第四話 青い蕾 その六
夕暮れの道路を一台の車が走る。小ぶりワンボックスの軽自動車だった。運転席には藤がおり、片腕のない伏見は助手席にいた。
「よかったね、早く見つかって」
「そやな」
伏見の空返事であった。
「何、嬉しくないの?」
「いや、そんなことないで」
「もしかして、気にしてんの?」
「……痛いとこ突くわ」
「大体、君は二重人格なんだって普通言う? デリケートな話なんだから、段階を踏まないと拒絶されるのは当たり前でしょ?」
「ホンマ、そうやな。教師としては、まだまだやな」
「落ち込んでてもしょうがないでしょ。ちゃんと謝りなさいよ」
「そうやな」
藤は伏見がここまでしおらしいのには少しムッとした。
「ねぇ、賀茂君はそんなに大切な生徒なの?」
「何言うとんねん。生徒は、全員、大切や」
「よく言うわね。私のときは大切にしてなかったくせに……」
「そないなことないで」
「へー、だったら、どんな風に大切にしてたの? 言って御覧なさい」
「あー、それは、あのー……。君をよう助けとったやん。ほれ、木崎教頭の事件のときなんか!」
「あーあれね。あのせいで、私は同級生に村八分状態なって、今でも同窓会も呼ばれないんだけど」
「そないやったっけ……。あ、あれや、クラブの事件なんかはどうや?」
「無理矢理、私に潜入捜査させて、危ない目にあわせたやつか……」
「日那乃くん、意外に根に持ってんな」
「だいたい、今日の朝、急に電話してきたらと思ったら、車を出すように言われて、一日中付き合ってるんだけど……。しかも、他校のことなのに」
「それはすまんと思ってる。そや、今度何か奢ろうか?」
「そうね。最近、中央街に本島でも有名なお寿司屋さんができたみたいなの、どう?」
「ああ、ええな」
「じゃあ、予約しておいてね」
「僕が予約せなあかんのか?」
伏見は今まで顔を見ようとしなかったのに、このときだけ見てしまった。
「自分で予約したら、必ず来ないといけないでしょ?」
それを言う藤はとてつもなくいい笑顔だった。
「それも、そうやな……」
車は赤信号で停まった。
「さっきの話、賀茂君を、どうしてそんなに気かけるの?」
「その話は終わったやん」
「そういうことじゃなくて。私も…あの二重人格を見たときは…驚いたよ。でも、呪術の家系ならああいうことは日常的じゃないの?」
信号は青になり、車が動き出した。
「ま、概念的な呪いでいえば、ざらに有ることやな。でも、二重人格は僕も初めてや」
「へー、そうなんだ」
「やけど、彼等に感じるものは、そういうものとはなんか違うんや」
「彼等?」
「忠陽くんだけやない。恐らく
「そんな危ないものなの?」
「呪いは大掛かりなほどその効果も大きい。忠陽くんに掛けられてる呪いがなんなのか、未だに分かってへんけど、命を代償にして完成させるものあるから、気をつけておかんとあかん」
「命!? 二度目って言ってだけど、一度目のときはどうだったの?」
「聞きたいか?」
藤は黙ったままだった。
「一族郎党、一人を残して全員が死んだ。今もその呪いは生きてる」
「生きてるって……」
「安心し。あれは一人の鬼を殺すため呪いや。関係のない人間を呪う可能性は低い」
金剛寺の駐車場に着いた。藤が車の外へ出ようとすると、伏見は車の中に居たままだった。
「京介、着いたわよ」
「この寺、僕、入るのを辞めとくわ」
「はぁ? あんたの生徒でしょ? あんたが行かなくてどうするの?」
「なんか、幽霊が出そうやし、怖いわ」
「呪術の専門家が、何甘えてんのよ!」
「ホンマに行かなあかんかな?」
いつにもなく拒絶する伏見が、藤は不思議だった。
「なに? 本当に嫌なの?」
「かなりマジで言うてる方や」
真剣な顔をする伏見。
「あんた、さっきまで賀茂君は気になる生徒だって言ってたでしょ? そんなに簡単に揺らぐものなの?」
「いやー、背は腹に変えられないというか」
「ふざけないでよ。ここまで来て、それはないでしょ? は、や、く、い、く、わ、よ!」
