第58話 宣言(後編)

 姫の問いは諸侯の懸念を代弁するかのようであった。

 さといこの娘のことである。諸侯の不安を感じ取り、彼らを納得させる言葉を八郎から引き出そうと図ったのか。それとも、八郎の目指すものが自らの祀る神の意図に適うか否か確かめるためであったろうか。

 周りにはべる侍女のひとりが慌ててたしなめる。


「姫様! このような場で大声で問いを発するなど、慎みのない」

「ふん、何を言っておる。皆に代わって思うところを述べただけじゃ。心に疑念を抱いたままでは、鎮西統一などという大戦に邁進することなど到底無理な話であろうが」


 姫は一向に恥じることも臆することもない。

 八郎はこれに答えんとして、同時にまた皆に聞かせんとして告げた。


「今、俺に向かって問うたのは、皆も知っての通り阿蘇大宮司家の姫君じゃ。ちょうど良い。阿蘇神宮の祀る神、健磐龍命にも、そして皆にも俺の思うところを明らかにしておこう」


 そして天を仰ぐ。昨日の豪雨が嘘のような晴天である。

 比叡でのことが脳裏に甦る。

 そうだ、祇園で騒動があって功徳院の一室で過ごした日々の末、俺は自分自身が明王に代わって世を正すと決めたのだ。

 神仏が実在するかどうかなど関係ない。そんな当てにならないものの加護など不要じゃ。

 姫に降りたという健磐龍命とやらも、八百万の神々も、諸々の仏も、今から俺の言うことをとくと聞くがいい。

 我ら人は、貴様らなどに頼らずとも立派に生を営むことができるのだ。

 八郎はあらためて皆の顔を見渡し、まず問うた。


「我々武士は何のために戦うか。領地を守り、増やすためか」


 ひと呼吸置き、続ける。


「それもあろう。しかし、その領地には誰が住む? 当たり前のことだが民草じゃ。いかに広大な領地を有しようとも、民が居なければただの荒れ地に過ぎぬ」


 ここで声に力を込めた。


「祖父・義親がおれにうた。いくさ人など、百姓のように米を作るでもなし、漁師のように魚を獲るでもなし、何も生み出さぬ浮草だ、我ら武士は民に生かされておるのだと。俺もそう思う。だからこそ我らはその恩義を返すために、民を護るために戦うのだ!」


 八郎の弁は次第に熱を帯びる。


「遠く承平天慶の昔、坂東独立を目指した平将門公がなぜゆえ挫折したか。藤原純友の反乱がなぜ失敗したか。それは己の権益だけを求め、民を顧みなかったからである。そんな戦いを民が支持する訳がない。敗北は必至じゃ」


 その語る姿は、言葉を太刀として、不条理な権威権力という魔物に挑んでいるかのようであった。

 鋭く斬り込み相手の急所を突く。世の矛盾を両断する。

 この時、八郎の目に映っていたのは目の前の軍勢であったろうか。それとも姿なき巨大な敵を象徴する何者かであったろうか。


「そしてまた、武士の作る世が、単に武士のためだけの世であるならば、それは公家共のやることと何ら変わりが無い。我らの目指すべきはそのような下らぬ代物ではない。武士も町衆も百姓も毎日を笑顔で生きることのできる、皆のための楽土を築くのだ! 我らの挙を乱と呼ぶ者も居ろう。特に京の公卿や官吏共はな。だが、そうではない。これは新生である。長きに渡って思いのままに横暴を通され、搾取されてきた鎮西の地が新たに生まれ変わる、今日はその祝祭の日である!」


