第六話 天谷の闇 その六


 次の日、忠陽は昼休みに校内放送で伏見に呼び出された。


 一人で職員室に行き、伏見はいつものようにヘラヘラとした顔で迎えてくれた。伏見は忠陽と職員室を出て、生徒指導室へと案内する。


「公ではあんまり聞かれたくない話やからな」と言う伏見の顔は先ほどの顔とは違い、真剣な顔つきだった。


「君に僕たちの仕事を手伝って貰うにあたり、最低限身につけて貰いたいことがあるんや」


「それはなんですか?」


隠形おんぎょうや。それも周りの気配に溶け込むほどに」


 伏見が言っていることが高等技術だということ忠陽にも分かっている。気配を消すのではなく、気配が周りに溶け込む。注視して、実体が見えて、やっとそれを認識できるぐらいだ。昨日の大男のように。


「それができるまでは、夜は一緒に行動はできん。動きがバレバレなのはあかんからな」


「昼はいいんですか?」


「何言うとんねん、昼は学校やろ。それに相手は夜型や、昼に行動はせいへん。君は放課後から夜まで僕と修行や。まずは、僕に見つからん隠形ができるようにせな。ここが第一段階や。第一段階がクリアできたら、第二段階、僕と一緒に隠れんぼや。僕に見つからんようなれば、第三段階、隠れんぼの鬼になって僕を見つけて貰う。敵も隠形をしてる可能性はあるから、君には索敵能力を高めて貰う。ああ、僕に見つかってもダメやで。そん時はやり直し。だから隠形しながら、僕を探すことになる。第三段階までクリアできれば、君は学生の中では一位、二位を争う実力者になってるやろうけど」


「結構ハードですね」


「そうやな。それぐらいせんと、命は持ってかれる」


 伏見の圧が上がったように見え、忠陽は怯んだ。


「ま、放課後はここに来。拠点は日ごとに変えてるから、その都度連絡する」


 伏見は忠陽に紙を渡した。


「分かりました。先生、この話とは別なんですけど、ちょっといいですか?」


「恋愛相談なら他の先生の方がいいで」


「違いますよ。……昨日、セントラルビルで危険な二人に遭遇しました」


 伏見の表情は変わり、少し眉をひそめたが、それも一瞬、溜め息をついた。


「君はほんまに好奇心旺盛やな。で、どんな奴やったんや?」


「一人は袈裟を着た大男で、高畑さんと違い、妖魔に近かったです。もう一人は……」


 忠陽は彼女を思い出すと、なんと表現していいのかわからなかった。エッチなお姉さん、色気のあるお姉さん、色魔と頭に浮かぶのは彼女の妖艶さだった。


「なんや、赤面して」


「え、えっと、色々面で大人の魅力があるお姉さん……」


「忠陽くん、君の好みを教えてもらっても……」


「ち、違うんです! 確かにエッチな人だと思いましたけど――」


「エッチなお姉さんが好きなんか……」


「いや、そこじゃないんです! その女の人が危ないと感じて」


「そりゃ、先生としてもまだそういうことは辞めときとしか言えへんけど」


「茶化さないでください」


「分かってる。その女の中に男と同じものを感じたんやろ?」


 忠陽は頷いた。


「あそこは、この都市のバランスを保つ中心点であり、地脈の上にある。表向きにはシンボルとして言っているが、要は儀式場みたいなもんや。この都市を浮かせてるのだって、元はあそこからや。警備として物騒な奴がいたとしてもおかしくはない」


「確かにそうですね。祖父の名前を知っていましたから」


「でも、気になるのは忠陽くんが感じた妖魔性。君がそう感じたのなら、あそこを狙っとるかもしれへん。あるいは……」


 伏見は黙って考えていた。


「いや、この件は僕が調べるさかい、しばらく君はあそこに近づかないようにな」


「はい」


 放課後になると、忠陽は伏見が指定した場所へと訪れた。


 鞘夏と大地には伏見からの課題を与えられたといい、しばらくは一人で放課後を過ごすと話していたが、大地は不満げだった。俺も課題に入れろとしつこい大地を学校が違うからという理由でなだめるが大変だった。


 指定された場所は、開発途中に放棄されたビルだった。忠陽はその建物の上階に登り、三階に上がろうとした時に伏見たちを見つけた。同じ建物にいるというのに気配を感じられないほど上手さだった。


