第六話 天谷の闇 其の二十壱

 忠陽は自ら呼ぶ声に気づく。声は闇の奥から聞こえた。闇に光が二度起きた。


 声はどんどん近くなってきた。忠陽は男の声だと分かった。男の声は聞いたことがある。そうだ。


 その時に鉄骨の薄暗い景色が見えてきた。


「遅い寝起きで……」


 不敵な笑みを浮かべる男を忠陽は知っている。


「先生……」


「体は大丈夫か?」


 体を起こそうとすると、腹部に痛みを感じた。体がうまく起こせない。忠陽は、背中で手首を縄で縛られているのにようやく気づいた。


「僕は……」


 朧気な意識が明瞭になってきた時に大地や朝子を思い出す。


「大地くんは! えーっと、SMさんは?」


「SMさんって誰やねん」


 伏見は笑っていた。


「えっと、この前学戦で戦った……」


「落ち着けや。二人は無事やで」


 忠陽はそれを聞いて大きな息を這いた。


「まぁ、それはさて置き、この状況になってるのは納得いく理由があるんやろうな?」


 忠陽は思わず声を発した。


「いや、その……」


 伏見は溜め息をつく。


「もうええわ。藤くんが先走って話したのも悪いしな。だけど、君にはもっと別な罰を与えんと、こりへんみたいやし」


 忠陽は黙っていた。


「まぁ、固いこと言うなよ、グラサン先生。次は気をつけるよ」


 忠陽の隣で背で手首を縄で縛られて、悪態を吐く大地がいた。忠陽はそれを見て、安心した。その隣には同じく縄で縛られた朝子がいた。


「気をつける? 何言うとんねん。次は君ら全員退学の上、皇国陸軍に放り込んで、武器を持たせず、最前線に飛ばしたるわ」


「なんで最前線なんだ?」


 朝子は鼻で笑っていた。


「死ねってことよ。それくらい分からないの?」


「あん? 喧嘩売ってんのか?」


「ようわかっとらんようやな。君ら、本当は死んでたんや」


 大地と朝子はどこがと口を揃えて答えた。


「たまたま敵が見逃してくれただけで、あの男は君らを殺すことができた。それは自分たちがよく分かってるばず、やけどな」


 三人は口をつぐんで、思い思いの方向を見ていた。


「力自慢のクソガキたちが、自分の力だけを頼りにして、格上の相手に勝てるわけないやろ」


「俺とボンは良いコンビだったけど、コイツのせいでー」


「なんや。勝てへんかったら、他人のせいか?」


 朝子は鼻で笑っていた。


「君も君やで朝子君。忠陽くんの件で、自分が井の中の蛙って分かったやないか? 君みたいな身体能力はどこにでも居るで」


 朝子はむっすとした顔をした。


「忠陽くんは僕との約束を忘れてたみたいやしな」


「すいません」


「じゃあ、グラサン先生だったらどうすんだよ……」


 大地は悔しそうに聞いた。


「僕か? 君たちの能力やったら、逃げの一択や」


「そんなの男じゃねぇ!」


「命に代えられるものはあるんか?」


 三人はまた黙ってしまった。


「捨て身はな、仲間を生かすための最後の手段や。命がある限り、最後まで足掻いて生きろ。プライドなんか捨ててしまえ! そして、常に冷静でいるや。片腕がなくなっても、片目が見えなくなっても、仲間が死んだとしても、冷静に生き残る手段を探すんや。……そうすれば、君らと出会える」


