大宰府にて
第56話 大宰府を奪取す
戦は勝てば良いというものではない。むしろ勝ち方と、その後の統治が問題である。
薄汚いやり方で戦えば人民の、場合によっては味方の将士の信頼さえも失いかねない。折角の勝利も無駄になり、後の諸事運営と軍の統率に支障をきたす。
謀略を巡らし、あらゆる手練手管を尽くして勝利をもぎ取るのもひとつの方法であろう。だが、武士の理想像には第一に美と
鮮やかに勝利することで武威を明らかに示し、その上で占領地の経営に心を砕かなくてはならない。
此度の合戦には見事に勝ってみせた。ならば八郎にとって差し当たって次の課題は、鎮西全体を統括する機関としての大宰府なきあと、その治めていた地を今後は自分たちがどのように統治していくかである。
敵方に加わった武士たちの領地は筑前、筑後、豊前に広く存在する。以前から松浦党の勢力範囲であった肥前に加えて、大方は没収するこれらの土地の経営を思えば、戦に勝ったからといって喜んでばかりはいられない。
ただでさえ独立心、反抗心の強い鎮西の風土である。下手を打てば瞬く間に人心は離れ、群雄は割拠し、戦乱の巷と化す。
そしてまた、肥後、豊後から南には無傷の勢力が存在している。これらが大宰府の支配から解放された今、どのような動きを見せるのか。
従属してくる者もあれば、対抗してくる者もあろう。後者は朝廷の代行者である大宰府を滅ぼした八郎たちに憤慨し、同心する勢力を糾合して戦を仕掛けてくるか、あるいは独立勢力として一地方に盤踞し、隙あらば八郎たちに取って代わろうとするのか。
考えるべきこと、対処すべき事案は数限りない。だが、今まず行うべきは、目の前に平伏する公家そして官人たちの処遇の決定、そして大宰府とその近辺の治安の維持である。
八郎は目の前の公家・官人一同に言い渡した。
「権帥・藤原清実殿と自害した士の亡骸は丁重に弔うように。それが終わり次第、各人の官舎に戻り沙汰を待て」
一同は騒めく。「沙汰」とはどういうことか。もしや我らまで博多追捕の責任を取らされ処断されるのか。
八郎はその動揺を掌を上げて制す。
「我らと大宰府との戦は終わったのだ。多くの命を犠牲にしてな。これ以上、傷つく者や死人を出したくはない。安心せよ」
不安を煽らぬように努めて穏やかな声である。これを聞いて一同が少しく落ち着いたと見るや、八郎は
重季は八郎と並んで歩きながら問うた。
「宜しいので?」
「何がだ」
「むろん公家や官人のことでございます」
「ああ、奴らにも言った通りじゃ。これ以上の犠牲は出したくない。暫くは血を見るのは沢山だ」
「断罪せずとも、処分が決まるまでは見張りを付けるべきかと」
「無用じゃ」
「逃亡するかもしれませんぞ」
「結構ではないか。命までは奪わずとも、吟味の上、罪ある者はどうせ追放するのだ。心に
「はあ…… 寛大なことで」
「それは違うぞ」
重季が呆れ気味に呟くと、すぐさま八郎が否定した。
「寛大さや優しさではない。考えてもみよ。世間の
「何もできぬでしょうな。おそらくは、京に帰ることさえ至難でありましょう」
「その通りだ。仮に京に戻っても今回の始末では役職に就くことも叶うまい」
「確かに」
「また、官人共も同様だ。ここを逃れて鎮西のどこかに身を潜めても何ができようか。大宰府からの落人だと知れれば、召し抱える者は少なかろう。どうやって生きていく。もしやすると断罪されるより遥かに厳しい罰じゃ」
「成程、その通りでございます。だが、義親様に相談も無しに決めてしまって良いのですか」
「義親爺様は唐津での後始末に忙しい。それゆえ大宰府でのことは全て俺に任せると
と、ここで八郎は思い当たる。
「唐津といえばだ、急ぎ使者を送り、王昇殿を大宰府に送ってくれるように伝えてくれ」
「王昇殿をですか? それはまた何故」
