食い気と恋気と大人になった私たち

あろえみかん

思いと想いが交差する時、あなたとまた出会ったら

秋。


芸術の秋、行楽の秋、そして食欲の秋。


いも、くり、かぼちゃ。


なしにぶどうにいちじく。


夏に比べてそれぞれの色合いは落ち着くものの、味は濃く、そして口にも脳にもその美味しさは秋を印象付ける。鬱陶しい湿気や高温も少しづつ和らぎ、朝晩の気温は落ち着き始める。見えなかった富士山が見えるようになって、沈む夕陽の位置がだんだんとずれていく、そんな風に目に見えて季節は移ろっていく。


そうして私は今年もまたひとつ歳を重ねる。


*****


「これからもよろしく。」


そんな言葉、よく言えたものだ。私はアンタに取られた栗の恨みを忘れない。


倉橋あかり、38歳。都内在住の薬剤師、独身。

勉強しても勉強しても終わらないような無限地獄を経て国試をクリア。その上で今の仕事に就いたから、その後はがむしゃらに働いた。いざ薬剤師になってみると、そこは女の職場で私はたまたま相性が良かったから、気がついたら今の歳になっていた。と言うのも、先輩たちを見ていたら、何と言うか、そんな気が起こらなかった。悲しいかな、子どもの頃に思い描いたようなキラキラした結婚生活みたいなものはそうそう簡単に手に入るものでもなさそうで、それに打ちひしがれる先輩が何と多いことか。先駆者の背中を見て私は人生の車線変更をする勇気が持てず、ただひたすらに同じ道を走り続ける気楽な生活を続けていた。しかしそれは意思を持って自ら選んだとは言い難く、そして将来の不安がないとも言えない。それでも恐らくどの道を選んでもその不安は付きまとうし、こんなにも目まぐるしく価値観が変わる世の中だ。今日の正解も明日の不正解になっている可能性の方が高い。


神話は神話だった、ただそれだけ。


そんな平穏な繰り返しの毎日を過ごす中で届いた同窓会の通知になぜか惹かれた。何に惹かれたのかはわからないが、今までは一瞥してシュレッダーに直行していたこのハガキがなぜか目に止まり、机に置きっぱなしになっていた。何があるでもない、ただ遠い昔に置いてきた忘れ物を取りに行くのも悪くないかとふと思ったのだ。


ただその時の気の迷いが間違いだったと気がつくのにそんなに時間は掛からなかった。小学校の頃の同窓会なんて、気まぐれで参加してみたものの、誰だ誰だかなんて分りゃしない。私は高学年になったところで転校したから、なおさらだ。実のところ、担任の先生の顔でさえあやふやだ。こんな名前の人だったっけ・・・?アラフォーともなると、そのクラスメイトにもう面影なんて残っていない。もしかしたらその子どもたちを集めた教室でもみた方がわかるのかもしれない。私には私の面影を引き継ぐ子どもなんていないから、その時私を認識してくれる人はいないかもしれないけれど。


とは言えすぐに帰るのも何だかもったいない気がして、積極的に誰かに話しかけるでもなく、持て余した暇でかつての思い出をひとり掘り起こしていた。


ほとんど覚えていないその小学校生活の中で唯一覚えていたのが、給食。食い気しかなかったのだろう、私は。初恋だとか、友達と遊んだ思い出とかよりも給食の色合いの方がどうしても濃い。実際この小学校は給食に凝っていた。メニューも季節を意識したもので子どもながらにとても楽しみだったし、そして美味しかった。春には桜の塩漬けがのせられたちらし寿司、香りのいい桜餅や柏餅、夏はハムや卵の乗った冷やし中華やゴロゴロと大きく切った夏野菜のカレー、秋はホクホクの栗ご飯に甘い蜜を絡めた大学芋、冬はクリスマスに照りっとしたチキン。実際高級な材料を使っている訳では無かったと思う。それでも工夫された献立に、家とは違う教室でクラスメイトと食べるその空間が、全てをひっくるめて美味しさだったのだろう。そんなことを思い出しながら、引き続き楽しそうな面々を遠目に見つつ、黒板の前に並べられたケータリングをつまんでいた。よくあるパーティーメニューでスーパーの惣菜売り場にあるような、薄暗いカラオケボックスのフードメニューのような、大して味に特徴があるものでもない。揚げ物中心で冷めていて、お世辞にも美味しいとは言えないが、こう言う味はたまに無性に食べたくなる。今みたいな雰囲気にはぴったりだ。やはりどこまで行っても食い気らしい。まあ私らしいか。


「倉橋さん・・・?俺のこと覚えてる?」


なんだ、その声の掛け方。使い古されたナンパの常套句のような。ほとんど人のことは覚えていないが、ピンときた。これはあいつだ。この学校での最後の年に、同じクラスで、前の席だった。給食やグループ学習の時に机をくっつけると隣になるタイプで、私にとっては宿敵に近い。


梶原隆・・・!


