天命と惚れた腫れたは切り離せ
土御門 響
姫巫女と冥府の官吏
執務室で淡々と書類仕事をこなしていく。冥府から提出を求められる書類は沢山あり、補佐役と分担しているといっても、やはり二人ではしんどいと思うこともある。
それに、だ。
「なぁ、お姫さんまだ終わらんの~? はよ終わらせて俺のこと構ってや」
先日、桜の咲く季節に姫巫女と冥府を繋ぐ連絡役に収まった、この官吏。前任者が目に重い病を得て隠居してしまったため、連絡役が数百年ぶりに変更となったのだ。
特徴的な口調と親しみやすい雰囲気から、最初は頻繁に接する相手だし気難しい人でなくて良かったと安堵したのも束の間、すぐに男に対する評価は一変する。
この男、連絡役就任の挨拶として姫巫女が暮らす
「昨日は堅苦しい挨拶しかできひんかったからなぁ。これから長い付き合いになるんやし、ちょっとお話しできたらええなぁと思てな。で、お姫さん、お名前は何ていうの?」
冥府で働く者は皆とても忙しく、わざわざ雑談のために時間を作った男のマメさに感心しつつも、姫巫女は少し申し訳なく思った。
姫巫女は生涯を共にする伴侶以外に名を明かさないことがしきたりだ。
故に、答えられぬと応じれば、男はにかっと人懐っこい笑みを浮かべて言ってのけた。
「ほな、俺がお姫さんの伴侶になればええっちゅう話やな」
どこがどう転がってそうなった。
姫巫女はずっこけそうになったし、そこまでして名を知りたいのかと呆れると同時に妙な感動すら覚え、補佐役に至っては、新任の連絡役は姫に接する者として不適格だと冥府に長文の抗議を即送り付けた。
だが、男は冥府の中でも群を抜いて有能な者らしく、他に姫巫女と接するに適切な人材がいないそうな。
この新たな連絡役、決して悪い人ではないし、話しやすく親しみやすい。ただ、唯一の問題として、特に仕事もないのにほぼ連日社に入り浸り、隙あらば姫巫女を口説き、手を出そうとしてくるのだった。
「お姫さん、手ェ止まっとるで」
物思いに耽るあまり筆を持つ手を止めていたらしい。座椅子の背もたれに寄りかかって気だるげにしながら書類の完成を待つ男に、姫巫女は居心地の悪さを覚えて呟いた。
「あの、完成するまでに暫く掛かりますから、一旦冥府にお戻りになって夕刻に出直された方が」
「いやいや。下手に向こうにおったら、軍事教練やら何やら余計な仕事押し付けられんねん。ここにおれば、健気に頑張るお姫さんの花の
「要するに、私はサボりの口実ですか」
渋面を浮かべてツッコミを入れながらも、姫巫女は男の発言の一端が引っ掛かっていた。冥府にいたら、軍事教練を押し付けられる。それは、軍事教練に参加しなければならないという意味ではなく、軍事教練の指導役をやらされるという意味に聞こえた。
(この男、本当に優秀な人材らしい)
冥府は彼岸の政府機関であり、政治から軍事までが一つの組織によって実行されている。姫巫女は冥府に属する者でありながらも、訳あって代々この三途の川の近くに建てられた社で暮らして責務を全うしていた。
ふと、男が開けられたままの障子戸の方に視線をやり、スッと瞳を細めた。外から見える景色は季節の花々が植えられた庭と社の周囲に築かれた塀くらいだ。
男の背しか見えない姫巫女は筆を持ったまま首を傾けた。
「どうしました?」
「姫。ここの結界、最大強度まで上げろ」
真剣な声音に、姫巫女は反射的に霊力を解放。両手で印を組んで、社を守護する結界の強度を引き上げた。
その手際の良さに、男は軽快に口笛を吹いて関心する。
「へぇ。手慣れたもんやな」
当然だ。社は彼岸と此岸の境に建っている。二つの世界の霊脈が交わり、ぶつかる、いわば力の吹き溜まり。霊力が満ちた地には、良いものだけでなく、悪しきものも引き寄せられる。
「お姫さんは、そこで待っとってな」
「え、何故ですか。私も行きます」
「ええて。お姫さん、俺が連絡役に決まるまで、毎回自力で襲撃防いどったんやろ? 今日くらいは休んどき」
「ですが!」
