第六話 天谷の闇 その五

 忠陽は二人から見えない距離になった瞬間に、がむしゃらに走り出した。二人への恐れからか、息が上がり、肺が潰れそうになってもできるだけ遠くに離れたかった。逃げろと反芻する声は止まず、忠陽を追い詰めていた。


 ふと、意識が戻ると、どこか分からない公園で休んでいたのに気づいた。公園のベンチで汗だくになり、顎から雫が落ちる。地面に落ちた雫が穏やかな空気を波紋をつくる。そこでようやく平常心を取り戻せた。


 あの二人のことを思い出す。大男は袈裟けさから何かの僧であることは確かだが、その本質は三十郎とは違った。法力ではなく、魔を感じた。もしかすると、妖魔に近いかもしれない。女は表面的なものとは違い、どす黒い何かを持った存在に感じる。総じて、会いたくない存在であり、この都市にあんな二人がいることが怖かった。


「ちょっと、いいかな?」


 どう見てもチンピラみたいな金髪の男が話しかけてきた。


「君、学生さん?」


 忠陽は答えなかった。


「分かってるって。君みたいな人いっぱい見てきたから。ここの学校、疲れただろ? 毎日毎日、呪術。君たちは学生だっていうのに戦わさせられて、学校自体も順位を付けられて。俺はさぁ、そんな君たちを救いたいんだ」


 人の心に寄り添うに言っているが、本質はそうでないことが容易に読み取れた。


「なぁ、良いところがあるから、ちょっとついて来いよ。楽しいぜ?」


 忠陽は金髪の男が言われるままについて行った。この男の先には先生たちに繋がる道があると思って。


 連れられて訪れた場所はディスコクラブだった。夜中というのにダンスミュージックに体の芯に響く音に合わせ、踊る人間が沢山いた。その多くは学生だった。


 金髪の男が忠陽の耳元で叫ぶように言った。


「どうだろう? スゲー盛り上がってるだろう!」


 忠陽は無言のままでいた。


「まあ、楽しんでいってくれよ! ブラザー!」


 忠陽の素っ気ない対応に金髪の男は不満そうにしていた。金髪の男はホール奥へと消えていった。


 忠陽はホールを一通り歩いた。ホールにはクネクネとした渡り橋があり、反対側へといけた。そこには男女が抱擁を交わしていた。忠陽はそこで一人、橋の上から俯瞰してこのホール全体を見回していた。


 いろんな学校の校章が見え、それほど抑圧されたものが彼らにはあり、ここで発散させていたのかと思った。そんな中で翼志館の校章が見えた。それを見ると、翼志館でも例外ではないのだと悟った。自然とその女子生徒へと歩き出していた。なけなしの正義感を奮い立たせ、女子生徒が不幸な道へ行かないようにするために女子生徒の肩を叩いた。


