。よって、斎藤はげっそり痩せるくらい、めちゃくちゃキツい修行に日々明け暮れているのだった。


「そっちは長年恋い焦がれた姫巫女専従だろう? 羨ましい限りで」

「お前だって好き好んで極楽省に異動願い出したんやろが。羨ましがる理由がわからんわ」


 姫巫女専従。彼岸の管理をする冥府中央省の中でも、姫巫女に関する業務のみを担当する者のことをいう。

 現在、姫巫女専従は度会のみだが、時代によっては姫巫女を守護する専門部隊が編成されることもあったとか。


(お姫さんに近付けるのは俺だけでええわ)


 何せ、彼女は――


「あ。あの娘、見てみなよ。綺麗だねぇ」


 斎藤が宝飾店の店先で商品を眺める女性を目にして声を出した。

 こいつは女好きではなく、単に美しい存在が好きなタイプなので、こうして容姿を褒めても惚れている訳ではないし、口説く気も更々ない。だが、この気質を勘違いした女が、斎藤の優しげな容姿と穏やかな言動、仕上げに次々飛び出す褒め言葉にコロッとやられてしまって……なんてことは年中行事だ。

 斎藤と歩いていると、女達の視線が頻繁に突き刺さる。どんだけ見境なく声掛けたらこうなるんや、アホか。

 だが、斎藤の声に無意識に反応して、そちらへ目をやると度会は足を止めた。


「正宗?」

「何で、お姫さんがここにおるんや……」



 ***



 馴染み深い声がした気がして姫巫女が背後を振り返ると、度会ともう一人知らない男がいた。


「度会殿。こんなところで奇遇ですね」

「いやいやいや、そんな呑気に挨拶しとる場合か!? お姫さん、お社とお務めはどうしたんや!」


 姫巫女が街中にいることが信じられないのだろう。度会がかなり焦った様子で問い詰めてくる。

 姫巫女はさすがにムッとして唇を尖らせた。


「私にも休みくらいあります! そもそも、姫巫女たる私自身が要であって、社はただの家に過ぎません」

「そうだよ、正宗。今のは言い方がキツすぎる」


 度会の発言から娘が何者か察したのか、斎藤は動揺する度会を窘めつつ、人当たりの良い微笑みを浮かべて姫巫女に一礼した。


「友人の失言、お赦し頂きたい。そして、お初にお目にかかる、彼岸の姫巫女様」

「貴方は冥府の方ですね」


 姫巫女が見定めるように瞳を細めると、途端に浮世離れした雰囲気を纏う。普段どんな振る舞いをしようと、姫巫女は別格の存在であることがふとした瞬間に垣間見える。

 姫巫女の推測に、斎藤は鷹揚に頷いた。


「はい。冥府極楽省にて、神使見習いをしております。斎藤薫と申します。……姫巫女様のことは、どのようにお呼びすれば?」

「お好きなように。身近な者からは姫と呼ばれております」

「では、私も姫様と」


 にこにこ。にこにこ。

 あっという間に、友人と姫巫女の間に関係が構築される様を度会は渋い顔で眺めている。


「……ところで、正宗が姫様にお話があるそうで」

「え? そうだったんですか?」

「おい、薫おま」

「――今度夕飯でも奢ってくれよ」


 ポンポンと肩を叩かれて小さく発せられた言葉に、度会はまた渋面を浮かべるも、これは奢るしかなさそうだ。今日の昼飯を奢ってもらうはずが、今度夕飯を奢る話になってしまった。

 舌打ちしたいのを我慢して、空気を読んで去っていく友人の背に低く呟く。


「あんま高いモンはなしやぞ」


 聞こえているのかいないのか、それとも聞こえないふりか。手を振ってくる斎藤の背を見送って、度会は改めて姫巫女と向き合う。

 今日はいつもの巫女装束ではなく、淡い黄色の小袖に紺色の羽織を纏っていて、こういう格好をしていると、ただの町娘にしか見えない。とても、冥府の中でも重要な存在として保護の対象とされる者とは思えなかった。


「巫女装束以外の格好、初めて見たわ。かわええよ」

「っ……度会殿こそ、いつもと違うじゃないですか」


 そろそろ慣れてくるかと思いきや、何気ない発言にまだ動じるところが可愛くて仕方ない。だが、自分が褒められることよりも、姫巫女様はこちらの服装が気になっているらしい。ちらちらと窺うように、こちらを見てくる仕草がまた良かった。

