第六話 天谷の闇 其の十九

 次の日の夜、忠陽達は郊外を歩いていると、白い上下スーツの男が忠陽の進路上に立っていた。


「よう、俺のことを探してるみたいじゃないか?」


 忠陽たちは立ち止まり、距離を取った。


 目の前に居る男は強い。それはこの男から発せられる空気で二人は分かった。


「何とか言ったらどうだ? そこの女!」


 中山が問いかけていたのは、忠陽達の後ろにいる朝子に対してだった。


 朝子は忠陽よりも前に出た。


「翼志館の美憂って、女の子を知ってる?」


「知らないなぁ」


 そう言うと、中山は一瞬にして嘲笑しながら、付け加えた。


「そういや、この前に甚振いたぶった女が翼志館だったな」


 朝子は一瞬にして、憤怒し、鉄鞭を抜き払った。


 中山はナイフを取り出し、簡単に受け流しと、同時に蹴りを朝子の体に入れていた。


 朝子が痛みに喘いでいる時に中山は笑う。相手が悶絶するほどその感触と快感を味わっていた。


 それに水を差すかのように風が中山の顔に舞い込む。


 中山はギリギリに躱す。顔の頬が少し切れ、血がにじんで頬を伝い、地に落ちた。その滴はゆっくりと落ちるかのように錯覚し、コマ送りで見える。落ちた瞬間、内部で沸き立つものが溢れ出た。


 中山は忠陽を見る。いかにも軟弱者が牙を向けてきた。沸き立つものを解放すると、中山の体に濃密な呪力が帯び始めた。


 獣のように口を開け、獲物を仕留めるための牙を見せる。


「ブッ殺す」


 獰猛な獣は地を蹴る。狙うのは傷を付けたガキ。


 忠陽は呪符を取り出し、呪力を込め、また風圧を解き放つ。


 中山はそれをものともせず、前進する。動きを最小限にし、風圧を躱した。だが、そこで中山は足を止める。その後に中山の前を炎が通った。炎の出先を見ると、短ランの男が睨め付けていた。


