00-2 プロローグ 02 まさに滅びつつある王国
この百年あまり、大陸のこの地方においては、かつての大戦で人類も魔族も双方
この地は五百年にも及ぶ歴史を誇る大国、チェスター王国の統治下にある。そこに隣接するそれ以上に巨大な国、勝利の名を冠するヴィクトリアス帝国は突如チェスター王国に服属を要求。チェスター王国は友好国として付き合ってきた帝国の
その返答は
その日、王宮では最後の抵抗をしようと、四人の王子と廷臣たちの前で王が宣言した。だがそれに異を唱える者がいた。
王は
「アルバート! この
「父上。この期に及んで包囲軍に突撃して死んでも無意味と申し上げております。我らチェスター王家の者の命は、民の安全を要求するための交渉に使うべきと考えます」
「民など、我が王国が滅ぶ時はことごとく
「父上は考え違いをされておられるようです。善神ソル・ゼルムの教えと、英雄王ローレンス・チェスターの遺訓をどうお考えですか」
一応は大人とされる十五歳にもなっていない、幼さを残しながらも整った
「ええい! 臆病者に用はない! 下がれ!」
王は第四王子を嫌っていた。この
アルバートの一番上の兄、王太子エリオットが格調高い口調で言う。
「アルバート。この場を去るがいい。お前は所詮
その王太子の言葉は廷臣の立ち並ぶ
三人の兄たちも末の王子を見下していた。王と上の王子たちは金髪と青い瞳であるのに対し、第四王子は黒い髪に灰色の瞳であることもその差別意識を助長した。
「父上。あなたは王国を滅ぼした暗君です。せめて我らは王家の者として、民に
王子はチェスター王国は既に滅びたものと過去形を使った。表情を変えることもなく、その言葉はあくまで淡々としている。父王を
「下がれと言っているであろう! エイデン将軍! アルバートをつまみ出せ!」
「エイデン将軍。お前も父上の愚行に付き合うのか? 包囲軍に突撃して死んだ所で、害はあっても理も利もないことは私よりもお前の方がわかっているだろう。
「……」
王の命令を受けたエイデン将軍は、王子の
「帝国が魔王軍からチェスター王国の民を守るために侵攻すると通告してきたのも、単なる口実ではないのだろう。お前が
「……」
「お前ならば、帝国に降伏すれば配下の将兵たちと共に厚く用いられるだろう。お前がするべきことは、この腐りきって
「……」
王国の滅亡は、帝国の
エイデン将軍は王国領東方地域において、魔王軍と何度も戦っていた。だが将軍は理解していた。チェスター王国がまだ滅ぼされていなかったのは、魔王軍が侵攻を本格化させていないだけだからと。それをアルバート王子にも教えていた。まだ未熟ではあるが賢明なこの王子が、腐りきったチェスター王国を立て直してくれることを期待して。それは将軍としては王と上の王子たちには期待できなかったことでもある。そして将軍は、チェスター王国そのものが王国の民を守るためには邪魔だということを身に染みて理解していた。少なくとも腐敗した貴族共を排除しないことには、この王国はどうにもならないと。
将軍も今回の帝国の侵攻にはなすすべもなかった。帝国領から王都フルムに至る土地を治める王国の貴族たちはほとんどが帝国に寝返り、王国軍の将軍にも帝国に寝返る者もおり、迫る帝国軍相手に迎撃に出ることすらできなかった。
こんな短期間で王都を包囲されてしまったことが、チェスター王国の弱体化ぶりを
「帝国では民を
「……」
エイデン将軍からすれば、王は関心はできないものの悪逆と言うほどでもない、
帝国の状況はチェスター王国とは随分違う。先代の皇帝は感心できない統治者だったようだが、今代の皇帝はまさに理想的な統治者に将軍には見えていた。アルバート王子にも、民を思い公正な統治を為す皇帝を見習ってほしいと思っていた。
「ここで帝国軍に突撃して死んでも、意味はない。無駄に
「……」
貴族たちには、王都を捨てて王国東方地域に逃げて再起を図ることを
『正解』は、王子が主張するように帝国に降伏することなのだろう。皇帝が非道な
