第52話 弁慶、時葉、奮戦す

「義親だと!」


 その名に宗頼が反応を見せた。

 ううむ、まさか松浦党の首領が、生き延びた源義親だという話が本当だったとは。

 どうせまた偽物か只の噂だと捨て置いたが、源家の八男たる為朝が身を寄せておるからには、此度ばかりは真の義親か。

 よし、ならば却って好都合。八郎為朝の首と並べて義親の首級を京に送り、更なる恩賞と昇進にあずからん。

 などと打算し、内心でほくそ笑む。自軍の勝利を確信しているのだ。

 報告によれば、敵の軍勢は核となる松浦党の兵がおよそ千、誼を通じる肥前一帯の領主の加勢を加えても二千に届かぬという。対する大宰府の軍はこれに倍する数である。


(苦し紛れに怪しげな兵器など繰り出しおって。ふん、そんな一発にどれ程の効果がある。寸時の混乱が収まれば後は鎧袖一触じゃ)


 宗頼なりに戦局を読み、この先の展開を尚も楽観する。

 いっぽう松浦党の砦、そのやぐらの上では時ならぬ陽気な大騒ぎ。


「王昇よ、やったぞ! 時が足りず、やむなくぶっつけ本番であったが、成功じゃ!」

「やりましたな。お見事でございます」


 義親と王昇が固く手を取り合って飛び跳ねる。それはまるで悪戯が上手くいったと歓喜するやんちゃな童二人の姿。


「ですが、いちいち準備を整えるのに半刻も掛かるようでは、実戦の役には立ちませぬ」


 すかさず渋面で苦言を呈したのは重季である。

 目の前に据えられた特製の弩、その名も「義親砲」は幅三間、長さ四間という大層なもの。しかも弓部分は巨大なそれを三重にも連ねており、梃子を使って弦を張っても発射の準備にとてつもない労力と時間を要する。

 確かに、速射性など全く考えてもいない、まさに義親の「道楽」が産んだ怪物である。

 その成功に有頂天だったところに水を差され、義親は不満げに言い返した。


「貴様も洒落の分らぬ男だのう。面白うもない。そんなことじゃから、いい年をして嫁の来手きても見つからんのじゃ」

「妻も子も捨て去った義親様に言われとうはございませぬ」


 重季の的確な反駁に義親は年甲斐もなく口を尖らす。今度は八郎に話を振った。


「どうじゃ、八郎よ。爺の自慢の逸物じゃ。お前はさだめし気に入ったであろう」

「まあ、相手を倒す実用の武器としての効果はどうあれ、敵の度肝を抜くには良いのではないか。俺は嫌いではないぞ」


 八郎の返答に義親は鼻高々。一気に笑顔になり、誇らしげに腕組みをして重季を見下さんばかり。

 このやり取りが余程に可笑しかったのであろう、八郎の隣に控える白縫姫が優美な笑い声をあげた。


「ほほほ、なんとも愉快な方々」


 殺伐とした戦場とも思えぬ華やかな空気が漂う。

 これを時葉が睨みつけた。その厳しい形相に姫は慌てて口を押える。


「八郎、私は行くぞ。悠長に笑っておる暇などない。そろそろ頃合いじゃ」

「ああ、頼んだぞ。くれぐれも気を付けてな」

「任せておけ。毛筋ほどの傷も負わず、敵を存分に叩きのめしてみせよう」


 言うや、時葉はするすると櫓の梯子を下り、風のように駆け出した。向かったのは弁慶率いる先鋒のすぐ背後、砦の先端に位置する幅五十間ほどの障壁。

 王昇がもたらした三百もの弩を備える兵たちを指揮し、ここから大宰府の軍勢に矢を射かけようというのだ。


 隊を構成する者の多くは、なんと近隣に住む町衆や農民たち。

 大宰府と戦うにあたって、まずは領民に敵軍が攻め寄せて来ることを知らせて避難を促した。にもかかわらず、多くが松浦党のために働こうと助力を申し出た。

 義親の施政がどのようなものであったか、領民の義親に対する崇敬がどれ程のものであったかがしのばれる。

 彼らの多くは非戦闘員として、砦の造作や武器の手入れ、兵糧の搬入など、戦を背後から援助するあれこれの作業に従事したが、敢えて前線での戦いに志願する者もいた。それらを弩兵として編成に組み込み、時葉の指揮に委ねたのである。

 京に生まれて市井の辛酸を舐め、比叡の山麓に住んでは浮浪児の姉様、頭として彼らの面倒をみてきた娘である。町衆や農民たちを束ねるには格好の人選であったろう。


「我らの出番は近いぞ。いつでも矢を放てるよう、抜かりなく準備をしておけ」


 時葉の命を受け、弩兵たちは弦を引き絞り発射の時を待つ。

 兵のひとりが時葉に問いかけた。日に焼けた顔と逞しい体躯から一目で農民とわかる壮年の男である。


「お嬢ちゃん。本当に儂らがお武家様を傷つけて良いのかのう」

「今さら何を言っておる。遠慮は無用じゃ。心くまで日頃の恨みを晴らしてやれ」

「いやいや、儂らは義親様や松浦党の衆には普段から良くして貰っておるでのう。別にお武家に恨みは無いのじゃ。だが、敵ならば話は別か」

「その通りだ。万が一にもこの戦に敗れればどうなる。唐津とその周辺は大宰府の支配下に置かれ、収奪と暴虐の限りを尽くされるだろう。そうさせぬためにも皆の力を束ねて必ずや勝たねばならぬ。頼んだぞ!」


