第六話 天谷の闇 その二

 二


 忠陽たちが家に帰ったのは午後六時頃だった。


 家は静かだ。いつもなら鏡華きょうかはこの時間には帰っており、テレビの音がしている。


 リビングに入ると、行儀の悪い鏡華きょうかの幻影を忠陽は見た。


 何か悪い予感なのかと、忠陽は不安に思ったが、携帯の着信音でかき消えた。


 画面に表示されているのは鏡華きょうかの名前だった。


「あっ、陽兄ぃ? 連絡が遅れてごめん」


「ううん。僕たちも今帰ったところだよ」


「そうなんだ。今日は学校行事で、今から帰るとこなんだよね。たぶん、七時なりそう」


「分かった。でも、独りだと心配だし、迎えに行こうか?」


「何言ってんの、子供扱いしないでよね! べ、別にいいし! それに友達も一緒だし!」


「あはは。そうだね。でも、心細くなったら電話するんだぞ」


「ウッサい、馬鹿アニキ!」


 通話を切られ、忠陽の耳に終話音が鳴り響く。


 鞘夏は、忠陽を黙って見つめていた。表情では分かりにくいが、恐らく鏡華を心配しているのだろう。


「学校行事で帰るのが遅れてるみたい。七時には帰ってきます」


「かしこまりました」


 鞘夏は晩御飯の支度を始めた。


 鏡華は七時なっても帰って来なかった。


 忠陽はリビングを右往左往し始めていた。それは修練の時の伏見の言葉が忠陽の不安を増長させていたからでもあった。


 忠陽は鞘夏に声をかけた。


 鞘夏は何が言いたいのかを理解していたようで「いってらっしゃいませ」と端的に答えた。


 忠陽はお礼を行って、外へ飛び出す。


 夜の暗闇を走り抜け、電車を乗り継いで、鏡華の学校へと向かう。


 鏡華の学校に着いた時には、七時半を過ぎていた。


 学校の灯りはすでに落ち、薄気味悪い。例え、令嬢学校であったとしても、その印象は夜の学校に対しての概念なのだろう。


 忠陽は息を飲む。校舎の正門は閉じられており、容易に入ることはできなかった。


 決意し、正門を飛び越そうとしたとき、忠陽の携帯が鳴った。


「陽兄ぃ、今どこにいるの!?」


 電話のぬしは妹の鏡華だった。その声を聞いて、忠陽は安堵する。


「良かった」


「良かったじゃないわよ! 何で、迎えにいっちゃうのよ」


「そりゃ、心配だったからに決まってるだろう」


「キモッ! このシスコン!」


「鏡華はその言葉ないだろう」


 忠陽は正門前でへたり込む。


「友達も一緒だって言ったじゃない。…まぁ、少しは見直した」


「そう? だったら、そんな兄を少しはねぎらってくれるか?」


「ヤダ! 速く帰って来い!」


 ブツッと乱暴に電話が切れた。


「素直じゃないな」


 忠陽の顔は自然と笑顔になっていた。


 家路はほの暗く、静かだった。歩いている場所が学区でもあり、町の夜の静寂ではなく、人が居なくなった廃墟にも思える。


 歩く道は遠く、一筋の街灯だけが家路を指し示す。


 一瞬、光を見た。正しくは光とは呼べず、人が発すると気配と呼べる何かだ。その光を忠陽は注視する。


 光は三つあり、二つの光から一つの光が逃げているように見えた。


 忠陽は一つの光が追われているのだと直感した。ほの暗い夜から暗闇の夜へと走り出す。周りは見えにくく、忠陽は暗視の補助呪術をかける。


 光が人として、はっきり捉えることができ、男二人が女学生を追いかけていた。女学生は強ばった顔をしており、涙を浮かべていた。その顔が妹の鏡華に重ね、忠陽は歯を食いしばる。


 式符を取り出し、獰猛な犬が如き式を放つ。式は主人の命令を受け、疾風の如く走り出す。 数秒で男達に飛びかかり、動きを制止した。


 女学生はその出来事に動揺し、足を止めてしまった


「速く逃げろっ!」


 忠陽は女学生に叫んだ。女学生は後退り、走って逃げていった。


 その間に、男達は式を倒していた。


「学生が。やってくれる……」


 男の一人がそう吐き捨てると、ナイフを取り出し襲いかかる。


 相手は魔術による身体強化をしており、忠陽は近接戦に不利だと判断し、もう一度、式を放つ。


 式は時間稼ぎにしかならなかったが、距離を取れた。忠陽は土の呪術、石礫いしつぶてを放ち、相手を怯ませることができた。その隙に忠陽は逃げ出した。


 その判断は冷静であり、手堅いものだった。二人の男は魔術使える。もし、二人が連携して魔術で攻められたら圧倒的に不利だ。この戦いは演習ではなく、実戦だ。ナイフを抜いた瞬間に自分の命を守ることに徹した結果であった。


