第六話 天谷の闇 其の二十三

 中山はスーツの内ポケットにあるものを取り出そうとした。


 忠陽はその動き見て、呪力を高め、手から放とうとした。


 不意にその手を掴み上げられた。忠陽はゆっくり掴み上げられた手を見ると、不敵な笑みを浮かべたサングラスの男が居た。


「先生……」


「それは君の仕事やない」


 忠陽は呪力を治め、脱力し、膝を足に付けた。


「おお、急に倒れんなや」


「すいません。なんだか、力が抜けて」


「立てるか?」


「はい」


 伏見は忠陽を大地と朝子の元へと連れていった。


「ボン、さっきのは何だったんだ? 急に現れたかと思ったら、また消えて!」


「えっと……」


「それより、はよ逃げや。まだここ安全やない」


「分かってるけど、俺、足がやられちまってさ」


「戦うからや。暗示をかけてやったのに我が強いやっちゃな。忠陽くん、ハンカチあるか?」


「はい、あります。これ」


 伏見は忠陽からハンカチを受け取ると、悪いなと言いながらハンカチを破り始めた。ハンカチを9分ぐらい破いた後、大地の太もも強く縛った。


「これで一応血は止まるはずや。はよ、病院に連れて行き」


 その手際も然る事ながら、三人は思っていた。それを朝子が口にした。


「暗示て何よ?」


「そないなことどうでもええやろ。はよ、行きや」


「どうでも良くないわよ! 教えなさい!」


「俺が……教えて…やるよ」


 中山が口を開いていた。


「そいつはな…言霊が使えるんだ」


「言霊?」


 中山は小さなケースから注射器を取り出し、自分に刺し、内液を注いだ。


「ああ……。人を操るのさ……自分の思い通りに」


「君たち、はよ逃げえ」


「何言ってのよ!」


「へへ、そこのクソガキに……俺を殺させなかったのは……間違えだったなー」


 中山は空高らかに笑う。


「どうしたんだ? あいつ、可笑しくなったのか?」


「ええから、はよ逃げ言うてんのや!」


 伏見に怒った口調に三人は怯んだ。


「よう、センコー。もち、ものぉ、けんざ、は、じがぃしだでぃどばぁーーー!!」


 中山は一瞬にして肉体が膨れ上がり、人間とは呼べない化け物に変わってしまった。


「なんだ!? あれは….」


 大地はそれ以上言葉にはならなかった。朝子はその場にへたり込んだ。忠陽は呆然と見ていた。


「立て、そして逃げろ!」


 伏見のその言葉に三人はハッとなり、中山だった化け物から逃げ始めた。大地は片足を上手く使えず、走って逃げられないのを見て、忠陽は肩を貸す。


 その間に伏見は容赦なく雷撃で化け物を貫くも、化け物は言葉にできない叫びを放つだけで、効いていないようだった。


「なんや、こいつ? ホンマモンの化け物か!」


 伏見は忠陽たちが逃げる時間を作るため、あえて三人から遠ざかる動きを取りながら攻撃を加えた。化け物はその攻撃をものともせず、三人を追う。


 伏見は三人を守りながら逃げることにしたが、雷撃はもう効かず、逆に吸収し始めた。化け物は笑いとも取れる下卑た音が木霊した。


「先生!」


「はよ、逃げ!」


「でも!」


「でもやない! あいつ呪術を吸収するようになっとる!」


 伏見は風の刃を作り出し、化け物を切り裂くも、切り裂いた物体を直ぐに結合し始めた。攻撃を喰らうたび、周りの建物を喰らうたび、化け物は体を大きくし、その大きさは五メートルとなろうとしていた。


