第十五話
*
東京のとある公園で数多のスタッフと共演者に囲まれながら、安城廻は大きな花束を持って微笑んでいた。
「安城さん、撮影お疲れ様でした、オールアップになります!」
「皆さんどうもありがとうございます」
池のほとりは拍手に包まれて、絶好の日和は彼を祝福する様であった。
今をときめく二枚目俳優、安城廻。スタッフや共演者達はそんな彼に見惚れながら、どうにかその背中を引き止めたいと思いながらも彼を見送るのであった。
「撮影お疲れ様でした安城」
彼のマネージャを長年勤める黒いスーツの女――
「本日の予定ですが、午前中休まれましたので――」
すると安城の行く先で、お付きの警護の男が一人、その巨体で慌てて道を塞ぐのが見えた。いつもの事ではあるのだが、どうやら熱烈なファンが詰め掛けて来ているらしい。
「でも私、安城さんに一目会いたいだけなんです」
「ですからそう言うのは事務所を通して頂かないと」
今日の脅迫文の事もある。一応安城は少し警戒もしてみたが、鼻を利かせてみても獣の香りはしない上に、女性が一人居るだけの事であるらしい事がわかって来た。幸い他にギャラリーも居ないし、一人特例を許したからと大勢がなだれ込んでくる訳でもなさそうだ。安城は林田を置いて先に行き、その長く美しいまつ毛を水面の反射光に輝かせながら、警護の男、
「いいんだ巌、バレンタインデーなんだから」
「し、しかし……っ」
ゴリラの様な顔立ちをした巌であったが、すぐ背後で微笑まれていた甘く涼やかな笑顔には後退るしか無い様子だ。安城のなびくアッシュグレーの髪から魅惑的な香りが彼の鼻腔をくすぐっていく。
「こんにちはお嬢さん、情熱的にボクを愛してくれているみたいだね」
そこらの男が言ったら確実に鼻に付くであろう台詞も、この男の前では嫌味にならない。
安城にそう言われた少女は、長く真っ直ぐな髪を風に流しながら、細く白い指先で舞い上がる髪を抑えて上目遣いをしていた。
――ほう。
彼女の容姿は、安城廻をも感嘆させた。
――
安城廻は引き続き品定めをする為に、少女の全身を足元から見上げていく。
プロポーションも良い、ファッショセンスも悪くないし、手足は長くて細いではないか……感心しながら見上げていくと、安城は彼女のある一点(胸)を凝視して心の声で嘆いた。
――
「え、今なにか失礼な事考えました?」
「え……ぁ、いや、なにがだい?」
額に手をやり天を仰いだ安城に何を感じたのか、少女は不服そうに瞳を沈ませていた。
「それよりボクにチョコレートをくれるって? どうもありがとう、キミの様な美人にそんなにも思われて、ボクは本当に幸せだ」
「え、ああ……チョコならもう渡しましたけど」
「ん?」
「午前中にお渡ししましたよ、お手紙付きで。私が書いたのではないから何が書いてあったかは知りませんけど」
しばし時の止まった様な有様で、安城は叫んでいた。
「巌、この人不審者!」
「ええっちょっと、一体なんて書いて入れたんですかフーリさんっ」
ツユがゴリラの様な男に覆い被さられて目を回していると、風下の方の木陰から、フーリが堂々姿を表して安城へと歩み寄って来た。「よう安城」とか言いながら馴れ馴れしく手を振るその男に、安城は当然、明らかな警戒を示す。
「キミはなんだい? あいにく見ての通りに取り込み中でね、またにしてくれないか」
「やっぱり匂う、狐の匂いは間違いっこないよな、うんうん」
「キミは、まさか……っ」
「話があるって言っただろ。怪しいもんじゃねぇって」
そう言うとフーリは懐から、小さな手に土鈴を下げた一体の市松人形を取り出した。それは手のひらサイズの和服を着た人形であるのだが、かなり年季が入った物で全身が黒ずんでいた。細く切れ長い日本風の瞳と主張のない口元、のっぺりとしたその表情を引き立てているのは、少女のそれと思えば痛々しくも思える抜け落ちた頭髪だった。そしてよく見れば、白く真っ直ぐに伸びたその人形の首元に、何かが絡み付いているのがわかる。その時安城は、その男より漂って来る獣の匂いと、明らかに怪しい
「
微笑したフーリはマネージャーに行手を阻まれるが、呪力を帯びた鈴の音は肉の壁など意に介さない。
――リン、と響き込んだ音色。林田玲子は突如現れた大男から身を挺して安城を庇ったのだが、男はニヘラと笑って無邪気そうにおもちゃを鳴らすばかりである。周囲の者が訳がわからないと首を傾げていると。
「安城!?」
安城廻が何やら血相を変えて青褪めている。その様はまるで、その古人形の持つ鈴の音に恐れ慄いているかの様にも思えた。
「よく見ろよ、この人形の首をぐるりと一周してんのは、お前の髪の毛だよ」
それはマンションへと来訪したツユが、ゴミが付いていると
もう一度、フーリはリンと鈴を鳴らす。
見間違いかと思うが、細く冷淡な人形の瞳が少し動いた気がした。……その微かな笑い声もきっと思い違いに違いない。
憑依された対象を低級霊に限り強制的に引き剥がす『呪物』――“シライちゃん”(購入時には既に命名されていたので由来不明)の怖さは、安城もまた直感した様子だった。
「あっやめ、それ以上鳴らすな!」
「安城、一体何が起きてるの、あの人形が一体なんだって言うのよ、確かに不気味だけれど……」
林田玲子が困惑した声を上げるが訳がわからない。
騒ぎを聞き付け、人だかりが出来始めている。ツユは巌に伸し掛かられて目を回したままだったが、そんなさなかにフーリはわざと声高に語り始める。
「なんで安城がこの鈴を嫌がっているか教えてやろうか、もう全部ぶち撒けて真実を告げてやろうかなぁ」
「馬鹿……やめろ、そんな事をしたら、この安城廻の華々しい俳優人生が」
安城廻のその正体が狐であると世に知らされれば、彼の人としての生は終わりを迎える。それ以前に、あの妙な鈴で狐の魂を離脱させられでもしたら、抜け殻となった肉体がそこに残されるだけなのである。
「俺達は少し話しをしたいだけなんだけどなぁ。なぁ安城、俺達
フーリがそう呟くと安城は「ああーっ、思い出したぁ!!」とわざとらしく手を打った。しかしその額には脂汗が滲んでいる事には誰も気付かないでいる。
「その人達は大切な友人だった、つい失念していたよハッハハぁ、巌もその可憐なレディを離してくれたまえ。そして林田、僕はこれから大切な友人達と大切な話があるから、少しスケジュールを空けてくれないか」
にへらと笑った安城の引きつる笑顔に、林田は呆気に取られたままコクリと頷くしか無かった。
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