「俺や其方は鎮西のことには疎い。その点、王昇殿なら鎮西の事々も、大宰府の役人の人柄や行いも知悉していよう。公家と官人の吟味の指揮を執ってもらうのじゃ」
「ですが、王昇殿は今だ傷が完全に癒えてはおられぬのでは」
「無理をさせるつもりはない。後藤殿を補佐に付けようぞ。肥前に領地を持つあの御仁ならば、やはり大宰府のことに
「どうしてまたそのように、あ奴らの吟味に
「重季らしくもない。分らぬか」
「はあ」
「勝利の嬉しさに浮かれて、少々呆けておるようだな」
「いや、決してそのようなことは……」
実は重季には八郎の存念は分っている。十分に分かっていながら敢えて知らぬふりをし、他の者の手前、尋ねてみせているのだ。
重季は八郎の成長が心底から嬉しかった。
(武勇に長じられただけではなく、戦の後の処理にまでもこのように心を砕くことがお出来になるとは、この若君に賭けた自分の判断はやはり間違っていなかった)
八郎もまた同じである。重季の気持ちは察している。
(重季め、どうすべきかは己では重々承知しているくせに、松浦党の面々の前で自分は愚かなふりをして俺を立て、しかも俺の意図を彼らの口を通じて皆に知らせようということか。有難い気遣いだな)
自分がまだほんの童の頃、重季だけが自分を護り導いてくれた、あの日々が懐かしく心に甦る。
「幼い頃から俺に教え込んでくれたではないか。戦の勝敗は時の運。大事なのはその後だと」
「勝って驕らず、敗れたからといって
重季は尚も
「そういうことではない。戦に勝利した後、新たに得た領地の経営じゃ」
「まさか、あの役人共を登用されるおつもりで」
「全部ではないがな。吟味の上、能力があり信用できる者ならば登用する」
「博多での狼藉に関与した者共ですぞ」
「全員がそうではあるまい。心では反対しながらも宗頼たちの手前、やむを得ず口を
ひと呼吸おいて、
「降伏してきた者を決して許さず根切りにでもしたらどうなる。その所業を知れば、あらゆる敵は降っても無駄と覚悟し、最後の一兵まで死に物狂いで戦うであろう。これからも戦は続く。俺はいちいちそんな戦いをしたくはないぞ。死体を埋める穴を掘るだけでも大変な手間ではないか」
最後はなかば冗談を交えた一言であった。
抵抗を止めて臣従を願う者を受け入れると知れれば、死兵となってまで戦わんとする敵はいなくなる。ひとつひとつの戦いが容易になるばかりか、厚遇を期待し、戦わずして従属を求めてくる者も増えるだろう。
「しかし、あっさりと降伏してくるような相手を信用できましょうか。そのような輩は往々にして再び反逆したり、敵方に寝返るものですが」
また疑問を発する重季に八郎はきっぱりと答えた。
「その時こそは許さぬ。放って置けば皆に示しがつくまい。徹底的に滅ぼすまでじゃ」
重季は満足した。
これで引き出すべき言は全て引き出し、護衛の松浦党の者共にも聞かせた。
後はこの者たちが八郎君の意図を仲間に伝え、更にはその仲間が別の者へと伝え広まるであろう。皆がそれを知れば、公家衆や官人を粛清せぬとしても不満や疑問は生じず、味方の統制は維持され、八郎君を頂点に団結はいっそう確固たるものとなるに違いない。
望むらくは、人々の口を経て噂となり、鎮西全土に聞こえ渡らんことを。さすれば敵味方の無駄な死傷を減らし、鎮西は速やかに八郎君によって統一されるであろう。
「恐れ入りました。理に適った、真に良きお考えと存じます。すぐにでも唐津に使いを出し、王昇殿にこちらへ来て頂くよう手配致しましょう」
重季は莞爾として微笑んだ。見ると八郎の目も、口元も密かに微笑んでいるようであった。
主従は歩を揃えて正殿の南、政庁正門へと急ぐ。
為すべき最初の大仕事が、そこで待っているのだ。
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