第六話 天谷の闇 その三

 忠陽が伏見に連れてこられたのは、雑居ビルの一室だった。部屋には何もなく、埃っぽい臭いがした。


「先生、ここは?」


「僕の秘密基地や」


「子供じゃあるまいし」


 エリザは呟いた。


「何言うてんですか。エリザ様かて、世界中に秘密基地を持ってるんでしょ?」


「隠れ家よ。それにこんなに殺風景じゃないわ。衣食住ぐらい整ってるわよ」


 確かに基地としては好奇心が沸き立たなかった。


 神無はスタスタと歩き、奥の壁際の地べたに座った。


 その姿に忠陽は適応能力が高いのかと思ってしまった。


「それで、その子を一緒に連れきて、私達に何をさせたいの?」


「あはは、バレしまいましたか」


 伏見の対応はいつもとは違い、エリザには飄々とせず、タジタジだった。


「この子の呪いを診てやってもらいたんです。できれば、解いて貰いたいです。……お願いします」


 伏見は真剣な顔で頭を下げていた。


 エリザはため息をつき、神無の方を見る。


「無理だな」


 神無は冷たく、端的に言った。


「坊や…」


 エリザが叱責すると、神無はまた口を開いた。


「呪いを消すことはできる。だが、そのときにそいつに何が起こるか分からない」


「それはなんでや?」


「その呪いは一つじゃない。二つの呪いが入り混じり、絡みついている。呪いを消すと同時にそいつの心を壊す可能性がある」


 忠陽は背筋がゾクッとした。


「わかった。ありがとうな、神無」


 伏見は礼を言ったが、神無は黙ったままだった。


「悪いわね。御役には立てなかったみたいで」


 エリザは伏見と忠陽に言った。


「そないなことないですよ。駄目で元々ですし」


「先生……」


「忠陽くん、そんな心配な顔をすることはない。消せないだけであって、解けないわけではない。そうやろ、神無?」


「ああ」


 伏見はいつもの余裕の顔をしていた。その顔に忠陽は何故か救われた。


「少年……」


 エリザは忠陽に近づく。少女の外見とは違い、何か心を燻ぶられるような妖艶さを強く感じる。


「その呪いは貴方自身でしか解けないと思うわ。どう解くかはあなた次第。でも、その結果がどんなことになろうとも受け止めなさい」


「……あ、あの。受け止めなさいって…」


 エリザは手持ちの杖で忠陽の頭を叩いた。その痛みに、忠陽は悶絶した。


「これだから最近の子は。それも自分で考えなさい」


「あはは。エリザ様が最近のっていうと、違和感ありすぎるわ」


「それはどういう意味?」


「そのままの意味ですけど、何か?」


 失礼しちゃうわとエリザはプンプンとしていた。


「ほな、僕はこのやんちゃ坊主を送り届けて来ます」


 忠陽は伏見に連れられて、外へと出ていった。


「坊や、なんで言わなかったの?」


 神無はエリザを見るが、黙っている。


「あの子の呪いはあのビルの術式と関係しているって」


「あんたが忠告した。それ以上言えることはない」


 エリザは隠れ家の窓から見えるセントラルビルを見る。その不気味さ、禍々しさを睨みつけた。


「それに……」


エリザはまた神無を見た。


「呪いは人の願いでもある」


「そうね。あの子の呪いに見える無邪気な子供たちの影は、そうかもしれないわ」


 時刻は午後十時近くを回り始めた。妹の鏡華には隠れ家を出るときに、言い訳のために伏見から電話をしてもらっていた。伏見の電話の素振りでは、外向きの鏡華が出ていたため、話がこじれるということはなかった。


「忠陽君、君に一つ守って貰わないことがある」


「はい、なんですか?」


「あの二人のこと、誰にも話すな」


 忠陽は伏見の真剣な言葉に驚いた。


「エリザ様が言うように、君のためにも、僕はあの二人を呼んだ。やけど、僕はあの二人を君に会わせるつもりはなかった。あの二人は、僕らと違う世界の人間や」


「違う世界?」


「あの二人の命を狙っている人間は沢山おる。君がもし、あの二人と会ったことがあると吹聴すれば、いずれ君の命は狙われる。それも僕が勝てへんような相手ばっかや。この意味、わかるな?」


「……はい」


「だから、今日あった事も忘れ。君はたまたま僕と会って補導され、かなり怒られた。それでええな」


 忠陽は伏見の顔を見ず、返事をした。だが、その内心では忘れられるはずもないと思っていた。


 神無という男が現れたときの高揚感。呪術師として何か根本的な事をくすぐられた。完全なる無といえばいいのか。それとも霊的な根幹に触れたような。呪術師の血がその甘い蜜をすすりたい。その願望が消せなかった。


