第四話 青い蕾 その四

 忠陽ただはるは、会計を済ませ、病院を後にした。すぐに家に帰る気分でもなく、ちょうど近くにあった中央通りのアーケード街を歩く。


 平日、午前中のアーケード街は閑散かんさんとしている。アーケード街はまだ寝起きが悪いようで、店もまばらに開けていた。このアーケード街が賑わうのはお昼時からであり、夕方から夜が最高に賑わう。この閑散かんさんとしている景色は昨夜の余韻よいんなのだろう。


 忠陽はこれからどうすればいいのか分からなかった。心のストレスで倒れたという情けなさ、不甲斐なさでいっぱいだった。もう一人の自分がいることにもショックだった。だが、その重さが自分で思っているよりも心身に負担を掛けていたとは思ってみなかった。呆然ぼうぜんとしながら、アーケード街を歩いた。


 ちょうど、他の道と交じる四つ辻で忠陽は誰かとぶつかった。その出来事に忠陽は、自分のことでいっぱいで、反応すら出来なかった。そのぶつかった相手はどう見てもチンピラという表現が似合う三人の一人だった。


「よう、てめぇ。ぶつかって謝りもしねぇのかよ」


「マジ、肩脱臼だわ。チョー痛ぇ、マジ痛ぇ」


「こりゃ慰謝料いしゃりょうレベルってか。速く出したほうが良いじゃない?」


「ってか、何か答えろうよ」


 ぶつかったチンピラは岐湊ぎそう三連松さんれんまつ。ここらではちょっとした有名人であった。その三連松さんれんまつの呼びかけにも答えず、忠陽は歩く。


「てめぇ、俺たちを無視して許されると思ってんの?」


「ああああああん!」


「てめぇ、何様? もしかして、俺様ってか?」


 その弱い犬のような遠吠えでも忠陽はびくりともしなかった。


「てめぇ、俺らを誰だと思ってんだ! 泣く子も黙る岐湊の三連松! 一松いちまつ!」


二松にまつ!」


三松さんまつ! あ、俺達の名前、知らないとは言わせないぜ!」


 その決め台詞とポーズさえ無視された三連松はついに実力行使に出た。一松が忠陽の胸ぐらを掴んだのだ。


 忠陽は何が起きているのか分からなかった。ただ、チンピラ三人が怒って絡まれていることだけは理解できた。


「おい、てめぇ。ぶつかって起きながら、さっきから無視しやがって。ここいらの流儀りゅうぎというのを教えてやらないとな」


 忠陽はその三人を見て、記憶の中で思い出した。たしか宮袋みやぶくろ大地という青年に炎一つで追い払われた連中。


「ぁん? 聞いてんのか、この野郎?」


「す、すいません」


「すいま千円で済むとでも思ってんのか? すいま万円以上だ、馬鹿野郎!」


 一松の右隣から二松は忠陽に近づき、ぺっぺっぺと唾を飛ばす真似をする。忠陽はそれを避けるために顔を反らした。


「てめぇ、人の話は目を見て話させって、高山先生に言われなかったか?」


 三松は一松の左隣から二松と同様に忠陽の顔を近づけ、唾を吐きかける真似をする。行き場を失った忠陽は正面の一松を見た。


「てなわけでよ、慰謝料出せや」


「そんなもの出せるわけないじゃないですか……」


「ははは。どうやらこいつは痛い目を見たいようだな」


「そうみたいだな、一松」


「やっちまおうぜ、一松」


「さぁ、やれ、二松!」


「え、どうして俺が?」


「俺はこいつの胸ぐらを掴んでる」


「いや、俺だって、こいつが逃げないようにここに立ってる。それに横から殴るのって漢らしくないだろう? だったら、三松、いけ!」


「いや、おれは手首怪我してるからよ。一松がいけよ」


 次第に三人は堂々巡りをしていた。ついに、一松は忠陽から手を離して、突き飛ばし、三人で言い争いが始まった。その様子は突き飛ばされて座り込んでいる忠陽から見てもみにくいものだった。


 そこへ一筋の炎が三連松の鼻先をかすった。三人は驚いて、ゴキブリの様にシャカシャカと動き回った。


 忠陽はその炎に見覚えがあった。この三連松と会ったときに…。


「なーにやってんだよ、てめえら」


 黒い短ランに赤いTシャツ、黒のボンタン。髪は金髪と黒髪が混ざったパーマがかかった髪だった。耳はピアスを付けている。顔は少し肌黒く、彫りが深い。誰が見てもヤンキーだった。


