80 フィリップ第二皇子との通話 02 魔族は悪か?

 通話越しにフィリップは言葉を続ける。



『俺たちは魔族は敵、魔族は悪と信じて戦っている。だがバート。俺は疑問に思うのだ。魔族は本当に悪なのかと』


「……」



 バートは沈黙しているが、それは彼の疑問でもあった。



『俺は旧チェスター王国領で人々を守るべく戦っている。再三の魔族の攻撃も撃退している。守るだけではいつまでもは防げんから、こちらからも時々攻撃に出ているがな』


「……」


『それで魔王領の侵攻拠点に攻撃をかけることもあるのだが、魔王軍は基本的に統治下の民は全て避難させようとするようだ。戦う力を持つ魔族たちが命がけで時間を稼いでな。だが逃げるのが間に合わなかった魔族たちに支配されていた人間たちを保護することもある』


「……」


『その者たちは一様いちように言うのだ。自分たちは魔族たちから酷いことなどされていない。怪我したり病気になっても治癒魔法を使ってもらえるし薬ももらえる。凶作の時は食料もほどこしてもらえると』


「……」


『そして言うのだ。怖いのは妖魔共と、そして人間だと。妖魔共と人間たちが暴虐ぼうぎゃくを働けば、そいつらは魔族たちが退治してくれると。自分たちにとって魔族は怖くないと。自分たちは人間の支配下に移りたくないと。旧王国領に避難するのではなく、そこに残って魔族たちの支配下に戻ると』



 魔王領には人間も数多くいる。魔族たちの統治下にある人間たちも普通に生活しているのだ。魔族たちにとっては妖魔共を養うための物資を人間たちに生産させているという面もあるのだが。



『人間を喰う魔族もいる。そいつらのことはその者たちも恐れを感じてはいるようだが、その魔族たちも統治下の人間を殺して喰うことはせんとのことだ』



 魔族にも人間の肉を喰う連中はいる。戦場において殺した人間を喰う魔族もいる。それは力を誇示こじする面もあるのかもしれない。だが人類社会では知られていないが、それは一般的な魔族たちからすればゲテモノ食いのたぐいだと思われている。牛や豚などの家畜の方がよほど早く成長して大量の肉が取れるのだから、わざわざ人間の肉を食うのは無駄でしかないのだ。



『統治する魔族の人間に対する考え方によって、その統治下の人間たちの扱いに違いはあるようだがな。だが人間種族を滅ぼすべしと考える魔族であっても、統治下の人間たちに対しては慈悲深いとまでは言わんが公正な統治はしているようだ』


「……」


『自分勝手な欲望のために悪政をく魔族の存在は聞いたこともないそうだ。もちろん魔族にも性格の悪い奴もいるようだが、そんな奴が上に立つことはないと。人間には身勝手な欲望のために悪政を敷く奴はいくらでもいるというのにな……』


「……」


『バート。お前の言っていたとおり、旧チェスター王国の貴族共は大半が民を思うことをせず弱きをしいたげる下劣な奴等だ。帝国にも父上の目が光っているから表向き取りつくろっているだけの奴も大勢いる。こと統治者としては人間には理想的な者は多くはないのかもしれん』



 アードリアンのような人間種族は滅ぼすべしという考えをしている魔族の統治下にも人間たちもいる。だがそんな人間たちも酷い扱いをされているわけではない。人間種族を滅ぼすことが実現しそうになれば、そのような人間たちも殺されることになるのかもしれないが。



『もちろん俺も理解している。魔族には人間を虐殺する奴も大勢いる。人間をことさらに敵視してはいない魔族たちも戦場においては敵でしかない。だが、本当に魔族たちは悪なのかと疑問には思うのだ……』


「……」


『子供などの戦う力を持たない魔族もたまに逃げ遅れているのだが、俺はそのような者は逃がすように命令している。だが前線の兵には勝手にそのような者も殺す連中もいるしな……』


「……」


『そんな者たちは、俺たちに保護されることを拒否する、魔族たちに統治されていた人間たちに暴力を振るったり殺したりもする……これではどちらが悪なのかわからん……』



 それがフィリップの悩みであった。彼はこの悩みを彼の家族たちにもこぼしているのであるが。そしてこの悩みをバートたちにこぼしたのは、エルマーの報告でアードリアンの言葉も伝えられていたからだ。



「アードリアンは言っていました。人間たちの欲望は全てを飲み込み、人間たち自身を含め世界を滅ぼすと。人間たちは妖魔共以上に有害な存在だと」


『……』


「魔族たちにとって、人間たちこそが世界にとっての害悪なのでしょう。アードリアンのような魔族たちは悪である人間たちを掃滅そうめつする必要があると考えているのでしょう」


