第二話 陰の存在 その一

 翼志館よくしかん高校の入学式、忠陽ただはるの家族が久々に揃った。いつもながら父親の忠臣ただおみは仏頂面だが、母親は家族が揃っていたことにご満悦まんえつだった。ここ数年は夫である忠臣ただおみの激務であったため、秋津島あきつじま邸宅ていたくに帰ることはなく、甘えん坊の妹の鏡華きょうかと会えたことが嬉しかったのである。


入学式に写真を取る時、家族全員を集め、写真を取るときに、鞘夏さやかも写真の中へ入るようにと言った。


 忠陽ただはるの母親はさる公家くげの筋のお嬢様で、性格はいつもふわふわとしている。家庭内では緩衝材ともなり、ムードメーカーと言っていいと忠陽は考えていた。


 その母は使用人を家族と思っており、すべからく使用人は優しかった。だからこそ、使用人である鞘夏さやかも忠陽と同じように入学して貰いたかったかもしれない。


 鏡華きょうかが飾っている写真立てには鞘夏も写っているものを使用しており、忠陽は鞘夏と入学式で、二人で並んで撮った写真を未だに持っている。


 翼志館よくしかん高校はこの学校間呪術戦対抗試合の中では一翼を担っている。三大勢力の一つであり、呪術師としてエリート、高い素養のあるものが揃っている。その入学式での新入生代表挨拶をするものは、まさにエリート中のエリートであり、この学校の生徒会長ならび勢力代表となる世襲せしゅうがあった。


 その代表挨拶には、忠陽は選ばれなかった。賀茂かもの家が家格かかくとして申し分ないが、当の忠陽は呪術適正に難があった。そもそも忠陽はそういったこともやる気はないのだが、今回の相手が悪かった。


 神宮じんぐう由美子ゆみこ神宮じんぐうコンツェルンの令嬢であり、家格としては、この国の皇王こうおうの一族の次であり、呪術師としても神道しんとうの祖として、すべての神社を統括しているだけでなく、神祇府じんぎふと呼ばれるこの国の呪術を統括する政府組織の長を歴任していた。この令嬢に勝てるものは誰も居なかった。


 その入学式の代表挨拶は期待通り以上であり、誰もが次期生徒会長が彼女であることは疑いはしなかった。のちに四将の「姫神ひめがみ」と呼ばれ、強大な勢力を誇る岐湊ぎそうを追い詰めるまでに至った彼女の手腕はその片鱗へんりんを見せていた。


 この学校は一学年五クラス、一クラス三十五名前後で編成されている。呪術の基礎として魔術を全員学ぶことが必修となっているが、実技の部分では選択科目がある。


 鞘夏さやかは実技でも魔術を選んだが、忠陽はその中の陰陽術おんみょうじゅつ科目かもくを選んだ。使いやすさで言えば現代魔術は優れており、マナと定義づけられている呪術を行使するための力をコントロールして、一定の事象を改変するだけなので、実用レベルまでの習得は速い。


 陰陽術おんみょうじゅつはそうはいかない。魔術よりも事象改変が複雑で大きく、故にコントロールが難しい。


 両者において一長一短はあるものの、現代呪術戦において後者が使われることは少ない。威力や隠匿性では陰陽術が優れているが、現代魔術より使われなくなった理由はその使いやすさと発動の速さという点において、現代魔術が遥かに優れており、テロなどの鎮圧などの局地戦において有用だからだった。


 実技室は一般の体育館よりはもっと幅広く作られており、呪術的な防御概念を付与されていた。


 そのことよりも生徒の誰もが気になっていたのが、陰陽術の担当教師の姿であった。白髪に、目はサングラスを掛けており、右腕はない。一見、どこの組の人ですかと聞きたいくらいだった。忠陽はこの伏見ふしみ京介を警戒していた。


