第60話 鎮西王

 天満宮を後にし、馬を走らせる。

 既に大宰府の周辺には松浦党の面々を送り、乱暴狼藉は決して許さぬことを伝えるように命じてある。八郎たちもまた、主だった村々を巡って住民を慰撫し、民心を安定させんとしているのだ。

 月影をゆったりと駆りながら、八郎は重季に語り掛ける。


「不思議なものだな」

「何がでございましょう」

「天満宮に参拝して思ったのだ。怨霊など信じぬ俺が、道真公を陥れた都の権威権力に挑まんとし、平将門公の目指した武士による坂東独立国の夢を、場所は違えどもここ鎮西で叶えんとしておる」

「おお、あらためて考えれば、真にそうでございますな。将門公と道真公は日ノ本で最も恐れられている二大怨霊。その遺志を八郎君が継がれれば、御二方の霊もさぞや喜ばれ、怨霊どころか善神へと転じられることでございましょう」


 八郎はまた、背後で白馬を走らせる白縫姫を振り返り問うた。

 天満宮においても白縫は一切無言であった。明らかに何か思うところがあるのだろう。


「どうした、白縫姫。昨日から仏頂面が続いているようだが」


 揶揄するような口調に白縫は柳眉を逆立て、突然の大声を発する。


「八郎様にお尋ねしたき事があります!」


 案の定である。余程に思い詰めた末のことと察せられる切迫した口調であった。同行の皆は何事かと目を見張り、白縫に注目した。

 特にこれに鋭く反応したのが時葉である。

 この娘はまた、何を言おうとしているのだ。八郎の思うところは既に明らかになっているではないか。このうえ更に何を問い、煩わせるつもりか。

 思わず白縫に食って掛かろうとする。それを八郎は目で制し、白縫に応じた。


「姫らしいな。唐突に何じゃ」

「八郎様は、鎮西を制覇して王となった後、何を目指されるおつもりなのですか!」


 この問いに八郎は一瞬目を丸くし、次いで哄笑した。


「ははは、これは面白い!」


 その言葉と態度に、白縫はますますむきになる。


「何が可笑しいのです。真面目にお答えなさいませ」

「俺が鎮西の王だと。これが笑わずにおられようか。姫も冗談を言うことがあるのだな。見直したぞ。わっはっは、こりゃ可笑しい!」


 と、八郎はますます笑い崩れる。

 白縫はいよいよまなじりを決して問い詰める。


「冗談などではございません。鎮西を束ねて王となり、更には御母上・玉藻前を討つ。その後はどうなさるのです。京の朝廷を倒し、まさか皇室を押しのけて日ノ本全体の王にでもなるおつもりか。白縫はそれを問うておる! 武士だけのためではない、全ての民のためなどと仰るが、その裏には、とんでもない野望を秘めておられるのではないか。大袈裟な綺麗事を言う輩にこそ、そんな者が多い。答えによっては我らは八郎様と袂を分かつことになりましょう」


 一気に訴える、その真剣な表情と言葉に八郎は尚も笑顔のままで応じた。


「そなたが真剣になればなるほど、俺はますます笑わずににはいられない。なにしろ俺は日ノ本はおろか、鎮西の王などにも興味は無いのだからな。そのようなこと、考えたこともない」

「なんと!」


 白縫は驚きの声を発し、侍女たちも護衛の者共も唖然とする。

 殊に、広き領地を持つ豪族の姫である白縫には、八郎の言うことが理解できない。

 武家ならば誰もが自らの領地を守り広げ、家を安泰にし繁栄させることを第一に考えるものと思い込んでいる。民のことを考えぬではないが、それは御家大事の後にくる、いわば些事である。

 白縫を責めることはできまい。実際、あらゆる武家がその通りだったのだ。大身の領主であればあるほど、我が身と家の隆盛を願うのみであった。


 それを八郎は民が第一であり、武士だけではなく皆のための国を創るのだと言う。ならば八郎の武士らしき野望、欲はどこにあるのだ。

 何かを隠しているのではないか。もしや鎮西どころか日ノ本全てを我が物にせんとしているのでは。とすれば当然に帝を頂点とするこの国の秩序と衝突することになる。

 鎮西を束ね、八郎がその長となることに異存はない。その上で、京の公家衆を除き武士の世を創るのは素晴らしいことだ。今の朝廷の腐ったやり方は是非とも正すべきである。

 だが、帝までを倒して八郎が我が国の王となるなど到底許されることではない。また、あまりに民のためを優先すれば、日ノ本の古き良き秩序も失われ、収拾のつかぬ由々しき事態に陥ってしまうであろう。


 そう思い詰め、八郎の真意をただしたのだ。由緒ある旧家の生まれである白縫からすれば当然の懸念であったろう。

 阿蘇家は神武天皇の裔などではないと言いながら、皇室の存在は認めている。古代からの権威を権威あらしめ、万民が尊ぶことによって、我が国全体の安寧が保たれると信じているのである。それに取って代わろうとする者は、たとえ八郎であろうと敵となる。