 理は明晰、声は朗々と一気に述べた。

 五千の軍勢はつい先程とは逆に水を打ったように静まり返る。だが、多くの者の頬は紅潮し、目は爛々と輝いている。漠然とした「楽土」の夢に形が示されたのだ。


「それゆえ、新生にあたって軍規の根本を定める。心して聞け!」


 語調が一変した。その表情も厳しさを増している。全ての者に緊張が走る。

 今、八郎たちが最も懸念すべきは、松浦党の勝利を知り、勝ち馬に乗ろうと急ぎ軍に参加してきた諸侯の勢の行動である。

 勝者の当然の権利として敗者とその領地に対する略奪が行われ、自分たちも「おこぼれ」にあずかることができるなどと、勝手な期待を抱いているのではないか。だとすれば、とんでもないことだ。是非ともここで厳命を下しておかなければならない。


「難しいことは言わぬ。守るべきはたったの三箇条じゃ」


 八郎は胸を張って肺腑の奥底まで十分に息を吸い、これまでにない大音声を発した。


「民を傷つけること、その財物を略奪すること、婦女子をもてあそぶこと、この三つは決して許さぬ! 規に反する者は例外なく斬り捨てる!」


 城外の軍勢にも、大宰府に住む全ての民にも聞こえ渡る一喝であった。


「これに異論を抱く者はすなわち敵である! 今すぐにここを去り、我らに戦いを挑んでくるがよい。存分に相手をしてやろうではないか」


 その言葉は新規に参じた諸侯の心底を矢の如く貫いた。

 戦には強いらしいが、所詮は世間を知らぬ若造である。お味方致しますと駆け付け、適当におだて上げて精々機嫌を取れば、容易に自分たちのいいように扱えると思っていた者も多かったろう。

 とんだ見込み違いであった。そんな浅はかな期待は八郎の言と態度に見事にくつがえされてしまったのだ。

 彼らの落胆をよそに八郎は話を終えんとする。

 言うべきことは全て言った。後は行動で示すのみである。


「まあ、きつい話はこれまでだ。今日は酒でも飲んで楽しみ、向後の戦いのために存分に英気を養うがよい。ただし、決して狼藉は働かぬように」


 と、穏やかに言を結んだ。そのおもても今は柔和な笑顔である。

 脇に控えていた重季が八郎の手を固く握りしめた。

 ここでまた、わあっと歓呼の声が起こった。厳しい言葉に畏まっていた者たちが我を取り戻したのだ。


 この時代の武士の大半は自己の土地を護るために武器を取った、いわば武装農民である。兵の中には普段は、なかば百姓として領民と共に畑仕事にいそしむものも多い。

 勝敗は戦の常である。敗北の末に己はもとより、無辜むこの領民が略奪の犠牲となるのを目の当たりにして、密かに涙した経験を持つ者もいた。

 自らも重い税に苦しみ、それ以上に困窮する民を見て、やりきれぬ思いに駆られた者も数知れず。

 松浦の衆を中心に、そんな彼らが一斉に八郎の論を支持し、その上に自己の思いを重ねた。


「楽土を築くのだ!」

「八郎様と共に!」

「皆が笑って暮らせる世に!」

「民を護るのだ!」


 声を聞きながら壇上から降りる。弁慶と時葉が駆け寄ってきた。比叡の山中で孤児たちと共に暮らしてきた二人には、勝利に驕った兵による狼藉が最も懸念されるところであったろう。

 孤児は往々にして、戦の巻き添えや戦中戦後の狼藉で家や両親を失った子供であったからだ。

 弁慶もまた重季と同様に八郎の手を握りしめ、時葉といえば周りの目も憚らず今にも八郎に抱きつかんばかり。


「よくぞ言ってくれた。胸がすっとしたわい。わしらは民のために戦うのだな」

「ああ。武士が戦うのに他に何の理由がある」

「さすがは八郎じゃ。私の見込んだ男だけのことはある。惚れ直したぞ」

「惚れ直したは余計だ」


 八郎はここでやっと本当の意味で表情を緩め、晴れ晴れと笑う。

 そうした三人の姿を少し離れた所から見やり、白縫姫が複雑な表情を浮かべた。

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