第四話 青い蕾 その五

 大地に連れて来られたのは天谷市の中心街から南東にある金剛こんごう寺という寺だった。


 天谷市という狭い人工都市に木造建築の寺がある事自体珍しい。また寺の周りには霊園もあった。大地によると、住職の商売らしく、生臭坊主なまぐさぼうずとも言っていた。


 大地は本堂に入るなり、おっちゃん居ないのかと大声を張り上げる。靴を脱ぎ捨て、ずかずかと入る様を見る限りは、余程な親しい仲のだろうと忠陽は考えた。


 本堂の奥から袈裟を着た坊主頭の、四十半ばであろうかぐらいの、僧が出てきて、大地の頭に拳骨げんこつを与える。


「こらぁ! 大地、学校はどうした!」


「痛ぇえ! 殴らなくてもいいじゃないか!」


「何を言っておる! お前ら学生の本分は学校に行って学ぶことだ」


「だってよ、あの学校、クソつまんねんだもん」


 それから忠陽は大地と二人して、本堂に正座させられ、ありがたいお説教を頂戴した。時間にして一時間。やっと開放されたというときには忠陽は足が痺れて立てないくらいだった。


「で、このワシになんの用だ?」


「お、説教で忘れるところだった。こいつをおっちゃんに紹介したくってさ」


「どうも、初めまして賀茂かもの忠陽です」


「これは、挨拶をしなくてすまなんだ。ワシの名前は高畑たかはた三十郎さんじゅうろう、いや、もうすぐ五十郎ごじゅうろうですがな」


 忠陽は愛想笑いをした。


「やはり、今の若いものには分からないのかな? 一昔前は流行ったのにな」


「テレビが白黒の時代の話をすんじゃあねぇ」


「大地、白黒の時代の映画を馬鹿にしてはいかんぞ。色がなくとも、現代よりもいい映画が沢山ある。そのひとつが――」


「その話は今度また聞くから、とりあえず俺らの話を聞いてくんない?」


 三十郎は咳払いをしつつ、平静を装った。


「して、用向きとは?」


「実はさ、二重人格を制御する方法なんてあるのか?」


「二重人格?」


 三十郎は高笑いをした。


「大地、お前が難しいことを聞くなんて……今日は典子に赤飯を炊かせねば」


「あのさ、マジで聞いてんだけど…」


 三十郎は冗談ではないことを悟った。


「二重人格を制御する方法などワシも聞いたことがない」


「なんかねぇのか? 伝承とかでさぁ。俺に炎を制御する方法を教えてくれたようにさ」


「お前の炎は、不動明王の教えの一部を読み解いたことによって、その真理の一部に触れたに過ぎない。二重人格とは別ものだ」


「その二重人格が、後天的に、それも呪術によって作り出されたものだとしたら、どうですか?」


 忠陽の問いには三十郎は難色を示した。


「難儀なものだ……。ここまで来て申し訳ないが、ワシは呪術に関しては、素人でね。お前たちの力にはなれない」


「どうしてだよ、おっちゃん。呪術も、真言も、そうは変わりないだろ?」


「馬鹿者。確かに真言は、呪文のように唱えるが、本質は仏の教えだ。その教えに触れることよって、この世の真理に触れ、悟りの境地を至ることが重要であって、人をのろう術ではない」


「確かに呪術は、人を呪い殺したり、縛ったりするものです。だから、その術で、他の人を傷つけることを避けたいんです」


 忠陽は、拳を強く握りしめた。そんな真剣な趣を見て、三十郎は嘆息たんそくをついた。


若人わこうどがここまで困っているのだ。私が知らなくても、その道ぐらいは示さねばならないな」


「ってことは、なんか知ってるのか?」


「先も言ったが、ワシは知らん。だが、呪術を知る人間を紹介することはできる。ちょうど、懇意にしている刑事がいる。その者に連絡を取ってみよう。しばらく待っててくれるか?」


 忠陽と大地はお互い顔を見合わせて、喜び、心地よい返事をした。


 三十郎は本堂から離れた庫裡くりと呼ばれる、住職の住居へと赴いた。住居の玄関から、居間に向かう廊下に、黒電話と電話帳が置かれており、そこから室戸の携帯電話の番号を見つけ出してダイヤルを回す。


「室戸だ」


 低く、無骨者ぶこつもののような声が聞こえた。


「あー、ご無沙汰しておりますな。室戸刑事」


「なんだ、住職。どうしたんだ?」


「いや、お力をお借りしたくて」


「いいよ。住職には何かと世話になってるからな。今度一杯行きましょうや」


「あはは、そちらはまた今度」


「じゃあ、なんですか?」


「呪捜局で、呪術のことをよく知っている人を紹介してほしいのです」


「呪術? どうしたんだ、事件か?」


「事件ではないのですが、悩める若人の力になってやりたくてね」


「悩めるね。住職らしいといえば、住職らしい。あのきかん坊のためかい?」


「いえ、その友達です。いささか難儀な境遇でして、その悩みを解決するのに、呪術をよく知る人間と会わせてやりたいと、そう思いましてな」


「いいよ。住職が紹介するなら万に一つでも間違った方向には行かねえだろう」


「ありがとうございます」


「呪術関係では色々と捜査に協力してもらっている伏見って教師がいるんだが、そいつがかなり詳しい。ちょうど、今、人探しで局に来てるんだ」


「学校の先生が人探し? どうかしたんですか?」


「いや、なんだか、学戦で色々あったみたいでよ。今日、その先生の生徒が救急車で病院に運ばれたらしいんだが、その先生が病院を訪れる前に自宅に帰ったらしいんだ。それで、自宅に様子を伺いに行ったがその生徒は居なかったってわけだ」


