暴力おでん屋

権俵権助(ごんだわら ごんすけ)

暴力おでん屋

「クソさみぃ」


 コートのポケットに両手を深く突っ込み、積もった白雪に長靴を埋めながら呟く。駅前だというのに街灯はまばらで、夜の闇に漂う降雪は深海を泳ぐプランクトンのように見えた。東北の夜は静かだった。


「本当にこんなとこにいやがるのかよ」


 ことの始まりは昨日だ。


※ ※ ※


「おい、丹波」


 編集長がおれを呼んだ。声が上ずっている。自分だけが楽しく、下っ端記者はしんどいことを思い付いた時の声だ。


「なんスか」


 面倒くささを隠さずに顔だけを向ける。予想通り、頭のバーコードを暖房風に揺らしながらニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている。


「これ見てみろ」


 仕方なく編集長のデスクに出向くと、読者から送られてきたタレコミ葉書を渡された。汚い字だ。もっとも、ゴシップ誌の中でも特に底辺を這いずるうちの読者の民度を考えれば、かろうじて読めるだけでも上等の部類だ。


「あー……『暴力おでん屋』? なんすかこれ」


「なにって、わかるだろ。おでん屋が暴力をふるうんだよ」


「いや、意味わかんねーっす」


「そのおでん屋が滅法強いってんで噂になってんだよ。どうだ、おもしれえだろ」


「頭おかしいだけでしょ」

 

「そういう頭おかしい奴等をネタにして飯食ってんだろうが」


 芸能人の不倫、大企業の不祥事、政治家の裏金。たしかにその通りだが、さすがに暴力おでん屋はリトルグレイやネッシーあたりと同類だろう。


「つべこべ言わずに行ってこいや」


「……わかりましたよ。で、どこ?」


 編集長がニヤついた口角をさらに上げた。


※ ※ ※


「先に場所聞いてりゃ、もっと出張手当ぶんどってやったんだがな」


 タレコミによるとおでん屋は全国を行脚しながら商売しているらしい。まるで武者修行中の道場破り気取りだ。今はここ、岩手にいるらしいが……。


「ううっ……」


 風が強くなってきた。ふわふわと漂っていた雪が吹雪となって視界を覆う。コートのファーに首をすぼめて体温を閉じ込めようとしたが、冷風がわずかな隙間から入り込んでそれを許さない。早くどこかで暖をとらねば。


「くそ、なんでおれがこんな仕事を」


 三文ゴシップのネタ拾いなんざ、ここまでしんどい思いをしてまでやることか? 今はこんなだが、おれだって昔はスポーツ紙で陽のあたる記事を書いてたんだぞ。くそ、くそ、くそ。


「ん? あれは……」


 真っ白な視界の奥に仄かな明かりが見えた。なんでもいい。少なくともここよりは暖かそうだ。両手でコートの襟を掴み、風に逆らって近づくと、その明かりが屋台の赤ちょうちんだと分かった。風雪から逃れるために暖簾をくぐると、店主の男が目も合わせず「いらっしゃい」と覇気のない声で出迎えた。椅子に座ると、目の前でおでんの種を大量に抱え込んだ出汁が湯気を昇らせていた。まさか、と店主の顔を確認する。……まだ若い。二十歳くらいだろうか。体もよく絞られている。こいつなのか?


(暴力おでん屋……)


 ごくりとつばを呑んだ。いくらなんでもいきなり殴ってはこないよな? しかし、本当に頭のおかしい奴ならあるいは……そう思うと背筋に緊張が走った。


「……で、何?」


「え? ……あ、ああ。大根とスジ、あと卵を頼む」


 店主はすぐに注文した品を皿に乗せて出すと、値踏みするようにおれを見て言った。


「アンタ、普通の客?」


 普通の定義はわからないが、異常の定義もわからない。いずれにせよ殴られるリスクは避けたい。首を縦に振ると、店主は「なら通常料金だ」と屋台の内側に貼り出した二枚の価格表のうち片方を指さした。もう片方は値段が十倍になっていた。


 大根を箸で割って口に運ぶ。芯が無くなる程度によく煮込まれてはいたが、出汁の味がどうも物足りない。スジも卵も不味くはないが、別段美味くもない。


(さて、どうするか。アンタ暴力おでん屋ですか、なんて訊いて殴られたくもないしな……)


