52 善神と悪神 02 聖女の資格

 ホリーとシャルリーヌの前には、二柱ふたはしらの偉大な存在。彼らはチェス盤を前に向かい合いながら彼女たちの方は見ないようにしている。彼女たちは強大な圧力にさらされ、それに耐えている。それでも二柱の神は彼女たちの負担を少なくするように圧力を抑えてくれていることは、彼女たちもわかっている。

 善神ソル・ゼルムが悪神アルスナムの方を見たままホリーたちに語りかけようとする。



「ホ……」


「ソル・ゼルム! 神でない者の名を口にするのはやめろと言ったであろう! お前と我がそれをすれば、この者たちを神に引き上げるきっかけになりかねないのだぞ!?」


「いいじゃないか。この子たちは見込むに値する子たちだよ? 君もさっき言っただろう」


「永遠を望んでもいない定命じょうみょうの者たちにとって、神になることは呪いでしかないと何度も言ったであろう!」


「ははは。君にこうして叱られるのも久しぶりだね。この子たちなら大丈夫だと私は思うよ」


「何を笑っている!?」


「まあまあ。二人が辛そうじゃないか。怒りを抑えてくれ」


「……我を怒らせているのはお前であろう」



 悪神の怒りは暴風のような圧力となってホリーとシャルリーヌを吹き飛ばしそうになる。善神が守ってくれているようであるが、それでも圧力は強い。悪神は彼女たちのために怒っているようだが。一方善神は悪びれない。

 なおエルフは長命だが不死ではなく、その寿命は数百年とも千年とも言われる。それでも人間との寿命の差は大きく、エルフと人間が結ばれて共に無事寿命を迎えるまで生きられても、別れが訪れるのは必然だ。シャルリーヌもそれはわかっているけれど。



「すまないね。君たちの名前を呼んであげたいんだけど、アルスナムが怒るからね」


「心清き人間の少女よ。心清きエルフの乙女よ。こやつがたわごとを言ったら、叱ってやっていいぞ。むしろ叱れ。この愚か者に対して遠慮などいらぬ」


「はっはっは。私は善なる神々の王なんて立場に担ぎ上げられてからは、叱られることなんてなかったからね。だけどそれならなおさらこの子たちを神に引き上げるべきじゃないかい? 私を叱ってもらうために」


「……ソル・ゼルム。そう何度も我を怒らせるな」


「はっはっは。まあでも君たちも私たちの会話で気になることがあれば好きに口を出していいよ」


「は、はい」


「……善神のイメージが完全に崩れたわね」


「こやつに幻想をいだくだけ無駄だ」



 ホリーもシャルリーヌも戸惑とまどいを隠せない。まさか偉大なる善神がこんな性格だったとは。親しみやすいと言えるのかもしれないけれど。

 だが賢者でもあるシャルリーヌは真実を知ったことに興味深いとも思っている。聖女には神へのきざはしを上る可能性が与えられるとは、賢者たちのみならず広く一般に知られている伝説だ。だが真実は善神か悪神がその気になれば『人』を神に引き上げられるのだ。聖女は深く善神と関わり何度も啓示けいじを与えられるから、その確率が他の者に比べて高いだけなのだろう。善神は自分とホリーを見込んでくれているようだが、悪神の言葉に永遠に生きることにひるみを覚えたのも事実だ。



「ソル・ゼルム。お前がそんな態度でいるからこの者たちが驚いているであろう。もっと威厳のある話し方をせよ」


「君にそう叱られるのも久しぶりだね。私も信徒たちには威厳があるように話してはいるけど、久しぶりの君との対話でそんな無粋ぶすいなことを考えたくないね」


「まったく……お前という愚か者は……」



 ホリーがこれまで夢の中で善神と相対した時は善神は威厳のある態度でいたのだが、善神にとってそれは無理をしていたようだ。



「まあでも驚いたよ。まさか私の聖女が君の聖者に出会い、そして君と私が話し合えるチャンスをくれるなんて。前回はあまりにも驚いて口を出しそびれたんだけどね」


「あの者はまだ我が聖者ではない」


「そうだね。だけど私の聖女と君の聖者が結ばれるならば、それは素晴らしいことじゃないか。もしかしたら、それが人類と魔族たちの戦いに終止符を打つきっかけになるかもしれない」


「たとえあの者とその少女が結ばれても、それは個人的なことでしかない」


「私はそうは思わないね」



 ホリーは改めて知った。自分が聖女であると。他ならぬ善神ソル・ゼルムの言葉によって。そして善神が自分とバートが恋に落ちることを望んでくれている様子なのは、恥ずかしいやらうれしいやら複雑な気分だ。悪神は自分たちを見守ってくれているだけのようだけれど。



