第3話 3


 このままじゃ一時限目の授業をうけられない。

 早弁でもするか。いや待てよ。そうなると今度は昼飯がなくなることに。今食べても昼には絶対に腹が減るはずだ。急いで出てきたから財布を忘れてきた。これでは購買でパンも買えない。

 我慢すべき、空腹に耐えるべきなのか。

 けど、このままじゃ絶対に体に悪い。

 空腹であまり動かない頭をフル回転させる。

 ああ、これも良くないんだよな。でも、そうなると後に問題が。

「竜ちゃん、これ食べる?」

 聞き覚えある声が耳元で。首を少し動かして見ると、そこには見知った顔とブロック形状の補給食が。

「食べる」

 間髪入れずに答えると、ひったくるように補給食を奪い取り素早く封を切り口の中に放り込む。その間わずか数秒。

 満腹には程遠いけど、少しは回復したような気が、元気になったような気が。本当はこんなにも早く効果なんか出ないけど、そこはまあプラシボーなんとかというやつで。

「ありがとな、悠」

 礼を言う。

 コイツは八木悠。俺の幼馴染。産まれた頃から結構に頻繁に顔を合わせている間柄。かといって別に近所というわけではない。なのに、どうして顔馴染みかというと母親同士が学生の頃から付き合いらしい。その縁で幼いころはよく遊んでいた。小学校は別だが、中学は悠の一家が俺の家のある近所に家を建て引越してきたから一緒。

 それにしても高校に進学してから似合わないメイクをしているな。お前は顔的にも、体形的にも、もっと大人しめのほうが合っているのに。そんな短くて太い脚を出さなくても。

 まあ、言いたいことはあるけど、これは胸の中に収めておく。俺が関与することじゃない。本人が気に入っているのなら別にいいんじゃないだろうか。

「どういたしまして。……寝坊したの?」

 少し派手目なメイクとは違う、細い自己主張のあまりない声。

「……うん、まあな。……それよりもよくこんなの持っていたな」

 補給食は悠に必要のないはずなのに。それに味も好きなものじゃないはずだし。

「あ、うん、……えーっと、……前に間違って買っちゃったんだ」

 それなら理解できる。中学の時悠は陸上部のマネージャーだった。その時この手の類のものを常に持ち歩いて空腹な部員に配っていた。

「ふーん、そうか。ああ、そういえばお前高校でも陸上部のマネージャーするの?」

「しないよ。だって……竜ちゃん入らないでしょ」

 俺の中学時代は陸上部、中距離に選手だった。

だった。

……もう走れない。ならば、入部する意味なんかない。

「なあなあ、お前たちって付き合ってんの?」

 俺と悠の会話に突如乱入者が。話しかけてきたのは後ろ席の大道。

「いや、別に」

 悠が何か言いたそうな顔をしているけど無視して答える。

「そうか仲良さそうにみえたから」

 まあ、仲が良いのは否定しない。付き合ってはいないけど、突き合ったことはある。

 思春期の男女だ。当然性的なことに興味のある年頃。好奇心で互いの初体験を済ませてしまった。その後も何回も、とくに去年の夏なんかは俺がムシャクシャしていて結構な頻度で合体していた。

 が、付き合ってはいないはず。少なくとも俺の認識ではそうだし、おそらく悠もそう思っているはずだ。

 セックスはしたけど、互いにそこには恋愛感情はないはず。お互いのムラムラとする性欲を解消するだけの関係のはず……多分。

 それに第一、付き合う、恋という感情が分からない。

 俺には初恋なんていう代物はまだ経験したことがないから。

 チャイムが鳴る。もうすぐ一時限目の授業が始まる。

「もう行くね。あっ、もう一つあるけど食べる?」

「ああ、」

 マシにはなったけど、180キロカロリー程度ではもの足りないのは事実。

「それじゃ次の休み時間に持っていくからね」

 右手を胸の前で小さく振りながら悠が自分の席へと帰っていく。と、クラスのヤツにぶつかりそうになる。いいから俺のほうを見ないで、しっかり前を見て歩け。

 お前は結構ドジなんだから。


 一時限目の授業は数学。

 勉強は好きじゃないけど、進学を機に心機一転真面目に授業を受けるつもりだったけど、今一集中できない。

 その理由は分かっている。さっき補給したカロリーだけでは回復していないから。脳がまだ正常に動いていないから。

 それでも必死に働かす。

 黒板の板書をノートにしっかりと書き写す。

 なんとか数学教師が板書を消す前に書き写すことに成功した。ホッとした瞬間、目の端に何かが見えた。

 最初は黒い影というか靄のようなものが。

 それが形を徐々に変えていく。瞬く間にセーラー服姿の女子の姿に。

 夢の中に出てきた、あの少女だ。

 なんで見えているんだ。俺はまだ夢でも見ているのだろうか?

 古典的な手法だけど机の下に手を伸ばして自分の太腿を制服のズボンの上からつねってみる。

 全然痛くない。ということは、俺はまだ寝ているのだろうか。

 遅刻しないために必死にペダルを回していたのは、真面目に授業をうけていたことも、全部夢。これまでの頑張りは全部無駄だったのか。

 視線を感じた。思考を停止する。 

 俺の横に、真横に、十数センチの距離にセーラー服の少女が。

 微笑みながら俺を見ている。

「うわっ」

 思わず声が出てしまう。ついでに立ち上がってしまう。

 痛っ。

立ち上がったひょうしに机におもいっきり脚をぶつけてしまった。

 こんなに痛いんだから、これは絶対に夢なんかじゃない。その証拠に、数学教師から問題の回答者に指名されて、教室に笑いが起きる。

 黒板の前で四苦八苦しながら数学と格闘する。

 なんとか解けた。お役御免で自分の席へと戻る。

 ほんのついさっきまで見えていたセーラー服の少女はもう見えなくなっていた。 

 気のせいだったのだろうか?


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