 とりあえず追加でがんもどきでも頼むか、と思ったその時、隣に客が座った。圧を感じた。おでんを選ぶふりをしながら横目で確認する。でかい。防寒用の厚いコートを着込んでいるせいもあるが、座席を一席半ぶん占拠している。座高もおれより頭ひとつ出ている──おそらく190センチはあるだろう。大男が店主を睨むと、店主も無言で睨み返した。二人の間に立ち入れない空間が発生した。しばらくして大男が口を開いた。


矢内譲二やないじょうじだな」


 問いには答えない。つまり肯定だ。店主──矢内は深くため息をついた。


「……注文する気はなさそうだな」


 言うと、矢内は白い調理帽子とエプロンを脱ぎ、屋台の裏から外へと出てきた。エプロンの下は薄手のジャージ姿。湯気のたったヤカンを手にしていた。


「そうこなくちゃな」


 矢内の動きに合わせて大男が席を立つ。男の影がおれを包んだ。思った以上の巨漢だ。おれは椅子に座ったまま後ろを向き、卵の乗った皿を手にして、屋台の外で向かい合う二人を固唾を呑んで見つめた。


「アンタの噂は聞いてるぜ」


 大男が不敵な笑みを浮かべて言ったが、矢内は無視を決め込み、ヤカンの湯を自分の足元にドボドボと撒いていた。


「死ねやあ!」


 大男が大股で踏み込み、岩のように握り固めた拳を振るった。スピードも乗っている。体格差がある。当たればひとたまりもない。だが矢内は無表情のまま半歩下がってそれを躱した。大男の踏み込んだ足は積もった雪の中にガブリと飲まれ、踏ん張りがきかずに威力を半減された拳は、着込んだコートの厚みに圧迫されて本来の軌道をわずかに逸れた。矢内はそれを読み切っていたのだ。瞬間、矢内が間合いを詰めた。踏み込んだ足を地面に叩きつけると、雪を溶かされ剥き出しになったコンクリートは加えられた力を100%押し戻し、矢内が繰り出したアッパーカットに勢いを加えて威力を倍加させた。ガチンという音が響き、大男の下顎に加わった衝撃をおれの耳に伝えた。その衝撃の波は一瞬にして頭蓋にまで浸透し、脳を揺さぶられた大男は白目を剥いて後ろに倒れた。


「……クソが」


 矢内は吐き捨てるように言って倒れた大男の頭の横に立った。積もった雪がクッションになったおかげで大事はなさそうだが、もし地面がコンクリートだったらと思うとゾッとした。矢内は両腕で大男の頭と肩を掴むと、ごろりと横に転がした。うつ伏せになった顔面が未踏の白雪に埋まり、その冷たさと息苦しさとで大男はたちまち息を吹き返し、「ぶはあ!」と顔を持ち上げた。


※ ※ ※


 おれが卵とがんもどきとじゃがいもを食う間に、隣りに座った大男は大根ひとつも完食できないでいた。一口ごとに顔をしかめて呻いている。どうやらさっきのアッパーカットで口の中を派手に切ったらしい。できたての生傷にはおでんの出汁がさぞ滲みることだろう。


「うぅ……」


 唸りながらようやく最後のひとくちを飲み込んだ大男に、矢内は無慈悲に「お客さん、次何にします?」と脅すように問いかけた。


「もう勘弁してくれよ……」


 大男が懐から財布を取り出すのを見て、矢内は貼り出している価格表を指さした。十倍の方だった。大男は聞こえるかどうかの小さな舌打ちをして札を皿の横に置くと、ばつが悪そうに席を立ち、ふらふらと夜の闇に消えた。

 