藤は伏見を無理矢理車から引っ張り出した。伏見は藤に片腕を取られながら寺へ歩き始めた。境内の前へと着くと、伏見は頑固にもその場から動こうとしなかった。
「何やってんのよ!」
「いや、僕はここで待っとく。忠陽くんをここまで連れてきてくれへんかな?」
「もう、何言ってんのよー」
「高級寿司、ちゃんと予約しとくさかい」
その餌には、流石に藤は食いついてしまった。
「本当に? 本当に本当よ?」
「今回だけは本当や」
「なによ、今回だけはって……」
藤は境内を踏み込むと、何かザラッとしたものを感じだ。恐らくだが、伏見が嫌がった理由はこれなのかと考えた。
誰を呼ぶでもなく、本堂から人が三人出てきた。忠陽、学生、そして住職。住職は人の良さそうの人だが、もう一人の学生はどう見ても不良だった。この二人の仲裁に住職が一役買ったのかと藤は想像してしまう。
「こんにちは。
藤の心の中では、ウチのというのが、引っかかっていた。
「いえいえ。初めまして、ここの住職をしております高畑三十郎、いやもう五十郎ですがな」
「はぁ……」
「こんな美しい方が先生だなんて、忠陽君、いい先生ではないか」
「このスケベ坊主」
不良の少年はすぐさま三十郎に殴られていた。藤は愛想笑いをしていた。
「あなたが、伏見先生ですかな?」
「いえ、私は藤と申しまして、賀茂君の高校のOGというか……あははは」
「忠陽君、本当かね?」
「はい。その先生は、
「うむ。大地の言う通りだったか…」
「えっと、どうか致しました?」
「いえ、伏見先生が来ないのなら、忠陽君はお預けできません」
藤は理解ができなかった。住職自ら呼ばれたのに、引き渡せないというのは、どういうことなのか。
「えっ、あの、その、どうしてですか?」
「残念ながら、信用に値しない相手に、身柄を預けるのは、彼にとって良くない」
「いや、あの、来てるには来てるんですよ! でも入りたがらないというか、なんというか」
「入りたがらない? よく言っていることが分かりませんが……」
「私も分からないんですよ。でも、入ろうとしないんです!」
藤は必死にそう話すも、話せば話すほど三十郎は警戒していく。
「えっと、高畑さん、藤先生の言っていることは本当だと思います。たぶん……」
「忠陽君、どうして、そう言えるのかな?」
「藤先生、なんかすごい困ってます」
今にも泣きそうな目をしている藤を見て、忠陽は何か無茶のことをやらされているように気がした。
「おい、おっちゃん……」
大地は三十郎を軽蔑するような目で見ていた。
「いや、ちょっと待て、大地! お前だって、伏見先生が来ていないのに、忠陽君を預けるわけにいかないだろう」
「いや、でもよ、あの藤って先生、かなり困ってるぜ」
「分かるが道理というものがあってだな」
「京介、なんで入ってこないのよ。入ってきてよ!」
一瞬静まり返って、境内の外から声が聞こえてきた。
「いや、外から失礼致します。ですが、今入ることは遠慮させて頂きますわ、高畑法師」
三十郎は境内の外に目を凝らすと、片腕のない男がそこには立っていた。
「君が伏見先生かね」
「はい、私が伏見です」
「なぜ、境内の中に入らない」
「そりゃ、入った瞬間、金縛りを食らうからに決まってます」
「ほう。だが、それは君の思い込みだろう。私はタダの住職にしか過ぎん」
「あなたは有名ですから。
「よく知っているな。どうだい、境内の中に入って少し話そうではないか?」
三十郎から気配が少しずつ変わっていくのが分かる。
「それはできませんて。境内の中からはもう神域の領域であり、そしてその
「さすがだね。君は、普通の呪術教師と、違うみたいだ。悪いが、君に、忠陽君を預けられない」
「理由をお聞かせ願いませんか?」
「そうだな、一つは君には、
伏見はクタクタと笑う。
「確かに。片腕がないと、そう思ってしまいますね」
「もう一つは、君たち呪術師は嘘つきで、教育者に向いてない」
藤がそんなことはないと言いかけた所で、伏見は遮るように話し始めた。
「ぐうの音も出ませんわ。法師の言うとおり、呪術師はみんな嘘つきやし、教育者なんて向いてません」