『……』


「ゲオルクのような魔族たちは、魔族の管理下ならば人間たちも生かしておいていいと考えているのかもしれません」


『……そうなのかもしれんなぁ……もちろん人間にもいい奴はいくらでもいる。だが悪しき者共もいくらでもいる。魔族たちには全ての人間が悪に見えているのかもしれんなぁ……』


「はっ」



 それは魔族たちから見た人間観だ。もちろん人間たちがその観点を全面的に肯定することはないだろう。だがバートにはそれが理解できる。彼も人間の本性は悪であると、大半の人間は妖魔共と大差ないと考えているのだから。そしてそれを反転させたのが人間たちの魔族観であると言えるのだろう。フィリップはその人間から見た魔族観に疑問を感じているのだが。



『バート。お前はやっぱりまだ考えは変わっておらんか? ほとんどの人間は妖魔同然の醜悪しゅうあくな存在だと』


「はい。フィリップ殿下やホリーお嬢さんたちのように立派な方や心の美しい人間がいることは私も否定はしません。ですが、私は人間の善性を信じることはできません」


『はぁ……お前ももう少し人間を信じていいとは思うがなぁ……』


「申し訳ございません」



 フィリップはそのバートに嘆息たんそくしている。フィリップは全ての人間を信じられるとは思っていないが、ほとんど全ての人間が悪だとも思っていない。

 そこに黙って聞いていたホリーが口を出す。



「口出しをすることをお許しください」


『ん? なんだい、お嬢さん?』


「私は善神ソル・ゼルム様から夢の中で何度も啓示けいじを与えられています。そしてソル・ゼルム様はアルスナム様のことを我が友と言っていたのです。アルスナム様と戦うことにはなったけれど、友を憎むことはできなかったとも」


『……それは悪神アルスナムのことだろうか?』


「はい。そしてソル・ゼルム様はこうも言っていました。アルスナム様は人間に絶望している。だけど本当は人間たちを信じたいのだろうと」


『……』


「アルスナム様は人類を滅ぼそうとしているのではなく、人間という種族の数が増えすぎないように間引まびきしようとしているのだと。アルスナム様は人間が増えすぎるとその増大し続ける欲望がこの世界を滅ぼすと考えているそうです」


『……』


「ソル・ゼルム様は言いました。善の意味を考えよと。人類と魔族は考え方の違いがあって対立しているけれど、魔族も存在として悪なわけではないとも」



 ホリーとシャルリーヌで相談していたのだ。このことはいずれバートたちにも話そうと。バートがアルスナムの聖者になりうることは伏せたまま。そしてホリーはフィリップにならばこのことを話してもいいのではないかと思った。彼女たちがソル・ゼルムだけでなくアルスナムとも対話していることも伏せておこうと相談していたのだが。



『……それは全世界の神話と神学書を書き換える必要がある、とんでもない真実だな』


「はい。だがお嬢さん。それを人前で言ってはいけない。そんなことが神官たちを初めとする人間たちに聞かれれば、人間たちはお嬢さんを敵と見なすだろう。それこそお嬢さんは魔王軍の保護を求めるしかなくなる」


「……はい」



 バートの言ったことはシャルリーヌからも警告されていた。人間たちは『真実』を受け入れられないだろうと。人間たちに受け入れさせようとすれば途方もない努力と時間が必要だろうと。

 リンジーたちにもホリーの言葉を忌避きひする様子はない。彼女らはホリーを守りたいのだ。そして魔族が必ずしも悪ではないのだろうということは、彼女たちも実感として思い知っていた。ゲオルクたちは立派だった。アードリアンには本当にホリーに対する善意があったように見えた。あの男たちは絶対的な悪だとは思えなかった。



『お嬢さん。貴重なことを聞かせてくれて感謝する。このことは父上にも報告しよう。俺は政治は苦手だが、父上とセルマならば俺よりもいい考えを思いつくだろう。そして父上たちならばお嬢さんを悪いようにはせんと信じられる』


「はい」


『だが、バートが言ったようにこのことは決して口外するな。お嬢さんの身の安全のためにも。愚劣な人間はいくらでもいる。帝国にもな』


「……はい」


『貴公らもこのことは他言無用たごんむようだ』


「はっ」


『はっ』



 フィリップはホリーの言葉を信じた。それはホリーにも伝わった。その上でフィリップが彼女の身を心配していることも本心なのだろう。

 そこに部屋の扉が激しくノックされた。扉の外から焦りを含んだ叫びが響く。



「エルマー隊長! 緊急事態です! 街で大量のアンデッドが発生している模様です!」


「なっ……」


「フィリップ殿下。緊急事態のようです。まずはこちらの対処をすることをお許しください」


『わかった。お前たちも無事でな』


「はっ」


「はい」



 バートたちも何が起こっているのかはわからない。だが部屋の外から呼びかける騎士の声の様子からすると、本当に緊急事態なのであろう。その叫びは通話先のフィリップにも聞こえていた。

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