「……別にぼったくりじゃねえよ。普通の客はこっちだから安心しな」


 と、矢内は通常の価格表を指さしておれに言った。じゃがいもを食い終わったおれは、コートのポケットをまさぐって端の折れた名刺を取り出した。


「あらためて普通の客かと言われると自信がないがね」


 手渡された名刺を見て、矢内は怪訝な表情をおれに向けた。


丹波朝夫たんばあさお……記者? 聞いたことない雑誌だな」


「まともな人間は読まないからな。ギャランティはそれなりに出すぜ。おれの金じゃないからな」


 懐の封筒に手を伸ばして言った。矢内の視線が封筒の厚みに集中したのを見逃さなかった。


※ ※ ※


「暴力おでん屋ぁ? もうちょっと呼び方なかったのかよ」


 取材に応じるため、矢内は屋台を閉めておれの隣席に座っていた。


「そんまんまだろ」


「オレは降りかかる火の粉を払ってるだけだよ。自分から暴力を振るってるわけじゃない」


「にしても普通じゃない。こうなった理由があるんだろ?」


 矢内は押し黙った。心当たりがあるということだ。


「それを聞くためのギャラだったんだがな」


「……わかったよ」


 矢内が語ったのはこうだ。学生時代、その腕っぷしの強さで喧嘩に明け暮れていたが、ある日とうとう相手に重症を負わせて少年院送りになった。刑期を終えて出てきた頃には、もはや喧嘩の強さが価値になる齢はとうに過ぎ去っていた。出所した自分を温かく出迎える者は誰一人としてなく、最初に話しかけてきたのはお礼参りのチンピラだった。矢内はチンピラをぶちのめし、痛む拳が自分から奪ったものの大きさを初めて理解した。後悔と諦念が押し寄せ、絶望のままあてもなく街を彷徨った。


「落ち込んだよ。何もする気になれなかった。……けど、そんな気持ちとは関係なく腹は減るんだよな」


 矢内は自虐的に笑った。


「何を食べたいわけでもなく、目についた屋台の暖簾をくぐった。なんでもいいからって店主に任せて出てきたおでんの出汁がさ。出汁が……温かかったんだよ。あのおでんは、オレみたいなクズだろうが、偉い学者さんだろうが、たとえ宇宙人だろうが、きっと誰にでも等しく温かさを与えてくれるんだろうな、それってすげえなって思った」


 矢内が微笑んだ。自虐は含まれていなかった。


「それで一念発起してさ。貯金をはたいて屋台を買って、自分もおでん屋を始めてみたはいいものの、来るのはオレを恨んでぶん殴りに来る連中ばかり。最近じゃあ、返り討ちにされた奴から噂が広がって、知らない奴まで腕試しに来る始末だ」


「そりゃあ、普通の客は寄り付かないはずだ」


 で、商売にならないから、代わりに連中から法外な金をふんだくって糊口をしのいでるってわけか。


「場所を変えても、また別の奴が殴りに来る。結局、過去からは逃げられないんだよ。どこまで逃げても追いかけてくる。やっぱり、オレなんかが商売やるなんてお天道さまが許しちゃくれねえんだ」


「……なるほどな。よくわかった…………よっと!」


 椅子に座ったまま矢内の顔面に右腕を振り抜いた。不意打ちにも関わらず、矢内は条件反射だけで上半身を反らしておれの拳を躱した。


「すげえな。今のが当たらんとは」


「なんだよ、アンタもそっち側だったのか」


「たった今からな」


「やめとけ。飯代が高くつく」


「うるせえ」


 もう一度殴りかかった。おれのパンチが届く前に、後から振った矢内の拳がおれの顎を打ち抜いた。意識が途切れた。


※ ※ ※


「くそ、高ぇ大根だな」


 目を覚ましたおれは同じ席で料金の変わった大根を食っていた。矢内はまたカウンターの裏へと戻り、店主としておれと向き合っていた。


「自分で値上げしたんだろうが。……で、なんでアンタまで殴る側になった?」


 おれは矢内の目を見据えて言った。


「お前の話にムカついたからだよ。……さっき、この大根が高いって言ったよな。別に値上げしたからじゃねえぞ。この程度の味なら元の値段でも高いって言ったんだ」


「…………!」


「ほう、黙るとこ見ると自覚はあるようだな。いいか。まず出汁が薄い。具材も安い。切り方も悪い。おれが作ったほうが美味い」


「それは言いすぎだ」


「とにかくだ。料理には人類が数千年の歴史をかけて積み重ねてきた知識やノウハウってもんがある。それを勉強しないで美味いもんなんか作れやしないんだ」


「んなこと言ったって、どうやって勉強すりゃいいのかわからないし……」


 矢内は視線を逸らして言った。こうやって拗ねるあたりがまだまだ若造だ。


「だからチンピラ殴って金を巻き上げてるのか? 下手すりゃそっちの方が稼げるもんな。それに、料理を勉強しない言い訳にもなる」


「何言って……!」


「おれがムカついたのはそういうところだよ。お前には喧嘩の才能がある。プロボクサーにでもなればいいとこまで行くだろうよ。だが目指すところは一流のおでん屋ときた。天は二物を与えずだな。……いいか、おれはな、その言葉が大っ嫌いなんだ。やりたいこととやれることが違うなんて悩みは、一物でも持ってるやつの贅沢品なんだよ」


