第53話 集団戦

 弩から放たれた短い矢は馬の首に深々と刺さって絶命させ、鎧武者の肩口、あるいは兜までも貫通した。

 どう、と鈍い音を立てて倒れる馬と共に地面に転がる者、急所を射られて命を落とす者、倒れた味方につまずいてまた別の馬が転倒し、騎乗の武士が地に投げ出される。

 大陸において、弩は特に戦車や騎馬隊に対抗するための有効な武器として用いられてきた。その存在を知らぬ本邦の騎馬武者相手には、当然にして絶大な威力を発揮する。

 時葉は三百名の部隊を二つに分け、的を射るのが得手な半数は射手に、そうでない半数は背後に回して矢の装填を担わせた。こうすれば、一矢の狙いを定め放つ間に次の矢を装填し、すぐにまた次の矢を射ることができる。

 連射がきかぬという弩の弱点が大いに緩和され、殆ど連続して矢を放つことが可能になったのだ。

 ましてや、梃子を利用して速射性をある程度確保した新型の弩である。矢は次々と大宰府軍の武者たちを射抜き、瞬く間にその先鋒を壊滅させた。

 後続の武者たちは何が起こっているか分からないままに突進する。騎馬を揃えた大軍である。いったん前へと走り出したものは容易には止まらない。ひしめき合って馬を駆る後続の諸隊をまた矢が襲う。

 和弓と違い、練達の技術を必要としないことも弩の強みである。町民や百姓の手によって放たれた矢が正確に強者つわものたちを屠っていく。

 加えて頭上からは松浦党の矢が容赦なく降り注ぐのだ。前から上からの間断ない攻撃に、戦場はまさに阿鼻叫喚の様相を呈した。

 血まみれの武士が無数に横たわり、倒れた馬が哀れにも瀕死のうめき声をあげる。犠牲者は増えていくばかり。

 この惨状を前に宗頼は何をしていたか。

 何もしていない。床几から立ち上がり、無策に大声を張り上げるだけである。


「ええい、見苦しい! それでも精強で知られた鎮西武者か。命を惜しむな、名こそ惜しめ。矢など何するものぞ。力押しに押し寄せて門を破り、砦になだれ込め!」


 この無謀な命を伝えに、騎馬が四方に走る。

 伝令の一人が向かったのが種雄の隊である。大監であるはずの種雄に対し、なんと騎乗したまま高飛車に告げた。


「原田隊に申し渡す。急ぎ前進されよ。力押しに攻め崩せとの命である」

「馬鹿を言うな。あの惨状が見えぬのか。無理押しすれば矢の餌食じゃ」

「少弐殿の判断である。愚図愚図せずに隊を進めねば、処罰は免れませぬぞ」


 宗頼の権威を盾に有無を言わせぬ口調であった。

 種雄は激しく憤る。

 そんなものは「判断」とは言わぬ。ただの無思慮、浅略じゃ。

 しかも自軍は後方に置いたまま、他の隊にばかり犠牲を強いるつもりか。

 ところがこの時、種雄の心利いた郎党のひとりが薙刀の柄で伝令の乗る馬の尻をしたたかに引っ叩いた。


「な、何をする! あわわ……」


 馬は痛みと驚きに暴れ、慌てふためく伝令を乗せたまま遠くへ走り去った。


「おや、しもうた。手が滑ったわい」


 言葉とは裏腹、郎党はさも愉快げに笑いながら顔をあるじに向ける。


「邪魔者は追い払い申した。さて、これから如何なさいますかな。殿があえて突撃と仰るならば我らは従いますが」


 種雄は苦笑した。

 大切な郎党たちに、みすみす犬死するようなそんな真似をさせられるものか。

 しかし、理不尽とはいえ、少弐殿の命とあらば全く無視する訳にもいくまい。

 ならば……


「隊の位置はそのままに、こちらも松浦党に向けて矢を射よ」

「宜しいので? ここからでは敵に矢は届きませんぞ。無駄打ちじゃ」

「良いのだ。命に背かずして我が兵も傷つけず、攻めているように見せるにはそれしかない。小賢しさの極み、不本意だが、今はそうして体裁を整えつつ時を待つ。勝機が見えればすかさず突撃する」


 ここで言葉を切り、ひと呼吸おいて、


「だが、もしもこのまま松浦党の有利に戦が推移するようであれば、我らも進退を考えねばなるまい。少弐殿の軍と無為に心中など、以ての外じゃ」


 この修羅場において、宗頼を謗るでもなく不利な戦況を嘆くでもなく、我が身に対する諧謔さえ交えた冷静な分別である。

 郎党は種雄の落ち着きを目の当たりにし、破顔した。


「承知致しました。無念じゃが、とりあえずは芝居に励みましょうぞ」


 五百に迫る隊全員に命を行き渡らせた。すぐさま矢が放たれる。

 それを見た周囲の諸隊も原田隊に倣い矢を放つ。

 先鋒は壊滅し続く諸隊も苦戦とはいえ、総勢四千に及ぶ大宰府軍である。その陣から射られた矢はおびただしい数に上った。

 だが敵陣は遠く、しかも折からの海風である。それらの矢は全て逆風にあおられ、力なく地に落ちるばかり。

 それを見てくだんの郎党は、


「空しいのう。我が殿が総帥として采配を振られれば、こんな下手な戦はされるまいに」


 そう言いながらも顔は笑顔である。


「それ、もっと景気よく矢を射るのだ! お偉い少弐殿に我が隊の戦意を見せつけてやれ。ああ空しい!」


 苦境の中で、それでもなお最善を尽くそうとする主の器量を知った嬉しさに声を張り上げる。その大声に叱咤され、無駄矢は一層その数を増していく。

 そうこうするうちに、これまで抜けるように晴れ上がっていた空にいつしか雲が流れ、陽が陰ったと思うや俄かに雲は厚みを増し、日中にもかかわらず夕闇を思わせる曇天となった。

