79 フィリップ第二皇子との通話 01 聖女
その日の昼前からホリーたちはフィリップ第二皇子と通話するために騎士団本部に来ていた。ホリーとバートとヘクターに加え、彼女らの仲間たちとしてリンジーたちも同席してほしいとのことである。
彼女らは時間に十分な余裕をもって騎士団本部に来た。この世界において東西に遠く離れた地点では時差というものが発生することは賢者たちや支配層など知識階級の者たちには知られている。長距離通話できるマジックアイテムで通話する場合、時差を考える必要があることも発生しうるのだ。そして旧王国領北西部にあるミストレーの街とフィリップ第二皇子のいる旧王国領東部にある
そして早めの昼食を出された後にホリーたちが待っていると、部屋の扉がノックされた。バートが返事をして扉が開くと騎士隊長のエルマーが入って来た。
「ホリー様。皆さん。お待たせしました。フィリップ殿下が通話先でお待ちです。こちらの部屋にどうぞ」
「はい」
ホリーたちは部屋を移動する。エルマーがホリーに最も敬意を払うのは彼からすれば当然なのだが、ホリーからすれば
「フィリップ殿下。こちらにはホリー様とバート殿、ヘクター殿、リンジー殿、ニクラス殿、シャルリーヌ殿、ベネディクト殿、そして私がおります。他には誰もおりません」
『ご苦労。この場で聞くことは貴公らも
「はっ」
『はっ』
フィリップのいかにも頼もしそうな声が響く。ホリーのことはまだ広く知られてはならない。聖女が出現したとなれば、民衆は聖女をすぐに戦場に出すべきと考えるだろう。だがホリーはまだ未熟な少女だ。そのホリーを戦場に出せば戦死する恐れもある。もちろん聖女を戦場に出すならば十分な護衛部隊をつけるのは大前提だ。だが魔族からすれば聖女は『脅威』であり、第一の攻撃目標だ。その聖女の生存確率を上げるためにはホリーにも自分の身を守れるだけの実力を身につけてもらいたいのだ。だが民衆はそんな事情など考えもせず、聖女をすぐに戦場に出さないことに不満を
『さて。バート。まどろっこしい
「はっ」
『お前は『勇将』ゲオルクに続き、『鮮血の魔将』アードリアンを討ち取った。その功績は比類ないものだ。俺も兄弟子として鼻が高い』
「はっ。光栄です」
フィリップもエルマーからの報告を聞いたのだろう。『勇将』も『鮮血の魔将』も伝説的な魔族だ。あの二体がそう名乗ったわけではないのだから本当に『勇将』と『鮮血の魔将』だという確証はないのだが、まず間違いないとバートもエルマーたちも考えている。
その二体を同一人物が討ち取ったとは脅威的としか言えない。下劣な者であれば、そのバートの功を
『そしてヘクター。ホリーお嬢さん。リンジー。ニクラス。シャルリーヌ。ベネディクト。お前たちもご苦労だった。お前たちの功も賞賛しよう』
「はい!」
「は、はい」
『エルマー。バートはもちろんお嬢さんとヘクターたちにも十分な報酬を支払うようにな。預けている軍資金が
「はっ」
初めてフィリップの声を聞くシャルリーヌたちはその気安さに驚きを隠せない。フィリップがリンジーたち全員の名前も呼んだことにも驚いた。彼女たちが活動してきた土地では、支配層の側からすれば冒険者は見下す対象でしかなかった。なのに帝国の第二皇子ともあろう人が自分たちに声をかけてくれたのだ。しかも正当な報酬を払うようにとわざわざ気にかけて。フィリップは彼女らがイメージする統治者側の人間とは一線を
なおクラレンスとはフィリップがミストレーの街に領主代理として派遣した文官だ。領主代理が着任して程なく妖魔共に包囲されてしまったのだが。
『さて、バート。お前たちには俺の所に来てもらうわけだが、久しぶりにお前とヘクターとも手合わせしたいものだな』
「はっ。ですがフィリップ殿下。私がゲオルクとアードリアンに勝てたのは、私の純粋な実力によるものだけではありません。ホリーお嬢さんがいなければ、私は既にこの世界に存在してはいなかったでしょう」
『うむ』
それはバートの偽らざる思いだ。聖女であるホリーがおらず実力以上の力が発揮できていなかったら、彼は死んでいたであろう。それはそれで彼にとっては本望だったのかもしれないが、彼には生きてホリーを守ってやりたいという思いも湧き上がっていることは否定できない。
『バート。エルマーからの報告は聞いている。だがお前の口からも聞きたい。ホリーお嬢さんは本当に聖女であると考えていいか?』
「はい。私は既にお嬢さんは聖女であると確信しております。エルマー殿指揮下の兵たちの動きも見るに、まず間違いないかと。そしてお嬢さんは聖女と呼ぶにふさわしい心の美しい人物です」