「あの、ここはあまり良くない場所です。すぐに帰った方がいいですよ」


「君……賀茂くん?」


 忠陽は戸惑った。忠陽は眼鏡をかけた女子生徒を全く知らなかった。


「どうしてここに居るの? ちょっとこっちに来なさい!」


 女子生徒に腕を捕まれて、忠陽は渡橋まで連れて行かれた。


「賀茂くん、こんな所でなにやってるの! 京介、いや伏見先生は知ってるの?」


「えっと、何で君は僕のこと知ってるの?」


「誤魔化さないで、私の質問に答えなさい! って、そうか。こんな格好をしてたら誰か分からないわよね」


 女子生徒は眼鏡を外して、改めて顔を見せた。


「私よ、藤よ」


 忠陽は大きな声を上げるも、音楽でかき消され、周りには聞こえていなかった。


「ふ、ふ、藤先生なんですか?」


「そうよ。先生の格好で来たら入れてくれないでしょ?」


「全然気づかなかった。その制服は……」


「自前よ」


 その姿を見ても、年の割には高校生に見えた。むしろ先生の格好より可愛く見え、制服というアイテムが恐ろしいと思った。


「今、年の割にはとか思った?」


 藤の顔は引きつっていた。


 忠陽は顔色を変えないように耐えていた。


「それよりも賀茂くん、ここに来たのは伏見先生の命令なの?」


「いえ、あの………」


「その様子じゃあ、違うみたいね。どうしてこんな所にいるの?」


「その………伏見先生の力になりたくて、つい」


「つい?………伏見先生には許可を得てないって感じね」


「はい」


「その気持ちは嬉しいんだけど、あなたは学生よ。そんなことしちゃいけないわ」


「すみません。でも、先生こそどうしてここに?」


「えっ、私? 私は、その、あの、なんていうのかしら、生徒たちの安全ために……」


 忠陽はもう一度、藤の全体像を見た。その意図に藤は気づいた。


「違うわよ! けしてそんな趣味はないわ」


「いえ、そんな意図は……。でも、似合ってます」


「そ、そうかしら? もうこの歳じゃあ着れないかなって思ってたんだけど……京介が言うように意外に着れるじゃん……って、何言わせてるの!」


「僕は別になにも言ってませんよ」


 藤は咳払いをした。


「制服を着て、ここに居るのは伏見先生の案だったんですね」


「そうよ。昔からこういうことをやらせるのよ」


 藤は憂鬱な溜め息をついた。


「まあ、私が学生だった頃は伏見先生も今よりももっと冷たかったし、手段を選んでなかったからね。生徒なんてただの駒としか考えてなかったわ」


「なんか、僕には考えられないです」


「そうでしょ? まあ、私の扱いは変わらず雑なんだけどね……」


「そうなんですか?」


「普通、教え子に潜入調査なんてさせる?」


「信頼じゃないんですか? 僕にはそうさせてくれませんでした」


「そう言ってくれると、嬉しいんだけどね」


 藤はまた溜め息をついた。


「たまに思うんだよね。伏見先生って、私のことどう思ってるかって……」


「藤先生って……」


 藤はハッとなった。


「いや、違う違う! 私は伏見先生のことはなんとも思ってないんだからね! 私の扱いが雑だからそう思っただけで……」


 藤は深い溜め息をつき、しゃがみ込んだ。


「なんだろう、もう帰りたい」


 忠陽はどうしたらいいのか分からず、愛想笑いをした。


「居た居た! なんだ、お前、もう女ができたのか?」


 金髪の男は下卑た笑みを浮かべた。


「彼女、この子を借りていくぜ?」


 藤は忠陽の耳元で声をかける。


「だめよ。かなり怪しい」


「でも、藤先生。あいつらについていかないと、伏見先生が欲しがってる情報が手に入らないです」


「それは私たちの役目。生徒のあなたがすることじゃない……ちょっと!」


 藤先生の静止を聞かずに忠陽は金髪の男に近寄った。


「いいのか? 彼女、怒ってるみたいだけど?」


「彼女じゃないです。それより行きましょう」


 金髪の男は目が点になった。


「そ、そうか。そうならいいけどよ」


 金髪の男に連れられて入ったのはトイレだった。そこには骨格がずっしりした漢と眼鏡をかけたインテリ系の男だった。


 金髪の男はインテリ男に目を合わせると、その横にたった。


 インテリ男が眼鏡の位置を直しながら話した。


「えっと、君、高校生?」


 忠陽は頷く。


「ふーん、そう。こいつから聞いたんだけど、学校が嫌になったんだって?」


 忠陽は答えなかった。


「いいよ、喋んなくて。このクラブに来てる連中は大抵そういうのが多いから。これ、あげるよ」


 インテリ男に渡されたのは錠剤状のものだった。


「一度、試してみなよ。頭がすっきりするぜ」


「これはなんですか?」


「ただの薬だよ。君たちの悩みを和らげる」


「違法ドラックじゃないんですか?」


「違うよ。試供品。ストレスが溜まった人間に対して有効性があるかどうかの。企業もさ、色々あってね、金額を抑えたくて治験をやってるってわけ。大丈夫! なんか体調が悪くなったらその会社ご面倒を見てくれることになってるから」


