第2話 セツヤ篇 2011年と2018年のこと

 雪野が生まれた頃には一族は、邦の東の果てにある広大な竹林に居を構えていた。日本を占領した連合国は、明人の予想通り、帝政下で要職に就いていた本人とその家族を連行した。彼らがどうなったのかは語るにおぞましい。九条家は落ち延びたが、連合国はすぐに気づいた。捜索されていることを知った九条家は、邦の東の果てに竹林を造った。陰陽師としての妖力で維持される、少々丈夫な幻といったところである。しかし結界を張り巡らせていたこともあり、その辺りには誰も近づこうとしなかったし、誰にも見られることもなかった。九条家は竹の間に隠れるようにして半世紀を過ごした。


 じきに竹林は存在の強度を増し、本物の筍まで生えてくるようになった。一方で、一族は衰退の一途を辿っていた。これには二つの要因がある。近親交配を重ねたことで免疫不全を持つ子どもが多く、幼くして亡くなったこと。そして九条千代子と、彼女の影響を強く受けた息子の、連合国に対する呪いが「人を呪わば穴二つ」の理どおり、一族に跳ね返ってきてしまったからだった。最大10人以上いた九条家は、セツヤたち親子3人になってしまった。


 両親は一族の終わりを覚悟した。千代子たちの恨みは凄まじかった分、孫世代には反面教師として映っていたから、彼らは家を存続させることに執着していなかった。彼らはただ、アルビノの息子にできる限りの幸せを味わってほしいと望んだ。しかし、時間は多くなかった。連合国の手が着実に近づいていた。竹林は幻ではなくなっていたが、結界の強度は落ちていた。今や妖力の加護は希薄になり、そこはただの竹林だった。


 父はセツヤに式神の使役を叩き込んだ。竹林から出られなくても、式神たちが目や足の代わりになるように。


 母は生活の知恵を授けた。両親二人がいなくなっても生きていけるように。


そしてとうとう、セツヤが12歳のとき、連合国は竹林を見つけた。こうなることを見越していた両親は、連合軍が来ると同時に竹林の外で対峙した。当然彼らは連行されたが、去り際に一世一代の大術を使った。すると軍は竹林内部を調査しようとしていたのを止めて、彼らを首府へ連れて行くだけに留めた。


 父と母の愛が為した、愛の守護術だった。




2011年 某日 竹林


 私は18になった。両親が姿を消してから6年が経つ。いい加減、この生活にも慣れた。その日の吉兆を占い、朝ごはんを食べて家の掃除をしたら、日焼け止めを分厚く塗り帽子をかぶって、小さな畑の手入れをする。日差しが強くなる前に家に戻って、あとは本を読む。ときどき、主たちと話をして……と過ごしていると夜になる。夕飯を食べたら風呂に入って寝る。この繰り返しだ。


 私は長らく人と関わっていない。竹林の近くの街に視覚共有をした式神を数体、常駐させているが、上空から眺めている感覚で、人の間に混じるのとは別物だ。人より妖や神仏の類と関わりが多い、なんてこの21世紀、自分でも驚きだ。


 私が「主たち」と呼ぶのは、四神である。両親がいなくなって数日後、この家にやってきたのだ。なんでも、世界中から神力が失われている中、この一帯の妖力が異様に膨らんだため様子を見に来たのだと言う。そのうち四神はここを気に入ったらしく、私が信心を持つなら護ってやっても良いと契約を持ち出してきた。私は定期的に妖力を捧げることで信心の証とすることにした。


 四神は3つの姿を持っていた。本来の神獣、人間、そして武器。武器の姿は、特定の人間に加護を与える場合限るという。


 彼らは専ら、人間の姿で過ごしていた。私が体質の所為で夜間しか外に出られないと知った四神は、生活はどうしていたのかと問いただしたので、正直に答えた。畑は日が高くならないうちに世話していたこと、生活物資は夜間営業の店で買っていたこと、どうしても昼間に、街で済ませるべき用事があったときは式神を人間に擬態させていたこと、両親の残した貯金は私以外を加えても一生食べていけるくらいの額のこと。それを聞くと、朱雀は両親に感謝しろと言い、白虎は大笑いし、玄武は渋い顔をし、青龍はため息をついた。


 四神は思い思いに暮らしていた。青龍は竹林を駆け巡るのに飽きると畑を眺めていた。朱雀は家事を手慰み程度にやっていた。玄武は本を読もうとして、文字を知らなかった。白虎は日がな一日寝ていた。