*****


20年近く前、小学生の頃。4年生くらいだっただろうか。

その日の給食は栗ご飯だった。私はあんまり混ざり物が好きではなくて、具は具で食べたいタイプ。この日も先にご飯を食べて、最後にまとめて栗を食べようと、計画的に食べ進めていた。ワクワクしながら。フルーツ的な意味合いで最後にデザート枠で食べるつもりだった。それをこの梶原は。人の名前や顔をほとんど覚えない私にしては相当の執念を感じる。こいつはそんな私のささやかな楽しみをいとも簡単に奪った。


「あ、お前栗嫌いなの?じゃあ、俺がもーらいっと!」


あまりにも想定外のことで、そんなことが起こるなんて思ってもみなくて、ただ私は開いた口が塞がらなかった。どう二の句を継げばいいかもわからない程にショックを受けた。


なんで、何で・・・?


その瞬間は状況が飲み込めなくて、あわあわしてしまったけれど、その後私は呪いを掛けるが如く、強い念を持ったのだ。私はアンタに取られた栗の恨みを忘れない。


食べ物の恨みは恐ろしいとはよく言ったもので、何十年経っても忘れないものらしい。別に今の生活で栗ご飯の栗を食べられない生活をしている訳ではない。高給取りではないにしても、仕事は順調だし、好きなものが食べられるくらいの余裕はある。特にメリハリがあるわけでもない、ただ平穏ではある今の生活にピチョンと雫が落ちて、波紋が広がるように改めてかつての愚行に怒りが湧いたにしても、なぜかそれでもそれは少し面白くもあった。どんな理由であれ、この学校での思い出としてはこの梶原隆のみが未だ強く残っているのだから。


「前の席だった梶原くん・・・で合ってる?ごめんね、私途中で転校したからイマイチ曖昧で。」

「そうだよ。給食とかだと隣になってた梶原。覚えてもらえてたんだ。嬉しいな。」

「いやいや、私の方こそ。明らかに場に馴染めてないのに、わざわざ声をかけてくれてありがとね。今は何してるの?私は東京で薬剤師してる。」

「東京にいたんだ。俺もだよ。薬剤師ではないけどね。普通のサラリーマンだよ。よかったら今度ご飯でも食べない?あ、相手がいるなら無理にとは言わないよ。」

「ううん、大丈夫。相手はいないし、1人で強く生きてるから。じゃあ梶原くんの好きなもの食べに行こう。せっかくだし。」

「嬉しいな、ありがとう。じゃあこれ俺の連絡先。倉橋さんのも教えて。お店探してから連絡するよ。これからもよろしく。」

「うん、こちらこそ。」


ひとしきり話した頃、梶原隆は別の同級生に呼ばれて行った。その去っていく背中は大きくて、私よりも小さかったはずの背はとっくに追いつけるようなものでも無い。覚えていたイメージよりもだいぶ落ち着いたようにも感じる。月日はやはりそれなりに経ったと言うこと。それでもやはり私は忘れない。それが他人から見たら、恐ろしいほどに取るに足らない出来事であったとしても。


彼は気がついていない。


そして気取られてはいけない。


もしあなたがショートケーキを好きだと言ったら、そのイチゴを食べてやろうと思っている私のひねくれた復讐心に。


もし明太もんじゃを食べたいと言えば、明太を独占してやる。


ラーメンなら、メンマを・・・!


