51 善神と悪神 01 少女たちは宣言する

 ホリーとシャルリーヌは神殿のような空間にいた。彼女らの前には、彼女らに気づいているのかいないのかチェスを打っているバートと悪神アルスナム。彼女らは視線を合わせ、うなずく。彼女らの目論見もくろみは成功したのだ。

 彼女らはバートとアルスナムがチェスの駒を動かす光景を眺める。すぐにアルスナムに話しかけることも考えた。だがそうするとバートが悪神を認識して彼が『アルスナムの聖者』になりかねないとシャルリーヌが主張し、二人での話し合いによりすぐには話しかけずに待つことになった。彼女らもこの光景も意外と退屈しない。バートと悪神の対戦は白熱しているように見える。時折勝負がついては仕切り直しをしているようだ。




 そうしてどれほど時間がたっただろうか。バートの体が薄れ、消えてしまう。



「心清き人間の少女よ。心清きエルフの乙女よ。お前たちが我に言いたいことはわかっている」



 アルスナムがホリーたちの方を見もせずに言葉を発する。圧倒的な威圧感が彼女らに迫る。彼女らはそれにあらがい、耐える。

 その悪神の言葉は彼女らも想定していた。偉大なる神は人の考えていることなどお見通しなのであろうと。



「それでも言わせていただきます。バートさんはあなたの聖者にはさせません」


「バートの絶望にてついた心は、私たちが溶かしてみせるわ」



 今回はシャルリーヌも最初から言葉を発することができた。前回はあまりにも強い威圧感に言葉も発せなかったのだけれど。今回は彼女にも心の準備があったということもあるだろう。だが彼女もわかっている。アルスナムがあえて威圧感を緩めてくれているのであろうと。



「そうか。だが心せよ。お前たちが人間たちの手によって死ぬことがあれば、それこそあの者は我が聖者となるであろう」


「……」



 そのアルスナムの言葉に、彼女たちは反論することはできなかった。だがそれは、彼女たちがそれだけバートにとって大切な存在になっているのであろうことも、彼女たちも気づいた。



「あなたはバートをあなたの聖者にしたいの?」


「どちらでも良い。我はあの者を見守っているのみ。だがお前たちのような心清き者たちが非業ひごうの死を遂げることは、我は容認したくはない」


「あなたはバートさんと私たちが幸せになることを望んでくださっているのですか?」


しかり。心清き者たちは幸せになるべきである。だが残念ながら、本当に残念だが、そうなるとは限らぬ」


「……」



 アルスナムは人類からは悪神と呼ばれているが、この神も存在としては善なのだろう。心の美しい者に幸せになってほしいという善意はあるのだろう。この神と配下たる魔族たちは人間たちを間引まびきしているのであるが。だがこの神はそれが世界のために必要だと考えている。人間たちが繁栄しすぎれば、その増大し続ける欲望は人間たちを含む世界を滅ぼすと。



「お前たちのような戦いに身を投じ、名をせる者たちは、平穏な最期を迎えられる確率は低くなる。お前たちは正面の敵のみならず、人間たちの悪意にも直面するであろう」


「……」


「お前たちが幸せになりたいならば、最善策は魔族たちに保護を求めることだ。我が配下たる魔王たちも、お前たちを粗略そりゃくな扱いはするまい。次善策は、お前たちだけで隠棲いんせいし、人間たちからお前たちの名を忘れ去られるようにすることだ。お前たちが隠棲するのはもはや難しいかもしれぬがな」



 アルスナムは人間の善性を信じていないのだろう。それどころか人間たちこそが彼女たちにとっての脅威になると考えているのかもしれない。それは彼女らも否定することまではできなかった。