「それで、その隠れんぼには、私たちも参加しなきゃいけないの?」


 エリザは不機嫌だった。


「いや、二人は参加しなくてええですけど、暇やったらやります?」


「結構よ。夜働かせて、昼間まで相手しなくてはいけないの?」


「まさか。神無はどうする?」


 神無は黙ったまま、鉄筋コンクリートの柱にもたれ掛かり、寛いでいた。


「だ、そうよ」


「さよかい。一番下っ端は身を粉にして働きますわ」


「自業自得でしょうに」


 伏見は忠陽へと近づいた。


「さっ、やろか。時間はそんなないで。はやく隠れんぼができるようになって貰わんと」


 忠陽は頷いた。


「まずは隠形をやってみん」


 忠陽は呪符を取り出し、呪力を練り上げ、気配を徐々に消していった


「エリザ様、何点ですか?」


「なによ? これから寝ようと思ったのに。零点よ」


「そういうことや。君の隠形は悪いというわけではない。それはこの都市の生徒や、一般軍人なら見つからないやろ」


「なら、なんで先生達には見つかるんですか?」


「先生らしく問題形式にしようか。君の隠形の術はどうやってる?」


「なんですか、それ。……隠形の術は、この呪符に呪力を込めて、発動させています。この呪符にはそうなるように、予め呪言を書いてあり、それに対して僕の呪力に反応して術が展開するような仕組みです」


「その通りや。君は術を使って隠形を行っている。学校であれば満点やろうけど、実践では零点やな。これが結論や」


「結論?」


 忠陽は頭を傾げた。


「じゃあ、もう一度分解してみようか。結論は隠形の術は使っていることや。そのプロセス、工程を考えてみようか。術を使うまでの工程を言ってみん」


「僕の場合、呪符を取り出す、呪符に呪力を込める、術が発動する、だと思います」


「そやな。さっきから言う結論はどこの部分にあたる?」


「術の発動です」


「正解や」


「でも、どうして術の発動が、実践では零点なんですか?」


「呪術は奇跡みたいなもんやけど、万能やない。術を発動すれば、痕跡を残す。その痕跡から見破ることも出来る。実戦慣れした連中は呪力の増幅や減少だけでも相手の動きを読むんや。君が相手にするかもしれない連中は、そういう呪力を知覚するできる奴らってことやな」


 忠陽はハッとなった。


「僕が術を発動しているだけで、その呪力を知覚するから僕の居場所が分かる……。でも、僕だけじゃ見ることなんて……!」


「ええ、顔や。そう何も敵は君だけを見てるわけじゃない。周りを見て、呪力の揺らぎを感じ取るんや」


「周りの呪力と違い、変化する所を狙うのか……」


「そういうことや。君の隠形が零点な理由は分かったな? じゃあ、どうする?」


「周りの環境と同じ呪力で隠形をする。でも、これじゃあ、例え隠形ができたとしても、結局術を使っていることになるから見付かってしまいます」


「そうやな。呪力を使わないと隠形ができへん。でも、呪力を使うと敵に見付かってしまう。そんなら、いっその事、隠形を使わない方がええんやないか?」


「それじゃ、身も蓋もないじゃないですか!」


「僕は、何も姿を隠せとは言っていない。見つからんようにしろ、や。どんな達人でも近距離で姿を隠すことは注意を逸らさん限り不可能に近い」


 忠陽は苦い顔をした。


「忠陽くん、目安として覚えててほしいんやけど、警戒する卓越した術者に見付かる割合として、五キロ離れてて一割、一キロで五割、五百メートルで九割。それだけ隠れるのは難しいことや」


「そんなにも難しいなんて…。呪力を使えばもっと見付かるのか……」


「そんなことないで、一キロまでは何とかなるやろ。一キロからは視覚情報が入って、より正確になるから見つかる割合が大きくなる。だから、離れた場所から相手に悟らせないようにするしかない。その基本は呪力の変質と同化や」


「呪力の変質と同化?」


「変質は自身を周りの物体と同じ性質に変化させること、同化はその物体と一体になること。分かりやすく言うとカメレオンやな」


「なんだか、難しそうです」


「当たり前や。言うたやろ? これができれば学生の中で一、二位を争う術者になる。そもそも、呪力の変質は基本やけど、高等技術でもある。君の隠形の術かて変質の一つやで」


「呪力によって僕自身の姿を消すからですか?」


「そうや。呪力を使って、君自身の性質を変化させてる。だが、今回、君が覚えるべきは呪力を変質させ、周りと同じように同化させることや」


「呪力をですか? そんなことってできるんですか?」


「かなり難しいけどな。呪力は各個人で色みたいなものを持っている。これを変化させることなんて並大抵でできることやない。だけど、君は隠形の術を少しやっている分、取っ付きやすいとは思うてる」