 稲妻が走り、雷鳴が轟く。戦場にある誰もが目を見張る程の不可思議な天候の急変である。

 すぐに雨が降り出す。ここ数日の晴天に乾いた大地をぽつりぽつりと濡らし、やがて早くも豪雨となった。それも、目の前が霞む程の強い雨である。


「しめた! 天は我を見放さず」


 宗頼は歓喜した。

 この闇と豪雨ならば敵の矢も威力が半減する。いや、狙いを定めることも叶うまい。

 叫ぶが如き大声で命を発した。


「全軍前へ! 今こそ勝機ぞ! 雨で敵の攻撃は緩む。この機を逃さず一気に攻め立てよ!」


 再び伝令が四方へ走る。


「馬引けい! 儂も出るぞ」


 愛馬に跨り、ついに自らも戦わんとする。

 目も開けていられないような激しい雨の中、命に従い多くの武者は突進を始める。

 宗頼の言う通り敵の矢は止んでいる。

 そして先頭の騎馬武者たちが、砦に続く緩やかな坂の中ほどに差し掛かった時、彼らをまた思いもよらぬ別の攻撃が襲った。

 槍である。

 機を図っていたのは大宰府の軍だけではなかった。

 左右の林に潜んでいた松浦党の槍隊、その数それぞれ三百あまりが忽然と姿を現し、雪崩の如く殺到するや穂先を突き出したのだ。

 奇妙な武器の一斉攻撃に武者たちは狼狽する。


(何だ、この見たこともない得物は?)

(名乗りもせず集団で襲いかかってくるとは!)


 一隊を指揮するのは紀八、そしてもう一隊を率いるのは手取與次てとりのよじ。博多にて八郎たちの唐船に仲間を率いて乗り込んできた巨漢である。

 素手での組み打ちを得意とするので「手取」の異名を持つが、刀や薙刀などの扱いにも長けた強者として知られている。

 この二人の号令に合わせ、三間半の長槍が猛威を振るう。


「突け! 叩け!」

「武者より先に馬を狙え!」


 この頃の馬は貴重品だ。敵を倒すにもその愛馬は傷つけず、戦利品とするのがもっぱらであった。名のある武者の愛馬なら尚更である。駿馬に違いない。

 ところが松浦党は馬をまず傷つけ倒し、騎乗の武者を地面に引きずり降ろそうとする。

 地に立った武者など如何ほどの敵でもない。大鎧の重みに耐えかね、動きがままならぬからである。騎乗の時は、馬が鎧の重みを支えているのだ。

 硬い樫の木の柄の先に短刀の刃を取り付けた即席の槍であるが、集団での戦術と相まって信じられない殺傷力を見せた。

 ひとりの騎馬武者とせいぜい数人の徒歩かちの従者が一組となって、互いに相打つ少人数同士の戦いではない。大勢の槍兵が一斉に敵に打ち掛かり、突き伏せるや、討った敵の首などには目もくれず、すぐさま新しい敵に向かう。

 分捕切捨である。

 そのようにして、華やかな鎧をつけた武者がひとりまたひとり、四方から散々に全身を打ち据えられ、よろめくところに何本もの穂先をその身に受けて息絶える。

 大宰府の軍は混乱の極みを呈した。この隙を見逃す松浦党ではない。ついに砦の門が開け放たれ、出番を待ちに待った軍勢が打って出る。

 その勢は七百。中には弁慶と先鋒隊も、そして時葉の姿もあった。

 全体を指揮するのは重季。馬を走らせ各所を廻り、的確な指示を与え士気を鼓舞する。

 ここを先途と見た総攻撃である。


「今じゃあ! 勢いに乗って敵を殲滅せよ!」


 義親の声が響き渡る。

 いつの間にか砦の外まで出張り、その横には例の義親砲が据えられて発射の準備を整えつつある。

 五百の槍隊が穂先を突き出し、ばたばたと敵を屠っていく。十人をひとつの小隊とし、五十を中隊、百を大隊とした見事な連携攻撃である。間断なく繰り出される槍は敵に反撃のいとまを与えない。

 槍隊が取り逃した敵を二百の先鋒隊が、今は遊撃隊となって始末する。

 手強い武者を弁慶の薙刀が圧倒し、時葉の双剣が翻弄する。二人の技前は八郎との稽古で鍛え抜かれ、もはや歴戦の勇士とて及ばぬ域に達している。容易に相手の首を飛ばし、あるいは腕を斬り落とす。

 大宰府軍の諸隊は次から次にと壊滅し、ついにその本隊が義親の視界に入った。

 強い雨に煙ってはいるものの、中央には確かに、黒糸威の大鎧に身を固め愛馬に跨った宗頼の姿。

 義親は背後を振り返り、月影に乗って出撃に備える八郎に笑顔を向ける。


「待たせたな、いよいよじゃ。お前の武勇が最後の決め手ぞ。敵の目にも味方の目にも、八郎為朝の英姿を焼きつけてやれ」


 八郎は無言で頷いた。その表情にもまた、不敵な笑みが浮かんでいる。

 今こそあの外道、藤原宗頼を遠慮なく成敗するのだ。

 身に纏うのは義親から譲られた大鎧。源氏の棟梁のみが着用を許される「薄金」にも似た、しかし戦場ではひときわ目立つ白と眩しい銀色の甲冑である。

 手には王昇から贈られた方天戟がしっかりと握られていた。

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