 シャルリーヌは賢者として人間の国々の歴史も知っている。そこでは汚いこともいくらでも行われた。だが彼女は全ての人間が醜悪しゅうあくだなどとは考えてはいない。

 ホリーは人間を含む人の善性を信じている。だけど悪い人もいることは認めざるをえない。



「私は人間を含む人々を見捨てたくはありません」


「私もよ」


「そうか。残念だ。お前たちの行く先にある道は険しいであろう」


「承知しています」


「そうね」



 それでも彼女たちはアルスナムが提案するように人間たちを見捨てることは認められなかった。人間にもいい人はいくらでもおり、そのような人々を見捨てることはできない。バートにとっては、ほとんどの人間は妖魔同然の唾棄だきすべき存在に見えているのであるが。



「お前たちの行く末は、我もあの者の目を通して見守ろう。我の危惧をはねのけ、お前たちが幸せになることを期待しよう」


「はい!」


「ええ。私たちは幸せになるわ」



 アルスナムにも間違いなく善意はある。それで魔族たちに彼女らを殺さないように指示することはないであろうことは彼女たちもわかっているけれど。

 ホリーもシャルリーヌもうれしかった。この偉大な存在が自分たちの思いを認め、自分たちの幸せを望んでくれていることが。神々とは、『人』にとって男神は『父』、女神は『母』と形容されることもあるのだ。そしてこの悪神も人類から思われているような絶対的な『悪』ではなく、存在としては『善』なのだ。彼女らからすれば、父のような存在が自分たちの幸せを願ってくれているのだ。


 彼女たちはアルスナムに言いたいことは言った。これで今回の用は終わりだ。そう思った時、アルスナムが声を発した。



「で、我が友よ。ずっと口を出したげにしているが、何を言いたい」



 ホリーとシャルリーヌはこの場に他に何かがいることに気づいていなかった。アルスナムからの威圧感に耐えることに必死で。だがその言葉に、彼女らの背後に何か途轍とてつもない存在がいることに気づいた。なぜ今まで気づかなかったのか不思議だけれど。彼女らは振り返ろうとする。



「ああ、悪いけど振り返らないでくれないか? 私の顔を正面から見たら、アルスナムの圧力にもさらされている君たちは、即座にこの場からはじき出されて目が覚めてしまう」



 アルスナムが友と呼んだ存在にしては、その言葉は軽い。だがホリーはその声に心当たりがあった。彼女がその存在の声を聞いた時はもっと威厳のある態度だったのだけれど。

 彼女らの背後にいる存在は、振り返らずに前を見ている彼女らの横を通り、バートが座っていた椅子に座る。ホリーはその神々こうごうしい青年のような姿に見覚えがある。善神ソル・ゼルムだ。



「久しぶりだね。我が友よ。戦うのではなく、こうして話し合う態勢に入れるのは本当に久しぶりだ」


「そうだな。我が友よ」



 ソル・ゼルムとアルスナムは互いを友と呼んだ。それは神学上の常識を根本から否定することである。善神と悪神は互いを否定する存在というのが常識なのだから。ホリーとシャルリーヌは心の準備があったから、それには動揺せずに済んでいた。動揺していたら、二柱ふたはしらの偉大なる神の圧力に耐えられずに彼女らはこの場からはじき出されていたであろう。



「この子たちが君に向けた言葉、感心したよ。人の子が神に対してなかなか言えることじゃない」


「それは我も認めよう。この者たちが見込みのある者たちであることは」



 善神も悪神もホリーたちに感心しているが、彼女たちからすれば恐縮するしかない。人に過ぎない自分たちが悪神に向かって宣言した所を善神に見られていたのだから。



「あの……私たちがここにいてもいいんですか……?」


「そうよねぇ……聖女のホリーはともかく、私は普通の冒険者なんだし……」


「もちろん。むしろ君たちがいてくれないと困る。私とアルスナムが顔を合わせれば基本的に戦いになるんだけど、実体を持たないこの場なら話し合いができる。君たちがいれば、アルスナムも短気を起こさないだろうしね」


「我を怒らせるのはお前であろう。ソル・ゼルム」



 ホリーとシャルリーヌは神々の王二柱ふたはしらの対話の場にいるなどあまりにもおそれ多いとひるむ。ソル・ゼルムの返事は軽いが。ホリーもシャルリーヌも善神に対するイメージが崩壊した気分だ。

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