「正直、彼の呪いは、現状、僕にも分かりません。だからといって、忠陽君を見捨てることなんて、できません」
「なぜだね?」
「簡単です。僕は教師で、彼は僕の生徒ですから」
三十郎はふむと言ったまま考えた。
「教師か……。伏見先生、教師とは何かを教えて頂きますか?」
「なんでしょうね。僕もはっきりと分かってません」
続けて、これは受け売りですがと言いながら
「我々、教師できるのは自分の知識を生徒に教えること。でも、生徒は弟子ではなく、友でもない。一個人」
三十郎は鳩が豆鉄砲を喰らった顔をした。伏見の言葉を自分の中で噛み砕いた後、徐々に笑い始めた。
「いいでしょう、貴方を信じてみるとしましょう」
「おい、おっちゃん!」
大地は不満げだった。大地を無視して、三十郎は忠陽に近づいた。忠陽の肩に両手を置き、目を合わせた。
「忠陽君、いい先生と出会ったな」
三人は寺院を出た後、駐車場で伏見は忠陽に深々と謝礼をした。
「忠陽くん、ほんまにすまんかった」
忠陽はどうしていいか分からなかった。
「賀茂君、伏見先生は、本当に、君のことを心配してたのよ」
伏見を見ると、未だに頭を垂れていた。
「あの……先生。頭を、あげてください。先生が僕に謝る理由はありません」
伏見は顔を上げ、真剣な顔をしていた。
「もっと、君の気持ちを考えてあげないかんのに、僕はそれを無視してしまった」
「今日、色々と一日考えてみました。でも、ウジウジしていて。そんなときに、一度だけあった人が真剣に相談に乗ってくれて、四の五の言わず制御する方法を探せって言ってくれました」
「さっきの子か?」
忠陽は伏見の目を真っ直ぐ見て、頷いた。
「先生、もう一人の僕を制御する方法ってありますか?」
「君の呪いは異質なんや。正直、この三年間で解明できるかも分からへん。だけど、なんぼでも協力をしたる。僕は、君たちに色々と教えたいことが、山ほどあるねん」
伏見ははにかんだ笑顔だった。
「先生、僕に呪術を教えてください」
藤には忠陽から青いツボミが開くのが見えた。
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忠陽はマンションのエントランスの前まで藤の車で送ってもらった。車の中では藤が場を盛り上げようと話を振っていたが、うまく盛り上がらず、落ち込んでいた。
忠陽が車から降りると、ウインドが下がり、伏見が顔をのぞかせた。
「ほな、また明日な。明日は無理せんでもええから、来れるんだったら、学校に
忠陽は元気の良い返事をした。
藤が元気でねと手を振るとウインドを伏見は閉じた。忠陽には正確に聞こえはしなかったが、藤が伏見と言い合いをしていたのが分かり、苦笑いしていた。
それからマンションに入り、忠陽は玄関の扉の前に立つと、深呼吸をした。まずすべきなのは二人に謝ることだと自身に言い聞かせ、扉を開ける。
その扉が開く音を聞いてか、中からドタドタと慌てた足音がし、段々と近づいてきた。
鏡華は制服を着たまま、息を荒げて、立っていた。
「
「ごめん。友達の所に行ってたんだ」
「それならそうと連絡頂戴よ」
鏡華は忠陽に近づき、潤んだ声でそう言いながら、顔を見せることなく、胸の中に入り込んだ。
忠陽はそんな鏡華の頭を撫でながら、謝った。
忠陽は視線を上げると、
「鞘夏さん、ただいま。今日はごめんなさい」
鞘夏は答えなかった。その場で別の方向を見て、俯いたままだった。
「それよりも、
鏡華は顔を上げ、目頭を赤くして、元気よく言った。
「ああ、そうだった。昨日はごめんな」
「帰ってきたら、陽兄、居ないから今日も伸びたし……」
鏡華は忠陽の腹を小突く。
「わかったよ。明日だ。明日にしよう」
鏡華は喜び跳ね回った。
忠陽は鞘夏に笑ってみせた。鞘夏はすぐに奥へと入り、忠陽にしっかりと顔を見せはしなかったが、その頬は上がっており、口元は緩んでいるように見えた。
忠陽は改めて思う。僕が何者であろうと、僕が僕である限りは、この二人を傷つけたくない。
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