 中山にもう一度風圧が数発飛んできた。中山は軽くそれを避けながら、距離をとる。そうして、次の行動を考えていた、


「おい、お前大丈夫か?」


 大地は朝子に声をかける。朝子は顔を上げ、中山を見る。


「ボン!」


「分かってる!」


 忠陽は呪符を取り出し、呪力を込めると、石礫が生成された。それを中山目がけて解き放つ。


 それと同時に大地は動き出した。朝子もその動きに同調した。


 先に放たれた石礫は中山を襲うも、中山は後ろに下がった。石礫がなくなると、次に舞い込んだのは朝子の鉄鞭だった。中山はナイフで受け、数合斬り結んだ。


 そこに大地は朝子などお構いなしに炎を放った。炎は大きく、人一人飲み込むように二人に襲い掛かる。


 朝子は直ぐに退避し、地面に転がる。中山は炎を呪力を纏いながら防御し、更に後退した。


 大地は追撃のように前進し、近距離で炎を放つ。その炎は中山のナイフを溶かした。大地は更に間合いを詰め、格闘に持ち込んだ。


 だが、大地の喧嘩殺法の大振りを中山はしっかりと片腕でいなしていた。大振りによる隙を見逃さず、大地の脇腹に打撃を加える。


 大地は痛みに耐えながらも、もう一度拳を振るう。それも空を切り、代わりに足刀を腹に入る。大地は地面に倒れ込んだ所を追撃に正拳突きを喰らい、血を吐きながら失神した。


 その背後から朝子は鉄鞭を振るうも、呪力に帯びた片腕で止められ、ガラ空きの腹部を突いた。朝子は壁まで飛ばされ、背中を打ち付けた。壁に這うようにぐったりと倒れ込む。


 一瞬だった。忠陽が援護する時間なんて無かった。相手との差は歴然だった。だが、忠陽は自分を奮い立たせ、叫ぶ。


 中山は口元が笑い、構えた。


 忠陽は石礫を生成し、中山に飛ばす。中山は呪力を込めた拳で払い、突きで石礫を粉砕する。ゆっくりと近づく中山に忠陽は風の呪術を放つも避けられた。


 もう間合いは中山の間合いであり、呪術の発動よりも中山の拳が速いであろう。忠陽は動きを止めてしまった。


「どうした? 呪術は使わないのか?」


 中山の愉悦した顔が癪にさわる。内部から倒したいと気持ちが溢れる。その気持ちは中山の拳で砕かれた。腹部に入った打撃で忠陽は悶絶する。


「逃げなかったことだけは褒めてやるよ。だけどな、逃げないという選択はバカがすることだ」


 忠陽は最後の足掻きとばかり中山を睨みつける。中山は真顔になり、追撃の拳を顔面に与えようとしたとき呼び止められた。忠陽はゆっくりと意識が薄れていった。


「なんだよ? 邪魔すんな!」


 夜の陰でもその体つきに異様な妖艶さと匂いを漂わせた女が現れた。中山に歩み寄ると、月に照らされ、顔が露わになる。美しいと見とれる位の美貌を持っていた。


「その方には手を出してはいけないわ」


「その方? どういうことだ?」


「焼いちゃったの?」


 女は指を咥えていた。


「気持ち悪いんだよ」


「いけずね。速くここから放れるわよ。団十郎」


 すり切れた袈裟を着た僧が空から現れた。長身の屈強な体つきは誰が見ても強さの表れであるが、僧としては邪悪な気配が漂う。


「そこの二人も連れていくわ」


巫山戯ふざけんな! そのガキは譲ったとしても、一人くらいはよこせ!」


「あなたに渡したら、どうなるの?」


「決まってるだろ。嬲り殺しだ」


 女は溜め息をついた。


「それはダメね。女の子は私がもう手をつけてるの。男の子はあの方への贈り物よ」


「なんだと! 俺にタダ働きさせたとでもいうのか? だったら、そのひ弱なガキを寄こせ!」


 僧が一歩前へと出る。中山と僧は睨み合いを始めた。中山は相手を威嚇するが、僧はそれをものともせず見下していた。


 女はその気迫とは別方向の気配に気づき、その方角を見る。闇夜の景色には人などは見当たらない。だが、女は確かにその人物を捉えた。


 不遜な笑みを浮かべたサングラス、片腕の白髪の男。明らかに意図を持った気配の出し方に女はそれを悟った。


「どうやら、先生に見つかった見たいね。早くここを放れるわよ」


「あぁ! それな好都合だろうが!」


「言うことを聞きなさい。あの方の計画を潰す気?」


 女は手元から長棒のよなものをを取り出し、中山に突きつけた。


 中山は奥歯を強く噛んだ。


「良い子ね」


 女は直ぐに長棒をしまうと、忠陽を抱きかかえ、闇夜に消えた。その後を追うように僧が大地と朝子を片手で抱えて消えた。中山もその後を追う。


 月明かりは闇夜に光をもたらす。だが、闇は照らされてもなお、その深さは計り知れない。10階建てビルの一角はまだ闇夜に飲まれていた。その屋上の角に一人の男が立っている


 不敵な笑みは相手に心を読ませない。サングラスと片腕の白髪の男は風に靡かれ、ずっと様子を伺っていた。自身の思惑通りなのか、それを教えることはない。噓を吐き続ける。それが呪術の一つ。


「さて、可愛い教え子に説教せなあかんな……」


「楽しそうに言うわね」


 闇夜でもハッキリとも分かる金色の髪は月明かりのようだった。夜の中でも輝く髪は美しく、夜の女王と言えるべきものだった。


「神無たちは、こっちに気づいた二人を頼む」


 伏見が話した先には闇と同化した存在がいた。その男は伏見を見る。


「できれば、捕まえて貰うと助かるな」


 伏見は神無にそう言い終えると、全員が動き始めた。三人が一瞬にして消えた後、この街の灯りだけが煌々と輝く。

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