「なんや、やっぱりこんぐらいの人数か」


 見た目の割には軽い声に安堵もするも、得体が知れないこの男に恐怖すら感じていた。


「遅れ来て、ごめんな。色々と立て込んでてな。さて、始めよか」


 伏見は生徒たちを横一列整列させた。


「今年は十人か、去年よりは少ないな」


 生徒の一人が去年は何人かを尋ねたが、伏見は優しい笑みで十一人やでと答えた。


 大半が落胆した顔を伏見は見て、陰陽術おんみょうじゅつ科目のガイダンスを始めた。


「まずは感謝の言葉や、みんな、この科目を選んでくれてホンマにありがとう。今年は去年より少ないって言うたけど、僕がこの科目を受け持ってからは今年も多い方やで、ホンマ。ぶっちゃけ言うて、この科目は人気がないねん。理由は簡単や。陰陽術おんみょうじゅつを扱える人間がそうはおらんということや」


 伏見はそれを平然とニコニコしながら言っている。


「あんな、そもそもこの学校でこの科目を教えられるのが僕しか居らへんのや」


「それって本当ですか?」


 一人の生徒が尋ねた。


「ホンマや。そもそもこの科目で教えるのは陰陽術おんみょうじゅつ真言しんごん密教みっきょうなんていうのは、隣のコートでやっている魔術みたいな現代呪術とは違い、古臭くて楽しくない。三年間教えたとしても扱える人間はごく少数や。だから、君達には悪いけど、この科目を選択するためにはひとつテストする必要があるんや」


 生徒の殆どは不満があるようで口に出す者も居た。


「はいはい、テストって言っても簡単なものやで。ここにある御札を一人ずつ配っていく。この札に呪力を込めて、呪術を成功させたら合格や」


 それだけを聞けば簡単なものだと生徒全員が思うことだった。


 伏見は笑みを浮かべながら一人一人に式札を渡していく。


 忠陽はそれを受け取った時に難色を示した。その札には呪術式が書かれていなかったからだ。


 陰陽術で札を使うのは一般的だが、ある程度の呪力が籠もった呪言じゅごん祝詞のりとが書かれていなければ、発動できない。この男はでたらめな言葉が書いてある札を渡して、発動させたら合格という意地悪なことをしている。


 忠陽は伏見を見ると、その視線に気づいたのか、黙っててくれやと言わんばかりの笑いを含んだ顔をしていた。


 結局、合格できたのは忠陽も含め、三人である。その三人は試験の際に初めから「できません」と答えた人間だった。


「結局残ったのは三人だけやな」


 一人の生徒が手を上げて、「なぜ嘘をついたのですか」と聞いた。


「そもそも、君たちが受ける陰陽術おんみょうじゅつは家系で引き継がれた呪術、相伝や。そんなもん、簡単に教えられるわけがない。言うたやろ? 僕が三年間教えたとしても、使えるのはごく少数やて。そんなもん、教える方からして、最初から少ないほうがええやろう」


 忠陽を含め三人が苦笑いした。


「さて、残りの時間で君たちには、この紙で式紙を作ってもらう。まあ、作るのはなんでもええ。ともかく式紙を作りや。作ったものにアドバイスをしていくから」


 忠陽は小さい人型の式紙を作り、動かした。こんなことをしたのはいつぶりだろう。小さいときに祖父様から教えてもらって以来だったような気がする。そう考えた瞬間に頭痛が走り、何か変な像が頭によぎる。心がざわつき、気分が悪くなった。


「大丈夫か?」


 サングラスのから見える伏見の目は左目だけが動いていなかった。そのときに、初めて左目が義眼であることに気づいた。


「大丈夫です。なんか、急に気分が悪くなって……」


「式紙は自らの感覚を共有する存在や。たまにそういうことがある。共有感覚をすこし下げたら、どうや?」


 それなり指導はしてくれるのだと思うと、忠陽はすこし安心した。


「先生、ひとつ聞いていいですか?」


「なんや? 好きなタイプか?」


「いや、そうじゃなくて。……眼、義眼なんですか?」


「そうや。かっちょええやろ?」


「それって、呪力ためですか?」


「……さすが賀茂かもの。よう知ってるな。…だけど、それは違う」


「あと一つ聞いていいですか?」


「人の詮索はあまりせんほうがええで、お互いに。というても、先生と生徒や。あと一つくらい聞いてあげる」


「先生、いくつですか?」


 空気がポカーンとなった。伏見はにこやかに忠陽を見た。


「それはマジな質問?」


「はい、気になります」


 伏見は忠陽の肩をバシバシと叩きながら、大笑いをして、真面目にやり給えと言って、はぐらかされた。

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