第十六話
*
マネージャーから少しの時間を貰った安城は今、陽射しの斜めに差し込んで来ている
「このボクの事を脅迫なんてしてくれちゃってさ、一体全体何なのかな。妖怪退治に来たって訳では無さそうだけれど」
日差しに照らされたまま忌々しそうに指先を噛んだ安城。何をしても絵になる男ではあるのだが、どうしてか、こうして対面して見るとイメージと違うなとツユは思わされていた。
「ねぇフーリさん、この人って本当に狐なんですか? 私未だに信じられないっていうかなんていうか、余りにも目前に人として存在しているから、にわかには信じ難くて」
「なんだよジョウロちゃん、もっかいやっとくか
悲鳴に近い声を上げて立ち上がった安城に、薮の向こうで耳を澄ませていた林田が心配そうに眉を上げていた。なので安城は嘘っぽく笑いながらフーリの肩に触れて「こいつめ」などとパフォーマンスをして見せていた。まるで長年の友人である様な打ち解けた口調にマネージャーは肩を撫で下ろしたが、安城の肩を小突くその力は全力だったし、その手を払い除けて「触んな」と言ったフーリの気迫もまた同じだった。
安城廻の存在に気付いたギャラリー達が黄色い声を出して集い始めている。まだ遠巻きにこちらを窺うばかりであるが、あまり悠長に話している時間はないのかも知れない。
ツユの耳に『本題を切り出せ』とメザメからの指令があった。そんな僅かな仕草から安城は、ツユの長髪の下と、態度の悪いチンピラ男の耳にまでも、密かに小型のイヤフォン型インカムが装着されている事に気付いた様子であった。 彼は非常に耳が良いのだ。
「他にも仲間が? 参ったなこれは」
「ええ……その人からの伝言をそのまま伝えます。――京都に潜む『異界のおみくじ』の事を知っているか、と聞いています」
――ピンと糸が張り詰めた様な感じがした。少しの間を置いてから、やや俯きがちにして足を組んでいた安城が、その前髪の隙間からチラリとツユを窺った。湖の方から微風が吹き込み、その時鼻腔を涼やかな香りが吹き抜けていって、不覚にも少しドキリとさせられる。
「……キミは一体何処まで――」
そこで会話に割って入ったのはメザメの言葉を借りたフーリだった。彼は腹の前にあるパーカーのポケットからバナナチップスを取り出しながら切り出していく。
「話を逸らすな、こちらが聞きたいのは、異界への行き方とお前達の目的、そして〈厄〉とは何かという事だ……ってよ」
メザメの言葉を代わりに口にしたフーリにハッキリとした歯軋りをしながら、安城は言いあぐねるみたいに口の中でコロコロと舌を転がした。
迷っている彼に目掛けて、フーリがシライちゃんを振り上げて見せる。すると安城は血相を変えて立ち上がった。……ツユは何だか三蔵法師が孫悟空を使役するのに、頭の輪っかの
「わーわかった! わかった知ってる事は話すからそれやめてくれないか、人と交わした契約が途中で失敗に終わる事はボクとしても不本意なんだ!」
そんな事は先刻承知、といった具合にメザメは何も答えないでいる。ツユは口元に手を添え、安城があっさりと自分が狐であると認めた事に驚嘆していた。未だに理解が及ばないが、とりあえずは飲み下すしかないだろう。そして安城はすっかりと腰巾着か太鼓持ちの様にへりくだって、スリスリと手を擦り合わせながらこちらのご機嫌を伺う様にし始めた。周囲の者からしたら、あの大スターが何処の馬の骨とも知れない若造二人にへーこらする様はどう見えているのだろう。……案の定、遠くの方からこの東屋を見つめている観衆からはどよめきの声が聞こえた気がした。
「引き換え条件と言っては何なんだけれど、安城廻としてのボクの生涯を保証して貰えたりは……?」
「はぁ? どの立場で言ってんだお前」
『わかった、お前の依代には手を出さない事を誓おう』
メザメからの意外な返答にフーリは素直に抗議したが、『僕らは別に慈善団体ではない、依頼にあった以外の者は救わない』と一言言われたらもう「メザメがそう言うなら」としょげ返っていた。メザメの声が聞こえていない安城だったが、フーリのそんな反応から合点がいったのか、嬉しそうに微笑んでいた。
「ありがとう。そういう事ならボクも協力を惜しまない。そもそもあそこについては隠し立てている訳じゃないんだ。むしろ逆、世に知らしめて人寄せをする為に物語ったりしている。キミ達もボクがその事を堂々と話しているのを聞いてここに来たんだろう?」
フーリはバナナチップを呑気に齧りながら「じゃあ栗彦が『異界のおみくじ』を投稿したのもそういう事なんだな」と言った。しかしその問いにはメザメからの返答が無かった事にツユは気付いていた。
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