8、たくさんの初めて
今日三月九日私の家には週に一回家事代行の毱さんがいる…のだが、
「ふんふふ〜ん♪ふんふん♫ふふ〜ん♬」
鼻歌を歌いながら掃除、洗濯、料理と、普段の1、5倍という凄まじいペースで家事をしている。
「毱さん今日はとても機嫌が良さそうですね。鼻歌も歌ってますし」
「えっ!?声に出てましたか…恥ずかしいです…実は中学校を卒業したので正式に採用される事になったんです!それがとっても嬉しくてですね、じっとするのが難しくて…」
「おめでとうございます。これで一人前ですね」
「はい!これからももっともっと精進して白神さんの役に立てるように頑張ります!」
「いや、私のためだけに頑張ってどうするんですか。何もいいことなんてありませんよ」
「そんなことないです!私は白神さんの担当になれて本当に良かったと思ってます。洗濯も、お掃除も、料理も白神さんの為ならって思うと、どんどんと力が湧いてきてなんでもできるって感じになるんです。私白神さんの頼みならなんだってやります!やり遂げて見せます!」
「なんでもは言い過ぎです。そんなこと言ってると悪い人にいいように利用されてしまいますよ」
なんだか毱さんがとても危ない考えになってきている気がする。目も何かに取り憑かれたみたいにギラギラしてるし。
「私見る目はある方なので問題ないです!あっ!お洗濯が終わったみたいなので干してきますね〜」
やっぱりおかしい。正式採用されたからってこの機嫌の良さは理解できない。今日はどうしたんだろうか。
「ふんふんふふ〜ん♪」
今度は雑巾で窓のサッシを拭き始めたし、やっぱりおかしい。ストレスが溜まっているんじゃないだろうか。
「あの、毱さん。大丈夫ですか。疲れてるなら今日はもう帰ってもらっても大丈夫ですよ」
「いえいえ!大丈夫です!疲れてもないですし体調が悪いわけでもありません!むしろ絶好調です!」
「そ、そうですかならいいんですけど…」
毱さんが何もないというなら私が関与するものではないのだろう。なら作業の邪魔をしないように自分の部屋にこもっていた方が良さそうだ。
「どーん」
自室にある成人男性であろうと十分に横になれる巨大な人をダメにするクッションに飛び込む。「ぽふっ」という軽い音がすると同時に私の体はどこまでも沈んでいきそうな柔らかいクッションに私の意識も飲み込まれていった。
「白神さーん!ちょっといいですかー!」
毱さんの元気のいい声で私は目覚めた。一時間くらい眠っていただろうか。まだぼやっとしている頭を振り自分の部屋から出る。
「白神さん!お誕生日おめでとうございます!」
「え?は?え?」
扉を開けた瞬間毱さんの声が聞こえるとともに、鮮やかに彩られたリビングが目に飛び込んできた。
「白神さん今日誕生日ですよね!なので特別な夜ご飯とケーキを作りました!クラッカーを準備しようとしたんですけど、白神さんが大きい音が苦手だったら駄目だなーと思ってその代わりに飾り付けをしてみました。あ、片付けは心配しないでください。全部一繋ぎになってるので散らかりませんし、短時間で済みます!」
「あの、毱さん…」
「はい!なんですか!」
「これだけ用意してもらってて申し訳ないんだけど、私今日誕生日じゃないです」
「え?あのえっとそうだったんですね…前に来た時にカレンダーに丸が書いてあったので早とちりしてしまってすみません…は、恥ずかしい!じゃあカレンダーにある丸は?」
「宅配が届くっていう印です…あの、勘違いさせるようなもの書いてすみません…でも誕生日近かったのでありがたくいただきます」
「お気遣いありがとうございます…ちなみに誕生日をお伺いしても?」
「2月28日です」
「もう終わってるじゃないですかぁ!」
「う…ほら!夜ご飯食べましょう!とても美味しそうですし!」
「はい…盛り付けてきますね…」
まずい。毱さんがとても落ち込んでしまった。これは緊急事態だ。このままではメンタルに傷を負った彼女が家事代行を辞めてしまう可能性がある。次がどんな人かわからない以上ここで彼女を失うのは非常に惜しい。どうにかして元気になってもらえないだろうか。
