第57話 宣言(前編)

 政庁の門前に出た八郎を大歓声が迎えた。

 急遽しつらえられた壇上に登ると、松浦党を始めとする軍勢の興奮はいや増し、歓声は更に大きなものとなった。

 幅広く長い朱雀大路を武士たちが埋め尽くし、見える限りにおいて途切れることがない。おそらくは横に走る道々にも、羅生門を出た城外にも兵たちが溢れかえり、八郎の言葉を待っているものと思われた。

 だが、彼方までを見渡しても大宰府に住むはずの町衆の姿はない。略奪・狼藉を恐れ、震えながら家に閉じ籠っているのであろうか。


 暫く黙っていると歓声は少し収まった。

 軍勢の最前列には後藤助明と白縫姫、姫の侍女たち、そして勿論、時葉と弁慶の姿もある。

 八郎はまず皆の奮戦をねぎらう言葉から始めた。


「皆の頑張り故に合戦に勝利することができた。礼を言う」


 再び前にもまさる大きな歓声が起こる。その中には戦いに参加しなかった諸侯の軍勢の声も混ざっている。いや、むしろ彼らの方がこれ見よがしに大きな声を張り上げているようであった。

 八郎は内心で苦りきる。

 ふん、いい気なものだ。大宰府と我々と天秤にかけ、どちらが勝っても身の安全が図れるように臆病卑怯にも日和見を決め込んでいたくせに。我らが勝利するや慌てて駆け付けて味方面をしおって。

 大宰府の残兵はまだ良い。全力で戦って敗れ、その末に我らに降ったのだからな。しかし彼奴らは何もしておらぬではないか。そのくせ戦の後の利益にだけは食いつこうなどとは図々しいにも程がある。


(浅ましき奴らめ)


 ふつふつと湧き上がる侮蔑の心にとらわれ、つい黙ってしまうこと僅かの間、重季から小声で催促があった。


「八郎君、く次の御言葉を」


 気を取り直して頷き、言葉を継ぐ。


「大宰府に残った公家、官人は我々に降った。我らは今や官の不条理な圧力から解放されたのだ」


 歓声はひときわ大きなものとなった。

 両手を上げて万歳の叫びを上げる者がいる。手を握りあい肩を叩きあって飛び跳ねる者、あまりの喜びに大声で泣き出す者がいる。朱雀大路一帯は異様なほどの熱気に包まれた。


 はるか古代に鎮西の政治と軍事を司る都督府として設立されて以来、その権限の大きさから「とお朝廷みかど」とも呼ばれた大宰府の支配がついに終焉を迎えたのである。

 嘗ては我が国の文化と経済の中心でありながら、ここ数百年の長きに渡って都の力に屈してきた、そんな鎮西の人々がついに忌々しいくびきから解き放たれたのだ。その喜びの大きさは想像に難くない。

 彼らの目には八郎のことが天から遣わされた自由の使者のように映ったであろう。


 いっぽう八郎自身は思わぬ反応の大きさに戸惑いを見せる。


(参ったな。この騒ぎでは話が続けられぬではないか)


 その様子は戦場での姿とは全く違う困惑した若者そのもの。

 これを見て重季が助け舟を出した。自らも壇上に登り大音声を張り上げて皆に告げる。


「静粛に! 八郎様の話はこれからじゃ。とくと拝聴せよ!」


 大宰府の城外まで響くその声の迫力に皆は一転して静まり返る。

 重季に目で促され、八郎はゆっくりと話を再開する。


「戦には勝ったが、我らの夢はまだ道なかばじゃ。筑前筑後、肥前、豊前といった鎮西の北半分を領したに過ぎぬ。南には肥後、豊後、更には日向、薩摩といった国々がある。それらの国々に割拠する勢力が今からどのような動きを見せるか……」


 落ち着いた涼やかな声である。軍勢は固唾を呑んでその言葉に耳を傾けた。


「相手によっては仲間として受け入れ、相手によってはこれと戦い打ち破らねばなるまい。我らの夢を阻む者は全て討つ!」


 「討つ」の一言は、それまでとはうって変わって語気を強めた断言であった。

 これに松浦党の面々は「応!」と、一斉に拳を突き上げた。


 だが、新しく味方面をして参じた者共はどうであったか。

 彼らの中のある者は八郎の言に驚愕し、ある者は心中でむしろ嘲笑した。

 「夢」だと? 肥後、豊後,日向に薩摩ということは、鎮西の北半分のみならず、全土を制覇するという意味か。そんなことが本当にできるはずがない。

 大宰府の軍に勝利しただけでも僥倖であろうに、このうえ鎮西全てを我が物としようなどとは、確かに夢物語だな。大言壮語にも程がある。


 しかし、八郎の次の言葉は彼らの想像の遥か上をいくものであった。


「鎮西を束ねるだけではない。朝廷の支配を離れた独立国とするのだ。都人みやこびとの不当な圧力に屈することなく、何者にもへつらう必要なく、重い租税に喘ぐこともなく、誰もが自由に生を謳歌することのできる国を創り上げること、それが我が祖父である義親と俺の夢である!」


 八郎は高らかに宣言した。

 独立国! 誰もが自由に生を謳歌することのできる国!

 この言葉に松浦党と、唐津の合戦以前からそれに与する武士たちは、あらためて歓喜する。

 そうだ、我らこそが八郎様と義親様、そして皆の夢の尖兵となって鎮西に自由の楽土を築き上げるのだ!

 彼らの興奮は頂点に達した。大宰府に夜襲を仕掛けたあの日、廃村で初めて聞いた壮大な夢が、いまだ道半ばとはいえ大きな一歩を踏み出したのである。


 逆に新規に参入した諸侯の多くは激しく動揺する。

 何だこの熱狂は? 「誰もが」だと。この八郎為朝という若武者の目的は、朝廷に鎮西武者の強さを見せつけ、我ら武士の権益を守ることではなかったのか。

 ましてや大宰府を倒しただけではなく、「独立国」だと。馬鹿な! 京の都と折衝して税を軽減させ、ある程度の自治を認めさせるぐらいが無難な道であろうに。

 我らはもしかして、とんでもない企てに巻き込まれようとしているのではないか。大宰府に勝利したと聞き、流れに遅れてはならじと急ぎ駆けつけたはいいが、本当にそれで良かったのか?


 ここで声を上げる者があった。白縫姫である。


「八郎様! 鎮西を京の朝廷の不当な支配から脱した自由な国にする、それは分かりました。困難な道ですが、我らはその夢に賭けましょう」


 湧き上がる巨大な歓声の中でも明瞭に通る高く澄んだ声。その声は熱狂する者、困惑する者、あらゆる者の関心を惹き付けた。


「ですが、『誰もが』とはどういう意味でありましょう。武士の力を束ねて創り上げる国は武士のための国ではないのですか」

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