「何だよ、あの化け物….」


「振り向くな! 前だけ見て、逃げや」


 忠陽にも伏見の焦りが手に取るようにわかった。


 その中で弦音が遠くから響いた。海に響き渡ると同時に辺りは浄められていき、夜の暗闇を青く染め上げるかのようだった。


「真打ち登場や」


 伏見の言葉の後、無数の光の矢が降り注いだ。化け物はその矢が刺さり、苦しみの叫びを上げていた。


 矢で苦しんでいる化け物の前に、ふっと、黒い服を着た男が現れた。


「遅すぎやで」


「あら、そう? こんな化け物程度に焦りすぎじゃないの?」


 忠陽達の後ろからゆっくりと歩く、夜にでも金色に輝く髪と、蒼白い素肌が特徴的な女魔導師が現れた


「何言うてんですか? 僕は化け物退治は専門外ですよ」


「あなた、六道の中でも優秀な方なんでしょ? 聞いて呆れるわ」


「僕の専門は噓とはったりと小技の応酬ですから」


「あなた、その傷を見せなさい」


 大地はエリザに言われ、黙って素直に従った。


 エリザは治癒魔術を始めた。その姿に大地は見とれていた。女性としての魅力を感じ、心の中で恋い焦がれてしまった。その姿を見て、エリザは杖で大地の頭を叩いた。


「気を確かに持ちなさい。弱っているからといって、魔力防御を疎かにしてはダメよ」


 大地は不思議そうにはいと返事をした。


「坊や」


 神無は黙って、二本の刀を抜き、両手に持った。


 化け物は無理矢理に無数の矢を引き抜き、神無に襲いかかる。


「業炎」


 神無が言葉を発すると、体が全身から呪力が沸き立つのが見えた。それは、無色透明と言ってもよければ、ふいに七色にも煌めくように燃え上がっていた。


 神無は構え、化け物の体の一部を槍のようにして突く攻撃を切り裂いていく。切り裂いた物体は無色のまま燃え上がり、消滅していった。


「一体、何が起こってるの?」


 朝子は目を疑っていた。


「炎だ。あいつは炎を身に纏ってる」


 大地はそう呟いた。


「貴方には、あれが炎に見えるのね。火属性の素養があるみたいね」


 エリザは治療を終え、忠陽の前と出た。


「忠陽、下がってなさい。ただの火遊びじゃないわ。触れるとあなたを燃やし尽くすわ」


 忠陽は大人しく下がった。だが、神無は戦う姿はまるで舞のように美しく、そして、時折煌めく虹色か無色透明か分からない炎に触れてみたいと考えてしまう。


 化け物の体は、神無の切り裂いた所から徐々に焼けただれ始めていた。それを何度も繰り返しているうちに化け物は神無が付けた切り口の前から肉体を切り離して始めた。


「素体の頭が良いのかしら…..」


「エリザ様、あの化け物は何か知ってるんですか?」


 伏見は神無の戦いを見ながら聞いた。


「妖魔の群生体よ」


「なんで、そんなものがここに……」


「まぁ、出所は分からないではないわ。それにもう一体いるみたいよ。たぶん、それが本体」


「じゃあ、あれ分体ってことですか?」


「正確にいえば、株分けかしら? 分離株かしら?」


「どっちでもええですよ!」


 化物は自身の触手を鋭い動きで攻撃をし始める。


 神無は触手に怯むこともなく、更に触手を斬り続ける。


 触手は途中で枝分かれをし始め、次第に神無を囲むような球体状の網を作り始めた。


 その球体が完成すると、神無を一気に押しつぶそうと球体を収縮する。


 忠陽はその光景に目をそむけた。


「灰燼ッ!」


 神無が言葉を発すると、触手でできた球体の中から急に発光し、爆発し始めた。


 球体の網はその爆発で消し炭となり、化物は触手を引き始めた。


 神無も一旦距離を取る。


「坊や、時間を掛けてはダメよ。また再生を始めるわ。一気に消し去りなさい」


 忠陽はその言葉を聞いて無理だと思った。大きさが優位に五メートルを超える化け物を一気に消し去るなんて。


 神無は刀をしまい、人差し指と中指伸ばし、手を敵に向け、振り下ろした。