 矢内は黙って聞いていた。


「おれは昔プロボクサーだった。けど、たかだか4回戦ボーイでいくらでも上には上がいることを思い知らされちまった。そしてその道を諦めた後、どうにかツテを頼ってスポーツ紙の記者に滑り込んだが、もともと学が無いから真っ当な記事が書けず、すぐに三流ゴシップ誌に回された。結局、文武どちらも芽が出ないままこの歳でこのザマだ。おれから見りゃあ、お前は自分で自分の才能を捨てた上に、選んだ道を進む覚悟もねえ甘ったれだってんだよ!」


 矢内は下を向いて震えていた。カウンターの下、見えないところで拳を強く握っているのが伝わってきた。


「勉強の仕方がわからないだぁ? 当たり前だろ! 天賦の才があるお前は気付かなかったろうが、本当は人を殴るのにも才能が要るんだよ。わかるか、お前は今はじめて自分が才能を持たない世界に足を踏み入れたんだよ。悩んで当たり前だ。悩め悩め、毎日眠れないほど悩め! でなきゃあ、捨てた才能をおれによこせよ!」


 矢内は下を向いたままだった。屋台におれの荒い息遣いだけが響いていた。そこに無遠慮に割って入ってきたのは野太い男の声だった。


「ここかよ、矢内ってのがいるのは」


 今度の"十倍"客はプロレスラーのようなガタイをした汚い髭面男だった。


「客か。ちょうどいい。逃げ道をなくしてやるよ」


 矢内に言って、おれは髭男を睨みつけた。


「矢内はたった今おれがぶちのめした。やるならおれとだ」


「なんだ? てめえ」


 席を立ち、屋台の外から髭男に中指を立てると、安い挑発に乗って奴も席を立った。


「来いよ」


「ぶっ殺す……!」


 髭男が目を血走らせて突進してきた。まずは左ジャブを顔面に当てて動きを止めて……。


(!?)


 相手の姿勢が低い。左肩を前面に押し出すアメフト式タックルだ。伏せられた頭にジャブを当てるが勢いは止まらない。衝突する。腹部に肩がめり込み、体を大きく後方へと弾き飛ばされた。積もった雪がクッションになったおかげで接地のダメージは無かったが、肺が圧迫されて声が出なかった。


(くそが、ウェイト差を考えろってんだ……)


 口を開いて無理やり深呼吸を行い、酸素を取り込んでなんとか立ち上がろうとしたところへ、髭男がバカでかい足を振り下ろしてきた。横転で躱し、その勢いのまま数回転がり、距離を取って立ち上がる。息が乱れている。もう一度深呼吸をする。……考えろ。


(おい、わかってるのか。これはボクシングの試合じゃねえんだぞ)


 自分に言い聞かせて拳を構える。考えたところで結局はボクシングスタイルだ。おれはこれしか知らない。また髭男が姿勢を低くした。対策ができていない相手には同じ技を繰り返す。当然だ。ふたたび突進。どうする。どうすればいい。視界の端に矢内が映った。屋台の外へ出てきておれの戦いを見ていた。目が合うと、矢内が右膝を上げた。矢内はおれと違って才能のある男だ。それを認めていたから、おれも自然と右膝を上げていた。その膝がカウンターとなって髭男の顔面に突き刺さった。一瞬で意識を断ち切られて操縦士を失った低空タックルは、そのまま高度を落として静かに雪の上に着地した。ふう、と息をつくと、遅れて腹が痛みだした。顔を歪めながら屋台の席に戻ると、矢内が呆れた顔で待っていた。


「……これからはおれが連中の相手をする。だからお前は料理の勉強に集中しろ」


「それ、オレに助けられといて言うセリフか?」


 言われて柄にもなく赤面した。


「……うるせえな。おれはボクシング以外知らねえんだ」


「だったら、そっちの勉強はオレが教えてやるよ」


 矢内が笑って言った。


「けど、アンタ雑誌の仕事はどうするんだよ」


 矢内がさっき渡した名刺をちらつかせて言った。おれは素早く手を伸ばしてそれを取り返すと、細切れに破って外ヘ投げ捨てた。さっきまでのおれを表していたその紙切れは、降りしきる白雪に混じってこの世界から消えた。


「おれのやりたいことじゃない」


 その日から、おれはまた人を殴り始めた。矢内は殴るのをやめて真剣におでんに向き合い始めた。まあ、正直言っておれも矢内も芽が出る可能性は低いだろう。だが、それでも構わなかった。芽を出すためにやるわけじゃない。やりたいことをやらなかった自分を恨みながら死にたくなかっただけだ。


おれはやった。

矢内あいつもやった。


アンタはどうする?


やりたいなら、やれ!!


-おわり-

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

暴力おでん屋 権俵権助(ごんだわら ごんすけ) @GONDAWARA

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