大人しく部屋で待っていてくれる性格ではないと男も察したらしい。仕方ないなぁと苦笑して立ち上がった。
「じゃ、補佐役の
***
補佐役である
「姫様!」
綾芽は二十代半ばくらいの見目麗しい女性で、キリッとした涼やかな印象の目元が特徴的な、いわゆる格好良い系の美女である。といっても、彼岸に留まって生きる者に外見の年齢を当てはめてはならない。綾芽は既に二百年は姫巫女に仕えているベテランの補佐役だ。
補佐役は姫巫女の護衛も兼ねるため、日常的に袴を身に着けて常に帯刀している。綾芽は刀の柄に手をやりながら、執務机に備えられた座椅子に座ったままの姫巫女に進言した。
「姫様、社の周辺に妖気が充満しております。すぐに迎撃を」
「その必要はあらへんで」
既に草履を履いて庭に降りていた官吏が場違いなのんびりとした口調で否定する。
「
「俺が就任するまでずーっと気張っとったお姫さんに、今日くらいゆっくり休んでもらおうと思っただけや。そんなカッカせんとき。美人が台無しやで」
「貴様からの評価など
「うわぁ、嫌われたもんやな」
綾芽の敵意を全く気にしていない様子で、ひょいと肩を竦める。
「ほな、ちょっと祓ってくるわ」
そう言って、まるで散歩でもしに行くかのような平然とした足取りで門から結界の外に出ていく。
姫巫女はハッとして綾芽の袖を引っ張った。
「私達はあの人の実力を知っておくべきだわ。今日は彼の言う通り結界の中から見守りましょう」
「っ……姫様の仰せのままに」
社を囲う塀の上は、姫巫女の築く結界の範囲内なので、綾芽は姫巫女を横抱きにして跳躍し、塀の上から戦闘を見届けることにした。
簡素な巫女装束に袿を一枚羽織っただけの姫巫女は、抱きかかえずとも良いといつも言うのだが、この補佐役かなりの過保護で、姫巫女自ら戦闘をしない限りこうして抱いて守ろうとする。なので、姫巫女は諦めて綾芽の腕の中から度会の戦闘を見ることになった。
周囲は既に妖気で包まれ、様々な妖怪や化生の群れに包囲されていた。
「こりゃ見事な百鬼夜行やな。数だけは一丁前や」
感心したように呟きながら、腰に差した刀の柄に手を掛ける。
「……そんなにお姫さんが喰いたいか、お前ら」
姫巫女の肉体は霊力の塊も同然。悪しきものにとっては、取り込みたくて仕方ない御馳走と言える。
「悪いけど、お前らにお姫さん喰わせるわけにはいかんのや」
度会の瞳に憧憬のような、どこか儚げな色が一瞬だけ浮かぶ。しかし、すぐにそれは消え、ニヤリと不敵な笑みに切り替わった。
「さて、お姫さんに見損なわれんよう、ちゃーんと仕事せな」
鯉口を切って抜刀。それに合わせて刀身だけでなく、肉体からも霊力が爆発した。社の建屋がその衝撃に煽られてギシギシと嫌な音を立てるも、姫巫女が臨機応変に結界を調整して防ぐ。
「あの男、あれだけの霊力を全く気取らせなかっただと……!」
綾芽が茫然とする気持ちはよくわかる。衝撃波を生むほどの強い霊力を持っていて、それを他人に気取らせないというのはとても高度な技術がなければ不可能。
度会は自分の実力を抜刀するこの瞬間まで、隠し通していたということになる。能ある鷹は爪を隠すというが、それにしても桁違いの強さだった。
「普段の勤務態度はともかく、姫様の連絡役に選ばれた理由は納得できますね……」
「そうね……」
二人が塀の上で感心しているのを聞いて、今までどんだけ評価が地の底だったんやと度会は苦笑を零す。まあ、それは二度目の対面で盛大にやらかしたせいであり、自業自得なのだが。
その時、百鬼夜行の殺気が度会に集中した。攻勢に出る前兆に、度会は溜息をつく。
「何や。もうおっ始める気か? 気ィの短い連中やな。このピリついた空気、ちったぁ味わえっちゅーの」
そう言うと、度会は刀を右腕だけで振るった。斬撃に霊力を込めて無造作に放っただけだが、それだけで百鬼夜行の六割程が消滅する。
度会は敵のあまりの弱さに呆れて、口角をへの字に下げた。
「はー、やっぱ数だけやな」
そして、塀の上から見守る女性陣を振り返り、ニヤッと含みのある笑みを浮かべる。