 奇しくもその灯は目の前に見える繁華街の灯に似ていた。


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 雑居ビルの地下室、男達が雁首そろえて震えている。


 上下白のスーツに胸元があいた中山照之てるゆきのギロッとした目に誰もが威圧されていた。


 中山が不機嫌な理由は実験体の上がりに不満だったからだ。


 この都市の学生は弱肉強食の世界だった。その世界は表面化していないが、学生の深層意識には植え付けられていた。


 学戦は術者としての優劣を決め、そこに階級層ができ始める。下位層達は上位層に自分たちの環境改善を訴え始める。


 中山の生業はそういう学生に甘い言葉を囁き、おとしめ、身動きが取れなくなった所を刈り取ることだ。その刈り取った学生は人知れず、どこかへと送る。


 その刈りはここ最近上手くいかないはず。中山は上手くいかないことが分かっていても、部下達に徹底していることは強引な拉致をしないことだった。


 今まで居た存在が急に居なくなれば、その空間はなくなり、違和感を生む。特に大和皇国のような治安がよく、集団意識の強い国民性はそれを強くする。


 強くなった違和感は国家権力を動かすことになる。呪捜局や警察ならのらりくらりと躱せるが、公安や皇国軍の治安局などが動けば一網打尽だ。


 そのためにとかげのしっぽは多く存在するが、いずれ本体に繋がる。それは中山にとって最悪のケースだった。


 先月の海風高校の一件から始まった失態では、学生を薬物の売り子にしていたため、事件性を露呈し、大事になっていた。とかげの尻尾切りとして井上を粛清し、海へ遺棄して口封じを行い、情報漏洩は免れた。


 その事件から日が浅く、呪捜局の動きが活発化しているため、仕事の動きが鈍くなってしまうのは当たり前だ。だが、報告書に上がってきている動きはいつもと少し少ないくらいだった。


「お前ら、まさか強引にやってるんじゃないだろうな?」


 全員が沈黙で答えた。


「おい、ヒデ。てめぇのところ、やけに羽振りがいいな」


「はい。地道にやってきた結果だと思います……」


「そうか……」


 中山は立ち上がり、ヒデの前へと歩く。和やかに笑う中山を見て、さらに全員が怯えていた。中山は笑うときは機嫌が悪いと意味をしていたからだ。


 中山はヒデの両肩を叩きながら、ヒデの顔を見る。ヒデは中山を恐る恐る見た。その瞬間に、中山はヒデに頭突きをしていた。


 ヒデの鼻と歯は折れ、顔面は流血に染まった。


「嘘つくんじゃねぇよ」


「ず、ずいま…」


 中山の手は早い。ヒデを拳で吹っ飛ばしていた。中山はヒデにまた近づき、胸ぐらを掴んだ。


「なんとか言えよ、おい…」


 そう言いつつも、中山はヒデの顔を殴る。


「ハガっ」


「ハガ? 誰だよ、そいつは?」


 中山は人をいたぶるのを好んだ。ヒデも顔が分からなくなるまで、狂い笑いながら殴った。ヒデはとうとう動かなくなった。


 中山が手を差しだすと、誰かがハンカチを渡した。そのハンカチで手を拭い、いつもの仏頂面に戻った。


「おい、あくまで同意の上でガキどもを連れてくるんだ」


 全員が大きな返事をした。


「呪捜局や警察なんてのは何とでもなる。今、火種で良いんだよ。何のためにてめえらみたい奴を使ってると思ってる? 俺は火事を起こせとは言ってないぞ」


 部下が帰った後、自室のソファーに座り、タバコに火を付けた。煙を全身に行き渡るように吸い込むと、一旦体で巡らせ、天を仰ぎ見ながら吐き出した。この瞬間が中山にとって落ち着く時間だった。


 その時間を壊すように、ノックもせず扉を開けて、女が入ってきた。


「なんだ、あんたか」


 長い黒髪に豊満な体は、男を誘惑するような服装によく似合っていた。艶めかしい目つきに泣きぼくろ、恍惚とした顔は、大人の誰もが魅了させられる。


「機嫌が悪いみたいね」


「まあな」


 女は絡みつくように中山の腕を掴み、豊満な胸を当てた。


 中山は黙って、位置をずらした。


「今日はやらないの?」


「気分じゃねぇ」


「焦っているのね」


 中山は舌打ちをする。


「男は焦ると、自分のことだけ。でも、そんなあなたを私は食べたいわ」


「お前の頭はやることしかねぇのか?」


「そうね、そういうのは人より多いわ。でも、それよりもあなたが苦しむ顔を見るのがもっと好きよ」


「この変態野郎が」


 女は中山に跨がり、加えているタバコを捨てた。そして、顔を近づけた。


 中山は近づく女の顔を退けた。


「いいわ、その顔。好きよ」


 女は中山の顔に手を添えた。


「聞きなさい。例の先生の招待で、この街に高貴な御方が二人来られたわ」


「高貴な御方?」


「そうよ。その二人に手を出してはダメ。あの御方の命令よ」


「あの御方が…」


「計画は最終段階入っているとはいえ、その二人に感づかれたくないの。できるわね?」


「オーケー。だが、例の教師は別だ。あの野郎には散々やられてる」


「ふふふ。構わないわ。でも、二人が居なくなってからよ」


「分かってる」


 女は男の性を見て、唇を噛んだ。自分の衝動のままに男を求めた。

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