第四話 青い蕾 その二

 次の日、忠陽は鞘夏とともに病院で検査を受け、軽傷との判断を受け、退院した。


 医者は治療術の心得もあるようで「忠陽たちへの迅速な治療術のお陰だ。治療がなかったら君たちは一ヶ月は入院していたかもしれない」とも言っていた。


 忠陽にはその実感がなかった。目立った傷口はないため、痛みは残滓ざんしのように感じていた。


 病院を出たのは昼頃だった。忠陽は伏見との話もあり、学校へ行く気が出てこない。未だに自分が二重人格であり、鞘夏を傷つけたということを信じられなかった。


 忠陽はどこに行くというわけでもなく歩き、そして第二環状かんじょう線の電車に乗る。


 天谷市の電車は第一環状線、第二環状線、南北線、東西線、空港線とあり、すべてが高架橋を使っている。


 これは地上では場所を取り、浮島という構造であるため地表下には作れなかったという理由もあった。この高架橋に作ったことは電車から都市を一望することができ、第二環状線はこの都市の外殻を一周する。始発はあるものの基本的には一日中ずっと電車は回り続ける。そのため、海を見回すことができて、観光の目玉の一つのとなっている。


 忠陽は数駅乗った後に座席が空くと、そこに座った。ちょうど、忠陽の隣も同時に開いたため、そこには鞘夏が座った。二人は高架橋の継ぎ目で起きる振動に揺られながら、何も話すことなく時間が流れた。


 海では、海鳥たちが、電車と並行するように優雅ゆうがに踊りながら飛行していた。一人の子供が、その姿を見て喜んでいたが、忠陽は見ても何も感じていなかった。


 駅を進んても、景色は変わらない。ただひたすら海を映すのみだ。駅ごとに人が出入りするが、忠陽と鞘夏だけは動かず、この電車の中に取り残される。


 次第に海が茜色に染まり、日が落ちていった。忠陽はそのことに気づいて、やっと家路につく。


 家の近くの駅に降りると看板が照明よりも月明かりによって照らされていた。閑静な住宅街でもあるため、光害を気にしてのことだろうか。駅から帰路への道筋は看板とは違い、忠陽には薄暗く見えた。


「鞘夏さん……」


「はい」


 忠陽は何かを言いかけた。だが、鞘夏を呼んだときいつもと同じように返事をした彼女を見て、言葉を出せなかった。


 忠陽の頭の中はグチャグチャだった。彼女を傷つけた自分にどうして付き添うのか。彼女はどんな思いでいるのか。僕は何者なのだろうか。僕たちの関係が呪いだという伏見の意味はどういうことなのか。


 そこの言葉以外にも多くの思いが脳裏に反芻をして、うまく言葉が出せない。ただ一点、どうして彼女は僕のことを怖がらないのかというのが強く残っていた。


はる…様?」


 忠陽は鞘夏の自分を気遣うような優しい目を見て、恐怖に駆られ、後退あとずさった。鞘夏が声をかける度に一歩一歩後退あとずさる。


はる様!」


 鞘夏の強い呼び止めで、忠陽は我に帰り、足を止めた。後ろを見ると、車道に出ようとしていた。


「そちらは、危ないです。こちらへ」


 手を差し伸べる鞘夏を無視して、忠陽は家路と戻る。鞘夏はその後を黙ってついて行く。


「鞘夏さん…さっきは何でも無いです」


「……はい」


 無理に行った言葉は、むしろ相手が怪しむ言葉なのに、彼女はすべてを受け止める。それが忠陽にはなんだか腹立たしく思えた。


 家と着き、玄関に入ると、騒がしい音がし始め、玄関へと勢いよく鏡華が現れた。


「は、陽兄はるにい! お、おかえりなさい!」


「ただいま、鏡華きょうか


 忠陽は無意識に鏡華の頭を撫でていた。その様子がいつもとは様子が違うことを気づき、鏡華は鞘夏を一瞬、睨みつける。鞘夏は目線を反らしていた。


 鏡華は兄を元気づけようと誰が見てもわざとらしく、明るく振る舞い始めた。


「は、陽兄、学戦はお疲れ様。聞いたよ! 翼志館よくしかん高校、勝ったってね!」


「なんで知ってるんだ?」


「そんなの、この都市ではすぐ分かることなんだよ」


「そうなのか……」


「ねぇ、陽兄。今日は祝勝会ということで、お寿司とか取ったの!」


「僕は、何もしてないよ」


「でもでも、学戦はチーム戦じゃん! だから、皆で頑張ったから勝てたんだよ?」


 忠陽は黙っていた。


「あれ、お寿司は嫌だった? だったら、お赤飯を作ろうか? 私が!」


「お赤飯は祝い事のときだろ? 何言ってるんだよ」


 愛想笑いの忠陽を見て、鏡華は辛かった。


「私が! 作るんだよ?」


「ごめん、鏡華。今日は疲れてるんだ。明日でもいいか?」


「今日じゃないと二度と作ってあげない!」


 忠陽は妹の頭を撫でて、あやすようにごめんなと言って、部屋へと入っていた。


 鏡華は扉の前に心配そうに立った。


「陽兄。明日……明日は祝勝会しようね」


 そう言った後に、自分の側に居る鞘夏の手を強引に掴み、リビングまで連れて行った。


 リビングの食卓には数え切れないほどのご馳走やお寿司、ケーキが用意されていた。


「そこに座りなさい」


 鏡華は食卓に並ぶ椅子を指し、ただ冷たく鞘夏に言う。


「鏡華様……」


「私はそこの椅子に座れって言ってるの!」


「はい」


 鞘夏は鏡華に言われたままにリビングの食卓の椅子に座った。


「ねぇ、どういうこと、あれ?」


「申し訳、ございません」


 鏡華は食卓を叩いた。それに鞘夏はひどく怯えていた。


「私が聞きたいのは、そういうことじゃないんだけど?」


「申し訳ございません」


「ねぇ、その申し訳ございませんって言うの、止めてくれない! あんたの悪い癖。それとも何? お父様には話させても私には話せないの?」


「……申し訳ございません」


「私は、お祖父じい様やお父様やあんたが、私やお母様に内緒で、陽兄に何かしていたのは知っているのよ!」


「…………」


「お祖父じい様が死んで、あんたやお父様がこっちに来てからは、陽兄は前の様に明るくなっていたのに。これじゃあ、あの時みたいなってる!」


 鏡華の目からは涙が出ていた。


「申し訳―」


「もういいわ」


 鏡華は涙を拭った。


「これ、全部片付けなさい。それと、明日はいつもどおり振る舞いなさい。それぐらい出来るでしょ?」


「かしこまりました」


「でも、覚えておいて。もし、陽兄がこれ以上悪くなるよな。私、あんたを、絶対、許さないから」


 鞘夏は無言でその言葉を受け止めていた。

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