「あの……ソル・ゼルム様。アルスナム様からも教えていただきましたが、私はあなたの聖女なのですか?」


「そうだよ。君のような心の美しい女の子はまさに聖女にふさわしいからね」


「は、はい」



 もう完全に確定した。ホリーは善神の聖女であると。



「ソル・ゼルム。それは我からこの少女に教えるのではなく、お前の口から教えるべきことだったであろう」


「いや、『人』に対して啓示けいじさずける時はあまり直截ちょくさいな表現はするべきじゃないと、君が言っていただろう。自分でもそれができているのか自信はないけど」


「言ったが、それで本意が伝わらないようでは本末転倒であろう!」


「ま、まあまあ。落ち着いてくれ。この子たちが辛そうじゃないか」


「……我を怒らせているのはお前であろう」



 ホリーもシャルリーヌも理解した。善神が自分たちをこの場にいさせた理由を。善神は神々の時代から頻繁ひんぱんに悪神を怒らせていたのだろう。悪意なく、天真爛漫てんしんらんまんに。悪神からすれば善神にも悪気はないから本気で怒ろうにも怒れないのだろう。神々の時代、天衣無縫てんいむほうな善神と生真面目で苦労性な悪神は互いに友情をいだいていたのだろう。そしてその友情は今も失われていないのであろう。



「あの……私はバートさんと結ばれるべきなんでしょうか?」


「それはもちろん君たちがお互いに愛し合うならの話だよ。強制なんてしないさ」



 ホリーはバートと結ばれることが嫌とは思っていない。ただ義務としてバートと結ばれる必要があると言われると、まだ自分がバートに恋心をいだいてるとは確信していない身としては思うものはある。善神にそんなことを強制する気などないと聞いてほっとしたけれど。もちろん自分とバートが愛し合って結ばれるならそれは素晴らしいことだ。自分はまだ大人になっていないけれど、あと数ヶ月もすれば大人扱いされる十五歳になる。それにあの人の絶望に捕らわれた心を溶かして愛し合えるようになるには数年はかかるだろうから、これは問題にはならないだろう。



「ホリーがバートと結ばれるなら、私はバートをあきらめないといけないのかしら?」


「そんなことはない。神々も人も魔族も男女一対一で結ばれる者ばかりじゃない。君たちが納得しているなら彼と複数の子が結ばれても否定することでもないよ。君たちが幸せになれるならそれでいいじゃないか」



 シャルリーヌも自分の想いを諦める必要はないと聞いてほっとした。自分がバートに恋をしているのかはまだわからないけれど、自分があの男に相当な好意をいだいているのは間違いない。

 そして彼女たち二人は、バートとホリーとシャルリーヌの三人で幸せになろうということに互いに異論は出ないだろうと思っている。



「でも聖女は清き乙女が選ばれると言うけど、ホリーがバートと結ばれたら聖女としての資格が失われるなんて言わないでしょうね?」


「他人のものになったから聖女としての資格を奪うなんて、そんなことしたら私はどうしようもない神みたいじゃないか」


「ご、ごめんなさい」


「いいよ。悪いと思ったら素直に謝れるのは美徳だからね」


「心清きエルフの乙女よ。今回は思い違いをしていたお前に否がある。だがこの愚か者が愚かなことを言ったら、遠慮なく叱ってやれ。そうしなければこの愚か者は理解せぬ」


「アルスナム。そう何度も愚か者と言わなくてもいいじゃないか」


「お前など愚か者で十分だ」


「やれやれ。我が友は相変わらず辛辣しんらつだね」



 シャルリーヌからはだいぶ善神に対する敬意は失われてしまった。だが彼女もこの神に親しみを感じている。ホリーは偉大なる神に対して遠慮ない物言いをするシャルリーヌにはらはらしているのだけれど。



「まあでも、その子が聖女としての資格を失うこともありうるのは事実だ。その子の心が清い限り、子や孫が生まれようと聖女としての資格は奪わないけどね」


「……ホリーの心がにごれば、聖女の資格を失うと?」


「ああ。残念なことに、過去にはそうして聖女の資格を失ってしまった子たちもいたよ……」


「……」



 シャルリーヌとホリーは絶句する。過去には聖女としての資格を失った者もいると、他ならぬ善神の口から言われたのだ。しかもその口ぶりからすると、一人ではなく複数。



「忠告しよう。心清き人間の少女よ。心のにごりとは色々あるが、大きいものの一つが欲望だ。無論生ける者が生きるために必要な欲望はある。だが人間という種族は自分勝手な欲望が異常に強い。今のお前はそのような欲望は乏しい美しい心の持ち主であるがな」


「我が聖女よ。君が同胞たちの無事を祈るならば、それは聖女としてふさわしい。でも君が勝利を願い、自分たちの栄達を願うようになれば、いつまで聖女としての資格を維持できるか危ういね」


「……はい。アルスナム様もソル・ゼルム様も忠告してくださってありがとうございます。心に刻み込みます」


「うん。受け入れるべきことを素直に受け入れるのも美徳だよ」


「我は清い心の持ち主の心が濁るところは見たくはない」



 それは重要な忠告であった。ホリーも無条件で聖女でいられるわけではないと。彼女も自分がこの先悪い方向に変わってしまわないとは断言できない。



「あとやっぱり、ホリーが人や魔族を殺すことは聖女としての資格を危うくするのかしら?」


「その危惧があるのは事実だね。もちろん自分たち自身や弱き者たちを守るためならば仕方が無い。でもみだりに殺すことは感心しないね」


「はい。それも心に刻み込みます」



 ニクラスの危惧は正しかったようだ。バートもその考えに理があると認めて受け入れたのであるが。ホリーもみだりに命を奪うことなどしたくはない。どうしてもそうせざるをえない場面もあることはわかっているけれど。

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