『そうか。お前がそこまで言うのならば、そう考えてよいのだろうな。俺もお嬢さんと会うのが楽しみだ』
ホリーは自分が聖女であることは受け入れたけれど、バートが自分を認めてくれることはうれしい。そして思う。自分はこの人とずっと一緒にいたい。
そこにエルマーが言葉を発する。
「殿下。口出しすることをお許しください」
『許可する』
「ホリー様が聖女であると、ますます確信を深める出来事がこのミストレーの街で発生しました」
『ふむ』
「この街にも前領主に取り入って
『ほう。詳しく話せ』
「はっ。ですがその当事者はバート殿ですので、バート殿から話していただく方がよいかと」
『わかった。バート。報告せよ』
「はっ」
そう、あの神官たちは善神から見捨てられて神聖魔法も使えなくなったのだ。
ホリーとシャルリーヌはそれを善神と悪神の会話から知っていたのだが。ホリーはそれが悲しかった。あの神官たちも善神が
シャルリーヌからすれば、理想を保てず独善に
ヘクターたちからすればその事情は知らないから、あんな神官たちは善神から見捨てられるのは当然だとしか思っていない。そしてバートは、大半の人間は一見善良そうな者もその内に
「私も二日前に知ったのですが、この街の包囲中、魔族と妖魔たちに壊滅させられた街から逃げて来た赤子や幼児を含む人間数十人がこの街の住人に虐殺されるという事件が発生したとのことです。その避難民たちは魔族に
『エルフやドワーフではなく、人間が逃がされたのか?』
「そのようです。魔族にも人間をことさらに敵視するわけではない者たちもいます。避難民たちはそのような魔族に助けられたと考えます。もちろんその避難民たちはただ逃げて来ただけで魔族に助けられたということ自体が間違いの可能性もありますが」
『うむ』
「領主代理とエルマー殿に頼み、その避難民たちは裏切り者ではなく、避難民たちを虐殺した者共は
「領主代理とこの街に先に入城していた隊は、人間である避難民が魔族に逃がされたとは思わずただ逃げて来ただけと思っていたので、保護できなかったようです。逃げて来たエルフやドワーフには保護された者もいるとのことです」
『ふむ。お前たちの推測は
「はっ。そしてその神官たちは避難民たちを裏切り者と信じ、赤子や幼児に至るまで虐殺されたことを肯定していました。ですが善神ソル・ゼルムがそのようなことを肯定するとは思えません」
『ふむ……神官にも感心できない者たちはいる。だがそのような神官も神から見捨てられることはそう
「はい」
「はっ。
『確かに、お嬢さんが本当に聖女である可能性がさらに高まったと考えていいのかもしれん。そうなのだろうな……』
フィリップの声に苦悩の色がにじんだ。通話越しの姿は見えないが、その表情も
『魔族たちは聖女を保護すると言っていたそうだな? 聖女を
「はい」
『バート。お前はそれをどう思う?』
「恐れながら、アードリアンたちの言い分ももっともだと考えます。聖女とは心清き者です。その聖女を戦場に出すのは下劣な行為であるという彼らの言葉は、もっともだと言うしかありません。そして私はその下劣な人間であると認めなければなりません」
『……そうだな。お前だけに責を負わせる気はないが、お前の言うことは実にもっともだ。だが、俺は統治者として聖女を戦場に出さなければならん……』
フィリップは『人』としての良心と『統治者』としての良心の
バートたちもそのフィリップの苦悩を察している。そしてホリーたちも、フィリップがこのような人だからこそ極度の人間不信であるバートもこの人を認めるのだろうと理解できた。
『『鮮血の魔将』が言ったそうだな。人類社会に残った聖女で幸せに一生を終えた者はいないと。そして少なくとも俺の知る限りは、女神デルフィーヌを除けば聖女の伝説は悲劇で終わるものばかりだ。バート。お前はその言葉をどう思う?』
「あの男は自分自身が知る事実を言っていた、少なくとも故意に偽りを言おうとはしていなかったと考えております」
『……』
「あの男には、おそらくお嬢さんと我々に人間たちに対する不信感を植え付けようという
『……』
「そしてあの男には聖女に対する純粋な善意もあったのではないかと考えます」
『そうか……』
それはフィリップの心も揺さぶっていた。フィリップは統治者としての心構えはあるが、個人としては善良な男だ。その彼はアードリアンの言葉を否定することはできなかった。なにより彼も知っているのだ。聖女の伝説は悲劇で終わることを。
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