 私は今まで通りの生活に四神の世話を加えて、充実した気分で過ごしていた。彼らは根が善だったから、私も善性に染まっていった。




2018年 竹林


 今日ほど占いが外れてほしかったと思ったことはなかった。


 昼前のことだ。竹林の外の街が燃えているのが式神を通じて見えた。住民は無事に逃げおおせただろうか。いや、そんな暇はなかっただろう。これは奇襲だった。先の大戦が終わって70年、この邦は形ばかりでも平和を保っていた。それがこれだ。一方的な虐殺。式神の目でも、煙に見え隠れする敵機がどこの所属なのかまでは判別できなかった。


 夕方には襲撃は止み、静寂が訪れた。私はいてもたってもいられなくなって、日焼け止めも塗らずパーカーを羽織っただけで庵を飛び出した。朱雀の制止する声も振り切って竹林を駆け抜けて外へ出る。走りながら唇を噛んだ。竹林には私には解けない、父が残した結界が張ってあり、私以外には物理的にも科学的にも認識できなくなっている。この結界がなかったら、街の住民がここへ避難してくることもできたろうに。


 私は茫然として、街だったものを見渡した。


 夕日が分厚い雲にうつって、空一面が灰と紅に染まっていた。この世の終わりのようだった。日差しは下りてきていないからフードを下ろしても辛くない。所々まだ煙が上がっているのを眺めて、つと足を踏み入れた。


「誰かいないか!」


声は瓦礫に吸い込まれる。


「返事をしてくれ!」


自分の足音だけが応える。


「頼む!誰か!」


眼の端に映るナニカを見ないふりをする。


「もう……駄目なのか……」


膝をつきそうになったとき、泣き声が聞こえた。

出所を探す。二時の方向、遠くに子どもがいた。私は泣きそうになりながら駆け寄った。


「無事でよかった!……ん?」


子どもはひとりではなかった。泣いていたのは4歳くらいの子で、他に2歳くらいのが2人と、乳児がひとり、横たわった大人たちに抱かれていた。乳児は寝ているし、2人は黙っている。瓦礫の間からはカラフルなものがいろいろ見えている。どうやらここは保育所で、エプロンをつけている大人たちは保育士らしい。念のため、大人たちを揺さぶる。冷たい体に反応はなく、瓦礫に擦れる音だけがした。


 胸が締め付けられそうになる。こんな辛さは初めてだった。こみ上げるものを飲み下し、泣いている子の背中を撫でる。


「もう大丈夫だ。お兄さんが来たからね」


懐から手拭を取り出して持たせてやった。次に二人組の方へ近づき、硬くなった腕からその子らを出した。赤髪と碧髪だ。顔だちもまったく違う。双子ではないらしい。


「たまたま一緒に守られてた、ってとこか……」


泣き止んだ子の側に二人を下ろす。最後に、乳児を抱き上げた。保育士の腕が力なく落ち、申し訳なさが湧き上がる。


「さて、迎えは……来そうにないな。一応だ。オク」


式神を呼び出す。


「この子らの縁者の記憶を探しておくれ」


オク──記憶の式神は一礼して消えた。


じきにオクを通して、情報が流れ込んできた。4人の親はそれぞれ別人で、迎えに来なかった理由もさまざまだった。自分の避難を優先して端から見放していたり、迎えに来る途中で爆撃に斃れたり、さらには、長い間迎えに来ず施設行き一歩手前だった子もいた。


 改めて辺りを見渡す。瓦礫の間から腕や足が突き出している“元”街。人の気配はしない。誰も頼れない。私は覚悟を決めた。


 私はしゃがみ込んで。手拭を握りしめた子と目線を合わせた。


「ねえ、うちの子にならないかい?」


きれいな黒髪の子は、目にいっぱい涙を溜めて首を横に振った。そりゃそうだ。親が迎えに来てくれると信じているのだろう。なら、アプローチを変えるだけだ。


「じゃあ、お父さんたちが迎えに来るまで、うちにおいで。」


そう言うと、無言で頷いた。


「君たちもおいで。」


2人ものろのろ頷いた。


私は乳児を抱え直して、力持ちの式神を呼び出した。


「3人を運べ」


こうして5人は竹林へ向かった。


 四神には笑われた。


玄武は言った。


「病気にならないよう守ることはできるが、それだけだ。」


青龍は言った。


「とうとう気が狂ったか。」


朱雀は言った。


「どうなるか見ものだね、我らの僕。」


白虎は言った。


「気抜かずに見とけよ。喰っちまうぞ。」


私は答えた。


「ええ、見ておいてください。善き人間に育ててみせます。」


そうして、18年が経った。

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