「ほう、それは気になりますな。その生徒は大丈夫なんですか?」


「病院の診断では過換気かかんき症候群しょうこうぐんで倒れたらしい」


過換気かかんき症候群しょうこうぐん?」


「過呼吸ってやつだな。主にストレスが要因らしいんだがな」


「学戦で、何かあったんでしょうかな」


「まぁな。呪術研究の一環とは言ってるが、要は子供を戦わせてる。イマイチここの研究本部の方針は気に入らねぇ」


「同感ですな。私も親としては気が気ではない」


「典子ちゃんか。この前、車ですれ違ったが、かなり別嬪さんになって」


「親バカですいませんが、年々綺麗になってきて」


「そういや、典子ちゃんは、どこの学校にいったんだ?」


「海風高校ですよ」


「なんだ、自分の手元に置いてんだ」


「ええ、変な虫が付かないようにね」


「まぁ、紹介の件は分かったよ。話は付けておくよ。あ、そういえばさっきの生徒の件、そういう生徒がいたら連絡をくれないか?」


「ええ、分かりました。どこの生徒なのですか?」


翼志館よくしかん高校だ」


「念のため、その生徒の名前を教えてください」


「ちょっと待ってくれ。………おい、先生! 生徒の名前はなんて言うんだ? ……賀茂かもの忠陽君だ」


「……成る程」


「どうしたんだよ?」


「その生徒は、今ここに居ます。その先生には迎えに来て頂くように、お伝え下さい」


「お、おう。わかったよ」


「それではよろしく」


 三十郎は電話を切ると、平静へいぜいを装いながら本堂に戻った。そこには無邪気に談話している忠陽と大地が居た。


「おう、おっちゃん。どうだった?」


「ああ、室戸むろと刑事が呪術に詳しい人を紹介してくれる」


「やっぱり室戸むろとおっさんか。で、いつ行けば良いんだ?」


「今日、ここに来てくれる」


「おお、それはマジか! やったなボン!」


 大地は無邪気に忠陽の肩を叩いて喜んだ。


「忠陽君、少し聞きたいのだが」


「はい」


「今日、君は学校どうしたんだい?」


「学校は……」


「なんだよ、おっちゃん。また説法か?」


「大地、ワシはお前に聞いているのではない」


 大地は即座に何かに勘づいた。


「ボン、早く逃げろ!」


 そう叫ぶと大地は起き上がり、炎を出した。忠陽はとっさに何が起きているのか分からずに座ったままだった。


「何やってんだ! ここからヅラかるぞ!」


「どうして?」


 炎を三十郎に当てようとしたその時に、二人はすべての動きが止まるの感じた。三十郎に離れた炎は霧散し、印を結んだ三十郎の姿が見えた。


「グッッッッ」


 大地は体を無理矢理動かそうとするが、ビクともしない。


「金…縛り。どういう…ことだ…生…臭…坊主!」


「言葉を喋るとは…。大地、精神力を上げたな。忠陽君、手荒なことをして済まない。だが、君は今日、救急車に運ばれたみたいだね。学校の先生も心配して、君を探している」


 忠陽は金縛りを受け、言葉すらでなかった。


「君の事情を聞かずに済まないが、一旦は君を先生と会わせる必要がある」


「ああ? 先公に…会わせて…どうする…んだよ! 先公が…信用…できれば、こいつは…こんな所にも…居ねぇんだよ」


 大地に怒りの感情に呼応してか、炎が漏れ出し始めた。


「腕を上げおったか。だが…。オン」


 三十郎は印にさらに力を流し込む。すると、大地から漏れ出た炎が消え去り、大地は完全に動かなくなった。


「カッカッカ。まだ十年早いわ。だが、大地、お前の意見は分かった。その先生に忠陽君を引き渡すかは、ワシに任せろ。なに、悪いようにしない」


 忠陽と大地が何も動かない石に成り果てたときに、典子が本堂に入ってきた。


「ただいま~。お父さん、聞いてよ。また、大ちゃんが……って、大ちゃん! こんな所で何してんの? 今日も学校をサボって、どんだけ私が探したか!」


「おおお、典子! 帰ってきたか、我が愛娘よ。 さぁ、パパにお帰りのキッスをおくれ」


 典子は三十郎の顔見て、そして大地の顔見て、忠陽を見る。


「え? いったいどういう状況なの、これ?」

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