そうすれば私の何十年にも及ぶ復讐が終わる。私は栗ご飯を見て苦々しい思いを抱えずに済むのだ。それはやはりあまり面白いものではなかった同窓会で唯一の収穫だった。


*****


数週間後、宿敵の梶原隆とご飯を食べに行くことになった。積年の恨みを晴らせるかと思うと胸が躍った。ここの所は機嫌も良かったらしく、職場でも何かあったの?と聞かれるレベルだった。積年の恨みがはらせるチャンスなんです!とはいう訳にもいかず、同窓会でたまたまこの辺に住んでる同級生が見つかって、ご飯食べに行く約束したんですよと話すにとどめた。あれはデートだわね、と先輩たちに冷やかされる。何でまた、と思ったのも束の間。それもいいかもしれない。デートだと勘違いした女を演じていけば、まさかそこでその女が復讐してこようなんて思いもしないだろう。普段噂話しかしていない先輩たちの野次馬根性が役に立った。


なるほど。


じゃあ髪を切りに行こう。

眉も整えて、ワンピースと靴は動きやすく、印象は良いものを。

バックも機動性の高い邪魔にならない綺麗めのものにしておこう。


この前の感じから分析するに、恐らくシンプル系でいけば並んで浮くことはないはず。


場を作り上げて、最後に壊してやる。


よし、完璧だ。


栗ご飯の恨み、晴らしてやる。


待ち合わせには早く着いたのに、梶原隆は既に来ていた。分析に間違いはなく、ジャケットにパンツのシンプルコーデだ。シンプルな綺麗めワンピで来た私と雰囲気を違えることはない。まずは成功だ。


「この前会社の人と行ったお店が美味しくてさ。そのお店を予約してるんだ。ちょっと歩いちゃうんだけど大丈夫?」

「どこに行くかわからなかったから、歩きやすい靴で来てるし大丈夫だよ。」

「ありがとう。じゃ行こうか。」


他愛のない話が途切れることなく続く。こんなに誰かと話題に困らなかったのは久しぶりかもしれない。さすがは宿敵。なかなかやるな、と思っていると、まだまだ話は途中だったのに、お店に着いてしまった。はたと時計を見ると、20分は歩いていたらしい。そんなに?と単純に驚く。20分なんて、忙しい時の薬局の昼休みと同じくらい。そんなに長い時間歩いていたなんて意外だった。


お店は一軒家をそのままレストランにした、落ち着いた雰囲気の和食レストランのようだ。個室のみのようで、他のお客さんの姿は見えない。こんな場所を用意してくるとは・・・。それなりに身なりに気を遣ってきて正解だった。いつものジーンズにTシャツ、スニーカーにボディバックだったら確実に浮いている。そんなの復讐どころではなくなってしまう所だった。危ない危ない。備えあれば憂いなし、という言葉の意味を不意打ちで思い知る。


ランチではあったものの、コース料理で、いろとりどりの小鉢が目の前に広がる。食い気メインの私はほとんど目的を見失っていた。メインで供された西京焼きも焼きが素晴らしく、いつの間にか満面の笑みで箸を進めていて、会話も弾んでいた。似たような和食で言うと、旅館の夕飯のコース。そのメニューから察するに、あとは恐らくご飯と汁物、その後にデザートかな・・・と、舌なめずりをしながら目を輝かせてワクワクしていた。給仕さんの思いがけない言葉を聞くまでは。


「こちら、お客様がお好きだとのことで事前にご依頼いただいておりました、栗ご飯でございます。栗は丹波で取れたものを使っております・・・」


え・・・?


その後に色々とまだ説明をされていた気がするが、何を言っていたか覚えていない。


私が好き?

事前に依頼していた?


え・・・?


動揺する私を見て、梶原がにっこりと微笑んでいる。


え、どういうこと?


え・・・?


隠せない動揺を隠したくて、俯いてそのままご飯の蓋をあける。大きい栗がひとつドンっと上に乗っている。下にも混ざってはいるが、形のある栗がそのまま載せてもあった。大きい。丹波栗と言ったか?普段食べる栗ご飯とは比べ物にならない。香りもとてもいいし、早く食べたい。するとその栗が二つに増えた。驚いて顔を上げると、箸を置いて頭を下げる梶原が目に映る。


「俺のもどうぞ。あの時に食べちゃった栗返します。長い時間がかかっちゃってごめん。あの後、泣いちゃったのに何も言えなくて、何もできないまま、倉橋さん転校しちゃって。本当にガキっぽいんだけど、好きな子の気を引きたかったんだ。好きだったんだよね。倉橋さんのこと。傷つけて泣かしたいわけじゃなかったんだ。ずっと引っかかってたんだ。せっかく再会できたから、どうしても謝りたかった。だからごめん、あの時は大切に残してた栗を勝手に食べちゃってごめんなさい。あ、それより何より覚えてるかな・・・?もし倉橋さんが覚えてなかったら、俺だいぶキモイよね・・・。でもそれは美味しいから。その点に関しては保証する!」


ずっと謝りたかった?


