第六話 天谷の闇 其の十六

 七


 薄暗い地下室。水滴がポタッと落ちる。コンクリートの一部は白と黄色に変色していた。そこから再び水滴が落ちる。


 部屋にはベットと椅子、机だけがある。ベットに腰掛けているのは中山だ。対面に椅子に座っていたのは妖艶な女。


 女は学校での戦闘で折られた中山の腕を呪術で治していた。


 中山は女の顔を見る。女は高揚しながら治療をしている。それを無言で蹴飛ばした。女は言葉を発さず、上目遣いをしながら、絡みつくように元の位置に戻った。


「気持ち悪りぃ」


「人の痛みを見るのが好きなの。それを治療しろって言うなんて、いけずな男ね」


「あのジジイ、一体何者だ?」


「命があっただけでも幸運よ。その方は、神宮の漆黒しっこくと言われていた男よ」


「なんだ、その漆黒しっこくっていうのは?」


「さぁ、詳しいことは知らないわ。ただ、強かったのは確かよ」


「昔の瀧泉たきいずみよりか?」


「ええ。でも、今の団十郎と全盛期の漆黒が戦ったら、団十郎が勝つでしょうね」


「それは違いない」


 女は呪力を込めるのを辞めた。中山は腕が治ったかを確かめるために、手を動かし、腕を振る。


「どうして薬を使わなかったの?」


「こいつはあのクソ野郎に使うんだ。訳の分からない奴につかいたくねぇ」


「そう。楽しみにしているわ」


 女は不気味な笑みを浮かべる。妖艶だが、蛇のようにねっとりと中山の体を締め付けるようだった。


ーーーーーーーーーーーーーー


 太陽はもう天高く登っていた。季節はもう夏の匂いが漂っている。翼志館の生徒たちは列を成して小高い丘を登っていく。校門に入ると、列は散け、思い思いの行動を開始している。忠陽と鞘夏は自分の教室に向かっていた。


「賀茂君!」


 そう呼び止める声に振り返ると、長い黒髪を下ろした美人な女性だった。膝丈ぐらいのグレーのタイトスカートと上着に水色のインナーは誰が見てもグッとくるものだった。


 忠陽はそのスーツの女を見ても、誰か分からず、じっと見ていた。


「えっ? 私の顔に何かついてる?」


 スーツの女は忠陽の視線に戸惑っていた。


 隣にいた鞘夏を見るも、何の反応もなく、二人が共通して知る人間でもないらしい。


「いえ、何でもないです」


「そ、そう? それより、かなりヤバいことになってるけど、大丈夫?」


 忠陽はとにかく話を合わせることにした。


「大丈夫って、何がですか?」


「あっ、そうか!」


 スーツの女は何かを悟ったようで、忠陽の手を引っ張り、鞘夏には聞こえないように距離を取った。忠陽はスーツの女から香る匂いに胸を高鳴らせる。


翼志館よくしかんの生徒が狙われてるみたいじゃない」


「えっ?」


「あれ?京介、あっ、いや伏見先生から聞いてないの?」


「伏見先生?」


「私にとぼけないでよ、知ってるんだから。伏見先生、この前、薬を売ってる元締めを取り逃がしたでしょ? だから、ここの生徒が狙われてるって…」


「狙われてる!?」


 スーツの女は忠陽の口をふさぐ。


「ちょっと、声がデカイ!」


「すいません」


「賀茂君、聞かされてないの?」


「はい。初めて聞きました」


「そうよね。アイツのことだから大事なことは言わないもんね。あたしもそれで何度危ない目にあったか……」


 スーツの女が肩を落とす姿に忠陽は既視感きしかんがあった。


「この学校、大丈夫なんですか?」


「うーん、なんとも言えない。でも、そのために伏見先生が自由に動けるようにしたんだけどね」


「それで謹慎なんですね」


「そういうこと」


 スーツの女はウインクをした。その顔が可愛らしく、子供っぽさが残っていた。


「その襲っている奴の居場所はもう分かってるんですか?」


 忠陽の頭によぎっていたのは、神無の残影だった。スーツの女は忠陽の表情で何か気づいたのか、いぶかしむ顔をした。


「駄目よ。大人しくしてなさい」


「別にそいつを倒そうなんて考えていませんよ…ただ…」


「ただ?」


「僕にもできることはないかなって…」


「ありがとう。でもね、あなた達を危ない目に合わせないために私たちがいるのよ」


 忠陽は俯いた。仕方がないことではあるが、心の中ではそれを求めている。自身で何とかするしかないと考えを切り替えていた。


 それにしても、このスーツの女は伏見先生とどういう関係なのだと、忠陽は疑問が生じていた。悪態を吐くぐらいなのだから、伏見先生との仲は良いのだなと思うが……。


「あの、伏見先生とはどんな関係なんですか?」


 スーツの女は、目を見開いたかと、開けては閉じてをくりかえし、終いにはもじもじしながら聞き返した。


「賀茂君から見て、ど、どんな関係に見える?」


「親しい関係なのかなって……」


 忠陽の脳裏に何か覚えのあるやり取りだった


「そっか。どのぐらい、かな?」


 恋する乙女のように愛らしく、格好とは真逆な様相に、忠陽は普通に目を奪われる。その瞬間、相手が誰だかをハッキリと認識することができた。


「藤先生!?」


 忠陽は驚いた。この前、クラブで会ったときとは印象が違い、大人っぽさが強調されていたため、気がつかなかった。たしかにパーツを合わせれば彼女になるのだが、それよりも変装の技術は卓越したものなのだと初めて感じた。


「えっ?賀茂くん、大丈夫?」


 藤が近づくと、大人の香がふわっと匂い、忠陽は胸の鼓動が跳ね上がり、思わず後退った。


「いや、大丈夫です!」


「ちょっと、急にどうしたの?」


「いや、藤先生はお綺麗だなって…」


「やだ、その御世辞言っても、何も出てこないわよ」


 藤の笑顔に胸が高鳴った。


「ふ、藤先生、今日は何で翼志館に?」


「だから、伏見先生のお遣い。って、あれ? 言ってなかったっけ」


 ごめん、ごめんと謝る藤の姿は可愛らしかった。


 鞘夏は二、三回咳払いをした。


 二人は鞘夏の方を見ると、通りすがる他の生徒の視線は二人に集中していた。


「こら、藤! うちの生徒を捕まえて何しとる!」


 遠いところからでもはっきりと分かる長い顎。叫んでいたのは、生徒の間でも有名な先生だった。


「げっ、美術のアゴマツ!」


 藤は一瞬嫌な顔をしたが、すぐに大人対応をし、そそくさと逃げていった。


 忠陽はその姿を唖然として見ていた。


「忠陽様、そろそろ……」


 鞘夏の声は淡々としていた。


「うん。分かってる」


 忠陽が振り返ると、表情は変わらないのに鞘夏の眼は何かを訴えているようだった。


「どうかした?」


「何もないです」


 不機嫌のように聞こえるその口調に、忠陽は疑われてると思った。


「あのー。伏見先生からの伝言とかじゃないから。ただ、藤先生とは世間話をしていて、それにあの人が藤先生って気づかなくて……」


「そういうことではありません」


 鞘夏はそう言うと、主人を置いて先に校舎へ向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る