53 善神と悪神 03 善神の悔い

 悪神アルスナムが善神ソル・ゼルムに語りかける。



「我が友よ。お前の口からその少女に言わねばならぬことが、もう一つあろう?」


「……そうだね。私の聖女で、子や孫を成せるだけ長生きできた子はごくわずかだ……ほとんどの子が戦いや陰謀で若くして命を落としてしまった……」


「……」



 善神のその言葉に、先程までの自由闊達じゆうかったつな響きはない。

 賢者でもあるシャルリーヌは知っている。聖女の伝説はことごとく悲劇で終わっていることを。



「私はもう聖女なんて選びたくないんだよ……聖女はほとんどの場合不幸な結末を迎えてしまうからね……でも時折聖女と認めざるをえない子も現れるんだ……この子のように……」


「……」



 その善神のなげきは、ホリーたちにとって衝撃であった。善神は本当は聖女を選びたくないなどと。だが推察はできる。善神は自分が選んだ聖女たちが不幸になってしまうことを悲しんでいるのであろう。

 嘆く善神の様子が急に変わる。



「何が善神だ!? 何が善なる神々の王だ!? 最も祝福しなければならない、幸せになるべき聖女たちを不幸にしてしまう私が偉大なる者であるものか!? とんだ疫病神やくびょうがみじゃないか!?」



 善神は激高げっこうする。それは自分自身に向けた怒りだ。だがそれはプレッシャーとなってホリーとシャルリーヌに迫る。悪神が彼女らを守ってくれているようだが、それでも暴風のような圧力が彼女らを襲う。彼女らは耐える。ここで吹き飛ばされるわけにはいかない。



「我が友よ。落ち着くが良い。この者たちが苦しんでいるであろう」


「……すまない」



 悪神がなだめ、善神も落ち着きを取り戻す。ホリーたちを襲っていたプレッシャーも弱まる。だが善神の言葉には先程までのような軽さはない。

 ホリーが決意を込めて言う。この心の中も、目の前の偉大なる存在にはお見通しなのであろうけれど。



「ソル・ゼルム様。私はあなたに感謝しています。素晴らしい教えをさずけてくださったことに。私が聖女であったために素晴らしい人たちと出会え、一緒にいられることに。私が聖女であったために素晴らしい人たちが死なずに済んだことに。そして私が大勢の人たちに幸福をもたらす可能性を与えられたことに」


「……」


「私はあなたの聖女となったことに感謝しています」


「……君はいい子過ぎる。こんな私に感謝するなんて」


「それでも、私はあなたに感謝しています」



 ホリーは純粋に感謝している。素晴らしい人たちと出会わせてくれた善神に。たとえこの先に苦難が待ち構えているとしても。自分が不幸な結末を迎える確率が高いとしても。



「……約束してくれないかい?」


「何をでしょう?」


「君は決して自分の命を粗末にしないと」


「はい。私は幸せになってみせます」


是非ぜひそうなってほしい。神ともあろう者が、人の女の子が幸福になることを約束してあげられないのは、情けない限りだけどね……」



 ホリーはうれしかった。善神も自分の幸福を願ってくれているのだと。そして誓う。自分は幸せになるのだと。



「そして君たちには一つ道がある。我が友も言っていたことだけどね」


「……」


「君たちには魔族たちの元に身を寄せるという道もある。君も見ただろう。魔族たちは別に存在そのものが悪というわけじゃない。考え方の対立があって、人類と殺し合っているだけなんだ」


「……はい」



 ホリーたちはゲオルクたちのことを思い出していた。あのオーガたちは悪とは思えなかった。



「悲しいことに、人間たちも必ずしも君たちにとって味方とは限らない。君たちに悪意を向ける者たちもいるだろう」


「……はい」


「私の聖女には、人間たちによって殺された子も珍しくはない……」


「……はい」


「天寿をまっとうした数少ない聖女には、人間たちに絶望して魔族たちの保護を求めた子や、魔族たちの捕虜になってそのまま保護された子もいるんだ」


「……」


「選択肢としては、君もそれは覚えておいてくれ」


「……はい」



 善神も人間を全肯定しているわけではない。ホリーとシャルリーヌはその事実を受け入れた。

 彼女たちも信じるに値しない人間も多くいることは理解している。ホリーもそれを実感として思い知っている。バートとヘクターに助けられた時、自分を襲った野盗たちは人間だった。エルムステルの領主も人間だった。全ての人間を信じられるわけではないことは、彼女も理解するしかなかった。



「その上で、君たちには人類のために行動してほしい。私が君に与えた聖女としての力は、君たちの目的を達成する手段でしかない。君たちのその清い心で、この地域の人類を良い方向に導いてほしい。ゆくゆくは世界の全ての人類にそれを広げるいしずえとすることも。それが私の願いだ」


「はい!」


「それはホリーだけではなくて、私にも言っているのかしら?」


「もちろん」



 それは真摯しんしな願いであった。もちろん善神も人類をいい方向に導くよう神官たちに啓示けいじを与え、人々に諭しているのであろう。だがその善神の言葉は善神の真意が人々に理解されていないことも意味している。ホリーもシャルリーヌも自分たちの使命が困難を極めるであろうことを理解している。



「心清きエルフの乙女よ。なんなら君にも聖女としての加護を与えようか?」


「……頼みは聞くけど、聖女になるのは遠慮しておくわ。聖女が一カ所に二人いると、それこそ人間たちがどう動くかわからないわ」


「我が友よ。この者の言う通りだ。お前はもっと考えてから発言せよ」


「ははは。君にはよくそう叱られていたね。懐かしいよ」


「覚えているなら直せ」


「ふふ」


「おやおや。笑われてしまったね」


「笑われたのはお前だ」



 善神の調子が戻った。その声も深刻そうには聞こえない、軽い調子に。だがその内心ではまだ苦悩し、ホリーたちが幸せになることを願ってくれているのであろうことは、ホリーたちも理解している。善神がその気になればそんな気軽に人を聖女にできるのかと、彼女たちは驚いてはいるのだけれど。



「私は聖女としてふさわしいとは思えないわ。私はホリーのように優しくはないから」


「この子ほど優しい聖女も珍しいけどね。軍勢の先頭に立って戦う勇ましい聖女もいたよ。デルフィーヌの名前は君も知っているだろう?」


「……女神デルフィーヌのことかしら? エルフの聖女だったという」


「そうだよ。あの子は私がうっかり名前を呼んでしまって、神になっちゃったんだけどね。幸いあの子は神として永遠に生きることに適応できたんだけど」


「……」


「この愚か者は……幸いで済ませられることでもあるまいに……」


「はっはっは。結果良ければ全て良しさ。心清きエルフの乙女よ。君にも聖女になる資格はあるよ」


「そう。でも私は遠慮しておくわ」



 聖女になる基準は、彼女たちが考えているよりも緩いのかもしれない。善神が聖女を選びたくないと思ってむやみに聖女を選んでいないだけで。シャルリーヌは自分が聖女になることなど考えられなかったが。聖女から神に至ったという女神デルフィーヌの真実を聞いて彼女は呆れたが、さすがにこんなことを広めれば自分たちが偉大なる神を侮辱ぶじょくしていると取られかねず、人に言うわけにはいかないだろう。

 善神は、そして悪神もホリーたちが幸せになることを願ってくれていることは、彼女たちも理解している。彼女たちは改めて思う。自分たちは幸せになろうと。その上で人類のために動こうと。

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