「これなら少しは芸のあるやり方も出来そうやな」
霊力を刀に込めて循環させる。
「さて、気に入って頂けるかどうか……」
刀身の温度が急速に冷えると同時に、旋風が度会の周辺に発生する。
「
氷と風の刃が刀身から溢れ出し、度会が剣舞のように刀を振るうたびに、周囲の敵を殲滅していく。
「さ、これで終いや」
最後の一体を直接斬り伏せると、周囲には氷原が出来上がり、氷で出来た花々が咲き誇っていた。春夏秋冬、四季の様々な花が生成されていて、自然界では決して見られない幻想的な光景だ。
「お姫さーん、これどうやー? 気に入ってくれたか〜?」
確かに、とても美しい景色である。姫巫女は呆気に取られていて抱く力を緩めていた綾芽の腕から抜け出して、度会の元に駆け寄った。氷原の上は冬のように寒く、吐く息が白く染まる。姫巫女は上に羽織っている袿の胸元を思わず掻き寄せた。
「度会殿……!」
「何や何や。お疲れ様のハグとかしてくれんの?」
「そ、そんなことしません! ……ですが」
姫巫女の手に握られているものと、
「あ、もしかして解けた
「はい。衝撃波と一緒に飛んできたので咄嗟に掴んで……」
「おおきにな。霊力解放すると、いつも勢いで吹っ飛ばしてまうねん。捕まえてくれて助かったわ」
結紐を受け取ろうと度会が手を出すも、姫巫女は手の中の結紐をじっと見つめて動かない。
「お姫さん? どないした?」
「……あの、不快でなければ私が結っても構いませんか?」
度会の髪はクセがなく真っ直ぐで、なんと長さは腰まである。髪には霊力が宿るというから、冥府に勤める者なら男でも髪を伸ばすことが多いものの、ここまで伸ばす事例は稀だろう。
この長さと量の髪を結うのは、戦闘後なら特に面倒なはずだ。
だから、せめて感謝の気持ちとして、結いたいと。姫巫女はそう言っている。
度会は姫巫女の思わぬ提案に目を丸くしたが、嬉しそうに目を細めて応じた。
「お姫さんに結ってもらえるなんて光栄やなぁ。ほな、頼むわ」
そう言って、氷原の上に躊躇いなく胡坐をかいた。
「……ここじゃ冷たくありませんか?」
「かまへん、かまへん。ここで頼むわ」
しんと冷たい氷の野原。季節はそろそろ夏になるというのに、度会の霊力で冷え切った気温は、まだ元に戻る気配が見られない。
姫巫女も氷原に膝をついて度会の髪に触れる。緋袴越しに氷の冷たさが忍び込んできたが、慣れぬことをしようとする緊張でさして気にならない。
丁寧に手入れをしているのか、目の前の長髪は艶やかで切れ毛も枝毛もなかった。姫巫女は懐から櫛を取り出して、戦闘で乱れた髪を梳いていく。
「……お姫さん、俺のこと嫌いじゃなかったん?」
「え?」
思わぬ問いに姫巫女は瞬きした。
「初めて会ってからまだそんな時間経ってへんのに馴れ馴れしいって、てっきり嫌われてるかと思てたわ」
「何故? 度会殿は確かに軽薄な振る舞いが目立ちますが、優秀で善い官吏ではありませんか。嫌う理由などありませんよ」
くすくす笑って項で髪を一つに結うと、姫巫女は満足げに頷いた。
「できました」
「おおきに。……お姫さん」
度会は礼を口にしながら手頃な位置に咲いていた氷花を一輪手折った。
「彼岸の花と言えば、これやろ」
耳元辺りの髪に差してやれば、冷たさに驚いたのか姫巫女がピクリと身動ぎする。
「これは……」
「彼岸花やな」
姫巫女が礼を口にする前に、度会は柔らかく目を細めて呟いた。
「よう似合てる」
その瞳の色が酷く優しくて。
姫巫女は自分の鼓動が速くなるのを感じた。
「っ……ありがとう、ございます」
両手で羽織っている袿の胸元を掻き寄せて、懸命に動揺を隠そうとしているようだが、顔に全部出ていた。度会はそんな姫巫女の様子を微笑んで見守っている。
そして、姫巫女には聞こえないよう、小さく口の中で零した。
「ほんま、かわええなぁ」
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