 繁華街に入れば相手は追ってこない。その考えの基、忠陽は暴れる心臓に抗いながらも走り続ける。体内からの悲鳴は呼吸の荒さに変わる。背筋には鳥肌が治まらず、辺りを最大限警戒していた。


 突風が忠陽の脇腹を打撃する。忠陽は体勢を崩して、アスファルトに倒れ込んだ。


 男達が追いついてきた。そこにもう一人、男が現れた。男は三人居たのだ。最大限警戒をしていたが、見つけられなかった。忠陽は隠形の術を使っていたのかと気づいたが、それも追いつかれた今となっては意味がなかった。


「最近の学生は、強い、強い」


 風の呪術を放った男はわざとらしい笑い声を上げた。


 立ち上がろうとする忠陽に男の一人が忠告する。


「大人しくしろ。俺達も飯の種を奪われて気が立ってるんだ」


 忠陽は式符を取り出し、呪言を唱える。式符は動き出し、空中を舞おうとした。


 男の一人はそれを見逃さず、忠陽の首を手掴みしながら、持ち上げた。そのまま絞め落とそう力を入れる。


 声にもならない忠陽は叫びが虚しく鳴る。男達は忠陽の苦しむ様を楽しんでいた。


 意識を失いそうになる中、暗闇よりも黒い闇を見た。その闇は光さえ吸い込み、すべてを飲み込んでしまうものと感じたが、違和感があった。


 なんだ、あれは……


 忠陽はその違和感の正体に気づき、闇ではなく、無だと悟った。無というのが視覚できるならこういうものことを言うのだろう。その無の在りように尊さを感じる。この危険な状態でも、喉から手が出るほどにその在りように心を奪われてしまう。


「誰だ、お前は!」


 男の一人が神無に気づき、怒鳴り声を上げる。その声で他の二人も気づく。


 神無かんなは答えない。


 男達はこの距離になっても気づかなかったことに対して警戒していた。


「僕の生徒に手を出して、タダで済むとは思うてへんよな?」


 忠陽の背から聞き慣れた嫌みな声が聞こえる。


「白髪のサングラス!」


「生徒だと? ……せ、生徒がどうなっても良いのか!」


「そんときは、お前らが死ぬだけや。大人しくしろ。僕も気が立ってるさかい」


 本音かどうか分からない口調で飄々と伏見は言った。


 男の一人が目の前に居る恐怖に咆哮を上げ、神無かんなに立ち向かった。


 男は一瞬にして崩れ落ちる。


 他の仲間は一瞬のことで何が起こった分からなかった。それが男達を不安に駆り立て、無意識に忠陽から手を離していた。


 忠陽は地面に四つん這いになり、咳き込んだ。


「言え、お前らのボスは誰や?」


 男達は眼から色を失い、傀儡くぐつのようになってしまった。


「ヒロシさん」


「お前らのリーダーやない。その先の元締めや」


「………」


「こいつらも末端か」


 傀儡くぐつになった男達を神無かんなは気絶させた。


「便利ね、言霊ことだまというのは」


 闇の中でも月明かりのような金色の髪、少女のような美しい顔。だが、その雰囲気は幼さではなく、目を奪われるほどの蒼白い妖艶さ。忠陽はエリザを見て、妖精を見ているのかと錯覚する。


「対策されやすいし、燃費悪いし、雑魚じゃないと効かないしで、ええもんやありゃしませんよ」


「それでも、拷問よりはマシでしょ? 後が残らないじゃない」


 伏見は立ち上がった忠陽に近寄り、いきなり顔を引っ叩いた。


「君はここで何しとるんや!」


 忠陽は頬の痛みよりも、いつもの伏見は違うことを気づく。伏見が感情のままに怒っている。


「なにも、引っ叩くことはないじゃない」


「エリザ様は黙って頂きたい」


 エリザは神無を見た。神無は相変わらず黙ったままだった。


「わかっとるんか! 殺されそうになったんやで!?」


「……はい」


 伏見は空を見上げ、深呼吸をする。そして、再び忠陽を見た。


「君が逃した少女、無事や。呪捜局に連絡して、保護してもろうた」


 忠陽は安堵した。彼女を助けられたことは、伏見に怒られたとしても何倍の喜びだった。


「さっきは済まない。僕も感情的になってしもうた」


 伏見は不器用に謝っていた。


「良いんです。危ないことをした自覚はあります。……でも、僕には、彼女が妹に見えたんです。だから……」


「……そうか。そりゃ助けたくなるわな。君がここに居るのも妹さんを心配してのことやろ? 妹さんは無事か?」


「はい。僕が妹の学校着いたとき、入れ違いで家に着いてました」


「そりゃ、良かった」


「それよりも先生、その二人は?」


 忠陽は神無とエリザを見た。


「僕の強力な助っ人や。そろそろ、ここにも呪捜局の連中が来る。君がここに居るとめんどうになる。ついてき」


 伏見の後に続くように忠陽も移動を開始した。

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