たかが栗を取って食べたことを?


それを積年の恨みにしていた私には言われたくないだろうが、小学生男子のやるイタズラ全てに罪悪感なんて持っていたら、人生がいくつあっても足りない。まあ私が言えた柄ではない。それは重々承知だが、でもそれでも。そもそもいつの話だ。今数えて驚いたが既に20年はゆうに前の話。


「えっと、小学生の時に私の残してた栗を食べたあのことを謝ってるの?もしかして・・・?本気で言ってる?いつの話よ。そんなの覚えてるなんて私くらいなもんでしょ。」

「う・・・。やっぱり覚えてたんだ。覚えていてくれて嬉しいけど、何とも言えない気持ちになるな・・・。本当にごめん。給食大好きだったもんな、倉橋さん。ごめんね。」

「え。えぇ・・・?いやまあ、小学校の思い出なんて給食くらいしかない私だからってのはあるかもだけど・・・。」

「もしチャンスがもらえるなら、倉橋さんの気が済むまで、栗を返させて欲しい。気が済むまで、何度だって返すよ。だからまた会ってくれないかな?」

「えええ・・・?いや、どういう・・・。確かに栗は好きだけど・・・。」

「俺、毎日美味しそうに給食を食べる倉橋さんが好きだったんだ。たくさん食べるし、毎日おかわりを男子と争ってるし、元気いっぱいで素敵だった。もうこの先会えないのかもしれないって思ってたのに、この前の同窓会で誰と話すでもなく、1人もぐもぐとケータリングつまんでるの見て、嬉しかった。変わってないんじゃないかって。その後に話をしても、メールをしても、食べ物の話でテンションが上がる倉橋さんが可愛くてたまらなくて。今日も目の前で目を輝かせてご飯を食べるから、いつもの何倍も、他なんて比べ物にならないくらい美味しく感じた。こんなことってあの給食の時間以降なかったんだよ。可もなく不可もなくだった食事が美味しくて楽しいものだったって思い出せた。覚えてたんだよね。俺が栗を取ったこと。怒ってたなら、償わせてくれないかな。美味しいご飯をたくさんご馳走するよ。だからこれからも俺とご飯を食べて欲しい。」

「何か私も恥ずかしいな、これ・・・。んーと・・・。私、栗ご飯大好きなの。でも栗が混ざってるのあんま好きじゃなくて、分けて食べようと思って置いてたの。ワクワクしながら食べ進めてたら、トンビのようにあんたが私のお皿から取って行ったの!忘れもしないわ!ずっとずっと恨んでた。今日だって復讐してやろうと思ってたのに、それなのに、先に言うなんてずるい。私のこれまでの時間を返してよ。ひどい!」


するとおもむろに梶原が席を立って、私の席の隣にかがむ。何をする気なんだ。この後に及んで。だが、さっきの栗はもらっておく、返す気はない・・・。


「ねえ、栗だけじゃなくて、他の美味しいものも捧げるよ。だから一緒にいてくれないかな。やり方が姑息なことはわかってるけど、倉橋さんは多分美味しいもので釣るのが確実だと思った。君の食べたいものを好きなだけ食べさせてあげる。だから、俺にこれからの倉橋さんのその時間をくれないかな。」


いつの間にか握られた手を振り払うことが出来ない。無茶苦茶だ。私はやった方なんて忘れているに違いないと決めつけていた。私だけが1人、この思いに苛まれていると思っていた。しかもこの飽食の時代に選んで頼んだわけでもない、給食の献立で、それを少し食べられた、それだけのことにこれだけねちっこく思いを募らせるようなこんな私に。私の好きなものを知っているのなんて、親くらいだと思っていた。一人暮らしをしているから、もはや親だって怪しいのに。それなのに、突然出てきたこいつは全てを。


誰かが自分のことを考えてくれる、そんな人生は半ばと言うよりも、ほぼ諦めていた。幸い手に職もつけられたし、1人で暮らせるだけの余裕も少しばかりのお金もあった。


東京なら、美味しいものは1人だっていくらでも満喫できる。


1人でも大丈夫だった。


大丈夫だったのに。


もう、大丈夫ではなくなってしまう・・・


「私は1人で美味しいものを食べて1人で気楽に暮らしてきたのに。・・・諦めてた。自分のことを誰かに考えてもらおうだなんて。誰かと美味しいものを食べようだなんて。そんなの面倒でしかないって。それなのに、なんで。これ断れないじゃん。ひどいよ。」