 伏見は手のひらに呪力を集中させ、可視化させた。それは淡い光のようなもので、それを球体状にした。


「これは呪力を見えるようにしたものや」


 伏見は可視化させた呪力を見つめ、変化させていった。球体状の淡い光から徐々に光が失われ、色さえもなくなっていく。


「これが呪力を変質させ、この空間に同化させたものや」


 忠陽はさっきまで淡い光を放っていた呪力を見ることができなかった。


「触ってみてもいいですか?」


「ええけど、触ったら君の手が弾き飛ばされるで?」


「構いません」


 そこには単なる好奇心があった。忠陽はそこにあるであろう呪力に触れてみた。触れた瞬間、手が弾き飛ばされた。弾き飛ばされた手をみて、忠陽は背筋がぞくりとした。


「すごい……」


「君にこれからやってもらうのは、まず呪力の球体を出してもらう。その後に呪力の変質や」


 それから忠陽は呪力の球体を作り出し始めたが、なかなか上手く作り出せなかった。


 そもそも普段、自身にある呪力を見るということはない。呪力とは内なる力であり、それを手のひらに集中させることは滅多にしない。忠陽の場合、呪力を呪符には流し込むことで変質を行うため、一点に留めることはしたことがなかった。故に、呪力を流し込む感覚はあっても、そこから留まることなく霧散していくようだった。


 忠陽の汗はひどく、その場にへたり込んだ。呪力を出し過ぎて、力が入らず、その場から立つ気力がでなかった。


「今日はここまでやな」


「まだ、やれます……」


「呪力が底をついたら、休みぃ。命に関わってくる」


 忠陽は力が入らない手を思いっきり握りしめた。


 そんな忠陽を見て伏見は口を開いた。


「そやな、別にその場で呪力の変質ができれば、呪力を留める必要性はないんやけどな。留めるのは変質の度合いが分かりやすくなるちゅうのが目的やし」


「留めるメリットって何があるんですか?」


「単純に呪術の威力が上がる。術の密度を上げられるからな」


「じゃあ、やります」


「そういや知ってるか、忠陽くん。呪力を留めた球体は無属性魔術になるんや」


「無属性魔術? 確かに先生が作った球体に触れたら手をはじかれましたけど、魔術としてつかえるんですか?」


「かなり強力や。単純な力比べなら属性魔術よりも強い。属性魔術は魔力から各属性へ変質を行う際に、元の魔力量から欠損が出てしまうや。やから、同じ魔力でぶつけたら無属性魔術が勝つ。しかも、無属性魔術はどんな魔術まで相殺することができる優れもんときた」


「すごいですね! 学校の魔術でもそれを教えてるんだ……」


「いいや、お教えへんで。無属性魔術は単純な呪力の塊やけど、君もやってみてわかるようにそれを留めるのに繊細な呪力操作と呪力量が必要になる。属性魔術が簡単に出せる理由は変質を行う際に、呪力同士の物質として変化されるため繋ぎが強固になるのと、物質に変換しているから威力がその物質に依存する。学校の先生が無属性魔術を教えられないのは単純な実力不足なんや」


「実力不足……」


「まぁ、そこにいる御方に頼み込めば教えてくれるかもしれへんで。君には甘いみたいやし」


 伏見はエリザを見ていた。


「エリザ様が?」


「せや。魔力量は桁違いやからな」


「全然、そうは見えないです。もしかして、変質で魔力量を隠してるんですか?」


「流れ出る魔力を調整してるか、呪具で分からんようにしてるかは聞いてみんとなー」


「ちょっと、聞こえてるわよ」


 伏見は不敵な笑みを浮かべた。


「聞こえとったんですか。そりゃすんまへん」


「その子は関わらせないつもりじゃなかったの?」


「いや~、エリザ様からのお叱りを受けて、僕も目覚めたんですわ」


「その性格は代々一族で受け継ぐようになってるのかしら」


「朱に混じれば朱くなるというでしょ?」


ことわざというやつ? 何を言ってるか分からないわ」


 エリザは立ち上がり、服についたホコリを落とした。


「私の魔力をどうしてるかだったわよね? この歳になれば多少なりと魔力を使いこなせるようになってくるわ。量を増やしたり、減らしたりすることはできるようになるの」


 エリザは忠陽に近づいた。


「魔術も呪術も神聖術も、その本質はすべて同じ。それよりも大事なのは……」


 杖を取り出し、忠陽の胸に押し当てた


「あなたの心の有り様よ。すべてはそこから始まる」


 忠陽にはその言葉を素直に受け入れられなかった。その言葉を咀嚼しようとしても、色々な味がし、口の中から広がっていく。


 伏見の吹き出しで、忠陽は我に返る。


「いや、エリザ様、臭すぎません?」


「臭い? 私、臭うかしら?」


 エリザは自身の衣服の匂いを嗅いだ。


「いや、そうやのうて。格好つけたという意味ですよ」


「そう? あなたにとってはそうなのでしょうね。こういう大人にならないようにしさないと言いたいけど、世の中はそうならないと生きていけないのが事実よ。覚えておきなさい」


「エリザ様、やたらとオバハン臭いですよ」


「失礼ね、もうオバさんよ」


「いや、怒るベクトルがズレてますて」


 伏見の切実な思いが吐露された。

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