 確かに、度会は姫巫女に会うときはきっちり和装で羽織を纏い、帯刀している。冥府に属する者が共通して纏う闇色の衣に袴、冥府中央省勤務の証たる深紫色の羽織だ。

 だが、今日はやる気の出ない会議のため、和装に着替えることを面倒臭がった。その結果、上着はいつもの深紫の羽織、だが、その下はグレーのワイシャツに黒のネクタイとスラックス、革靴という現代の格好だった。更には、ベルトに無理やり刀をぶっ差して帯刀している。

 冥府は意外にも服装規定が緩く、見た目よりも仕事の効率を重んじる傾向がある。しかし、度会は姫巫女に会うときだけは誠意を込めて、毎度官吏の正装をしていたのだった。


「言うても、お姫さんも着るやろ? こういうの」


 ワイシャツの襟を摘まんでみせれば、姫巫女は首を横に振った。


「いえ。買う機会がないので……」

「ほーん」


 度会は適当な返事をしつつ、これは今度此岸に連れ出すのもいいかと思案する。だが、今は先々の計画よりも。


「お姫さん気になってるの、これか?」

「え」


 店先に立っていた姫巫女がどの商品を見ていたかくらい、視線から当たりをつけていた。雪の結晶をモチーフにした髪飾りは、先日の戦闘で贈った氷の彼岸花を彷彿とさせた。


「あの花は氷やったから、すぐ融けてもうたしなぁ。これならずっとお姫さんに付けて貰えるわ」

「良いんです。見てただけなので」

「遠慮せんとき。――お姉さーん、これ貰うわ!」


 店の奥にいた売り子を呼んで、姫巫女が止める間もなく買ってしまった。

 そして、度会は売り子から受け取った髪飾りを手に姫巫女の背後に回った。下ろしている姫巫女の髪を器用に編んで、髪飾りが付けられるようにしていく。


「さっきはお姫さんのことも考えんと酷いこと言ってもうて、すまんかった。これはその詫びや」

「詫びにしては高すぎます! それに、度会殿が私の動向を気にされるのは職務に忠実な証拠。大人げなくムキになった私の方がよほど問題で」

「ええから。俺が贈りたいんや」


 剣術のせいかタコのある長い指で丁寧に髪を弄る度会にされるがまま。姫巫女は諦めて大人しくしていたのだが、ふと先程の斎藤の態度と度会のそれを比較して小首を傾げる。


「ああ、動かんといて。ズレるわ」

「そういえば、度会殿は何故私に敬語を使わないんですか?」

「――――嫌か?」


 髪に触れる手を止め、かなり間を置いてから問い返される。

 姫巫女は度会がここまで深刻に受け止めるとは思っておらず、慌てて首を振った。


「いえ。前任もこういう感じでしたので、敬語よりも今の方が良いです」

「ほうか。……あーあー、動くなっちゅーに」


 度会は文句を言いつつも、その声は深く安堵しているように聞こえた。

 姫巫女も度会に敬われたら、それはそれで辛いと気づく。何故かはわからない。けど、度会には、度会にだけは、こういう気安い言動をして欲しいと思った。


「……よし、これでええやろ」


 黒髪に純白の細工がキラキラと光る。左の横髪を編み込んで上手く髪飾りを付けたのだが、それだけでは心許ないので全体的にそれっぽく編み、持ち歩いている予備の結紐(無論未使用品である)で一つに束ねておいた。多分、これなら社に帰るまで崩れる心配はないだろう。


「髪編み込んできっちり差したさかい、落としたり崩れたりはせえへんと思うで」

「度会殿って器用ですよね」

「自分の髪、手入れせなあかんからな。自然と身に着いただけや」


 度会の髪は姫巫女のそれよりも長い。手入れを毎日していれば、扱いが上手くなるのは道理と言えた。

 少し乱れている箇所を整えてやっていると、姫巫女は心地良さそうに表情を緩めた。


「ありがとうございます」

「ええて。――そういや、綾芽ちゃんは今日どないしてん? まさか護衛なしか?」

「え、綾芽なら先程からそこにいますよ?」


 刹那、店の屋根の上から事態を見張っていた綾芽が度会の脳天に踵落としを喰らわせた。気配を完全に遮断していたらしく、さすがの度会も反応に遅れる。


「このっ、狼藉者が!」

「待て待てぇ! いきなり脳天直撃て、ここまでするか⁉」

「問答無用! 姫様を魔の手からお守りする!」


 天下の往来で蹴りかかる綾芽に、それを上手く躱して逃亡を図る度会。両者に殺気は皆無で、じゃれ合いに近いものではあるのだが。

 両者の必死さがどこか面白くて、姫巫女は度会が助けを求めて縋って来るまで、その様を笑って見守っていた。

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