「毱さん。この鶏肉のすっぱ煮とても美味しいです。こっちのカレーピラフも、コンソメスープも野菜の旨味が凝縮されていて最高です」
「ほんとですか?一人で勝手に舞い上がった女の料理ですよ」
「そんなこと関係ありません。毱さんの料理には心がこもっていてとても暖かいです。なので自信を持ってください。弱っている毱さんを見るのはなんだか寂しいです」
「白神さん…!ふふ、ありがとうございます。少し元気が出てきました。やっぱり白神さんは優しいですね」
「優しい?私が?」
よくわからない。私は酷く冷たい人間だ。口先では心配しているようなことを言いながら、心の奥底では何も感じていない。どうでもいいと思っているのだ。結局私は自分以外を見下している傲慢でどうしようもない人間なのだ。
「はい。白神さんは優しいです。とても。今日だって様子のおかしい私を気にかけたり、掃除が苦手なのに普段から私が掃除しやすいようにひとまとめにしてくれているじゃないですか。あとは、自分がキッチンを使っても私が料理するときに困らないよう調味料の順番をそのままにしてくれていたり、分ける必要のある服はちゃんと分けていてくれますし、作業を終えた後にお茶を入れてくれたりしてくれるじゃないですか」
「も、もうやめて。恥ずかしいから」
私に対する評価が完全におかしい。何も考えず生活してるだけなのに。
「でも、だからこそ私はちょっと悲しいんです。白神さんはいつも一定の距離を置いていて必要以上に関わりを持ってくれないのが寂しくて、私はもっと白神さんのことを知りたいんです!だから、私とお友達になってください!」
そう言い切った彼女の目は真剣で目が眩むような情熱を帯びていた。そんな眼に私の心は溶かされた。ちょろい人間である。
拒絶されるのが怖くて、繋がりを絶って生きてきたのに、こんなにも簡単に絆されている。独りが好きだと言いながら心の奥底では温もりを求めていたのかもしれない。
私は自分のために生きると決めている。そして自分自身が繋がりを欲しているなら私の出す結果は
「こちらこそよろしくお願いします。毱さん」
「愛美って呼んでください!あと、私も氷華さんって呼んでもいいですか?」
「じゃあ愛美さんで。その代わり私も敬語やめるから愛美さんも敬語やめてくれない?」
「わ、わかりました。じゃなくてわかった。ふふふ、一気に距離が詰まったようでとっても嬉しいな♪もう料理冷めちゃってるね。温め直してくるね」
「これが友達…なんかいいな…」
温め直した夜ご飯を食べ、デザートのケーキを愛美さんが持ってきた。
「じゃーん!どうですか?結構上手にできたんです!」
自慢げにケーキを見せる愛美さんは、まだ慣れていないのか敬語が入り混じっている。
「おおーすごい。綺麗で美味しそう」
「後で写真送るね〜ってまだ氷華さんの連絡先知らなかった…教えてもらってもいい?」
「うん、いいよ。はいこれ」
私の真っ白な連絡先に愛美さんの名前が登録される。これが初めての友達の連絡先。今日は初めてのことがいっぱいでとても楽しい。
ケーキを食べ終えまったりしていると愛美さんが席を立った。
「もう帰らなくちゃ〜じゃあまたね〜あ、そうだ一つお願いがあるんだけど、今度の登校日一緒に行かない?」
「え、うん」
「やった!楽しみにしてるね!」
愛美さんのお願いが予想外で固まっているうちに愛美さんは
家を出ていった。
「え?行くの?本当に?愛美さんと学校に?」
たっぷり一分放心した後、私はぎこちない動きでお風呂場に向かった。
お風呂から上がって寝ようとベットに転がっていると一通のRain《レイン》が届いた。
―――――――――――――――――――――――
愛美
おやすみなさい。
氷華
おやすみなさい。
―――――――――――――――――――――――
「ふふ、友達ってこんなやりとりをいっぱいするのかな。そうならすごく楽しいんだろうな」
これからの未来を想像しながら氷華は穏やかな気持ちで眠りについた。
人嫌いな引きこもり少女はVの世界に一歩踏み出す 泡月響怜 @Laplace_
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