 そうやって人を攫っているのかと忠陽は思った。


「その企業の場所を教えてください」


「あん? なんで教えなきゃいけないの?」


「この薬が危なくないか確かめるためです」


 インテリ男は舌打ちをした。化けの皮が剥がれたようにチンピラの顔になった。


「おい、ケイ。なんだこいつは?」


「いえ、あの――」


 インテリ男は金髪の男のみぞおちに一撃を加えていた。


「ダイ、その男を捕まえろ」


 骨格がずっしりとした男は忠陽を捕まえようとするも、忠陽はその前に呪符を取り出し、弱い雷撃を加えていた。骨格がずっしりとした男は怯んでしまった。


「ちっ、正義感が丸出しじゃねぇか。面倒くさい奴を連れてきやがって」


 インテリ男がナイフを取り出し、構えた。構えから見ても扱いに慣れた人間だった。低い姿勢を取り、ナイフを突き出していない。


 忠陽は出口へと駆け、トイレから出た。男達も追ってきたが、忠陽は他の客に紛れ、外へと出た。それでも追ってくる男達を忠陽は人気のない裏路地へと引きずり込んだ。


「なんだ、もう逃げねぇのか?」


 インテリ男が笑みを浮かべて言った。


「逃げる必要はない」


 呪符を取り出し、男達に投げつける。無数の石礫が、男達へと向かっていった。


 金髪と骨格がずっしりした男が逃げ惑う中、インテリ男だけは壁を走り、忠陽へと近づく。


 忠陽は呪符を投げ、雷撃を呼び出すも相手は容易に躱した。


「ここは外だぜ? 投げる方向がわかりゃ簡単に避けられる」


 インテリ男が笑いながら忠陽に近づく。忠陽は焦り、呪符を取り出すもその距離では術を発動するよりも速く、インテリ男のナイフが刺さるイメージを呼び起こす。


 インテリ男がナイフを出す瞬間に「伏せなさい」と女性の声がした。


 忠陽は声の言われるとおりに伏せた。忠陽の後ろから魔力の塊が通り過ぎ、インテリ男を吹き飛ばした。それを見た仲間の二人は逃げだした。


 忠陽は後ろを振り返るとそこには夜の中でも一際目立つ制服姿の藤だった。


「もう、無茶をして!」


 藤は敵に警戒しつつ、忠陽の前に出た。インテリ男が立ち上がらないのをみて、振り返り、忠陽の怪我ないかを確認した。


「怪我はないの?」


「はい」


「危ない所だったのよ。賀茂君! 君、分かってるの?」


「あ、はい」


「こういうことは私たちの役目よ。学生であるあなた方やることじゃないわ!」


「すみません」


「怪我なかったから良さそうなものを……」


 藤は溜め息をついた。


「どうして、こんなことをするの? 何かあるの?」


「なんとなく、彼らがやってることが許せなくて」


「なんとなくじゃあ、暴力と一緒よ。あなたのその力はそんなために使うものじゃない。呪術師は人を助けることも出来るけど、人を殺せることだってできるのよ」


「はい」


「伏見先生を呼ぶわ。待ってなさい」


 藤が携帯を取り出そうとしたとき、忠陽は藤の後ろに動く影に気づいた。


「藤先生、危ない!」


 藤が振り返った瞬間に笑いながら襲いかかるインテリ男が顔が見えた。藤はその刹那に自分の死を予感し、「京介」と言葉を発した。


 ただ、その刃は藤には届かなかった。インテリ男が危害を加える前に、神速とも呼べるスピードで神無が現れ、何をしたのか分からせないまま相手を倒していた。


 藤は何が起こったのか分からず、その場に気が抜けたようにしゃがみ込んだ。


 数分後に伏見が合流し、忠陽達はインテリ男を連れて場所を変えた。

 

 雑居ビルの屋上、下はまだ明るく、人の声が聞こえる。


 そこで、伏見が初めに行ったのは、忠陽への平手打ちだった。


「伏見先生」


 慌てて藤が伏見に駆け寄る。


「君をぶつのも二度目やな」


 忠陽は俯きながら頷く。


「彼はあなたの手伝おうと思ってのことよ、何も引っ叩く必要はないじゃない」


「それは嘘や」


 藤は動揺した。


「君は藤くんのことも危険に晒したんや」


「それは私が油断したからで……」


「藤くんは黙っとき。これは僕と彼の問題や」


「お止しなさい。あなたの個人的な感情を含んだ説教は、その子には通じないわ」


 伏見はエリザを見て、黙った。


「ねぇ、あなた。私たちに関わることがどれだけ危険か分かってるわよね?」


 エリザは忠陽に問いかける。


「はい。伏見先生からは聞いています。先生では守り切れないって」


「そうよ。それでもあなたは私たちに関わりたいの?」


「はい」


「そう。なら、そうしなさい」


 伏見は戸惑った。


「エリザ様、ちょっと待ってください」


「ただし、自分の身は自分で守りなさい」


「彼にはそんなこと――」


「お黙りなさい。この子が自分で決めたことよ。それに口出しできるほどあなたにはこの子を守れる力があるの? 庇護ができないのならあなたが指図できる権利はないわ」


 伏見は唇を噛んだ。


「坊や、それでいいわね?」


 神無は黙ったままだった。


「分かったわ」


 藤は神無が返事をしていていないのに分かったのかと突っ込みたかった。


「で、でも、教師である私からも彼を危険にさせるのは辞めて貰いたいなぁ、なんて……」


 藤は怯みながらも意見した。


「お嬢ちゃん、私たちに関わった時点で危険なのよ。あなたも例外じゃないわ」


「えっ、私も! どういう事よ、京介!」


「いや、君にも関わらせるつもりはなかったやけど、この状況やし」


「それって、どれくらいヤバイことなの?」


「まあ、世界レベルやな」


「世界レベルってどういう規模よ! あたし、まだ人生楽しんでないんだけど」


 藤は狼狽え始めた。


「この五月蝿いのを何とかしなさい。話が進まないわ」


 エリザは伏見に言った。


「さっきからね、あんた偉そうにしてるけど、何様のつもり? どこのゴスロリ様ですかぁ?」


 藤はエリザに詰め寄る


「いや、藤くん。この御方に逆らうのはやめとき。エリザ様、一旦ここで別れましょう。この子らは僕が連れて行きますんで、二人はその男を連れて行っていってください」


「分かったわ」


 神無はインテリ男をかかえて、一瞬にして消えた。


「待ちなさい、あなた」


 エリザは藤を呼び止めた。


「まだ、何かあるんですか?」


 藤は攻撃的に言った。


 エリザは持っている杖で頭を小突く。その瞬間、藤はうつろな目をし、意識が朦朧としているようだった。


「私たちに会ったこと、今日ここで話したことは忘れなさい。そうね、あなたを助けてくれたのは、あなたの思い人よ」


 藤はかろうじて「はい」と答え、そのまましゃがみ込み、寝始めた。


「暗示をかけておいたわ。どこまで効くかは分からないけど」


「いえ、ありがとうございます」


「その子を大切になさい」


 エリザは去って行った。


「僕らも行こうか」


 伏見は藤を背負い、忠陽も帰路へとつく。

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