第3話 コンパス篇 旅立ちの布石

 家の前には畑があり、夏の今はトマトやナス、キュウリが植わっていた。成長の早いミニトマトがたわわになって下がっている。近くではふたりの青年が木刀で打ち合っていた。


「そうっら!くらえ!」


紺色の髪をした青年が大きく踏み込み、木刀に全体重をかけてのしかかる。対する赤髪の青年は押され、腰の位置が下がってゆき、とうとう地面に尻が着いてしまった。「ぐうっ」と悔しそうに唇を噛む赤髪に、紺髪が笑って言った。


「おいアサヒ、まさか腕落ちたか?今日めちゃくちゃ弱かったじゃん」


「たまたま調子が乗らなかっただけだよ」


尻をはたきつつ不服そうにアサヒが答えた。アサヒは続けていった。


「それにね、リュート。道場の師匠は、スポーツでは一日練習をサボったら取り戻すのに三日かかると仰っていた。それくらい変動しやすいものなんだ、一日二日でも変わるよ」


「へえへえ、そうですかいよっと」


適当に返事をしてそっぽを向くリュートに、アサヒはじりじりした。


「ああもう、リュートったら、なんで君はそう……」


「俺、お前ほど優等生じゃないから」


「そういうところだよな、本当……」


リュートが肩を落とすアサヒに背を向け、家を振り返ったとき、中からアルビノの男性が顔を出した。


「アサヒ、リュート、終わったならお入んなさい。昼餉が出来ていますよ。」


言うなり彼は「ああ眩しい」とすぐ引っ込んでしまった。ふたりは顔を見合わせ、「はい、せんせい」と返事をして家に入っていった。




 家の中にはもうふたり少年がいた。碧髪の方が白飯と汁物を、黒髪の方がおかずの焼魚を五人前よそっている。黒髪が玄関を振り返り、「おお」と言った。


「おかえり。良い稽古ができたのか?」


「んいや」と早々に靴を脱いでいたリュートが畳の上に腰を下ろした。


「アサヒのやつがなよっててよ、面白くなかった。シキ、何とか言ってくれよ」


黒髪のシキが驚いてアサヒを見た。


「なよってたって、どうしたよ?俺らの中じゃ一等上手いお前が」


「リュートにも言ったけど、今日は何だか調子が出なかったんだよ。どうしてなのかは分からない」


アサヒは気恥ずかしそうに頭をかいた。そこへ、めいめいに配膳していた碧髪が口を挟んだ。


「僕にはアサヒが最近、物思いに耽っているように見えますが。何か悩んでいるのではないですか?」


アサヒが意外そうに彼を見た。


「そう見えてたの?ヒビノ」


「ええ、傍からではわかりやすかったと思いますが?」


「そりゃヒビノ、お前、あれだろ。お前の観察眼からはそうだったろうけど凡人には無理なレベルだったんだよ」


「リュートは単純だから、余計にそうかもしれませんねぇ」


「なんだと!?」


「そういうところですよ。まあ、単純さは君の持ち味だし、そのままでいいんじゃないですか?」


まだ何か言い返そうとしたリュートだったが、ある気配を感じて口をつぐんだ。裏に行っていた男性が戻ってきたのだ。


「お待たせしました。それじゃあいただきましょうか。手と手を合わせて──いただきます」


いただきます、と四人の声が合わさって、しばらくは箸と食器の触れる音しかしなくなった。


食事が半分ほど進んだところで、シキが口を開いた。


「さっきの、ヒビノが言ってたアサヒの話だけどさ、お前自身は悩んでるって自覚あんのか?」


「まあ……あるっちゃあるけ、れど」


「まだ言いづらい?」


「いや、言うよ。このままじゃいけないとは考えてたから。


 えっとね、将来のことなんだ。」


食卓がしんと静まった。リュートが怒ったように言った。


「何が不満なんだよ?将来ってなんだよ?ここで畑やって、筍取って、稽古して……毎日平和で良いじゃねえか。何が問題なんだよ?」


「そこだよ、リュート」アサヒが落ち着き払って言った。


「毎日同じことの繰り返し。狭い世界で同じ景色ばかり見て生きている。そんなの、そんなの、もったいないじゃないか。僕はもっと、広い世界を見たいんだよ」