 時葉の言葉に一同は深く頷いた。


 眼下では弁慶率いる先鋒が既に種平の隊に斬り込んでいた。

 弁慶たちは徒歩、対するは騎乗の武者を中心とした軍とはいえ、その陣は今だ混乱の極みにある。

 多くは怯えた馬から振り落とされたまま、残る武者も暴れる馬を取り押さえるのに精一杯ときては、剽悍で知られる松浦党の中でも特に先鋒として選び抜かれた勇者たちの敵ではない。


 先頭を駆けた弁慶はまず種平に襲いかかった。

 予想外の事態に立ち上がることもできず、哀れにも地面にへたり込んで呆けている、そこへ肉薄するや、自慢の大薙刀を無言のまま横なぎに一閃。

 叫び声もあげ得ず、種平の首は煌びやかな金色の鍬形打ちたる兜をつけたまま宙高く舞った。


「日の本第一の強者・源八郎為朝が股肱、武蔵坊弁慶が、大宰府軍先鋒の大将・原田なにがしをここに討ち取ったり!」


 腹の底からの大音声で呼ばわるその声は戦場に響き渡る。


(どうだ! 殺す時は何も言わず黙って殺す。そうしておいて初めて己が功を短く誇る。名乗りとはこうするものぞ)


 大将を討たれたと知り、敵陣はますます混乱する。

 狼狽する敵に向かって弁慶は血に濡れた薙刀を右に左に振るい、今度は瞬時にして数人の武者を薙ぎ倒す。

 背後の敵を石突で突き飛ばすと、相手は数間も吹っ飛び、気を失って仰向けに横たわる。更には、太刀を斜めに振りかぶって襲い来る武者ありとみるや、正面から真っ二つに斬り捨てた。


 弁慶に続く兵たちも、大将を討たれ狼狽する敵を蹂躙した。陸戦には不慣れな筈の海賊たちが名のある武者を討ち果たし、従者たちは逃げ惑う。

 互いに名を告げてからの一対一の戦いではない。

 相手の態勢も整わぬうちに、いきなり奇声をあげて斬りかかる。一人の敵に対して前後左右から複数で挑む。大太刀を振るって馬ごと騎乗の武者を両断する。

 戦の作法など無視した、まさに海賊らしい無頼な戦いぶりである。これに敵の武者は驚き戸惑ったまま次々と討たれていく。

 血しぶきが上がり、悲鳴が響く。それらは全て種平の兵のものである。


 その有様を遠望して宗頼は激昂した。


「何をしておる! 相手は小勢ぞ。皆で掛かり、包み討ちにせよ。手柄をあげた者には恩賞は惜しまぬぞ!」


 叫ぶような宗頼の命を聞き、ようやく他の多くの隊が動き出す。

 この時代の戦に各隊の連携などは存在しない。将も兵も、その頭にあるのは良き敵と巡り会い、その首級をあげて己の武名を轟かせ恩賞を手にすることのみ。

 気の進まぬ戦に駆り出されたあげくが、略奪するべき獲物もなく、名乗りの役に出娑張った種平の姿をただ傍観していたところに巨大弩の一撃である。

 あまりの威力に度肝を抜かれ放心していたが、そこへ「恩賞」のひと声。

 ようやく我に返り、競い合って弁慶率いる松浦党の先鋒へと向かう。


 大軍が動き始めた足音の響きに弁慶は早くもそれと知る。迫り来る敵を見やり、魁偉な容貌に会心の笑みを浮かべた。

 すぐさま自軍の兵たちに号令する。


「よし、策の通りじゃ。一旦退くぞ!」


 松浦党は倒した武者の首などに興味はない。屠った相手をその場に打ち捨てたまま、急ぎ退却にかかった。これを見た大宰府の勢は、敵は大軍に恐れをなしたと判断し、馬に鞭を入れ土煙を蹴立てて追跡する。

 顔には揃って残忍な微笑。

 戦場において、逃げる敵を討つほど簡単で愉快なことはない。徒歩で退却する弁慶の隊に、馬を駆った武者たちが今まさに追いつかんとする。


 その彼らを無数の矢が襲った。

 弩ではない。砦のあちこちに控えていた松浦党の五百の弓兵から放たれた矢である。その数は、まるで時ならぬ豪雨が天から降り注ぐよう。

 砦からの距離はまだ三町は優にある。普通ならば狙って矢を放つには遠い。

 だが松浦党は水軍である。海戦での主力たる弓の扱いには並みの武士よりもはるかに精通し、達者が揃っている。

 しかも、特定の将や武者を狙って直線的に射るのではなく、密集した敵軍に向けて山なりに斉射し、誰かに当たるだろう、外れてもそれはそれで良しという攻撃だ。

 天高く放たれた矢は放物線を描き、弁慶たちの頭上を越えて軽々と大宰府の武者たちに達した。

 針鼠のようになって絶命する者、転倒する馬が続出する。


 しかし、さすがは坂東武者と並んで勇猛を謳われ、戦い慣れした鎮西の武士たち。心得た者は矢の雨にも怯まず、逆に馬を疾駆させ攻撃をかいくぐる。

 兜のしころを傾け姿勢を低くして矢を防ぎつつ、引き上げる松浦党の先鋒に追いすがる。そして敵の背中が目前に迫った時、彼らをまた矢が襲った。

 今度は殆ど正面、僅かに斜め上から甲冑を打ち抜く恐るべき威力。


 これこそが、時葉率いる弩兵たちが満を持して一斉に放った矢であった。

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