 すると、一本の柱が化け物を中心を突き刺し、その中心から六角形のように柱が次々に突き刺さり、化け物の全身に光を帯びた。


 化け物のさっきまでとは打って変わって動き鈍くなり、攻撃をしなくなっていた。


 神無はどこからともなく、光の弓と矢を生成し、化物を見る。


 化物を見据えると矢を弓に掛け始めた。その弓構えから忠陽は由美子を連想させた。


「辰巳、私の後ろに居なさい」


 エリザの指示に、伏見は大人しく従っていた。


 神無の洗練された弓を引く姿に忠陽は息を飲む。その所作は美しく、見るものを虜にする。先の剣戟もそうだが、華やかがあるというわけではない。素朴で一つ一つの動きが芸術のようだった。


 引分けから会に入った際、ちょうど弓と矢、人が一つの形となった姿は一枚の絵に成った。神無が見据えているのは化物。言葉を出さず、その機を伺う。弓を張る音が小さく成っていたが、それを微塵とも感じさせず、微動だにしない神無の会だった。


 化物は徐々にその動きを活性化させ、柱を一つずつつ砕いていった。ひとつ壊れると、動きはさらに活性化し、その触手を神無に伸ばし、さらにひとつ壊れると、神無との距離を縮める。


 忠陽は息を飲む。それでも神無の顔を表情一つ変わらない。


 化物が最後の柱を壊した瞬間、その反動で爆発したような化物の全身が神無を襲おうとする。


 そのとき、弓から矢は放たれ、弦音が聞こえた。


 古来より弦音は悪魔を打ち破ると信じられてきた。それを信じられるほど辺りは一体の魔は消え去り、すべてを浄化する。浄化は島全体を包み込み、極楽浄土、絢爛豊かな景色を覗かせた。


 そのたった一音、それが無窮の彼方まで響き渡る。


 一瞬で、矢は化け物を貫き、空洞を作り出した。空洞から見える景色は言葉でも、文字でも表せない澄み渡った不浄の世界を描いていた。そこにすうっと心の中にそよ風が舞い込み、穏やかにさせる。


 それを誰もが永遠に感じ、清らかな、静かな時間が訪れたかに思えた。


 そうかと思うと、急激に空洞は穴を埋めるかのように捻り始めた。捻れは風を呼び込む。風は神風かみかぜのようにすべてを切り裂き、荒れ狂った。次第に風はそこにあったものをすべてを飲み込み始める。化物の悲痛な叫びはなく、痛みがあったかさえもわからないほど一瞬にすべてを無にしてしまった。


 風が止むと、神無が放った矢の軌道上にあったはずの建物はなくなり、数キロ先まで海を割っていた。


 すべてが無に帰した。


 その事実を目の当たりにして、忠陽は理解が追いつかなかった。ただ、神無の残身を見て、膝が崩れ落ち、地につき、頬に涙が流れた。


 一瞬の出来事だった。ただ、神無は弓から矢を放った。たったそれだけが、忠陽、大地、朝子の三人の中では一瞬の出来事ではなく、数時間以上の体験が凝縮されたように思えた。言葉で表すことができない。レベルの差とかそういう次元ではなく、その技が、その光景が心に焼き付いていた。


「こんなん……」


 大地はそれ以上の言葉を出さず、口を噤んだ。


「餅は餅屋、やな」


「あなたね……」


 エリザは伏見を睨む。


「そんなことより、はよ、ここから離れましょ。野次馬が集まってきます」


「分かってるわ。坊や」


 神無は残身を解き、弓を霧散させた。


「彼らは、僕が病院に連れて行きます。集合場所はMで」


「わかったわ」


 そう言うと、神無たちは一瞬にして消えた。


 伏見は更地となった倉庫街の一画を見て、頭を搔いていた。


「やりすぎや……。どない報告せいちゅーねん」


 伏見は忠陽達の元へと歩いた。


「今日は大変な一日やったな、お互いに」


 伏見の言葉は三人には入っていなかった。呆然と何もない空間をずっと見ていた。


 伏見は柏手かしわでを打つ。それでやっと三人は意識を伏見に向けた。


「ほな、皆で病院に行こうか?」

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