57 少女は青年の本当の名を知る

 官庁の執務室。今日もバートとホリーはここで執務をしている。先程までは引き継ぎのために軍政担当官の代表も机を用意されてこの部屋にいたが、騎士隊長のエルマーが来て軍政担当官は退室させられている。エルマーの用件は、フィリップ第二皇子がバートとホリーに通話したいとのことである。

 エルマーが通話アイテムを机の上に置いて起動する。



「こちらエルマー・ギリングズです。静かなる聖者バート殿とホリー・クリスタル様と通話できます。こちら側は私を含めて三名のみです」


『よろしい。フィリップ殿下がお出になる。粗相そそうのなきように』


「はっ」



 即座に相手側から返事がある。返事をしたのはエルマーの直属の上官だ。

 そしていかにも頼もしそうな声がアイテムから出る。フィリップ第二皇子の声だ。



『バート。たびたびすまんな』


「いえ。フィリップ殿下のお時間を取らせてしまい、申し訳ございません。お言葉をたまわり感謝します」


『はっはっは。お前は相変わらず真面目だな。俺とお前の仲でそこまで生真面目にせんでもいいというのに』


「そういうわけにもまいりません」



 フィリップは気さくに話しかける。一方バートは淡々と、それでも礼儀正しく応対する。ホリーとエルマーにはなぜフィリップがここまで親しげなのかわからなかった。



『まったく。まあいい。だがアルバート。俺はお前とヘンリーを弟のように思っている。俺の弟弟子のお前たちをな』


「……はい。そのご温情に感謝いたします」


『そこまで生真面目にせんでもいいというのに』



 だが、バートたちがフィリップの弟弟子だと聞いて納得した。フィリップが、引退した高名な元冒険者に武術を習ったことは彼の配下たちには知られている。バートたちも同じ師に師事したのだ。フィリップが『アルバート』と『ヘンリー』という名を出したことには疑問をいだいたが。

 皇子が冒険者に師事することなど旧チェスター王国では考えられないが、現皇帝は冒険者の『生き汚い』戦い方を皇帝家の者が学ぶことは有意義だと考えている。皇帝家の者たちは統治者として簡単に死ぬわけにはいかないのだから。



『ああ、アルバートとヘンリーとはバートとヘクターのことだが、公言はするな。二人も訳ありでな』


『はっ』


「はっ」


「はい」


「……」



 ホリーにはアルバートという名に心当たりはなかったけれど、ヘンリーという名には心当たりがあった。ヘクターがイーヴォたちとの戦いの前に、自分の本当の名だと名乗っていたものだ。ならアルバートはバートの本当の名なのだろう。それを言いふらす気はないけれど。

 エルマーはアルバートという名に心当たりはあるが、この冒険者がかの人物のはずがない。同名の別人であろう。冒険者が偽名を名乗ることは時々あるから、その点は不思議には思わなかった。

 フィリップは口止めしたことを疑問に思わせないようにわざと軽く言ったのだが、ホリーもエルマーもそれには気づかなかった。ここで彼が『アルバート』の名を出したのは、バートに対するメッセージであった。『アルバート』として表舞台に出て来い。出て来れば後押ししてやると。バートもそのメッセージを理解していた。



『さて。ホリーお嬢さんもそちらにいるんだな?』


「はい。お嬢さん。殿下にご挨拶あいさつを」


「は、はい。殿下にあられましては、ご機嫌麗きげんうるわしゅう……」


『はっはっは。お嬢さん。俺相手ではそんなかしこまらなくてもいい。父上に対してはさすがにそれなりの礼節をもって対応してもらわんといかんがな』


「は、はい」



 ホリーは帝国の第二皇子ともあろう人に挨拶をすることにさすがに緊張している。彼女は偉大なる神相手でも自分の考えを言うことができたのだから、実際にフィリップと相対したらひるまないかもしれないけれど。

 フィリップはそんなホリーにほがらかに言う。彼は帝室の一員であっても礼儀作法にはうるさくない豪放磊落ごうほうらいらくな性格だ。彼も必要な時は威儀を正すが。



『それでバート。お嬢さん。お嬢さんについてだが、しばらくお前とヘクターに同行させて鍛えさせることに、父上のお許しも得られた。お嬢さんが生き残れるように鍛えてやってくれ』


「承知しました」



 ホリーは喜びをその顔に浮かべた。自分はバートたちと一緒に旅をできるのだ。



『あと、一度お嬢さんを連れて俺の所に来てくれ。冒険しながら来てくれればいい。多少時間がかかっても構わん』


「承知しました。お嬢さんを鍛えながらですね?」


『そうだ。お前たちが俺の所に来たら、俺と直接通話できるマジックアイテムを渡す。いざという時、お嬢さんを迅速に呼び寄せられるようにしたい』


「承知しました」



 第二皇子と会うことは、ホリーは緊張を隠せない。自分はただの村娘だったのだから。

 フィリップと直接通話できるマジックアイテムを渡されることは、バートにも異論はない。緊急に聖女が必要とされることもありうるのだし、あるいは逆にバートから緊急に連絡しないといけない事態が発生することもありうるのだから。



『そしてその後、冒険しながら帝都に向かってもらいたい。お嬢さんを父上に謁見えっけんさせるためにな。もちろんお前も一緒に父上に謁見しろよ?』


「承知しました」


『その時点で聖女を必要としておらず、お嬢さんを十分に鍛えられていなければ、もうしばらくお前たちにお嬢さんを任せることになるかもしれん』


「承知しました」



 第二皇子と会うだけでも緊張するのに、皇帝に謁見するなど、ホリーにとってはあまりにもおそれ多い。だけどバートたちがついていてくれるなら自分は大丈夫だと確信できた。

 返事をするだけだったバートが発言する。



「お嬢さんが本当に聖女であって、お嬢さんが帝国の保護を受けるのならば、私もお嬢さんを守るためにその後も同行する許可をいただけますでしょうか? ヘクターと他の冒険者四人につきましても。その冒険者たちも信頼に値する者たちだと考えます」


『……ほう。お前がそんなことを言い出すとはなぁ……お嬢さんはやっぱりいい子なのか?』


「はい。このお嬢さんは善なる心を持つ希有けうな人間の一人です」


『そうかそうか。聖女ならば善なる心を持っていて当然だが、お前がそこまで見込むお嬢さんと会うのがますます楽しみになった。わかった。聖女を守るためにも信頼できる者が必要だ。父上に申し上げておこう』


「お願いいたします」



 通話先にいるフィリップの表情は見えないが、酷く驚いているのが声の調子からもわかった。フィリップもバートの人となりを知っている。この男がそれだけ見込む少女ならば、確かに聖女なのかもしれないと彼は思った。そしてこの男の絶望に閉ざされた心が開かれつつあるのかもしれないと。

 ホリーはうれしかった。バートが第二皇子に対し、自分と一緒にいると宣言してくれたことが。この人は自分と一緒にいてもいいと思ってくれているのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る