「き、き、キサマ!」


「またしてもか!」


「おのれぇ!」


「なんだ、揃いも揃って、カスみたいなセリフだな」


「今日という、今日は―」


 大地は一松をにらみつけた。


「覚えておけよ!」


「おい、一松! ……お、覚えておけ!」


「ぼえておけ!」


 三連松はスタコラと逃げ去った。


 大地はその姿を見て、ため息をついた。その後、忠陽の方を見る。


「おい、大丈夫か?」


 大地は忠陽に手を差し出す。


「って、お前、ボンじゃねぇか!」


 大地の手を取りながら、忠陽は苦笑いしていた。


 大地はしゃがみ込んでいた忠陽を引っ張り上げた。


「どうしたんだよ、あんなクソ雑魚に絡まれて」


「ちょっと、ぼーっと歩いてて、さっきの人達とぶつかって」


「何だよ、それ。気をつけな、ここはお前みたいなボンボンなんてカモみたいもんだ」


「そう、みたいだね。ありがとう、宮袋みやぶくろ君」


 忠陽は会釈えしゃくをすると、またうつうつろと歓楽街かんらくがいを歩き始めた。


 大地はその姿を見て、頭を掻いた。


「おい! ボン!」


 忠陽は立ち止まり、振り返った。


「タダで帰るつもりか?」


 大地は、歓楽街の真ん中にぼんやりと佇む忠陽に近づき、肩を組んだ。


「そこのファミレスでなんか奢れよ。そんぐらいはイイだろ?」


「えっ? あ、うん」


 二人はファミレスに入ると、窓際の開いている席に座った。大地はメニューを開き、品定めをし始めていた。忠陽はメニューを見るわけでもなく、心あらずというように座っていた。そんな様子を見てか、大地は忠陽にメニューを渡し、決めるように促した。しばらくして、大地は呼び鈴を押した。従業員がやってくると、大地は遠慮なく、ステーキやハンバーグなどを頼み始めた。


「おい、お前はどうすんだよ?」


「えっ、僕は……ドリンクバーで」


 大地は来たステーキ、ハンバーグ、チキン南蛮とメニューをすべて平らげた。その食べっぷりは他の客の目が止まるほどだった。


 満腹、満腹とご満悦そうな大地は爪楊枝に手をかけ、口に加えた。それと同時に忠陽へと視線を向ける。忠陽はドリンクバーの飲み物を取るわけでもなく、店員に出されたお冷の氷さえ溶けきっていた。


「で、なんで、そんなに陰気いんき臭いんだ?」


陰気いんき臭い? 僕が?」


「だってそうだろう? 何も喋らずに、そこに座ってるだけなんだから」


「それも、そうだね…」


「そういえば、昨日だっけ? お前の所、学戦だったみたいじゃないか」


「うん、まぁ…」


「その様子だと、うまく行かなかったのか?」


「うまく行くも…僕は何をしてたか、覚えていないんだ」


「まぁ、それだけ必死だったことだろ?」


「そうだったら良かったんだけどね…」


 大地は頭を書きながら声を挙げ、急に席を立ち上がり、忠陽の頭をクシャクシャにした。


「その陰気いんき臭いの辞めろ! こっちまで気が滅入めいる」


「ご、ごめん」


「この俺様が相談に乗ってやってるんだ。その悩みをもっと、何て言うんだ、前向き? いや、建設的に? ほれ、あれだよ、あれ。そんな風に話せよ!」


「いや、ちょっとよく分かんない。それにこれって相談に乗ってるの?」


「そうだ、残さずだ! 残さず話せ!」


 忠陽はおかしな人だと笑っていた。不器用にも、相手が悩んでいることを察して、その棘を抜こうとしている。最初に会ったときのように自分にはない清々すがすがしさが好感だった。そんな彼になら相談してもいいのかと思い、学戦で起きたこと、そしてタダカゲという存在のことを話した。


「……要はその力を制御すれば良いんじゃないか?」


「簡単に言うけど、僕自身も、どうするればいいか、分からないんだ」


「確かにな。自分以外の人格あるなんて……俺がそう言われても結構ショックだぜ」


 忠陽は俯いた。


「だけどよ、そのまんまで居たいわけじゃないんだろ? 少なくともお前は、見境なく攻撃することを辞めさせたいと思ってるんだろ? でも、どうすればいいか分からないから悩んでるんだ」


 忠陽は頷く。


「だったら、四の五の言わず、制御する方法を探すしかないだろ?」


「心当たりがあるとすれば、父さんなんだけど……」


「行く前に心のストレスで倒れたって……。まぁ、そっちの方はもうちょっと時間を置いたほうが良いかもしんねぇな」


 忠陽は拍子抜けをした顔をしていた。偏見かもしれないが、大地はとにかく気合で乗り越えろと言うタイプだと思っていた。


「なんだよ、その顔は! 俺は根性なんて言葉で終わらせるつもりはねぇよ。だいたい、そんなデリケートなことには、時期っていうもんがあるんだよ。とりあえずは、今日は俺に付き合えよ」


 会計を済ませるとき、忠陽は驚愕きょうがくした。確かにおごるつもりでいたが、金額が四千円と、一人でどんだけ高いものを注文したのかと思った。


 大地を見ると、謝礼金としては安いもんじゃねぇかと笑って、忠陽の背中を叩く。半ば、強引なみかじめ料に、忠陽は呆れて笑っていた。


 

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