 伏見は最後に笑っていた。


 伏見は順々に縄を呪術で切っていった。全員が立ち上がると伏見は不敵な笑みに戻っていた。


「まだ、言いたいことは山ほどあるけど、無粋な奴がおるさかい。ささっと、ここから逃げや」


 忠陽たちは辺りを見回す。伏見の後ろの方から青い仮面に、黒のスーツ姿の青いスカーフを首に巻いた男が、影から現れた。


「なんだあのヘンテコ忍者」


 大地は口走っていた。


「先生!」


「大丈夫や。それよりさっき言ったこと忘れてないやろな?」


「わぁってるよ。ボン、ここは逃げるぞ!」


 忠陽は頷き、朝子を見る。朝子は黙って出口へと走り出した。忠陽達はその後を追った。


 その時にちょうど爆発音が鳴り響く。


「なんや、神無達は意外に派手にやってるやない」


 青影は背中にある忍者刀に手をかける。


 伏見はその行動の不自然に気づいた。


「そうか。お前の狙いは僕の足止めか……」


 伏見は片腕から濃密な呪力を放出する。


「ささっと終わらせよか」


 伏見の殺気に青影の忍者刀を握る手の力が増した。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーー


 忠陽達は外に出ると爆炎が立ち上がり、その衝撃波が忠陽達の元へと届く。


「なに、あの爆発?」


 朝子が声を漏らす。


 忠陽は当たりを見回す。近くに神無とエリザの姿はないのを確認して、その爆発が二人が戦っていると直感した。


「あの爆発から遠ざかって逃げよう」


「ボン、あの爆発がなんだか分かるのか?」


「たぶん、伏見先生の知り合いの人」


 大地は爆発を見ながら感嘆していた。


「大地くん! 速く!」


 大地は爆発の方を見るのを辞め、走り出した。


 倉庫街の路地は徐々に橙から青色に変わっていき、電灯の色が点々とし始めていた。


 忠陽達は爆心地から遠ざかるために海側に出た。海は暗く、すべてを飲み込む怪物の口のように見え、忠陽は立ち止まってしまった。


「なにやってんだよ、ボン!」


 大地は足を止め、忠陽に近づき、肩に手を置く。


 海の奥から出てきたように足音がした。足音は段々と近づき、朝子は鉄鞭を取り出した。倉庫街の出口の方の暗闇から、白いスーツを着た男が電灯に照らされ現れる。


「よう、ガキども」


「へっ、オッサン。暇してんのか?」


 三人は相手との距離を取り始めた。


「まぁな。とあるセンコーを待ってたんだが、どうやら無視されたらしい」


「そいつは残念だ」


「伏見って、男に会ったんだろ? どこだ?」


「さっき、爆発した所だよ」


「うんなわけねぇだろ。アイツはそんな派手な真似はしない。お前らを助けたようにコソコソやるの方だ」


 忠陽は冷静に確かにと思った。


「まぁ、ここに居る奴らは皆忙しいみたいだしな。ちょうどいい。俺の相手をしろよ。今度は殺してやる!」


 中山はナイフを抜き、構えた。


「大地くん」


「分かってるよ! おい、クソ女!」


「あんた、死ねばいいのに」


「二人とも喧嘩してる場合じゃないよ!」


 中山はジリジリと足を進める。その一方で忠陽たちはそれを見ながら後退する。


 大地は炎を手に出した。中山はそれを見て、足を止める。


 その瞬間、大地は中山との間に炎を燃え上がらせ、壁を作った。


「今だ! ずらかるぞ!」


 三人は全速力で逃げ出した。


 炎の壁で前に進めない中山は舌打ちをした。


「あのガキどもさっきの戦い方とは全然違うぞ......」


 中山の頭で浮かんだのが伏見の顔だった。奥歯を強く噛んだ。中山は引き返し、三人を追った。


 忠陽達は路地をクネクネと曲がりながら倉庫街の入り口を目指していた。だが、大地が足を止める。それに気づき、二人も足を止めた。


「大地くん、どうしたの?」


 大地は下を向き、肩を上下に動かしていた。


「あー、止めだ。これ以上逃げてもダメだ。どうせ、出口て待ってるよ」


「大地くん、諦めたらダメだよ!」


 忠陽は大地に近づいた。


「だから、お前はボンボンなんだよ。いいか、アイツが出口で待ち構えていたら、どうすんだよ? だったら、体力を減らすより、ここで待って、戦った方がマシだ」


「時間を稼げば、先生たちが助けに来てくれるよ」


「いつだよ!?」


 忠陽は口を噤んだ。


「希望的な話はいらねぇ。現実的に助かる方法を取るんだよ」


 忠陽達の中だけで音が消えたかのようになった。忠陽はその中でも生きる方法を考える。


「そうね、あなたがそう思うなら、そうすれば」


 朝子はあっさりとその場を離れた。忠陽は朝子に手を伸ばしたが、姿は暗闇に消えていった。


「行けよ、ボン。俺はここで戦う……」


 そうやって、忠陽の肩を叩く。忠陽は大地の顔を見た。優しい微笑みに真っ直ぐな眼、覚悟を決めた漢の眼差しだった。


 大地は忠陽の背中を押す。


「典子に宜しくな」


 忠陽は黙って、前へと走り出した。

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