 ところが当の八郎は日ノ本の王どころか、鎮西の王などにも興味がないという。

 どういうことか。ならばこの男は何になろうとしているのか。

 白縫は混乱した。

 しかし重季を始めとして、弁慶も、そして時葉もまた余裕の笑顔である。若君ならば、八郎ならば言いそうなことだと、その心根を承知しているのだ。

 それらの表情を見て白縫はますます苛立つ。勢い込んでまた問うた。


「鎮西を独立国とし、民のための国を創るのだと宣言しておいて、今さら何を仰います!」

「ああ、その通りじゃな。だが俺は自分が王になるなどとは、ひとことも言うておらぬぞ」

「ほほほ、戯れ事を。国には王が付き物でございます。王無くば、どのようにして一国がまとまりましょうか」

「国を創るまでは俺の仕事じゃ。だが、その新しい、民のための世には王などという存在は不要だ。犬の餌にもならん」


 八郎は言い放った。白縫は呆れ果てる。


「本気で仰っているのですか」

「ああ、本気も本気、大真面目じゃ」

「王なくして、どうやって国が治まります」

「合議により諸事を決めれば良いではないか」


 さらりと応じた、その答えに白縫はますます驚愕する。

 この男は何を言っているのだ。全てに最終の判断を下す王たる者の存在なく、合議で諸事を決する聞いたこともない。それが真面目ならば、正気の沙汰とも思えぬ!

 だが、八郎はそんな白縫の様子などはどこ吹く風、まるで予想していたかのように平然として言葉を継いだ。


「武士も民草も関係なく、心ある者を集めてな。おお、入れ札により代表を決めるのも良いぞ。その中で最も皆に信頼される者、民の推す者を中心に話し合いで政を進めていくのじゃ」

「そ…… そのようなこと、無理でございます。ましてや民を政に参画させるなど」

「なぜ無理だと決めつける。信念ある者が真摯に本音をぶつけ合えさえすれば、話し合いにて最良の結論が見い出せるものだと、俺は比叡にて尊敬する兄弟子から学んだぞ。それにだ、幸いにして大宰府には学問所もある。そこで武士も公家も民も政を学ぶのだ。その中から才あるものが合議に加わり、あるいは官吏となる。政だけではない、商いや物作りの技術などを学ぶ学校も作ろう」

「途方もない。何年何十年かかるやら」


 確かに八郎の説くところは途方もない理想であり、白縫の論こそが当時の常識であろう。民が諸々を学んで才を磨き、その能力に応じて仕事に従事する、いわんや政治に参画するなど誰も考えの及ばぬ時代だったのだ。

 しかし、


「うむ、長い時がかかろう。だが、武士も民も皆が毎日を笑顔で暮らせる楽土を作ろうというのだ。それぐらいの大きな変革を成し遂げねば、到底叶う夢ではないぞ」


 八郎は白縫の言の正しさを認めたうえで、そう結論した。


「では八郎様は、どのような御立場で」

「俺か……」


 八郎は西の彼方に目をやる。その先には広大な海、そして宋、更には名も知れぬ国々の存在する地平が広がっているという。


「国の創生までは引き受けるが、その後、維持し発展させていくのは皆の仕事じゃ。俺には他にやりたいことがある。そのような男に王の称号などは邪魔なだけだ。鎮西王など小さい小さい。日ノ本全体の王も同様じゃ。つまらんつまらん」


 白縫はますます訝しむ。この人は何を言っているのだ。王など小さく、つまらぬとは。ならば、いったい何を目指しているのだ。他にやりたいこととは何か。

 ここで時葉が口を挟んだ。この娘にはめずらしく静かに耳を傾けていたのが、いきなり嬉し気に、勝ち誇るように弾んだ一言である。


「私にはわかるぞ。八郎のことじゃ。大陸にでも渡って大暴れをしようというのであろう!」


 八郎はそれには答えず、黙って唇の前に人差し指を立てる。

 大陸では今、宋が衰え、遼やら金やらの国々が建ち、争いの絶えぬ日々だという。そこにはどんな強者や賢人がおり、悪党が跋扈していることか。是非とも海を越えての地に渡り、自らの力を存分に発揮してみたい。

 そしてまた、更に彼方の国々にはどんな風景や出来事が待ち受けているのだろうか。話に聞いた砂の海、果てしない草原、おそらくは頂きが雲に隠れるほどの高い山々。そこでは、どんな人々が、どのような生を営んでいるのか見てみたい。考えるだけで心躍る。

 だが、そんな破天荒な夢を公言するにはまだ早い。


「とにかく、まずは鎮西の統一だ。忙しくなるぞ!」


 と、八郎は言を結んだ。これ以上ない満面の笑顔である。重季も弁慶もまた、その面に会心の笑みを浮かべて大きく頷いた。

 白縫の心に熱い願望が芽生えたのはこの時である。

 この八郎為朝という若武者は、常人では計り知れぬ大きなものを希求し、遥か遠くを見据えている。この者がどれほどの高みにまで至るのか、是非ともその行く先を見届けたい。

 そしてまた、心に小さな棘が刺さり、残った。

 訪れる村々にて幼い子供たちと遊び戯れる八郎と時葉、それを見守る重季と弁慶の姿を見つめながら、白縫の胸に痛切な思いが込み上げる。

 片時も側を離れずして師父のように八郎を導き援ける近習、自らを股肱と称する荒法師、そしてもうひとり、時葉という娘、この四人の絆のなんと強いことよ。敢えて口にせずとも何事も分かり合い、八郎の大望を支え、共有しているようではないか。

 羨ましい……

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