ほうと男性が呟いた。リュートは目を伏せつつ、「でも」とこぼしている。


「みんなはどう?ヒビノ、君はこの家にある本はすべて読んでしまったって言ってたよね?違う邦の本を読んでみたくない?」


「欲を言えば、読むだけじゃなく現地にも行ってみたいですねえ」


ヒビノがにやりとして言った。


「シキはどう?」


「俺は……別にどうだっていいよ。どうにかして日銭さえ稼げば食ってはいけるだろ?俺はどこにいったって構やしない。」


シキは無表情で告げ、汁物をすすった。四人の問答を聞いていた男性は一瞬目を閉じると、みんなへ告げた。


「食事が終わったら大切な話をしましょう。みんなの将来に関わることです」




 ちゃぶ台と食器の片づけが終わって、4人は大人しく畳に座っていた。そこへセツヤが4つの武器を持って現れた。


「お待たせしました。なだめるのに苦労しまして」


「師匠、なんで武器?」


「そうですね……予定変更して、顔合わせからいきますか」


リュートの疑問に答えるべく、さあ、お願いしますとセツヤが武器に声をかけると、それらが人の姿になった。リュートたちはのけぞった。


「せ、せんせー!?」


「どういうことですか?」


「うわ、あ、あ、ああ」


「やっぱり……」


「おや、ヒビノ。知ってたんですか」


ひとりだけ驚くでもなく納得した顔のヒビノに、セツヤは訊いた。ヒビノは肩をすくめた。


「いやね、むかーし、師匠じゃない誰かに遊んでもらった記憶が朧げにありまして。ずっと疑問だったんですよ。あなた方の誰かだったんですね」


白髪のいかつい男がヒビノにつめ寄った。


「おいこら小僧、わしらがどういう存在か知っての発言か?」


「いいえ、存じません。ただ、ただよう空気から察するに、貴きお方ですよね」


「ほーう。白虎よ、こいつはなかなかの逸材だぞ。我らの神力に気圧されず、こうも堂々と問答せるとは。見よ、その末弟なんぞ泡を吹いている」


真紅の長髪を結った男が親指で指した先では、倒れかけているリュートをアサヒが支えていた。


セツヤはうんうんと頷いた。


「さあみなさん、これから一緒に行く、パートナーですよ」


「なんだって!?」


「おお、さすが兄弟。ハモりましたね」


蛇を首に巻いた男が渋面をした。


「契約者よ、我ら全員が同意したのではあらぬよ。白虎は嫌がっておる」


「承知しております、玄武。これから説得します」


「そなたには諦めるという選択肢はないのだな……」


玄武はやれやれと頭を振って数歩下がり腰を下ろした。


セツヤは咳払いをした。


「賛否両論どころか賛成が皆無なのは承知の上です。しかし、この機会を逃すわけにはいかない。シキ、ヒビノ、アサヒ、リュート。あなた方には明後日、この庵を出て行ってもらいます。巣立ちのときです。」


え、と言ったのは兄弟全員だった。


「玄武、青龍、朱雀、白虎。皆様にはよく守っていただきました。私のことはもう大丈夫です。代わりにこの子たちをよろしくお願いします。」


白虎が足を踏み下ろした。ドンと庵が揺れる。


「ふざけるなセツヤ。わしらは貴様だから契約を交わしたのだ。こんな小僧どもにわしらを預ける気にはならん」


セツヤは臆さなかった。


「白虎、私の寿命は他人より短い。こんな機会でもないと、皆様の担い手の次代を決められません。それとも、今度こそ拠り所を失って、野を彷徨う妖怪に堕ちますか?」


「神を脅すたぁ、良い度胸じゃあないか」


「選択の余地はないはずです。そもそも、担い手の代替わりなんて初めてではないでしょう?」


白虎は押し黙った。その肩に朱雀の手が乗せられる。


「セツヤ、あまりいじめてやらんでくれ。此奴は我らの中でも情に嵌まるほうでな。神が個人に肩入れするなど法度も法度だというに、どうもその癖が抜けん。此度も、そなたが気に入ったが故であろう」