「じゃあ断らないで。ひどくていい。ひどいって言ってくれればいいよ。その度に美味しいものを用意するから。そしていつか俺を好きになって。また笑って一緒にご飯を食べたい。俺は倉橋さんと一緒にいたい。好きな人が食べるの好きだったから、料理の腕も磨いてきた。20年近く。だから、ね?お願い。」

「わかったよ!もう。私あんたに復讐するつもりだったのに・・・。なんで付き合うことになってんのさ・・・。ああもう。栗は返さないから。これは私のだから。それにこんなんじゃ許さない。これからも美味しいものをたくさん食べさせてよ。約束だから!」

「うん。」


恨みつらみと積年の思いと食い気と笑いと楽しさとここにしかない空気とそれを覚えてくれていた君とここにいられる幸せがこのほっこりと温かい気持ちがあの時のイタズラに繋がるなら、それは悪くなかったのかもしれない。実際、私はあの日から梶原隆と言う存在を忘れることはなかった。思いの形が違えど、究極の想い人だったわけだ。事あるごとに悔しがって、栗ご飯を食べるたびに思い出して、そんな私が他の誰かと一緒になれるわけがなかったんだと栗を噛み締めながら思う。でもこれは絶対に言わない。食べ物の恨みは恐ろしいんだ。でもこの栗は絶品だ、これだけは素直に伝えておこう。


「この栗・・・美味しい。すごく美味しい。でもまだ梶原のことは許してない。」

「本当にかわいいね、倉橋さんは。許さなくていいよ。でももう俺以外にはそんな顔見せないでね。」


怒っても恨んでもそれでも美味しいものを我慢できない、プライドの小さい私に梶原がニコニコと笑顔を向ける。悔しい、でも美味しい。美味しいものを、好きなものをくれる人はいい人だと相場が決まっているんだ。だからこそ悔しい。


「悔しいけど。美味しいもの食べさせてくれるなら。・・・これからもよろしく。」


もちろんだよ、そう言った梶原への想いがふっと膨らみそうになったから、慌てて噛んで飲み込む。まだだ。まだ。私には食い気しか取り柄がないんだから。


「失礼します。栗ご飯のおかわりはいかがですか?」


いつの間にか部屋の入り口に控えていた給仕さんに声をかけられて、全てが吹き飛んだ。まあいっか。あの時の栗は返ってきた。なぜか本人までついてきてしまったけれど。長い長い想いが叶った。


「大盛りでお願いします!」


私は今日も食い気しかない。


それでもいいと梶原が言うのだから、それでいい。それでいいんだ。


良かったですね、と梶原に声をかける給仕さんがにこりと笑い、梶原も笑顔で返す。一体どこまで話したんだろう。猜疑心の塊のような私はそれでも美味しいご飯にみるみる懐柔され、デザートの麹プリンを食べ終わる頃にはすっかりご機嫌になっていた。


単純なんだ、今も昔も。


*****


ごちそうさまでした、そう告げてお店を出ると、ぱあっと澄み渡った空に遠く白い雲がたなびいている。風がふわっと吹いて頬を撫でると、いつの間にか心が軽くなっていることに気がついて、少し気恥ずかしくなる。


「梶原。私、好きなものに対する執着心がすごいの。私と付き合うの多分大変だよ。」

「それは俺も人のことは言えないと思うけど・・・。多分、俺たちみたいなのをさ、破れ鍋に綴じ蓋って言うんじゃないかな?お互い様だよ。俺はそんなあかりが好きなんだ。今も昔も、20年前からずっと。」


ぼおっと顔が赤くなったから、急いで空を見上げて誤魔化す。


照れてなんかいない。嬉しくなんかない。


それでも何でも何だかとっても心地よいこいつは、今日のこの日を見越して私の食べ物に手を出したのか?それなら次の一手は私が出して、これから先の流れを掴んでやる。


ポケットに入れるでもなく、空を泳いでいた梶原のその左手をガシッと掴むと、私はズンズンと歩き始める。


食い気を恋気に、大人になったあなたと今ここから改めて2人を始めるために。

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