皇帝は要求を拒絶される確率が高いと予想して、短期間でチェスター王国を制圧できるように、情報収集や寝返り工作、そして侵攻軍の軍勢を維持するための物資の手配など、十分な準備をしていたのだろう。将軍はその
「皇帝には政治的な
「……」
おそらく皇帝は、支配欲からチェスター王国を征服しようとしているわけではないとエイデン将軍は考えている。アルバート王子が言うように、皇帝にはチェスター王国の民を保護するという善意があるのではないかとも。だが戦略的な
皇帝の本音は、帝国が魔王軍の侵攻を防ぐ上で、チェスター王国が心強い同盟国であるのならばそれで良かったのであろうと将軍は考えている。だが王国があまりにも頼りなく、帝国にも悲劇的な事態をもたらしかねないから、王国を滅ぼして自分たちでその領土を統治し守ろうとしているのであろうと。
今からでも降伏さえすれば、皇帝は王とチェスター王家の者たちを
「帝国が王国の民を踏みつけにするつもりならば、
「……」
アルバート王子も、帝国が王国の民を踏みつけにするならば抗う意思はあるのだろう。だが王子も、そしてエイデン将軍もそのようなことはないだろうと考えている。支配者が帝国になっても、民にとって今の腐敗したチェスター王国に支配されている状況より悪化することはないであろうと。王子の言葉はあくまで無感動で淡々としているが。
「ここでお前と騎士団が父上たちと共に死ぬのは無駄死にであるどころか、有害な結果になる。父上と兄上たちが死にたいと言うなら、お前たちを道連れにせずに勝手に自決すればいい」
アルバート王子は父王と兄たちを冷然と突き放した。そこに親類に対する情愛も王に対する敬意も
彼は今になって父王と兄たちを見捨てたのではない。とうの昔に彼は自分の家族たちに期待などしていなかった。それでも王家に生まれた者の義務として父王と兄たちに
「……アルバート殿下。申し訳ございません。私は王の臣なのです」
エイデン将軍は王の言葉には逆らえない。将軍はチェスター王国、そして王に忠誠を
そして将軍はアルバート王子を連れ出そうとする。せめてこの王子は生き残らせるために。王国を再起する希望を残すためにも。
「そうか。お前を無意味に死なせたくないのだがな……
「……」
アルバート王子はかすかに感情を表した。王子も後見役のエイデン将軍を尊敬し、慕っているのだ。王子もエイデン将軍には死んでほしくなかった。王子には父王と兄たちに対してはそんな感情はないのだが。
アルバート王子とエイデン将軍は
将軍が言葉を発する。
「ヘンリーをアルバート殿下におつけいたします。民をお願いいたします」
エイデン将軍にできることは、我が子を王子につけることだけであった。ヘンリーはアルバート王子と兄弟同然に育ち、一歳年上の王子を兄のように慕っている。この王子ならば、王国の民を守ってくれるであろう。無意味に死にに行く無責任な自分とは違って。
「民のために動くのが、王家に生まれた私の義務だ」
アルバート王子はエイデン将軍に対する思いを表情から消して、気負う様子もなく淡々と答える。
周囲のほとんどが敵である王子にとって、民のために動くのは善意や正義感によるものではなく、義務でしかないことを将軍は理解していた。この王子が気を許す相手は、将軍とヘンリーを含むごく少数の者だけでしかなかった。この王子の絶対的な味方としてせめて息子をつけてやりたかった。
将軍はアルバート王子の心を救うことはできなかったことを悔いに思っている。この王子の心は絶望に
(善神ソル・ゼルムよ……願います。アルバート王子の心が救われることを……)
いつかこの王子の心を救う者が現れることを、エイデン将軍は善神ソル・ゼルムに祈った。皇帝もまだ大人にもなっていないアルバート王子を殺すほど非道ではないであろう。生きていれば、王子にも救われる時が来るかもしれない。
将軍はこの場を去る王子の後ろ姿をずっと見送っていた。
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