「全部言うなや……」


白虎は白い頬を薄紅に染めた。セツヤはありがとうと言うと、兄弟に向き直った。


「こういうわけです。今までは私が拠り所として四神と契約していましたが、次代はあなた方に決めました」


「師匠」


と回復したリュートが手を挙げた。


「そこのさ、四神、と契約ってのして、オレたちにメリットある?」


セツヤは満面の笑みを浮かべた。


「良い質問です。これを訊かれなかったら、任せられないと危惧していました。


メリットは、彼らの気が向いたら力を借りられることです」


「力って?」


今度はアサヒだ。


「神力、ですかね。効果はいろいろです。神様ですからね」


「代償は?」


ヒビノ。


「週に一度、生命力を一部譲渡することです。私は陰陽師の血を引くため妖力がありましたが、あなた方は持っていないからね」


「……相手はどうやって決める?」


シキ。


「私が決めました。4人と4柱両方をよく知った上で客観視できたからね。シキ、あなたは朱雀と」


朱雀が軽やかにシキの側に移動した。この世のものとは思えない美しさにシキは息を呑んだ。


「青龍、静かですが大丈夫?そう、よかった。リュート、あなたは青龍とですよ」


静謐が形を取ったような男がリュートの側に立った。目を合わせると、リュートは吸い込まれそうになって、ふいと目を逸らした。


「玄武、ヒビノをお願いします」


ヒビノが真正面からいたずらっぽい笑みを見せると、玄武はわしゃわしゃと頭をかき撫ぜてやった。


「白虎、拗ねてないで頼みますよ。アサヒは私以上に良い子だから、お気に召しますって」


拗ねてねえとぼやきつつ、白虎はアサヒの目の前に立った。わざと圧を感じる角度で見下ろすと、アサヒは畳に手をつき、深く礼をした。白虎はふんと言った。


 セツヤはパンと手を叩いた。


「さあ、明日は準備ですよ。忙しくなります。早く寝ましょう」


「では、余は休むぞ……。そこな契約者、余を運べ」


青龍が青い拵えの刀の姿に戻った。リュートは恐る恐る刀を持ちあげた。セツヤは「こっちです」と言って奥の部屋に先導した。


アサヒはふと、思い出した。


「ねえヒビノ、昔、誰かに遊んでもらったと言ってたじゃない?結局、どなただったんだろう」


それに答えたのは朱雀だった。


「そは白虎よ。此奴な、なんだかんだ言いおって、子は好くのだ」


「朱雀、なぜ教える!」


「このままでは其方、そこなアサヒに多大なる勘違いをされたままだぞ。元来、人間好きなのだと知らせてやらんと思うてな」


「余計なことを……」


「契約者だぞ?友好な関係を構築するに越したことはなかろうよ。では子らよ、我も休むぞ。シキ、我を運ぶが良い。許す」


朱雀は朱色の拵えの刀になり、シキの手に収まった。シキは皆に一礼して、セツヤとリュートが向かった奥に入っていった。


玄武はため息をついた。


「朱雀の、言うだけ言うて何処へ消ゆるは変わらぬな。白虎。我も休むぞ」


玄武も黒い拵えの刀になると、ヒビノが持ってシキに続いた。


残ったのは白虎とアサヒだ。


アサヒは居心地悪そうにそわそわしている。白虎は首をがしがし掻いて、ずいと詰め寄った。アサヒは面食らって後ずさったが、大きな手が彼の腰を掴んで引き寄せた。本能的に、喰われる、と思う。ぎゅっと目を瞑ると、存外穏やかな声が降ってきた。


「面白いかたちをしておるな。見込みはある。認めたわけではない。力は貸さんが、この身を預けることはしよう」


そっと目を開けた先には、白い拵えの刀が畳の上にあった。アサヒは一礼すると恭しく手に取って、奥へと入っていった。

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竹林の庵 @shirakitora

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